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豚熱(CSF)とイノシシ 〜森の感染症対策〜

公開日:2020.6.29

豚熱(CSF)とは?

みなさんは、豚熱(CSF)という病気をご存知ですか?

Classical swine feverの略で、CSFウイルスによるブタとイノシシの感染症です。日本では長い間「豚コレラ」と呼ばれていましたが、ヒトのコレラとは無関係なので、最近になって法律上の名称が「豚熱(CSF)」に改められました。

豚熱は、ブタとイノシシの熱性伝染病なので、ヒトに伝染ることはありません。また万が一、感染したブタやイノシシの肉や内臓を食べても、人体に影響はありません。しかし、伝染力が強く致死率が高いので、ブタが感染すると養豚農家は大きなダメージを受けてしまいます。

田んぼに水が入った初夏の南伊豆。

かたや、人間の世界ではCOVID-19(新型コロナウイルス)が世界中に蔓延して、感染者が急増。多くの方が症状に苦しみ、亡くなられていますが、なかなか終息しそうにありません。豚熱とコロナ、いずれもウイルスの飛沫、接触による感染症であることは一緒です。ウイルスは自分では移動できず、自分では繁殖できない単純な生物です。しかし、生物のタンパク質を餌に増殖して、感染した個体を死亡させると、ウイルス自体も消滅する……それほど強い殺傷力を持っているのです。

すっかりコロナウイルス感染症の影に隠れてしまいましたが、農林水産省の発表によると、2018年9月9日、岐阜県の養豚農場で日本では26年ぶりに豚熱の発生が確認されました。その後、2020年3月13日までに岐阜県、愛知県、長野県、三重県、福井県、埼玉県、山梨県、沖縄県(8県)での発生が確認されています。

また、昨年の9月13日以降、岐阜県、愛知県、三重県、福井県、長野県、富山県、石川県、滋賀県、埼玉県、群馬県、静岡県、山梨県、新潟県、京都府、神奈川県(1府14県)で、野生のイノシシからCSFの陽性事例が確認されています(5月7日時点)。他の都道府県でも、死亡した野生イノシシの検査を実施していますが、陽性事例は確認されていません。

岐阜県をはじめに、中部地方へ感染拡大。沖縄県にも被害が出ている。

沖縄のブタが感染した訳

さて、ここで気になる事例があります。

感染のはじまりは岐阜県で、当初は隣接した県を中心に県境を超えて広がっていきました。私の住む静岡県では、2019年10月18日、県境近くではなく、突如中部の藤枝市でイノシシの死亡個体から豚熱が確認され、その後23日にその発見場所から700mの地点で、2頭目の感染個体が見つかりました。

ウイルスは自力で移動しません。それを考えると野生のイノシシがウイルスを運んだか、人間、もしくは養豚場で生まれた子ブタが感染して、他の農場へ移動した等、さまざまな感染経路が考えられます。

養豚場から出荷されるブタの全頭検査は、時間と手間がかかるので難しく、抽出調査に留まっています。一方、野生イノシシの場合は、死んだ個体かわなで捕獲された個体しか調査できません。

静岡県で最初に豚熱が発生した昨年10月18日は、狩猟が解禁される11月1日の12日前。既に岐阜県では、豚熱が発症していたのですが、もし静岡県から猟犬を車に積んで、岐阜県へ訓練に出かけた人がいたら、イヌや人に感染しなくても、衣服や車のタイヤ、イヌの毛などにウイルスを付着させて運び込んだ可能性は、十分あったと考えられます。

2020年1月、遠く沖縄県の養豚場で豚熱の発生が確認されました。沖縄県は海に囲まれた島です。感染は中部地方が中心で、中国、九州地方での発生事例はありません。たしかにイノシシは泳ぎが得意な動物ですが、感染して体力の落ちた個体が、海を泳いで渡ったとは考えにくい距離です。ではなぜ、遠く離れた沖縄で発生したのでしょう?

その原因について思案していた時、ふと昔の養豚風景を思い出しました。往時の養豚残飯とは様子が違いますが、最近は食品残渣を活用して「エコフィード」というエサを与える養豚業者が増えているそうです。「もしかすると沖縄感染の原因は、エサかもしれない」と思いました。

今年1月23日、沖縄県を調査した農林水産省の疫学調査チームは、「豚熱のウイルスが混入した非加熱の食品残渣をエサとして与えたため感染した可能性が高い」と報告しました。そのウイルスの遺伝子は、岐阜県で発見されたイノシシのものと類似していたそうです。

つまり、本州からウイルスが付着した豚肉製品が沖縄に出荷され、食べ残しの食品残渣に紛れたものを加熱せずに与えたことが原因のようです。沖縄にウイルスを運んだのは、野生のイノシシではなく、人間だったのです。(2020年1月24日「沖縄タイムス」より)。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/525898

伊豆からイノシシが消えた日

私にはかつて「豚コレラ」と呼ばれていた豚熱にまつわる、忘れられない思い出があります。

今から40年以上前の1976〜79年、私が暮らす静岡県の伊豆半島と千葉県の房総半島で、豚コレラ(=豚熱)が発生しました。イノシシはいずれの半島でもほぼ壊滅状態。当時の私は小学校高学年から中学生。親父についてよく狩猟に出ていて、山の中で感染イノシシの亡骸を見たのを憶えています。

イノシシは、母親を中心に親子で移動する。

猟に出た時、父は巻狩りの勢子(せこ)をやっていて、私は我が家の猟犬と一緒に山を歩いていました。集団で獲物を追い詰める「巻狩り」には、イヌと共に獲物を寝ぐらから追い出す勢子と、逃げ道を予測して、鉄砲で待ち構える立間(たつま)があるのです。その時イヌが鳴き出したので、側に寄ってみると4頭のイノシシが死んでいたのです。メス親1頭と仔3頭の親子でした。おそらく脳炎を引き起こしたのでしょう。苦しまずに死んでいました。

当時は農薬の「ランネート」で、獣害対策していた人もいました。これをイモなどに注射器で注入して、畑の隅などに置き、それを食べた野生動物は、即座に死亡する。それほど毒性の強いものでした。同じ目的で「メソミル水和剤」を使うケースもありましたが、私の記憶では、獣害対策として「ランネート」を使う人が多かったのはたしかです。そんな訳で、山の中で亡くなったイノシシを見た時は、「農薬で毒殺されたんだな」と思いました。

当時は農薬を取り扱う販売者に許可があれば、誰もが毒性の高い農薬が買えました。実際に「家のまわりにノラネコが多くて困ってる。殺すから薬をくれ」という人も、多かったのです。飼いネコや飼いイヌまで殺傷されるケースが増え、法改正が行われました。毒性の高い農薬は「毒物及び劇物取締法」の規制対象で、今では購入時に身分証明の提示と押印を求められます。ですから動物の殺傷等に使用すれば、販売者も購入者も厳罰に処されますし、今どきそんな不届きな行為をする人はいません。ホームセンターや100円ショップで販売されている農薬もありますが、毒性が低く、殺傷効果はありません。

さて、当時14歳だった私は、死んだイノシシを、父と一緒に木の上に持ち上げました。「えっ、なぜ、木の上に?」と思うかもしれません。これらの農薬は残留性が高く、その遺体を食べた他の動物まで死んでしまうからです。

イノシシの遺体を木の上へ。イヌを守らねばと必死だった。

南伊豆町は全体の80%が山林に覆われていて、当時はその20%が植林でした。そこはまだ若い針葉樹だったので、木はさほど高くなく、下枝がたくさんありました。そこで我々は、まず細い枝を切り落とし、残った太い枝に17kg前後の仔イノシシをかけました。仔イノシシは私一人でかけられましたが、倍の35kg前後の親イノシシは頭の方が重いので、前脚を父が持ち、後脚を自分が持って枝にかけ、側にあったフジヅルで木の幹へ縛りつけました。仔イノシシはお腹を枝にのせ、親イノシシは幹へお腹を押し付けました。

とにかく、これがもし農薬によるものなら、大事な猟犬まで薬殺されてしまう。とにかくイヌを守らなくはと必死でした。

薬殺されたイノシシを木の上に乗せると、鳥が犠牲になる可能性もあります。当時はカラスが非常に多く、鳥獣害もカラスによるものが大部分でした。山の中に動物の死骸があれば、まずカラスやトンビがそれをついばみ、続いてタヌキやアライグマなどの小動物が食べにきますが、カラスといえどもイノシシの皮を食い破ることはできません。トンビなど大きな鳥類は、密生している林の中は飛べません。だから木にかけたのです。

当時の私の頭の中には、「このイノシシの親子は、苦しまずに死んだんだな」という印象が残っています。なぜなら父親について猟に行っていた私は、幾度となく息絶える寸前の個体を見ていたからです。絶命直線のイノシシは、苦しさのあまり倒れて横になったまま身悶え、まるで歩いているかのように四肢を前後に動かし続けます。しかしこの時のイノシシはそんな様子もなく、歩いていて急にパタッと横になり、そのまま死んだかのようでした。だから毒殺されたように見えたのです。

その後、山からイノシシの足跡がパタッと消えました。我々が遺体を木に上げたことで、周囲への感染は防げたと思いますが、森の中で豚熱に倒れたイノシシをすべて樹上に上げたわけではありません。人知れず死亡個体を食べたイノシシは、皆感染して死亡したのです。

足跡が消えたのは、南伊豆だけではありませんでした。徐々に伊豆半島全体で「イノシシがいない」という声が聞こえてきたのです。当時はまだ中学生でしたが、親たちの話から「あれは農薬じゃない。豚コレラだったんだ」と気づきました。そして翌年の猟期、山にはもうイノシシはいませんでした。

今回、豚熱で死亡している野生のイノシシたちはどうでしょう? ニュース映像などを見ていると、歩いていてそのまま息絶えたかのようなに映像が幾度となく放送されました。「あっ、あの時と同じだ!」。映像を見るたび思い出します。さらに不安が過りました。

「伊豆からまた、イノシシがいなくなってしまうのか」

イノシシが消えれば、猟師も消える

昭和50年代、伊豆と房総半島で豚熱が発生した時、消えたのはイノシシだけではありませんでした。

狩猟を続けるには、猟銃や銃弾、猟犬の世話やエサ、狩猟税や猟友会の会費など、かなりのお金がかかります。狩猟の対象がいなくなると、それだけのお金をかける甲斐がなくなるので、必然的に狩猟者は減ります。一度やめた人たちは、仮に獲物が増えても、狩猟を再開することはありません。

というのも一度絶滅状態になると、狩りができるようになるまで20年はかかります。復活を待つ間、狩猟者もそれだけ年を取り、高齢化するのです。現に伊豆半島でも昭和の豚熱により、かなりの狩猟者が減りました。

さらに、昔に比べると今は狩猟者の育成に、ものすごく時間がかかります。それは「サラリーマン猟師」が増えたから。昭和の狩猟者は、猟期の3ヵ月は、毎日ずっと山に行く。そんなスタイルのプロが多かったのです。農業や林業など、自営業者が多かったし、役所や会社に勤めていても、猟期に仕事を休んで解雇されることもありませんでした。

プロの猟師による狩猟は、鳥獣保護管理法の目的である「適正な個体数管理」になり、同時に地域を守ることにもつながっていました。人が山に入り有害駆除を銃猟で行うことで、狩猟圧がかかり、追い払い効果が生まれていたのです。

とはいえ、「3ヵ月も山で遊んでいたら、生計が成り立たたないのでは?」との声もあるでしょう。が、当時イノシシは売れたのです。皮付きのまま内臓だけ取り出した「マル」の状態で売れました。ですから、並のサラリーマンの給料より稼いでいた人もいたと思います。

しかし、イノシシが豚熱に倒れ、山から姿を消したことで、地元の狩猟者グループも解散しました。静岡県内外から伊豆半島に狩猟に来ていたグループも伊豆を離れ、山梨県や長野県、岐阜県や紀伊半島等、猟のできる場所へ猟場を移していきました。

イノシシのいない山へ

獲物がいなくなり、人の入らなくなった森。そんな状態は20年以上続きました。それでも父と私は、猟期になると2人で毎日半日は森に入っていました。

私が20歳になり、狩猟免許取得した時、まだイノシシはいませんでしたが、少しずつ復活の気配を感じるようになりました。伊豆半島の中央を貫く天城連山。その森の藪の中に、イノシシたちは生息していたのです。

小説や映画の舞台としても有名な天城隧道のトンネル。

小説や映画、そして石川さゆりの「天城越え」で知られる天城連山には、標高1000m級の山が連なっています。そこには国有林があり、営林署が植林事業を行っていました。国有林は私たちが暮らす里山とは離れた標高の高い場所にあり、イノシシはその藪の中に棲息していたのです。父は林業者で森林組合に所属していたので、その情報をいち早くキャッチしていました。

私の狩猟免許取得を機に、父は「こいつをプロの猟師に育てなければ」と、たとえ獲物はいなくても、修業のために毎日山へ行くようになりました。猟師は昔から「見切り3年、勢子6年」といわれ、一人前になるには最低3年かかります。獲物のいない森に入り、まずは山の地理を学ぶところから始めました。

それから3〜4年たったある日、南伊豆の山奥でイノシシの足跡を見つけました。それを辿っていくと、山の尾根を下田方面へ向かっていました。他に足跡はないので、ずっと追いかけていきました。するといつの間にか私たちの狩場の外へ出ていましたが、それでも足跡があるだけで、一条の光が射し込んだ気がしました。

イノシシが復活しても、猟師がいない

その翌年から徐々に頭数が増え始めました。その翌年も増えました。まだ山奥が多かったのですが、時にはイヌを山に入れて追跡しました。しかしたった2人では、なかなか捕獲できませんでした。

巻狩りは山をグループでとり囲み、イヌを使って獲物を追い詰める猟法です。逃げ道も何通りか考えられるので、2人ではどうしても逃げられてしまうのです。この時父は、イヌの訓練も兼ねていましたが、獣道にイノシシの臭いを残すことで、他の個体が回ってきやすいようにと考えていたのでしょう。

半島の先端の南伊豆で一度獲物を逃してしまうと、イヌはそれを追いかけ、はるか遠くまで行ってしまいます。時には下田市や松崎町方面まで行ってしまうので、1週間毎日イヌを探すこともありました。

その後、イノシシの痕跡が里山でも見られるようになると、その生息数はたちまち増えていきました。しかし、かつての狩猟者だった人たちは20年もの歳月が待てず、というより高齢化してしまい、二度と狩猟の世界に戻ってきませんでした。獲物はいるのに狩猟者がいない。昨今の鳥獣害の背景には、そんな事情もあるのです。

天城山中の寒天橋。伊豆の海でとれた寒天が運ばれた。

野生動物は増えすぎると病気になりやすい。それは昭和の豚コレラも今回の豚熱も一緒です。個体が増えすぎたから、ウイルス性の感染症に罹ったのです。そのためメスを中心に群れで行動するイノシシは、集団感染してしまいます。また、繁殖期になると、オスがメスの群れに近づいてきて、また感染します。

元々イノシシや豚はきれい好きなので、体に付着している汚れや寄生虫を落とすために泥水を浴びる「ヌタ浴び」をします。泥水はそこに溜まったままなので、水中にウイルスが残ります。すると同じ場所でヌタ浴びするイノシシたちが全滅するまで蔓延します。その状況は、今、世界中に広がっている新型コロナウイルスとほぼ一緒です。

懸念されるシカの存在

今回の豚熱で、最も懸念されるのは、シカの存在です。

40年以上前、昭和の豚熱(CSF)が発症するまでは、ヒト、イノシシ、シカは、それぞれ縄張りを維持し、棲み分けていました。しかし、豚熱によりイノシシが激減したことで、里に現れるシカが急激に増えてしまいました。

というのも、シカが棲んでいる森に人の手が入っていれば、シカはそこに生えるやわらかい草を食べ、森にとどまりますが、手が入らず、鬱蒼とした藪になってしまっているので、里へ下りて草を求めます。豚熱以前はそこにイノシシがいたので、遠慮がちに食べていましたが、そのイノシシが里から消えてしまったので、元来臆病なシカも、里へ下りて我が物顔で堂々と草を食むようになったのです。

山奥まで人の棲家や林道ができたことで、人と自然の境界線が崩れてしまいました。その原因は、林業の機械化にあります。大型の重機で山肌を削ると、その重みが地面を踏み固め、硬くしています。森に降った雨は、整備された林道や路網の上を濁流となって流れ、土砂の流失や山腹崩壊をひき起こします。

そもそも野生動物というのは、地震の前兆や翌日の天気も察知できるほど敏感な生き物です。なので機械化や林道整備により崩壊寸前となった森には棲みつきみせん。だから里へ出てくるのです。そこには人の手が入らず、藪となった耕作放棄地や、人の作った農作物があります。品種改良により糖度の高くなった栄養豊富な作物は、彼らにとっても格好の食糧なのです。

くくりわなに囚われたオスジカ。

人は今、そうして里に出てくる野生動物を、有害な存在として駆除しています。箱わなの普及と発達で、捕獲が楽になり、一度に何頭も捕獲できるイノシシは、人と豚熱、双方向から攻撃を受ける形になりました。

都市部に住む多くの狩猟者は、グループで地方を訪れ、巻狩りに出ますが、最初からシカは狙いません。シカは、猟の伝統が浅い上に、鉄砲で撃っても内臓ばかりで食用部分が少ないのです。また、体重が重く脚が長い分、山から運び出すのが大変です。その狩猟者を案内する地元ガイドも、イノシシを狙います。そのイノシシがいなくなるわけですから、必然的に狩猟者は減少します。

豚熱と新型コロナウイルス。いずれも治療可能な病院とワクチンが求められますが、豚熱にはワクチンがあるので、養豚場の豚には注射器で接種しています。野生のイノシシは餌に混ぜて与えて投与しますが、すべてのイノシシに投与するのは土台無理。野生のイノシシにワクチンは無いに等しい存在なのです。

人の平均体温は36.5℃前後ですが、イノシシは38℃、シカは40℃と高くなっています。森の中に病院があるわけではないので、彼らは自己免疫力で治すしかありません。病気やケガをした個体は、動かずじっと体温を上げて治癒していきます。例えば、脚がわなにかかったイノシシやシカは、足首から先を失います。そんな時は、傷口を舐めて治します。また、自力で治療している間はじっと動きません。

ところが豚熱に感染した個体は、フラフラと水を求めて水場にきます。それは脳症に罹っているからです。人の日本脳炎もウイルスが脳に浸潤して一部壊死を引き起こします。WHOの発表によれば、今回の新型コロナウイルスによる感染症でも、同様の症状が起きているそうです。豚熱に罹ったイノシシも、脳炎をひき起こし、水を求めていると考えられます。

コロナ以降、人の社会も大きく変わると思いますが、野生動物の世界も変わるでしょう。イノシシが減少すれば、シカの生息域は拡大します。群れで行動するシカは、イノシシのいなくなった里へ出て、農作物に甚大な被害を与えます。伊豆半島で栽培されているポンカンやニューサマーオレンジなどの柑橘類は、被害がさらに拡大しそうですが、酸っぱいレモンや夏ミカンは、あまり好まないようです。シカは、グルメで贅沢なのですね。

いかに防疫学が進んでも、自然の中にはある程度ウイルスが存在し続けるでしょう。だから人間に野生動物の感染症予防はできません。その封印を誰かが、もしくはイノシシが、解いてしまった以上、適正な対処をしなければなりません。これからは、人もイヌも森に入る時、出る時には消毒を。そんな感染防止策を講ずる必要があると思います。

放牧養豚や放牧飼育への影響

4月3日に公布された「改正家畜伝染病予防法」では、大幅な見直しが行われました。口蹄疫や豚熱、アフリカ豚熱のリスクが高まる地域を「大臣指定地域」に指定。その指定を受けると、ウシ、水牛、シカ、めん羊、ヤギ、ブタ、イノシシの放牧を中止することになっています。

豚熱(CSF)は、ヒツジやウマ、ウシには感染しません。また森に棲息しているシカの感染事例もありません。それでも放牧豚は、豚熱の感染リスクが高く、その他の家畜は感染しなくてもウイルスを自然界に運ぶ可能性があるため、放牧を禁じる今回の措置が出たのだと思います。とにかく移動させず、増殖させない対策が必要です。

豚熱に感染しないウシやヒツジも放牧中止?

放牧豚の生産者は、まず放牧場の中に野生動物の侵入を防ぐ徹底した対策を講ずる必要があると思います。基本は農作物を守る対策と一緒です。もし一農場だけで無理なら、近隣農家と協力しながら対策を練ることも必要です。

放牧地は面積が広大で、電気牧柵機を巡らすと、管理が大変ですが、最近は電圧の強い網状のものもあります(ファームエイジ社製 電気柵ネット)。これは特殊鋼線入り高伝導・高性能ワイヤーを使用していて、電圧が強く安定的に流れるようになっています。通常の電気柵は、草刈りなどアースさせない管理が必要ですが、このワイヤーに草が触れると焼いてしまうので、管理が楽になります。こうした機材を選ぶことで、手間が省け、本来の養豚に注力できるのではないでしょうか。

かたや、飼い主のいない、森のイノシシの場合はどうでしょう?

森の中に餌場と水場を作れば、感染した個体は移動しなくなるはずです。動物が移動さえしなければ、感染は喰い止められます。人間が新型コロナウイルスで学んだように、イノシシも接触を避ける、過密を防ぐことが先決です。

山の中に水場と餌場を作り、感染動物を移動させないこと。

山の中では湧く沢が川となり、いたるところに水場はできます。さらに森の中の一定のテリトリーを決めて樹木を皆伐し、藪を作って餌場を作ります。すると動物たちは里山へ降りなくても食べ物を得られるようになるのです。またそこに感染した個体が集まると、健康な動物は側に寄ってきません。野生の勘とでもいうのでしょうか。危険を感じると、あまり近づかなくなるのです。

増え過ぎれば自然淘汰される。増えすぎて過密になれば感染は拡大する。感染症対策は、人も動物も一緒なのです。それを防ぐには、過密を防いで水場と餌場という「入院病棟」を作ってやることが先決です。

豚熱とイノシシ、そして人間は、決して無関係ではありません。そして狩猟者を減らさないために、対策を講じることも急務です。

文・写真/(株)森守 代表取締役社長 黒田利貴男
構成/三好かやの

 

著者プロフィール

くろだ・ときお
1965年静岡県生まれ。小学4年生の時から、猟師の父の後について山を歩く。
21歳で狩猟免許、猟銃所持許可を取得して以来、狩猟期間は猟を続ける。南伊豆の山を知りつくす猟師であると同時に、稲作や林業、しいたけ栽培の経験も持つ。野生獣の管理や活用に留まらず、それを囲む森と里、海のつながりまでを視野に入れ、活動を続ける。2015 年7月株式会社森守を設立。現在は病気療養を続けながら、森林資源の活用、耕作放棄地の再生、狩猟者や加工処理の人材育成、自然を活用したエコツーリズム等、幅広く活動中。農林水産省が任命する農作物被害対策アドバイザー、南伊豆町町会議員。

 

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