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第76回 「縁日」向けの鉢花作り~「夜店」は重要な流通拠点

公開日:2020.7.27

『全国縁日案内』第1編(関東之巻) 10版

[著者]石川三郎
[発行]石川カーバイト店
[発行年月日]大正13年(1924)
[入手の難易度]インターネットで公開
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965103

今年はコロナウイルスの問題で非常事態宣言が出され、「新しい生活様式」への対応が求められるようになった。突然、今まで当り前だった暮らしが一転して「非日常的日常」というような落ち着かない日々を送ることになった。花や緑の仕事も、本質的な価値の再考と新しい仕事の仕方を考えていく必要がある。そういうわけで今日は、また縁日の話をしたい。僕らの仕事は縁日の屋台にもそのルーツがあるからだ。鮮やかな色を輝かせる花や踊るような姿の盆栽、奇妙な形のサボテン、そういうものが夜店の明かりに照らされる非日常的な場所でやり取りされていたことを思い出しながら、新しい時代への対応(商品・集客・陳列・接客・情報提供・教育等)を考えることができないだろうか。

以前、『植物生活』(誠文堂新光社/kaika)にも書いたが、浮世絵の中に登場する植木屋は「1点モノ・多品種販売」を志向していて、現代人の目から見るとその陳列方法が原初的であるという以上に、非常に魅力的に見える。縁日というのは今の花屋の陳列や接客・販売とは根本的に違っている。

『全国縁日案内 関東之巻』という大正時代に出された文字だけの小冊子がある。これは国立国会図書館のデジタルアーカイブで公開されているものだが、大正13年(1924)発行の第10版となっている。初版は大正8年(1919)だから、5年で10版、それだけよく売れたものなのだろう。内容はタイトル通りで、縁日がいつ、どこで開かれているのかを網羅的にリストアップしたものだ。場所は東京、横浜およびその付近で、それぞれ「縁日」や「行事」(1月から12月までの祭礼、法会、市等)がずらりと記されている。戦前の東京は、毎日どこかで縁日をやっていた、というのはよく言われるとおりで、このガイドブックでも1日から晦日(月末日)までの1日ずつ場所と時間が記されている。また「平日」開催や「寅、午、亥、甲子、庚申の日」も別記されている。ざっと見て気がつくのは夜店が多いということだろう。「昼夜」より圧倒的に夜が多い。夜というのはひとつの演出の装置なのだ。

また後半には、東京郊外(府下)、関東地方およびその付近の案内がある。地域の月例市(「月並市」)と「高市(タカマチ)」についての日時がある。「高市」は「タカマチ」と読む。神社仏閣の祭礼、開帳などを「タカマチ」と呼ぶのだそうだ。また、これは面白いのだが、地域・企業の「勘定日市」案内がある。たとえば、常陸・日立銅山勘定日、毎月14、15、16日。下野・足尾銅山勘定日、毎月15日、などとある。この小冊子の読者には露天商も想定されていたのだろう。露天商にとっては、農村部なら米の収穫期、漁村であれば漁獲期、都市であれば給料日の後というのはたいへんな商機だったという。ちなみにこの小冊子には、東京・横浜・関東の各地域へ向かう交通機関(鉄道等)の案内まで付記されておりとても親切だ。

※「縁日と開帳」ということば。(ブリタニカ百科事典から)
【縁日】仏教行事 もとは仏教についての由来(縁)のある日を意味する。民間に広く行われる行事で仏教に限らず、仏神の降臨、救済、成仏などの由来のある日に、その神仏の供養をし、祭りを行う。
【開帳】普段は閉じてある厨子の扉を特定日に限って開き、中の秘仏を一般の人に拝ませること。開龕、啓龕、開扉。普段の日よりもご利益がある。

※参考
『掌裡の友』弘商館 1894(明治27) 東京縁日案内 ここでも毎日東京のどこかで縁日があったことがわかる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803701 93、94コマ

毎日どこかで縁日があった

本連載第10回(https://karuchibe.jp/read/3657/)で「縁日・植木屋あさり」という題で園芸家の桜井元がこんなことを書いていた。

・明治のころは、東京でも本郷の駒込、四谷の大久保あたりには、植木屋がたくさん集まっていた。植木溜めという場所に、庭園向きの大小さまざまの木や下草になる植物があった。植木好きはそこに出かけるのが楽しみだった。

・明治から大正時代、東京では縁日がさかんで、各地の不動様、稲荷様、地蔵様や、小さいお堂やお社でも開かれており、一種の流行でもあったのだろう。少し歩く気になれば、「毎晩のように」どこかで縁日が開かれていた。

・縁日にはとくに植木屋がたくさん出ており、草花、苗物、鉢物、盆栽、山草といったものを並べていた。そのなかには老舗がいて名のとおった盆栽もあり、当時としては他ではちょいと手にできない珍しい山草もあって、植物好きな人たちには何より楽しい場所でもあった。

・縁日に出かければ、何か気にいったものが目に止まるし、1ヵ所で欲しいものが、あれこれまとめて入手できる重宝さも買われて繁盛した。売り値をねぎって買う楽しみもあり、植木屋とのやりとりは人間味があって楽しかった。

・戦後は、縁日の植木屋もすたれる一方であったが復活したところも多く、目黒不動(毎月28日)と虎の門の金比羅神社(毎月10日)の御縁日の植木店はにぎやかだった。浅草の富士神社の縁日、通称「おふじさん」の季節は夏で植木店が数百軒も出ていた。世田谷ぼろ市は冬で植木屋も多く出ていた。

・縁日に出ていた植木屋の数は「おふじさん」は400軒、世田谷ボロ市が300軒、練馬区石神井公園駅前は200軒、西新井大師と大国魂神社が150軒などと記録あり。

・関東では埼玉の安行が関西の兵庫県山本と並んで有数の苗場。用途別に専門があって1日や2日では回りきれないほど。

・草花の鉢物の専門は小松川・鹿骨。江戸時代から亀戸辺りにいて、名をあげていたが、これも東京都の広がるのに追われて、しだいに奥へ奥へと移転し、東京都全域の草物を一手に引きうけているといってもよいだろう。

「縁日」の楽しみは露店にあるが、まず、前提として寺社への参詣というのがあって、それはたとえ「神仏をだしに使う」ようにみえてもそれなしには成立しない。縁日や露店商の商売は「聖」と「俗」の境界に存在する。そこに非日常性が感じられると僕は思う。近年東京では情報を得たうえで露店に直行し、そのまま帰るという人が多く、縁日が買い物の場となりつつあり、参拝と催事が分離する傾向があるという(明尾圭造2019)

鉄道利用と自家用車利用の違い

中村周作の論文「縁日市露天商の空間行動と生成過程」(1999)によると、露天商の世界では公共交通機関(鉄道)を利用していた時代と自家用車を利用するようになった時代で大きな変化があったという。前者は「男はつらいよ」の寅さんがそうだ。寅さんは車の運転をしない。名前がクルマなのに、乗っているだけでもいやだというのだ。おそらく寅さんは鉄道を利用して、縁日をつないでまわっていたのだろう。いつもカバンひとつなので、商品は旅先で仕入れて売りさばいていたはずだ。自動車輸送が一般的ではなかった戦前では、鉄道を使って一度にたくさんの商品を送り込み、駅留で受け取った。売り先の土地で商品をまとめて置く場所を用意し、そこで1ヵ月という長期で滞在し売りつくして移動する。軽いものは行商もできるが、陶磁器のように重いものや割れ物は縁日や定期市で露店を構えて販売した。

これが、戦後になって自家用車が普及すると自分で荷物を積んで「日帰り」することが多くなる。自然と売りに出る距離が鉄道時代より短くなる傾向が出てきたというのが興味深い。『園藝探偵』3では島根県の大根島の女性がほんとうに遠くまで行商に出て植物を売っていたという話を紹介した。彼女たちは数ヶ月も家を開けて各地の駅を拠点に商品を受け取って売り歩いていた。家に帰れないのはほんとうにつらいことだったという。だから、自動車が普及するころに大きく変わっていったんだろう。ちなみに「露店」形態と「行商」では、その出店場所に大きな傾向の差がある。先に述べたように露店というのは重くてかさばるものを扱うことが多いため繁華街や人が集まる場所に出ることが多い。一方、行商というのはみずから顧客を求めて歩くので郊外住宅地や遠隔の農山村にも出向く。歴史的に見ても交通の便の悪いところへも行商の足跡が残っている。近江商人や名もなき芸能者たち、漂白の文人墨客が人々にもたらしたモノや情報は地域に住む人達にとっての大きな娯楽であり大切な宝ものだった。

夜店のにぎわいと正札販売

東京だけでなく全国で同じように縁日があり、定期市があって、そこには鉢植えや草花を扱う露店が数多く出店していたわけで、今からは想像もできないくらいの量が流通していたに違いない。門外不出だった熊本の肥後六花を広めた西田信常を父に持ち、自身も有名な園芸家となった西田一声の書いたものが昭和8年の『実際園芸』第14巻第4号(1933)に載っている(※月刊『フローリスト』で連載中の松田一良先生は戦後まもなく西田の園芸会社に勤めていた)。「縁日向鉢植草花の栽培」という記事だ。どこの府県を訪ねても神社仏閣が祭られており、そこでは必ず毎月または毎年に何回と日を決めて縁日がある。この「縁日は割合昼間の賑わいは少なく夜間に散歩かたがた参詣するものが多いようで」と当時の縁日の特徴に触れている。だから、縁日の植木屋は「夜店」が多かったのだということは押さえておきたい。昼間と違ってヒヤリとした湿り気のある夜の空気の中で生き生きとした草花はとても人気があった。

西田は「男女の別なく立止まって冷かし始めるが、やがては、がま口より取出した銭と引替に受取って行く」と描写する。数年前まではそれぞれの街に草花の売店はそれほどあるわけでなく、栽培場まで足を運ぶのが面倒だという客の気持ちに応えるように縁日の売店は「随一の市場」となっていた。ところが、昭和はじめのこの時代は非常に不景気な時代であって、このごろはなかなか思うように売れなくなったと嘆いている。それでも「人間生活上に欠くことのできぬものの一つである植物だけに他の商品に比してそうとうの売行きを見ていることは何と言っても園芸に志す者の喜ぶべきこと」なのである。

おもしろいのは、かつて3分の1にまで値切られた「カケネ」での販売方式が変わってきていて、植物も正札(価格表示による販売)で売るようになり、客もだんだん値切らなくなってきたと言っている。売るのが難しくなくなった反面、商品の品質が価格と見合うように気をつけなければならない。そのため、よいものが並ぶようになり、鮮度もいいしデパートや大手花店と比べても劣らないようなものが見られるようになった。道路脇でほこりっぽい場所であることやいつも同じ場所に出るわけではないので信用を得るのがたいへんだが、栽培場をしっかりと管理して基礎を築いておけば長い目で見れば心配はないと励ましの言葉を述べている。

(図1)縁日鉢物の仕立場 小さなスペースにたくさんの苗が整然と並んでいる

縁日のために育てられる鉢植え草花

この当時、縁日で人気なのは西洋草花の鉢植えだった。西洋草花でも書斎や店頭に置いていいもの、花壇に植えて引き立つもの、温室で育てる必要があるものなどがある。この記事では、温室栽培以外のものを紹介した(※以下、種類の名前は当時の記載をそのまま記した)。

①春に咲く主なる種類
シネラリア、ゼラニューム、セネシオ、パンジー、デージー、アルメリヤ、プリムラ類、ダイアンサス、サイクラメン、チューリップ、ヒヤシンス、アネモネ、バラ等が普通であるが、その他にも種々なものがあり種類の一番多い時である。

②夏に咲く種類
ダリア、ホクシャ、ペチュニヤ、ベゴニヤ、松葉牡丹、カラジウム、グロキシニア、アスパラガス、等種々の種類がある。しかし、春ほどの美しいものはごく稀で、割合に観葉物の売行きが良好である。

③秋に咲く種類
秋菊、サルヴィ、アコスモス、イレシネ、コリウス、薬用サフラン等があるが一般に菊に押され気味で一般の草花の売行きは割合によくない傾向がある。まず秋は菊が主なる商品である。(※「アコスモス」不明。コスモスの間違いではないでしょうか。)

④冬に咲く花の種類
プリムラ・マラコイデス、プリムラ・シネンシス、ポインセチア、葉牡丹、促成のチューリップ、鉄砲百合、水仙、クロカス等の外温室にて促成開花するものはたくさんの種類があるが、多くは高価品で縁日向けには適せぬので省略する。

⑤その他、縁日物として利益のあがるもの
・松葉牡丹=栽培・繁殖容易、花輪大きく色彩鮮やかで縁日物としてたいへん人気。
・朝顔・皐月・万年青・常夏・蘭
・葉物類=箱舟などを作って、その中に種子を播く絹糸草(※稗蒔/ひえまき)
・2、3年来流行の箱根の野草たる風致草(※フウチソウ、ウラハグサ/裏葉草)
・東京市豊島地方の植木屋が作り出す「のきしのぶ」等々

以上は主に鉢物であったが、切花としては、夏から秋にかけて露地で咲く挿花向き、あるいは仏さま向きの草花類がいい。

※参考
論文「寺社祭礼を中心とした露店市の今日的形態―東京・名古屋・京都・大阪の露店調査をもとに―」明尾圭造 大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要 21  2019
論文「縁日市露天商の空間行動と生成過程」 中村周作 地理科学第54巻4号1999

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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