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第77回 動植物の「ジオラマ」展示~戦前の百貨店における「生き物」展示

公開日:2020.7.31

『実際園藝』第11巻3号 昭和6年8月号

[発行]誠文堂新光社
[発行年月日]昭和6年(1931)8月
[入手の難易度]難

現在、誠文堂新光社の雑誌『フローリスト』で「フローリストのためのガーデンテクニック」を連載されている松田一良先生は、以前勤めておられた園芸会社で数多くの装飾を手がけている。百貨店の展示物やインナーガーデンを得意とされているのだが、昭和30年代には夏休みになるとデパートの催事場では「大爬虫類展」や「大昆虫展」などがよく行われ、そのような場所でも熱帯植物などを用いて装飾を施したという。ときには、トカゲ類の展示を行う大きな陳列ケースに敷き詰める砂や枯木を用意することもあった。その際、松田先生は数十種類におよぶ様々な砂を取り寄せ、生き物がよく見えるように吟味して施工したという話を聞いたことがある。きょうは、『実際園藝』のページを開いて、戦前に行われたデパートでの生き物の展示に関する記事を紹介しようと思う。昭和6年(1931)の夏に新宿三越百貨店で行われた「第2回生き物趣味の会展覧会」という記事だ。小笠原諸島や台湾の動植物など民族学的な資料も一緒に展示されているのが興味深い。さっそく記事を見てみよう。

生き物趣味の会 第2回展覧会

「生き物趣味の会」という団体による第2回展覧会が7月26日から30日まで東京新宿三越にて開催された(1931年)。記事によると、「あらゆる生き物とこれに関する資料の展覧会」で、非常に興味深く見ていくうちに生物に関する知識も得られる「デパートの催物としては最も意義が深く、しかも高尚であり、大衆を惹く魅力においてもすばらしいものであった。」また、こんなことも書いてある。「むしろ会期中の日曜の当日は、まじめに出品物を見ようとする人々にとっては煩わしい限りで、そのために同一の人が数回同会に足を運んだという事実も聞いた。それくらいこの展覧会の催しが会員外の一般趣味者に対して興味をそそるものであったかがうかがわれる」。以下、記事を読みやすく直して抄録する。

まず、会場に入ると、左側が近海郵船株式会社で造った小笠原島の風景で、それをバックに小笠原島営林署出品の小笠原特産の植物でいっぱいに飾られ、小笠原島そのものの感を呈して大衆を惹きつけている。特産植物としてはノヤシ、ムニンヘゴ、テリハヘゴ、マルハチ、シマシャリンバイ、ウドノキ、テリハハマボウ、ヒレザンショウ、テリハボク、タコノキ、シラゲテンノウメ、ワダンノキ、ヤロード、連葉桐などが、いかにも自然的に配列されている。会員の出品は広い会場に4通りの陳列台を設けて次のごときものがそれぞれ興味を持てるように陳列されている。

生植物の部

食虫植物―広瀬巨海氏出品のサラセニアの原種および交配種10種、ハエジゴク、シモチソウ、モウセンゴケ、ナガバモウセンゴケ、アメリカナガバモウセンゴケ、サスマタモウセンゴケ、ムジナモ等がいずれも鉢植えとしてそれぞれ名前をつけて見られる。

それに続いて、邦産山草類としてサワラン、ヤシャビシャク、レブンサイコ、チャセンシダ、エゾヒモカズラ。チシマセキショウ3種、ラセンイ、チシマルリソウ、イワギキョウ、イワタバコ(薄色種)、アララギ、オオバコ7種、白花ナゴラン、サワラン(紫と白)、白花ジャコウソウ、ウメバチソウ、山草寄せ植え類鉢、ヒナザクラ、白花ウチョウラン、アリドオシラン、ヒナラン、白山オミナエシ、ツクシカラマツ、ハイマツ、コメツガ、ハナヒキショウ(※不明。ハナビセキショウではないか?)、イブキジャコウソウ、早咲ビランジ、ハクサンコザクラ、シヤマウスユキソウ(※ミヤマウスユキソウ)、天然記念物のマリモ、

それから小石川植物園出品有用植物13種として、コーヒーノキ、アブラヤシ、マテチャ、コカ、セイロンオリーブ、香水ガヤ、ベニノキ等があり、また外国産植物として洋鉢2種、ミクロシトラス(※柑橘類)、センペルビウム(ベンケイソウ科)、牛の舌(ストレプトカルプス・ウインドランディ)、ネルテラ(※コケサンゴ)、エーデルワイス、ダバリア・パルーラ、ジャクロファー(※ヤトロファ)、ベゴニア・レックス数十鉢、ヤシ科植物類数十鉢、衣川秀華氏が出品された武蔵野の野草(ヒルガオ、ドクダミ、ノアザミ、ナデシコ等)の瓶花数種は趣味深いものであった。

動物の部

生きたものとしては、小笠原島から出品の正覚坊(※アオウミガメ)をはじめ、広瀬巨海氏(図8)出品の外国産のカメの種類、アフリカ等に産する珍しいトカゲの仲間や、イモリの仲間、サンショウウオの珍しいもの、ほかには一匹しか生きたものがいないサイレン(※両生類の一種)等は「珍中の珍」、流行の先端を行く「淡水熱帯玩弄魚」(※トロピカルトーイフィシというフリガナあり)の種々、なかでもわが国で最も変わったものを多数集められている松平侯爵(※松平康昌)の出品は特に目立った。淡水魚の王と言われる「エンヂェル・フィシ」やニスボラ、闘魚(ベタ)の色美しきをはじめとし、会員諸氏の出品のさまざまな胎生の小魚、口に子を保護するマウス・ブリーダー、木に登る魚、鳴く魚、巣を作る魚等の珍々、それから不産の巣をつくるトゲウオ、鷹司信敬氏出品の金魚、オランダ獅子頭等も目についた。

カエルでは大澤の巨大な食用蛙(ブルフロッグ)をはじめフランス本場の食用蛙からドイツの見守蛙や腹の赤や黄色のボンビナ蛙(スズガエル)、足のないトカゲやヤモリの親と卵、最小のヘビ、生きた琉球のメクラヘビ、小笠原島産のカニの各種、四つ足では小笠原のオオコウモリ、稲葉氏の北京のハリネズミ、蜂須賀正氏のアフリカ産の小狐、フェナックス。籾山徳太郎氏の鳥の雑種、小笠原特産のメグロ等や、今回初めて発表された北京産のイナバジュリン(※不明)は本展覧会中の白眉である。石山顕作氏の白い鳥は変わったもの、他に生きたものでは小笠原のマイマイや大賀一郎氏の満州からわざわざ送ってこられた生きた馬糞コロガシなどは特に注意すべきものであった。

標本類

石森直人博士の漢薬に現れた蠶【※蚕の旧字体】(白強蚕、馬明退、蚕蛹、蚕繭、蚕沙、原蚕蛾、蚕連または蚕布?(※尸しかばねに爿へんに曳)。蛇(ヂモグリ、シロマダラ、ヒバカリ、マムシ、アオダイショウおよび卵、シマヘビ)。

黒田長禮博士出品の鳥類標本2箱、鳥類卵2箱、剥製2点(ヤマネコ、サルクイワシ)極楽鳥1種(王鳥=オウチョウ)、およびノコギリザメ、ヒクイナ、アホウドリ、キアシシギ、オオヨシキリ、カモノハシ、長尾サル。

平瀬信太郎氏出品、日本産のタカラガイと貝殻、貝殻断面、オトメダカラ、ヤシカニ、食用蛙皮、正覚坊およびタイマイ、ヤドカリとイソギンチャクの相和共棲、カクレウオとナマコの片和共棲、偕老同穴、世界各地の美しき蝶の標本、加藤雅世氏のクモ各種の乾製標本、加藤仲ニ氏の欧露の植物数種、岡村金太郎博士の本邦産一属一種の海藻、東福義雄氏の木化石(米国アリゾナ州紅彩化石石林産)魚化石(米国ワイオミング州キヤマー産※Kemmerer)礁化石(米国ユタ州ホネビル産)マンモース牙、半化石マイマイ、喜多山省三氏の木性シダ化石、石炭(仏領インドシナ)化石(伊勢国一志郡産)

人類学土俗学方面参考書

台湾先住民の武器としてのノコギリザメの歯、紅嶼島(※蘭嶼島)ヤミ族(タオ族)甲冑蕃刀および土器その他の工芸品多数。香料群島産木皮、蛇皮、ボルネオ・ダヤック人、ニューギニア・パプア人、セレベス・トラジャ人の毒矢、槍、その他工芸品、千葉県松戸町出土の埴輪、ジャワの近代劇に用いる繰り人形、豪州原住民族の使用捕鳥器楯。佐々木忠次郎博士の哺乳動物に因む根付(馬、牛、猿、山羊、犬猫等数百点)。

矢野宗幹氏出品渡来動植物古図3幅、東道太郎氏出品古書に描かれた哺乳類8冊、武田久吉博士出品高山植物写真、河田党氏出品昆虫幼虫の写真(トンボエダシャク、フタナシトビヒメシャク、クロスジアオシャク、オオアオシャク、リスオビエダシャク)岡田喜一氏出品高山植物写真、本庄伯郎氏出品野外植物写真、生物写真、南洋の珍果ドリアンの写真、クジラに関する写真等生物界あらゆる珍物、趣味品を網羅した。

(図1~6)動植物について学究と趣味の両方面から深い研究をして行こうかという同会の展覧会はありふれた園芸品評会や標本陳列会とは異なり、少なくとも日本ではここ以外では見ることのできぬという珍植物珍動物ぞろいの展覧会であった、小笠原特産の動物をはじめ広瀬巨海氏の珍動物やサラセニア類から熱帯魚類種々、原住民族の手による什器工芸品にまでおよび、一般観衆にもグロ味100%の興味を惹いたと見え、近時デパート催物としては随一の盛況を呈した。

(図1)展示会場のようす。水槽、鉢植え、標本、絵画、写真などさまざまなものが整然とならぶ。
(図2)植物といきものの展示。ケースの上部に鳥かごが見える。
(図3)サラセニアやベゴニア、カラジウム、ヤシ類などの鉢植えが水槽と一緒にレイアウトされている。
(図4)両端が上に尖ったボートは台湾のヤミ族(タオ族)のものだろうか。インパクトがある。
(図5)展覧会場における小笠原島の風景。近景の標本と遠景の絵を組み合わせたジオラマ展示。
(図6)人類学・土俗学に関する標本類、参考書の陳列もあった。大きな牙はマンモスだろうか。

この会は陳列品に見えるようにあらゆる生物に関するなにものかに趣味を有するものの集まりで、会員のなかには小学生もいれば博士も職人もいる、華族もいるといったようにあらゆる階級の同好の士があり、また家庭にあっては子女の教養をあずかる母親、園芸に親しむ婦人の会員も少なくない。そのようなわけで、会員はお互いに平等で肩書も地位も関係なく、各自の趣味知識を何のへだてもなしに交換し合うというのがこの会の主意である、と記事に説明がある。

園芸、飼鳥あるいは下等生物等のいずれをも問わず、生き物に興味を持ち、趣味的にこれを研究しようとする方々が1人でも多く入会あらんことを待っているところだという。会の催しとしては毎月の例会、動植物の採集会、映画の会、珍食会というようなものをやっている。また機関誌として「アミーバ」、書籍として「すみれ図譜」などを発行している。

ジオラマについて

(図5)にあるように「ジオラマ」は博物館などでおなじみの展示方法だ。現在では映像やモニターの技術が大きく発展してジオラマはとても古臭いイメージになっており、むしろそこから醸し出されるレトロ感や非日常性に新しい魅力を感じることもあるだろう。実際、ジオラマの歴史は古く明治20年代にまで遡れるという。日清戦争で世界の中の日本を意識するようになるころ、博覧会という新しい時代の「見世物」が流行り、国内外の生物への関心が高まる時代になっていた。

石井研堂の『明治事物起原』にある「ヂオラマ館の始め」という記事によると、明治22年、浅草公園花屋敷隣に「ヂオラマ館」という展示館ができた。「憲法発布式の図」、「桜田門外要撃の図」、「愛宕山上浪士結束の図」という3面の油絵、各7尺ほどの大きさで、地面には綿を散らして雪と見せるなど実物と絵を組み合わせて見せるものだった。「パノラマ」と似ているが規模はとても小さく、従来の覗きからくりを大きくしたようなものだった。

※参考 兵庫県立歴史博物館 「ひょうご歴史ステーション」のサイトから
ジオラマの歴史 「透かし絵」から情景模型へ
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/hiroba-column/column/column_1808.html

「ジオラマ」と同じような見世物・展示物に、「パノラマ」というのがある。これも歴史が古い。明治23年(1890)の第3回内国勧業博覧会でパノラマ館と呼ばれるものが上野公園に建てられたのが最初期のものらしい。直径約2.2メートル、高さ22メートルの多角形の建物だった。パノラマ館は多角形、もしくは円筒形の建物の中に、遠近感を利用した展示物を見る見世物で、円形の壁に沿って描かれた風景画は360度途切れない一枚の絵のように展示され、あたかも実際の風景のように見えることでたいへんな人気となった。

※参考 大林組のサイトから「日本パノラマ館の検証復元」
https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/kikan-26.html

<補足>
誠文堂新光社『実際園藝』では、植物だけでなく小鳥やウサギ、熱帯魚といった小動物を飼育する情報もときどき取り上げていた。温室の植物や食虫植物、山草愛好家などと読者が重なっていたのではないかと想像できる。この記事の約2年後の昭和8年(1933)、『実際園藝』第15巻第3号(図7)では、特集「熱帯魚の飼い方」という1冊を上梓している。

(図7)第15巻第3号 昭和8年(1993)8月号 表紙には水草の植えられた水槽がずらりと並ぶ。

今回の記事でも数多くの動植物を出品していた広瀬は横浜に居を構え、大正から昭和にかけて活躍した園芸家、ナチュラリスト。ネリネやサラセニアなど珍奇な植物の栽培や育種で知られる。『実際園藝」にも複数の寄稿がある。とにかく変わった人物、巨人である。本連載第13回(https://karuchibe.jp/read/3945/)に広瀬のネリネについて六角氏による解説がある。

(図8)「ブラッドカッカー(吸血トカゲ)」を手にする広瀬巨海氏 『実際園藝』第19巻第4号から

※参考
『明治事物起原』7 石井研堂 筑摩書房 1997 (ちくま学芸文庫版)

検索ワード

#ジオラマ#パノラマ#食虫植物#小笠原#台湾#広瀬巨海#三越#熱帯魚#アミーバ

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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