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第72回 「かっちき」「刈敷」とは何か~草を肥料にする農耕の知恵

公開日:2020.6.26 更新日: 2021.4.22

かっちき

『草山の語る近世』

[著者]水本邦彦
[発行]山川出版社
[入手の難易度]易

『米が育てたオオクワガタ』

[著者]山口進
[発行]岩崎書店
[入手の難易度]易

「かっちき」「刈敷」とは何か

今日は、植物資源をつかった肥料の話をするつもりだが、最初から本題に入る。

刈敷(かりしき)」とは何か。まず、うちにある「広辞苑」第5版に書かれていることを見てみよう。(広辞苑では刈敷ではなく「苅敷」)

【山野の草・樹木の茎葉を緑のままで水田や畑に敷き込むこと。また、その材料。かつて地力維持の重要な手段の一】

これを読んだときは、何も気づかなかったのだが、実は短い言葉で大事なことが指摘されているんだなと、後で思い知ることになった。

日本人の農業に用いられる肥料は、近代以前はほとんどすべて動植物資源を利用していた。
なかでも草木を用いた肥料(草肥)はもっとも重要なものだった。今で言う有機肥料ということなのだろうが、大きく分けて3つある。
①「草肥(くさごえ)」=柴や草をそのまま鋤き込む。「刈敷」。
②「堆肥(たいひ)」=柴や草と積み重ねて腐らせる。
③「厩肥(きゅうひ)」=柴や草を厩舎に敷いて牛馬の糞尿と混ぜ合わせたもの。

堆肥は「腐葉土」として現在でもよく用いられているし、動物の糞尿を原材料とした肥料があるので、厩肥についてもイメージはできる。
問題は、草肥、刈敷のことだ。文字とおり、刈った草を畑に敷く、ということなのか。つまり、草による「マルチング」なんだろうか。それなら現在でもよく見られるし、自分でも草取りしたものを作物の根本に敷いたりすることがある。

そんな疑問に答えてくれたのが『米が育てたオオクワガタ』(山口進2006 図1)というノンフィクションだ。

(図1)山梨県北西部の町を舞台に、伝統的な米作りとクヌギ林(里山)との関係について、オオクワガタを軸に調べあげた興味深いノンフィクション。

「台場クヌギ」という奇妙な古木

オオクワガタが異常な高値がついている、そんな話がよくテレビで放映されていた時期があった。現在はどうなのかしらないが、オオクワを探し求めて全国の雑木林に人が入っていた。オオクワがいそうな樹液が出る樹種というのがあって、ナラやクヌギなどはその代表的なものだ。

オオクワ・ハンターたちが目指すのは「台場クヌギ」と呼ばれる奇妙な姿をした巨木だという(この時まだ「台場」の意味がわかっていなかった)。著者が見つけたクヌギの巨木は、いわゆる「里山」として長い年月、多くの人が管理しながら枝を採取してきたために幹の途中があちこちふくれあがり、モンスターのような姿になっていた。こういう木にはあちこちに溝や空洞があり、染み出す樹液に昆虫が集まる。

クヌギは全国にあるが、ここ山梨の台場クヌギは特徴があるなあと感じた著者はその理由について調べ始め、とうとう「刈敷」と米作りの関係にたどり着いた。
オオクワガタを探しているときに出会った農家のおじさんにうちのクヌギを見に来いと誘われたのがきっかけだ。おじさんの田んぼのわきにはずらりと「お化けクヌギ」が並んでいたという。こういうお化けみたいなクヌギには必ずオオクワがいる。

「おじさん、なぜこんな大きなクヌギがあるのですか」

「そりゃな、カッチキをしてたからせ」

おじさんは、カッチキについて教えてくれた。カッチキは田んぼに使う。薪炭やホダ木に使うのではないという。

炭やホダ木には直径10~20cmぐらいの太さの長いクヌギヤコナラの枝が最適で、そういう枝をとるためには、木は根本から伐る。根本から伐られた木は切り株からすぐに新しい枝を出す。それを数本残して育てると、5~6年後には最適のまっすぐな枝が放射状に伸びる。これをまた根本から伐るというのを繰り返す。
だから、薪炭用のクヌギは「お化けクヌギ(台場クヌギ)」とはまったく違う形になるということなのだ。

山梨で「カッチキ」と呼ばれる刈敷は、クヌギの若くて細い枝を使う。このような枝は薪炭林のクヌギからは少ししか取れないので、カッチキのためのクヌギ林が用意されていた。
これが地元の農家が「台場」「台木」と呼ぶもので薪炭用とは異なる姿をしている。それは高さ2~4mを頭にして台切りされる。コナラやクヌギはどこを伐っても芽吹いてくるというが、「台場クヌギ」はそれを繰り返してできた姿だった。

ところで、なぜ、2~4mなのだろうか。人の背丈ほどの高さで伐ればもっと楽に枝が集められるはずだ。しかし、そうしない。著者は「この高さこそ、農家の人の自然に対する考え方の素晴らしさの現れだと僕は思っている」という。

もし台木を低く作ると、台木から萌芽しても陽が当たりにくい。すると葉が伸びる速度が遅くなり、田植えに間に合わなくなる。一本一本の台木はある程度の距離をもたせて作っていることも、林全体で平等に陽が当たるようにという思いやりかもしれない。こんなふうに著者は推察した。

草木を「そのまま」使うということの意味

「カッチキ」の手順はこうだ。
①春、やわらかい葉が伸びた細い枝を刈り取る。
②田植え前に「水を張った田んぼ」に枝を敷き詰める。
③その後、梅雨になるころ、枝の間に田植えをする。
④秋、稲刈りをする。
⑤翌年の春先、田越こしをするときに地中に残った大きな枝を拾い集め、薪にする。
このような方法は昭和の半ばまで全国で行われていたという。

ここで注目したいのは、切った枝を「そのまま使う」ということだ。冒頭に広辞苑の「刈敷」に触れたが、そこには「山野の草・樹木の茎葉を緑のままで水田や畑に敷き込むこと」というふうにちゃんと示されていた。
薪炭やホダ木に用いられるクヌギやコナラの林から落ち葉を集めて利用することもあるだろうが、落ち葉はそのまま田畑に入れられないという。それは葉が分解される時に熱を出すためだ。そのため落ち葉を利用するときには場所を決めて積み重ね、あるいは牛馬の糞尿と混ぜて発酵成熟させる。こうすることで作物に利用できる「堆肥」となる。

つまり、落ち葉を堆肥として利用するには、手間と時間がかかるというわけだ。量的にも不足しがちだった。
カッチキはこうした手間や資材がなくても田畑の土質を改良し肥料として使うための知恵だった。クヌギの柔らかな新葉は水田に入れるとすぐに分解を始め田んぼの中におだやかに溶け込んでいく。細い枝の樹皮も分解され栄養になる。コナラやエノキなども使われていたが、一番使われたクヌギは葉が柔らかく、樹皮がコナラより厚く枝数も多く採れるのだという。

このように、クヌギは米作りに使われ、「お化けクヌギ」になり、オオクワガタやオオムラサキなど多くの生き物の命を育んできた。刈敷に用いる細い枝を含めて「柴」と呼ばれていたのだが、人々は柴を採るために共有の山に入った。
柴は燃料用の小枝を指すことも多いのだが、昔の田植えは遅いから、桃太郎に出てくるおじいさんが「山へ柴刈りに」行ったのは、田んぼに入れる刈敷だったかもしれない。

全国で利用された「草肥」

本連載第35回では「草地」の話について触れた。その「里草地」の利用の中心に「苅敷」のための利用があり、牛馬の餌や屋根をふくといった「草」の利用以外に、とても重要な意味をもっていたことがわかってきた。

人々は集落の周辺に草山や柴山を維持しながら暮らしを営んでいた。草地『草山の語る近世』(水本邦彦2003)では、「草肥農業」について1章をあてている。

図2は、近世の春の農村風景を描いたものだ。たくさんの人が水田で働いている。これは田植えのように見えるがそうではなく、先に「カッチキ」の利用で述べたように田植えの準備として刈敷を入れているところだ。
山や草地で刈り取られた木の若葉や草は、束ねて運ばれ水を張った田へ投げ入れられる。それを人間や馬が足で踏み込んで漉き込んでいる。(図3)「春深き 小田の沢せきとめて 草かり入るる 賤がなわしろ」の文字が見える。
こんなふうに、刈敷は自給肥料の中心となっていたようだ。

(図2)19世紀初頭に薩摩藩が農業振興のために編纂した博物誌『成形図説』から
※『成形図説』巻4 20コマ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2569428?tocOpened=1
(図3)手前の田んぼに入っている2人の男性が、遠くでは馬8頭を使って刈敷を踏み込んでいる。

『草山の語る近世』によると『写真で見る日本生活図引』(後藤功編、弘文堂1989)にこんなことが書いてあるという。

刈敷の歴史は古く、すでに8世紀、9世紀に書かれた記録に出てくる。さらに遡れば弥生時代の遺跡から出土する「大足」(スノーシューのような形の足につける板)は刈敷を踏み込む用具だと言われている。
刈敷の肥料効果については、「青草4駄入れれば肥やしいらず」といい、毎年必ず入れるものだった(1駄は馬1頭に背負わせる荷物の重さ、36貫=135kg)。草肥は、即効性は期待すべくもないが、毎年入れ続けることで地力が保たれた。
刈敷にする木の葉や草は地域によって様々で、「草の刈敷」をクサカッチキ、「木の葉や新芽の刈敷」をキカッチキと呼んで区別する地域もあるという。キカッチキは枝がついたままのものでそのまま田に入れた(先述の山梨の事例と同じ)。

近世日本農業の継続を可能にした刈敷

日本農業史の泰斗、古島敏雄(ふるしま・としお)は、近世農業の特性を「刈敷を中心とした草肥」に据えて分析した。

近世を通じてわが国農業全般の生産の継続を可能ならしめたのは
(中略)
金肥(きんごえ)ではなく山野の草木葉の利用が中心だった。

自給肥料の中心は人糞尿・厩肥・山野の草木たる刈敷である。これらの供給源は人糞尿を除いて、それぞれの地域の山野にあった。
厩肥は確かに牛馬のし尿は使われているが、飼料の残滓および敷草がその大部分を構成しているのであって、その飼料も敷草もいずれも山野からの刈草である。

刈敷が水田の主要肥料となっている地帯は、江戸時代にはきわめて広範囲およんでいる。
刈敷系統の肥料がきわめて多く利用されていた地域は、東北・関東・東山(山梨県・長野県・岐阜県の三県の総称)・九州などが挙げられる。近畿区・東海区は、金肥の利用が多い地域とされているが、そこでも刈敷・厩肥の利用はかなり多かった。

このように田畑の維持にはみなが草肥を必要としていたため、それぞれの地域で年間のタイムスケジュールに従ってルールを決めて草刈りが行われた。(図4
最初は一日に1駄、そのうち2駄となり、草刈りの最盛期にはいくらでも取ってよくなるが、種播きも忙しい時期なので草刈りは数日で終わるという。夏は夏肥といって9月9日(いまだと10月か)まで毎日1駄以上、ひまがあれば3、4駄もの夏草を刈っていた。

(図4)『農稼肥培論』中巻 大蔵永常 6コマ 
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/839184

刈敷(草肥)として使われた植物

草肥に適した植物が農書『清良記』のなかで繰り返し紹介されている。身近な場所でたくさん採取でき、すぐれた肥料になった。

ワラビ、ハギ、オリト(不明?)、ゼンマイ、ニワトコ、土タツ(不明?)、スギナ、ヨモギ、クズの葉、アオガヤ、カズラ類、ウツギ、海草類、観音草(不明?)、畑草類(不明?)。

肥料に適するかどうかは、食べてみるといいと書いてあるという。食べてみて味のいいものは上質の肥料になる。

樹木で使えるものは、以下の通り。
クワ、ヤナギ、ミゾコウジュ、ハゼノキ、エノキ、ニレ、ムクゲ、モモ、フジ。
常緑樹の葉はよくないが、夏木立の柔らかな葉は使える。このほか豆類がいい。

面白いのは、カキ、クリ、カシ、クヌギ類は肥料に向かないと書いてあることだろう。土に何も入れないよりはいい、とある。
宮崎安貞の『農業全書』では、草肥を入れた田畑の土は軟らかくサラサラになり、いつまでも肥えているものだと書いてあるという。草肥は柴や草の陽気が盛んなときに刈ってつくったものだから、その陽気が五穀をはじめいろいろな作物の陽気を助け、作物がよく生育するのも道理があることだと述べている。

宮崎は肥料を5つに分けていた、すなわち「厩肥」「堆肥」「刈敷」および、苗肥(なえごえ=豆類、緑肥)、灰肥(草木灰)、泥肥(不明)である。

水生植物や海草類については、また日を改めて書きたいと思う。

参考

検索ワード

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

 

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