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「森を守る」〜C.W.ニコルさんの伝言〜

公開日:2020.6.3

作家で環境保護活動家であるC.W.ニコルさんが、2020年4月3日に逝去されました。ニコルさんと親交のあった猟師・株式会社森守の黒田利貴男さんよる追悼と、ニコルさんと自然や森を守ることについて語り合った思い出をご紹介いたします。

2013年4月20日のアースデイで。

突然の訃報

2020年4月3日の朝、私の元に突然C.W.ニコルさんが亡くなられたとの報せが入りました。

「えっ! なんで?」

ニコルさんは16年に直腸がんが見つかり、手術を受けていました。その後本人が精神的に落ち込んでいると聞き、仲間と連れ立ってニコルさんが暮らす長野県黒姫高原の「アファンの森」へ出かけました。その後訪ねた時も、元気な姿で私たちを森の中を案内してくれました。だから突然の訃報が信じられず、それを事実として受け入れなければならない、こんなにつらく、寂しいことはありません。

「森を守る」

ニコルさんは、この美しい日本の森を守りたいという思いを、誰よりも強く抱いていた方でした。そして、料理が好きな腕のよいコックでもあったので、
「日本人は狩猟で捕獲されたシカを、なぜ食べないんだ?」
と、その普及活動もされていました。

人が森に関わること、自然の中からいただく恵まれた命を大切にすること。そのためには「森を守り、命を護る」。そんなニコルさんの思いをこれから誰が・どう伝えていくのでしょう?

日本は環境活動家のリーダーを失ってしまいました。大きな存在を失った悲しみと寂しさだけでなく、その思いの継承と、日本の森の行く末を考えると、不安を憶えずにはいられません。

アファンの森で馬搬の説明をするニコルさん。(2017年12月20日撮影)

出会い

ニコルさんと私の出会いは、2013年4月20、21日に行われた「アースデイ東京2013」。ニコルさんはこのイベントの実行委員長を務めていて、その「Nicolの森の学校」と題した企画で、対談したのが始まりでした。

2人をつないでくれたのは、「ニコルズ・フォレスト・キッチン」で、料理を任されていた新納平太くん。彼が南伊豆へやって来たのは、この年の4月16日で、お互い話をするうちに「黒田さんは、ニコルさんと同じことを言っている!」と、いきなり対談の話が持ち上がりました。とはいえそれは本番の4日前。たいした準備もできぬまま、話はするする進んでいったのです。

対談してみると「地球環境を守りたい」「自然を守りたい」「この緑豊かな日本の原風景を取り戻す」。そして「狩猟で捕獲された野生動物の命を大切にいただく」。その思いは、私とまったく一緒でした。

この日、ニコルさんは、イベント会場に設けたキッチンで、自ら鹿肉のソーセージやステーキを焼いて、参加者に提供していました。

ニコルさんは、イギリス・ウェールズの貴族出身です。ところが、
「鹿肉を食べられるのはお金のある貴族だけ。自分は貧乏貴族だから、食べたくても食べられなかったよ」
と、笑いながら話していました。

アファンの森の中は下草も緑に輝いている。(2017年6月撮影)

定住のきっかけは伊豆半島

私の知るニコルさんは、とてもあたたかく、心優しい人でした。

2017年12月、病気のお見舞いもかねて「アファンの森」へ行った際、森の中でお話を聞きました。

ニコルさんは、森を守るためにこの周辺の森を買い、自ら手入れをしました。それがひと段落すると、国有林を林野庁と協定を結んで施業、管理をしました。森で伐採した木は、馬を使って運び出したそうです。

生物多様性を持続させるために、土の中の微生物や小動物を守る。それと同時に山の土を踏み固めないために馬を使ったのです。

「私の生まれた国では馬は食べません。人と一緒に生活します」

この言葉だけでもニコルさんの人柄が伺えます。日本でも昔は農耕や荷物の運搬に馬を使っていました。国は違えど、どこの国でも同じなのでしょう。

そういえば、ニコルさんが日本に定住することになったきっかけを聞いたことがあります。来日して、ドイツ大使館員と友だちになり、どこでもいいからと旅行に行った時、お風呂から外を見ると、竹の葉や風景がとても美しかったそうです。それ以来日本の緑の多さ、植物の種類の多さに魅了され、定住を決めたと話されていました。

心の底から日本を好きになり、イギリス人ではあるけれど、どの日本人よりも日本が好きな日本人になった方です。定住のきっかけとなったその場所は、いったい日本のどこだったのでしょう?

「若い時のことだから、よく覚えてないんだよ、でも、また行きたい」

おぼろげな記憶を辿ってみると、それはどうやら私の住む伊豆半島のようです。ただそれが伊豆のどこなのか、思い出せないようでした。

「だからまた行きたい」

生前よくそんな話をしていましたが、その願いは、叶いませんでした。

黒姫の赤鬼と南伊豆の青鬼

2017年の6月と12月、私は「アファンの森」にお邪魔しました。黒姫の12月は雪の中でしたが、暖炉の火がとても暖かくそしてやわらかでした。その暖炉の薪もニコルさん自身が森から伐り出して、自身で割って使っていました。そしてまた、薪に火をつけるのも彼でした。

「この薪も森からとってきたんだ。ほら、そこに置いてあるでしょう」

森に関わるというのは、ただ関わるだけではなく、生活の中にいかに取り入れるか。何気ない毎日で森を見つめている、ニコルさんだからこその言葉だったと思います。

「私の国は植生が乏しくて在来種の木が50種くらいしかない。でも日本は1500種以上あるといわれています。しかし、日本人は森に入らない。なぜ?」

ニコルさんに、よくそう聞かれたことを思い出します。

すべてのものには命があり、人はそれを守ってやらなければならない。それがきっとニコルさんが「アファンの森」とその周辺の森に関わったきっかけだったのだと思います。

「森は一度人が関われば、ずっと関わり続けなければならないのに、日本人が関わらないのは、なぜだ?」

その言葉がとても重く響きました。

ニコルさんは、自然を守る活動や子どもたちを森で遊ばせたり、自然に触れさせることで、心の教育も同時に進めていました。東日本大震災が起きた時、福島の子どもたちのために、森林セラピーで疲れた心を癒す活動や、都会で疲れた人のためにホースセラピーなどを企画。そのための馬を購入し、調教も行っていました。

私との共通点は猟師であること。ニコルさんも、日本に来た当初から狩猟をしていて、黒姫高原に移り住んでからもハンターでした。

「獲物を苦しめずにいただく、そのために私はライフルしか使いません」

とニコルさん。私は散弾銃でも、一発しか弾が出ないスラッグ弾しか使いません。同じように動物を苦しめず、苦痛を与えない命のいただき方をしていました。しかし、ある時ニコルさんは、猟銃の所持許可更新を忘れてしまい、猟ができなくなりました。

未来のために子どもたちに森に入ってもらう。そして、日本の自然の素晴らしさを頭で考えるよりも、肌で感じてもらいたい。私もそれをずっと続けています。狩猟と森を守る。この二つで通じ合える人は、いなかったのかもしれません。

ニコルさんは、お酒をよく飲まれる方でした。かたや私はまったく飲まないので、よく共通の知人から「黒姫の赤鬼、南伊豆の青鬼」と呼ばれていました。話すこと、森に関わること、活動の内容と目的、すべてが似ていたのでしょう。

「森を守る、そのために何が必要か」。今、日本国中の人にそれを説いて歩いても、実際に動き出す人は少なく、実現するのは難しい状況です。それでも続けていたニコルさんの活動は、この国にとって大きな光だったと思います。

Earth Day東京2018コックコートのニコルさん。(2018年4月撮影)

二人で話したこと

2017年12月にお邪魔した時は一泊したので、昼食と夕食を一緒に食べながら話しました。食卓には私が持参した鹿肉やイノシシの肉も並んだので、猟や森の話が多かったと思います。実はこの時、ニコルさんはあまり昼食を食べてはいけなかったのですが、

「みんなが食べているのに、私だけ食べなかったら、話に入れません」

と一言。

ニコルさんは猟が好きでした。「日本人に鹿肉をもっと食べてもらいたい」「どうすれば森に関わる日本人が増えるのか」等、自然に関わることを、熱く話したのを憶えています。彼は真のナチュラリストであり、自然の中にいるのがとても似合う人でした。

そんなニコルさんは、元々は海が専門でカナダ政府の海洋生物研究所の技官でした。日本に来て森の豊かさ、緑の素晴らしさに魅了され、黒姫に移り住んだのです。海から山へ暮らしと研究の拠点を変えるほど、日本の森はすばらしく、そして危機に瀕していたのです。

2018年4月のアースデイ東京では、渋谷の「ロフト9」で開かれたオープニング・ミーティングでもまた、ニコルさんとご一緒しました。

都内でのイベントの際、二人でよく言ったのは「ここにいると疲れる。早く帰りたい」。都会の真ん中で緑が乏しく、造りものの世界。コンクリートジャングルは似合わないし、人混みがとても嫌でした。

心に残っている言葉

そんなニコルさんと話した中で、忘れられない言葉があります。

「森は水の母です。水は笑いながら流れる、。だから自然の小川を再現する」

森は豊かな水を育みます。その水が流れる沢を水の通りをよくしてやる。すると沢に棲む生物が豊かになる。そして岩に当たる、水流は笑っているように音を立てて流れていきます。そんな意味の言葉ですが、この水を育むためには森に手を入れてさまざまな植物、木や草まで光合成を促してやる。

「森に人が手を入れれば、勝手に草が生えてきます。種を播くんじゃない、光をいれることで、土の中の種が勝手に芽を出す」

ともおっしゃっていました。だから、森に手を入れる。そのことが生物多様性を守ることになり、この地球を守ることにつながる……。

私またも同じ考えです。森に手を入れることで森が豊かになり、森の保水力が高まり、沢ができ、栄養豊富な水が田んぼを潤し、その水を河が運び里を潤す。そして、海に栄養を運び海が豊かになる。森里川海の自然の循環の話を、夢中でしました。

「人が植えた木は、ずっと育てなければいけない」

とも言っていました。木は自分で自分を管理できない。だから、人が関わった森は、ずっと関わる必要がある。

ニコルさんは「アファンの森」に最初に手を入れて、幽霊森を健康な森に変えました。水の流れも笑っています。その周りにある林野庁の国有林にも手を入れました。

「アファンの森」から帰路につく時、
「僕は黒田さんが好きです。また来てください」
と言われ、ハグをしました。あの大きな身体で。私は日本人なので、ハグをするのは恥ずかしかった。ですが、側にいたアファンの森の森田さんが翌朝、「ニコルは、黒田さんが来るととても喜ぶんです。だから、また来てください、お願いです」
とおっしゃっていました。できるなら、もう一度ハグしたかった。

今、思うこと

ニコルさんは日本人になりました。しかし、その日本人の中に、いったい何人「森を守る」人がいるでしょう。

私はたまたま農林業、猟師という仕事柄、森に関わっていただけです。そんな中、肌で感じ、目で見て、荒廃していく森を、なんとかしたいと思ってきました。かたやニコルさんのように頭で考え、生まれ故郷イギリス・ウェールズの森を、子どもの頃から見て森に親しみ、森を愛す心で、日本の森を愛した人はいないと思います。

自然が好きな人はたくさんいます。だけど森を愛す人はあまりいない。そんなニコルさんがいなくなることは、とても寂しく残念でなりません。

「私は社会のリーダーになれなかったよ」

ニコルさんが、そう呟いていたことがあります。日本の美しい森、美しい暮らし、美しい山並み、そのすべてを守るリーダーになれなかった。そんな意味だと思います。

今、日本はコロナ禍の只中にあります。

もしニコルさんがご存命なら、日本国民に地方回帰を促したことでしょう。地方に若者を呼び戻し、もう一度森に関わってもらいたい。人口が密集した都市よりも、緑豊かな地方の方が安全だし過ごしやすいからと。

ニコルさんは日本に来た時の美しい国日本を取り戻したかった。それが最後の心残りだったのかもしれません。

これから先も自然の循環は地球環境のためにも繰り返されます。ニコルさんがずっと言い続けてきた「森を守る」。そのためにどう森に関わるのかわからない人も多いでしょう。ですが、緑豊かな自然を見れば、誰でも美しいと感じるはずです。そこからの一歩、どう関わるか自然に足を踏み入れる前に、少し考えていただきたい。それはニコルさんも同じ思いだと思います。

それがまた、森を守ることにつながると信じています。

 

文・写真/(株)森守 代表取締役社長 黒田利貴男
構成/三好かやの
協力/C.W.ニコル・アファンの森財団

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