HOME 読みもの 園藝探偵の本棚 第106回 「エクセレント・トゥエルヴ」という歴史的事件~来年、50周年を迎える日本フラワーデザイン史の金字塔(前編) 園藝探偵の本棚 第106回 「エクセレント・トゥエルヴ」という歴史的事件~来年、50周年を迎える日本フラワーデザイン史の金字塔(前編) フラワーデザイン 公開日:2021.2.19 『Excellent Twelve』 ※フラワーデザイナー集団「エクセレント・トゥエルヴ」によるイベントのパンフレット [発行年月日]1972年1月15日 [入手の難易度]超難 12人の若者による空前絶後のデザインショー 1972年の1月15日(成人の日の祝日)に、日本フラワーデザイン史上、不滅の記念碑、金字塔となったデザインショーが行われた。当時、20代の若者、12人による手作りのイベントだったが、その会場となったのが、新宿厚生年金会館という大きな舞台であり、大勢の観客でほぼ満席だったという。観客に混ざって、出演者と同年代の花屋の店員がひとり、舞台で起きることのすべてを見逃すまいと、明るいステージをじっと見つめていた。 東京大手町サンケイビルや京橋エドグランに店舗を構える「はなぜんフローリスト」の社長、フラワーアーティストの松峰美次は、50年前のイベントを今でもありありと思い出すという。2008年に草土出版から出版された『マイジェネレーションⅡ』に、インタビュー(同社、デザイナー、アーティストの白幡理二郎との対談)が収められている。 「日本におけるフラワーデザインの黎明期から花を見続け、時代を築き上げてきたフラワーアーティストの一人、松峰美次。次世代のフラワーデザインを担う新星、白幡理二郎。デザイナー集団としてフラワーデザインの世界に影響を与える「はなぜんフローリスト」の両氏が、世代を超えてフラワーデザインを語り合う。1940年代生まれの松峰氏、1970年代生まれの白幡氏が考える創作の原点、オリジナリティとは?時代とともに変わっていくもの、ずっと変わらないものとは?積み重なる時代とともに移っていくフラワーアーティストが立つ地点。そこから見える景色を感じていただきたい」 という前書きに引き続き、様々なことを語っているが、「エクセレント・トゥエルヴ」について語った部分を中心に、以下、引用する。 ―フラワーデザインをめぐる時代背景は、過去と現在でどのように変化したと感じますか。 松峰 われわれの時代は、フラワーデザインというものがまったくないところから始まったわけです。書籍も文献もまったくなくて、ホテルオークラから出版された本(※永島四郎の『新しい日本の花卉装飾』新樹社1963か、永島に薫陶を受けた山本晃の『フラワーデコレーション』新樹社1967だと思われる)が一冊あるだけでした。進駐軍が帝国ホテルでフラワーデザインを教えて、フラワーデザインの実践が外国人によってようやく始まり、1967年に日本フラワーデザイナー協会(略称:NFD)ができて、第一期フラワーデザインブームが到来したという時代ですからね。 NFDには池田孝二氏、成瀬房信氏がいて当時彼らが若い力として注目を集めていたのですが、それは今から考えても見劣りしないほどモダンなデザインの時代でした。 残念なのは、その時代の資料が何も残っていないことです。池田氏などは大きなアングルを組んで中間にミラー板を1枚、そこに白い小さな蘭を1本立てただけという粋な作品を発表していました。 新宿厚生年金会館で「エクセレントトレイブ(※正しくはエクセレント・トゥエルブ)」というフラワーショーをはじめて任意集合体でつくり、当時5000円(※正しくは3000円)という入場料でホールを満席にしました。今の感覚で言えば3~4万円くらいだと思います。それは成瀬氏が中心となって巻き起こしたフローリストのニューウェーブでした。 それからしばらくしてNFDが全国規模の集団となって時代をリードし、一方でマミ川崎先生を筆頭にマスコミが育てた分野があり、つちやむねよし氏、川瀬敏郎氏が後出してきました。松田隆作氏はいけばなとの特異な関係を築きながら、アーティストとして存在してきました。白幡理二郎が生きている今の時代とは、背景が全く違います。(以下省略) パンフレットに残る、古さを感じさせない作品群 「エクセレント・トゥエルヴ」では、当日に合わせてA4版、表紙1、本文20ページ、広告11ページの立派なパンフレットを制作し、会場で1冊1,000円で販売したという。 ぼくは、この貴重な資料をメンバーの一人、福徳八十六氏に譲っていただいた。2015年、誠文堂新光社の月刊「フローリスト」で連載していた「花のクロノロジー」の取材で尋ねた時のことである。ぼくは、この10年近く、日本のフラワーデザイナーの先駆け、永島四郎を追いかけているのだが、福徳氏は「紅葉山花店」勤務時代にホテルオークラにおり、同じくオークラにあった「第一園芸」の永島に直接話を聞き、教わった人物である。 今回は、その貴重な資料を画像ですべて紹介したい。 ※参考 『マイジェネレーションⅡ』草土出版 2008 『園藝探偵』1 誠文堂新光社 2016 P46、47 検索ワード #フラワーデザイン#NFD#新宿厚生年金会館#ナルセ・フローリスト#ホテルオークラ#第一園芸 著者プロフィール 松山誠(まつやま・まこと) 1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。 この記事をシェア 関連記事 2022.2.18 第151回 室町文化をリードした「同朋衆」の画像を探す 『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』 [著者]村井康彦・下坂 守 [発行]国際日本文化 […] いけばなたて花生活文化室町時代会所座敷飾り 2022.2.4 第150回 「ステレオグラム」飛び出すいけばな写真教本~園芸家と写真術 『投入盛花実体写真百瓶』 [著者]小林鷺洲 [発行]晋文館 [発行年月日]大正6 […] 花留めflower frogs重森三玲いけばな写真新花道自由花山根翠堂 2022.1.28 第149回 浪速少年院の温室~温かい部屋がある意味 『実際園芸』第18巻第1号 1935年1月号 [発行]誠文堂新光社 [発行年月] […] 矯正院移動温室感化院日清戦争少年法