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第68回 ジベレリンとタネなしブドウ~協和発酵創設の研究者・加藤辨三郎

公開日:2020.5.31

『薔薇は薔薇 協和発酵35年の歩み』

[編集・発行]協和発酵工業株式会社(現・協和キリン株式会社)
[発行年月日]1984年8月
[入手の難易度]やや難

協和発酵工業株式会社(現・協和キリン株式会社)の社史『薔薇は薔薇』というすてきな題名がつけられている。このタイトルは、北原白秋による名な詩から採られた。

薔薇二曲(北原白秋『白金之独楽』

薔薇ノ木ニ
薔薇の花サク。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。

協和発酵の35年史

協和発酵という会社は、昭和12年、発酵に関する研究者、加藤辨三郎らが協和科学研究所を編成し、幡ヶ谷にあった商工省東京工業試験所で研究を開始した頃にその歴史が始まっている。『薔薇は薔薇』では、日本における発酵工業の発達とともに歩んだ協和発酵の35年をおよそ3つの節目に分けている。

第1の節……アルコール、アセトン、ブタノールなどを「嫌気性発酵」で大量生産した時期(戦前・船中)

第2の節……抗生物質(ペニシリン、ストレプトマイシン)など「好気性発酵」の技術開発期(戦後)バイオケミカル・エンジニアリング(生物化学工学)という言葉が生まれた時代。

第3の節……先の発酵・精製の装置を舞台に微生物の持つ新しい能力を引き出し各種の新製品を生み出した昭和30年(1955)頃からの時期。制がん剤(マイトマイシンC)、植物ホルモン(ジベレリン)など。

第4の節……ニューバイオテクノロジーの時代。1953年、ワトソンとクリックによりデオキシリボ核酸(DNA)の構造があきらかにされ、以来DNAのもつ遺伝情報の解読やDNAの合成に関する技術が飛躍的に高まった。その結果、微生物の活用は時代の寵児となり、その応用範囲は大きく拡大していった。

第3期に注目すべきことは、昭和31年、グルタミン酸を発酵法によって工業的に生産できるようになったことだという。これは応用微生物学にとって画期的なできことだった。

第4期のバイオテクノロジーは、新しい医薬品や化学素材などの開発や大量生産を可能にするだけでなく、動植物の大量培養によって得られるバイオマスによるエネルギー生産などへと規模を広げている。

植物ホルモン ジベレリン

『薔薇は薔薇』に「田園のバイオサイエンス」という題でジベレリンについての記述がある。そこでは、植物ホルモン、ジベレリンを用いたタネなしブドウ開発の話が解説されている。

昭和30年代、「デラウェア」というブドウは、当時、生食用として最も消費量の多い品種だった。この小粒のブドウには必ず種子が入っており、いちいちそれを吐き出さないとならないのが面倒だった。ところが、このブドウに植物ホルモンの一種を処理することで、種子が完全に消滅できるという事実が発見された。しかも果実のおいしさを損なわれず、着果は良好。また成熟期の促進も同時にできることがわかった。昭和34年(1959)のことである。僕らが子どもの頃というと、ブドウを食べる時、親から必ず「タネを食べると盲腸になるぞ、ちゃんと出しなさいよ」と言われたものだ。これが本当なら日本人のほとんどが盲腸になっていただろう。それでも、この面倒なタネがなくなれば需要の増加が見込めるし、果実の増量と出荷時期が早くなれば増収も期待ができる。このニュースが注目されない理由がない。さっそく生産現場に導入され、商業的使用に成功した最初の事例となった。その後、ブドウ以外のあらゆる農作物にも試され、実用化されていく。

この不思議な働きを示した物質が、ジベレリンである。ごく微量でも植物の成長に驚くべき変化を与える魔法のような存在感がある。こうした働きを持つ物質を「植物ホルモン」と呼ぶ。ジベレリンは、ジベレラ・フジクロイ(Gibberella fujikuroi)というカビの培養物から得られるものなのだそうだ。この用途開発の中心的な推進者となり、日本における最大の供給者が、協和発酵だった(図1)。

(図1)ジベレリン処理によって植物は姿を変える。農作物の概念そのものが変わった。(『薔薇は薔薇』)

馬鹿苗病からうまれた薬

ジベレリンの効果発見の発端となったのは、昭和5年(1930)、台湾総督府農事試験場の技師、黒沢栄一の報告である(黒沢は世界初のジベレリン発見者となった※本誌には昭和5年となっているが、1926年ではないか?)。黒沢は、イネ苗の徒長現象を調べていた。いわゆる「馬鹿苗病」である。馬鹿苗病にかかったイネにはカビの一種、Gibberella fujikuroiが寄生していることがすでにわかっていたが、黒沢の報告には、この寄生菌のつくる原因毒素(化学物質、のちにジベレリンと命名される)が原因となっていると書かれており、植物を伸長させる働きがあることが明らかになった。昭和10年(1935)、東京大学農学部の藪田貞治郎が原因物質を取り出すことに成功し、ジベレリンと命名、昭和13年(1938) 藪田と同じく東京大学の住木諭介によりジベレリン(ジベレリンA、ジベレリンB)が結晶化に成功する。

戦後になって、協和発酵は昭和31年(1956)に住木博士からジベレリン生産菌の分与をうけ、製造研究を開始した。このころ日本は住木博士を中心にジベレリン研究の最先端に位置を占めていたが、実用面ではアメリカに水をあけられていた。翌32年(1957)には「日本ジベレリン研究会」が結成され大学、農事試験場、企業が相互に協力して、新しい用途を探索する仕事が精力的に進められた。昭和33年(1958)、協和発酵は、米国メルク社から製造技術を導入し、本格生産を始める。こうして、翌34年(1959)に山梨県でブドウのタネなし化に成功したのである。あらためて、この昭和31年から34年までのスピード感と熱量に驚かされる。作物によっては、一度失敗すると次の年まで実験ができない。どれだけ用意周到に準備し実行したのか、その努力を続けられたのか、たいへんさは想像に余りある。しかし、彼らは実績を積み上げたのだ。こうして、年を追うごとに農業分野でのジベレリンの利用範囲は拡大していった。

興味深いのは、ジベレリンが対象作物や使用時期によって実に多様な作用を発揮することだろう。タネなし化のほかに、休眠打破、熟期促進、伸長促進、果実の肥大促進などの効果が知られている。近年は(1980年代)、ナシの肥大をねらっての応用が進んでいる。また、ハウス栽培が普及するにしたがってトマト、イチゴ、メロンほか多数の早出しの作物に対して必要不可欠な薬剤となった。

(図2)植物ホルモン利用に関する座談会

『農耕と園藝』はいかに伝えたか

タネなしブドウが市場に登場する少し前、1956年(昭和31年)の段階では、「植物ホルモン」という話題が出ている。出席者は、農林省・清水茂、東北大学農学部教授・伊東秀夫、千葉大学農学部教授・藤井健雄、京都大学農学部教授・塚本洋太郎の4名(図2)。

①戦時中に食糧増産をはかるため、サツマイモやジャガイモに対する植物ホルモンの利用が研究されていたが実用化には至る前に終戦となった。

②戦後、トマトの落果防止などに植物ホルモンが利用され、さまざまな作物に対して急激に実用化が進んだ。

③種イモを若返らせるのにホルモンを活用しようと研究していたが、結果的には種イモ自体のいいものを選ぶことがもっとも合理的だということになり、実用化はしなかった。トマトなどでも実験したが、結果的には薬剤でどうこうというより、苗をよく仕立てることがもっとも重要だという結論になった。増収、増収ということが言われたが、一つには肥料不足が問題だった。

④戦後はアメリカの工業力に負って、ホルモン剤も多用されるようになった。ビニール資材についても背景にビニール工業の発達がある。ホルモンも同じことが言える。また、増収のためにホルモン剤を用いるというのではなく、必要な効果があってそれに対して使うということで伸びてきた。

⑤着果、結果、間引きの労力削減などの目的や、発根剤、抑制か促進か、切花の日持ち延長効果・・・といった利用法について議論された。ホルモン剤は、万能ではなく、調子が悪いから使うというものでもない。目的に合わせて、時期を間違えずに使うことが重要という結論。

ジベレリンについては、野菜だけではなく鉢物や切花への応用も研究され始めていた。(図3)は、1963年4月号のジベレリン利用の花栽培に関する記事(岡田正順)。ここでは花きについてのジベレリンの効果を5つ挙げている。1開花促進、2休眠打破、3生育促進、4種子の発芽、5その他(球根花の小球根での開花、草花のブラインド(花飛び)防止等)。この当時、すでにシクラメンやサクラソウの開花促進が実用化されている。

(図3)1963年4月号 ジベレリン利用の花栽培

ここまで見てきたように、1950年代の後半から60年代にかけて、植物ホルモン利用の実用化が精力的にすすめられてきたことがよくわかる。『農耕と園芸』でも数多くの記事が挙がっている。ざっと目についたものを列挙してみる。

1960年2月号 シクラメンのジベレリン処理(樗木忠夫)、

同 3月号 トマトに対するホルモン利用と効果(藤本幸平)、ナスに対する2・4‐Dの利用と効果(富岡芳雄)、ビタミンB1の利用と効果(飯島隆志)、ジベレリンの実用面ひろまる(松田岩雄)、

同5月号 アスターの開花に及ぼす日長とジベレリンの影響(世界園芸ニュース)、ジベレリンを利用したコンニャクの花栽培(伊藤春夫)、

同6月号 あたらしいタネナシブドウ ヒムロッド(岩垣駿夫)、

1963年5月号 ジベレリン処理・ネーブル(表紙)、ネーブルのジベレリン処理(伊庭慶昭)、ブドウのジベレリン処理・今年の計画(鈴木寅雄ほか)、

同7月号 ナシの早熟化と薬品(土方智)、植物矮化剤の利用 欧米の園芸を訪ねて(飯塚宗夫)、

同8月号 ジベレリンブドウの消費はどこまでのびるか 座談会。

花では鉢物など、「矮化剤」なくしては生産・流通が成り立たない。むしろ、花壇の後列に植えると格好のいい膝丈(ニーハイ)くらいの大型の苗ものなどめったにつくられないので、たいへん貴重になっている。いずれにしても「魔法の薬」などありはしない。困難な時代に研究を続けた人々に感謝しつつ、時代と消費者の求めに対応してしっかりと目標を定めること。そうして、その目的に見合った道具を使うということなのだろう。

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

 

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