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カルチべ取材班 現場参上

コロナ時代、山梨とNZで挑むBudou栽培

公開日:2020.8.24 更新日: 2020.10.26
7月20日、笛吹市の畑で収穫を待つ樋口静枝さん(右)と、従業員の佐久間健さん。

NZからコロナで日本へ帰れない!?

前回の取材から約2年。7月20日、樋口哲也さんのブドウ園を訪れました。きちんと等間隔にブドウの房が並び、9月から始まる収穫を待つばかり。でも、そこには園主である樋口さんの姿がありません。

「あれ、ご主人はどちらですか?」
「今年の1月からずっと、NZ(ニュージーランド)へ行ったきり。まだ帰国していません」
「ええーっ!」
「今年は日本とNZ、夫婦別々にブドウを作ることにしました」
「それは大変!」

これもまた、世界中に広がった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響です。それでもNZは、世界に先駆けて「感染者ゼロ」を宣言。6月から成田への直行便も飛んでいるので、帰国するのに支障はないはずです。ところが、

「依然として感染者が増え続けている日本へ、一度戻ってしまったら、再入国できません。今シーズンもNZでブドウを栽培して輸出するには、このままずっと現地にいた方がいい。夫は『来年の4月まで帰らない』と言っています」。

山梨と季節が反対の場所でブドウを作ろう!

樋口さんが作るシャインマスカットは、高級スーパー、首都圏の洋菓子店でも人気(2018年9月撮影)

樋口哲也さん、静枝さん夫妻は22年前、脱サラして故郷の山梨県八代町(当時)で就農。哲也さんの父のブドウ園を受け継ぎ、地元の生産者が独自に開発した長梢剪定法を習得。生産者を目指す研修生も積極的に受け入れてきました。栽培面積は1.7ha。「紫玉」、「巨峰」、「藤稔」、「シャインマスカット」、「バイオレットキング」等、12種類を栽培しています。

さらに8年前、樋口さんは葡萄専心株式会社を設立しました。企業として人材を育成するには、年間雇用が必要ですが、果樹農家には冬場の収入源がありません。野菜を始めればどっちつかずになってしまうし、ハウスのブドウは露地栽培の味を超えられない。それがわかっていながらブドウを作るのは許せない…。葛藤していた樋口さんに、妻の静枝さんが言ったのは、
「それなら、日本と季節が反対のところへ行って、ブドウを作ればいいじゃない」
そんな一言でした。

樋口さんのNZ進出を後押ししたのは、静枝さんのひと言だった。

南米チリ、オーストラリア等、地球の反対側のブドウの産地について、資料やネットで調査した結果、ブドウ栽培はワイン用がほとんどで、生食用の生産量が比較的少ないNZが有利と判断。この国に農場を構えて栽培をしようと決意しました。

その後、大学時代の知人の伝手を頼ってNZ大使館に直談判。「NZで日本生まれの品種を、日本人の自分が栽培して、日本やアジア諸国へ届けたい。そして新しい人材も育てたい」。そんな思いを熱く語り、根気強く関係者を説得したのです。

現地を訪ね、北島のオークランド、ハミルトン、マタマタ等、生食用ブドウの産地を巡った末、「ここだ!」と決めたのは、北島東岸の港町ネイピア。そこに隣接するクライブという町のブドウ園1.8haを借り受け、うち1.3haを日本式の棚栽培に仕立て直しました。

現地で食されている「バッファロー」、「ニューヨークマスカット」、そして日本生まれの「巨峰」等を栽培しています。

以来、赤道を超えて山梨と南半球のNZを行ったり来たりしながら、「年2回」の栽培を実現。日本ではブドウのオフシーズンに当たる3月、現地の農場から「巨峰」等を、東京や大阪、香港の市場に輸出する試みも、昨年から始まっています。

クライブの農園には、Grapeではなく「Budou-En」の看板を掲げている。

NZに残り「日本を頼む」

2019年10月、山梨での収穫作業を終えた樋口さんと静枝さんは、NZの農場へ向かい、収穫に向け、摘粒や房作り等の作業を進めていました。

年末年始は山梨の自宅で過ごそうと、一時帰国。1月18日に樋口さん。2月に入り静枝さんと農場スタッフの佐久間さん、長女、その友人もワーキングホリデーを利用して現地入りしました。

2月になると、現地のメジャー品種「バッファロー」や「ニューヨークマスカット」の収穫が始まりました。これをNZ国内のショッピングストアやマルシェで販売。大粒でみずみずしく、房全体が美しい樋口さんのブドウは、地元の人たちの評判もよく、シーズンの出だしはいたって好調でした。

アールデコな衣装でクラシックカーに乗り、ネイピアのパレードに参加。

ホークスベイに面したネイピアの街では、毎年2月の第2週末「アールデコ・ウイークエンド」というイベントが開催されます。それは、1930年代のファッションに身を包んだ人たちが街へ繰り出し、クラシックカーのパレードやジャズコンサートが開催されるというもの。樋口夫妻も参加して、収穫シーズンの合間のウイークエンドを満喫していました。

続いていよいよ「巨峰」の収穫が始まって、大阪、東京、香港の市場へ向け送り出しました。こちらは日本での評判も高く、通常の約3倍の価格で取引されたとのことです。巨峰の収穫も終盤を迎え、あとひと息……となった時、

3月には、大阪、東京、香港の市場に向け、「巨峰」を出荷。

新型コロナウイルス感染症がNZにも上陸。NZ政府は、感染者がごく少数発見された段階で、海外からの人と物資の動きをシャットダウンしました。このままでは全員日本へ帰国できなくなってしまう。かろうじてオーストラリア経由で成田便が飛ぶと知った時、

「今もし全員帰ってしまったら、今度はいつ入国できるかわからない。NZの畑を管理できなくなってしまう」

と判断。樋口さんが一人NZに残り、静枝さんと佐久間さんが帰国することになりました。別れ際、樋口さんは、静枝さんに「日本を頼む」と告げたそうです。

一方、山梨に戻った静枝さんは、芽かき、誘引等、次作の準備を始めましたが、日本でもCOVID-19の勢いは、収まりそうにありません。

「今シーズン、夫はきっと日本に戻ってこられないでしょう。今年は山梨とNZ、夫婦別々に栽培しよう。4月には覚悟を決めました」

行き場を失った「巨峰」に“Amazing!”

一方、単身残った樋口さん。圃場にはまだ輸出用の「巨峰」が残っていましたが、3月26日、NZは国全体がロックダウン。街は封鎖され、まるでゴーストタウンのような状態になってしまいました。

輸出向けの「巨峰」500kgが行き場のない状態に。海外輸出はムリでも、なんとかこれをNZ国内で生かす道はないだろうかと思案しました。

樋口さんは、NZに進出する時、協力してくれた大使館の関係者に相談。すると、「この機会に、生活困窮者を支援している慈善団体へ寄付してみては?」と、提案されたのです。

大使館の職員が紹介してくれたのは、「ザ・サルベーション・アーミー」。日本では「救世軍」の名で知られる、世界的なキリスト教系の慈善団体でした。樋口さんは、ここを通じて生活困窮者に向け、ブドウを寄付することに決めました。

ロックダウンの中は、マスクと医療用手袋を着用してブドウを収穫。

無償の寄付とはいえ、ロックダウン中のNZでは、物や人の移動は容易ではありません。

「栽培記録や農場での作業の様子の写真、車で運搬する際の通行許可証……。ブドウを寄付するにも、膨大な書類や証明証が必要でした」

それでも、大粒の「巨峰」を生まれて初めて食べる人がほとんど。樋口さんのブドウを受け取ったスタッフは、一粒食べた途端!
「Amazing!(すごい)」
と、驚きの声を上げていたそうです。

COVID-19の影響で、予定していた全量をアジアへ輸出することは叶いませんでした。それでも樋口さんは、

「結果的にNZの人たちにBudouの存在と魅力を知ってもらうことができました。うちのブドウが無駄にならず、生活困窮者の方々にきっちり届いたのは、喜ばしいことです」。

その後、NZ政府は4月28日、警戒レベルは3に引き下げられ、一部規制を緩和。6月8日にはアーダーン首相が感染者ゼロを宣言。規制の全面解除を発表しました。それ以来、海外との行き来に制限はあるものの、国内での日常生活や農作業に支障はなく、通常通りの日々が続いていました。

リモートで防除暦を送るも…

さて、帰国した静枝さんたちは、その後コロナの影響がちっとも収まらない日本で、どうしていたのでしょう?

「元々ブドウの剪定や、誘引から摘粒作業の行程については、自分で段取りを決めていたので、問題なくできる自信はありました。でも、夫がいないと消毒や草刈り、そんな機械を使う作業と、ブドウを仕上げるまでの作業、そのかね合いがわからないのです」

初めて夫婦別々にブドウを作る難しさを感じました。

一方、NZにいる樋口さんも、リモートで防除暦を作り、静枝さんやスタッフ宛に送るものの、自身が現場にいて判断するのとでは、勝手が違います。

「実際に消毒するタイミングは、雨や生育状況と相談しながら決めているので、毎年スケジュール通りにはいきません。現場にいないとわからないことが、どうしても出てくる」

しかも、今年は6、7月の雨が多く、静枝さんが「見たこともない病気」も発生しました。それはブドウの果実や枝、葉に、黒い斑点が発生する「黒とう病」。写メを撮って、NZの樋口さんに送っても、「これほどひどい。黒とう病はオレも見たことがない。農協の指導課の人に聞いてみて」とアドバイス。そんなやりとりを重ねながら、山梨での栽培を進めていきました。

例年であれば、早生、中生、晩生と、12の異なる品種に順を追って手をかけて、房作りをしているのですが、急に暑くなったり寒くなったりの、不安定な気候は、作業全体にも影響を及ぼしました。
「巨峰までは順調でした。ところが急に暑くなった途端、どの品種もどんどん生長が進んで、作業がなかなか追いつかない。朝5時から、夜7〜8時まで作業していた日も。やっぱりこの時期に一人いないのは、本当に大変だと思いました」

房作りの仕上げに余念がない、スタッフの佐久間さん。

それでも静枝さんとスタッフの頑張りで、房作りは無事終了。7月20日には、早生の「紫玉」の出荷が始まっていました。

そんな奮闘ぶりを伝え聞いた樋口さんは、

「本当に妻には頭が上がりません。何とか慰労してあげたいけれど、まだ帰れません」

今後も日本とNZで栽培を続けるには、栽培全体を見渡せる「司令塔」をもう一人育成することが、急務だと痛感したそうです。

日本生まれの「巨峰」は、NZでも生食用Budouとして大好評。

日本のブドウの可能性を世界へ広げることと、人材育成を目指してNZへ進出した樋口さん。このプロジェクトを始めた当初は、よもや感染症によって人の往来が阻まれ、山梨に帰れない事態に陥るとは、思ってもいませんでした。それでも、第二の圃場として、南半球のこの国を選んだことは、間違いではなかったと確信しています。

「6月の安全宣言以来、NZでは感染者ゼロ。コロナ患者は誰もいません。ロックダウン中は、国内消費に限られていましたが、今は問題なく、農産物の輸出大国として強気で世界中に送り出しています」

輸出向けに有望視している「バイオレットキング」。

今後は定番の「巨峰」に続き、日本生まれの品種も着々と増やして行く予定。「バイオレットキング」や「マイハート」「我が道」等、新たな品種も導入し、日本やアジア諸国に向け、積極的に輸出していこうと考えています。

樋口さんによれば、今、ネイピア周辺に新たに圃場を構える日本企業が増えているのだとか。コロナ対策だけでなく、「この国に学ぶことは多い」と話す樋口さんは、冬を迎えたNZの農場で剪定作業中。来シーズンに向けて準備を進めています。

山梨の農園。全体に明るく地面に日光が届いている。

一方、山梨の農園では、静枝さんたちが「紫玉」を皮切りに、ブドウの出荷を本格的にスタート。続いて巨峰が最盛期を迎えた8月11日、今度は感染者を封じ込めたはずのNZ最大の都市オークランドで、再び感染者が発見されました。世界中に広がった新型ウイルスは、一度封じ込めてもなかなか終息しそうにありません。それでも樋口夫妻は、地球の北と南の圃場で、日本生まれの「Budou」を、世界へ着々と広めようと、着々と作業を進めています。

 

取材・文/三好かやの
撮影/岡本譲治、杉村秀樹

取材協力/葡萄専心株式会社
http://budousenshin.com/
株式会社プロヴィンチア
https://budoyakofu.official.ec/

 

 

 

 

 

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