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第85回 「花ことば」に関するいくつかの問題について

公開日:2020.9.25

『花ことば』

[著者]春山行夫
[発行]東都書房
[発行年月日]1958年10月1日
[入手の難易度]やや難

僕がよく通う千葉県茂原市の市立図書館は外房線の茂原駅前のビルの6階にある。1階に「セブン・イレブン」が入るこのビルは、かつて百貨店だった。入り口の真上に大きな仕掛け時計があって、定時になると扉が開きかわいい人形の音楽隊が出てくる。そんな時計もずっと閉まったままだったが、数年前にきれいに撤去された。エントランスの大きなガラス扉にはきれいな「ダリア」のレリーフが埋め込まれている。きょうは、花言葉について書こうと思って、ふとこのレリーフの花を思い出した。参照するのは、春山行夫の「花ことば」という本だ。さっそくダリアの項目を見てみると、【ダーリア】キク科、英、Dahlia エレガンスと品位、華美、不安定、移り気(英)、というふうに花言葉が並んでいる。ダリアは本編ではなく巻末の補遺に入れられていたので、由来等の解説はなかった。

花の小売りの現場では、お客さんから「花言葉」を聞かれることがよくある。とはいえ、必ずしもすべて覚えておく必要もないので、すぐに答えられない場合が多い。備え付けの本やネットで検索して答えることもあるし、「わかりません」というだけの場合もあるだろう。僕らの先輩の中には、自分でその場でつくった花言葉ですます人もいた。新しい花言葉をつくっちゃいけない法もないし、「愛情」「情熱」「感謝」「幸福」「うれしい知らせ」といったワードでつくればだいたい当たりだ、花言葉なんてそういうものだろうという。

いちばん困るのは、「●●」という花言葉の花を入れて花束を作ってください、と求められる場合だろうか。これは、調べて店にある花を検討する必要がある。さらに困るのは、花束を作ってお客さんに見せて、さあラッピング、というときに「そのメインの花の花言葉ってどんなですか?」と聞かれるときだ。調べてみて、あまり縁起のよくない言葉がずらりと並んでいたりすると、とても困る。へたをすると、「スミマセン、その花じゃないのに代えてもらえませんか」などと言われる場合もある。ラッピングしてしまってあれば、断ることもできるが、まだ包んでいない場合は、たとえもう茎を切ってしまっていたとしても、作り直すこともある。

さきほどの百貨店のシンボルフラワーだった「ダリア」も「エレガンスと品位、華美」はいい、しかし、「不安定、移り気」というのはなんだろうか。どうして吉祥のイメージと不吉なイメージの両方があるんだろうか。そもそも誰が決めたのか。なぜ、花言葉がないものがあるのか。いろんな本が出ているけれど、著者が勝手につけたような花言葉もあるのではないだろうか。出典がひとつも示されていない本があるし、インターネット上の情報など、さらに素性がよくわからない。今日は、そういう「問題の多い」花言葉の本を作った人が、どういう方針でどのような資料を読んでこの仕事に取り組んだのか、見てみたい。

著者の春山行夫(はるやまゆきお)は、明治35年(1902)生まれ、平成6年(1994)逝去、享年92歳と長生きされた。詩人、随筆家、評論家。『植物文化人物事典』(大場秀章編、日外アソシエーツ2007)によると、本名は市橋渉。愛知県名古屋市東区主税町出生。名古屋市立商(大正6年)中退。日本エッセイストクラブ、日本文芸家協会、日本ペンクラブ(名誉会員)。独学で英語、仏語を修得。大正13年24歳のとき詩集「月の出る町」でデビュー。同年上京し、15年個人誌「謝肉祭」を創刊。昭和3年厚生閣に入り、季刊誌「詩と詩論」(のち「文学」に改題)の編集に携わる。9年第一書房に移り、10年「セルパン」編集長、13年同書房総務を兼ね、のち雄鶏社編集局長、文化雑誌「雄鶏通信」編集長などを歴任。戦後はもっぱらエッセイストとして活躍。植物関係では『花の文化史』講談社1980など著書多数、とある。植物関係の著作は、膨大な資料をもとに多方面にわたる知識・教養を駆使し、現在でも非常に示唆に富む内容でつねに参照すべき著者の一人だと思う。

『花ことば』は、昭和33年に書かれた。この時点で春山が手を尽くして調べてわかったことについて、「解説」と「あとがき」に記されていることを抄録してみようと思う。

花ことばをつづった「愛情の信号」(19世紀中期のもの)  本書の挿画から

①花言葉がいつ、どのようにして始まったのかよくわかっていない(19世紀のはじめ頃)。

②花言葉以前に、西洋でも東洋でも、花には象徴的な意味が与えられていた。

③海外でも花言葉について詳しく書かれた本はとても少ない。

④第一に、花の呼び名が俗称である場合が多く種類を特定するのが困難だった。

⑤花言葉がわかっても、その由来、解釈の仕方が不明な場合が多い(特に情緒的な寓意など)。

⑥日本に伝わった花言葉はすべてイギリスのそれで、フランスの花言葉はかなり異なる。

⑦わが国で通用しているものには園芸家の私案のような、相当に怪しいものが多い。

⑧英仏の花言葉の両方を調べてまとめて掲載した本は本書が世界で初めてだろう。

⑨今日の西洋では昔のように盛んではないが、花言葉のもととなる花のシンボルはおそらく永久的に生命を保ってゆくだろう。

⑩花の名前やシンボルは意外に広い範囲に使われている。人の集まる場所や店や商品に花の名前をつけたり、歌をつくる、作品に題名をつけるといったときに、利用されている。

★西洋には花言葉という風習があることや、花言葉をあつめた一覧表がいろいろの本の付録や小冊子になっていることはよく知られているが、花言葉がいつ頃、どういうところからはじまったかということや、個々の花言葉の意味はなにをもとにしてつくられたかといったことは、ほとんどわかっていない。私は花の本は随分以前から集めているし、関係書目にもできるだけ目を通しているが、現在のところ花言葉の意味を解説したものは外国にもないらしい。そんなことがこの本を書いてみる気になった、直接の動機である。

★花言葉について、私はわからないことが多いと書いたが、花に象徴的な意味のあることは西洋と東洋に共通した民俗で、花言葉がそれから出たものだということは、容易に想像できる。(中略)ある種の花は、ヨーロッパの諸国民の間で、共通の意味を持っている。たとえばバラは美の標章であり、ユリは純潔、スミレは謙遜、ヒナギクは世間知らずの無邪気さ、パンジイは「思い」をあらわしていることなどがそれであり、同時に古い時代からローレル(月桂樹)は光栄を、カシワノキは愛国心をあらわしている。このような西洋の花のシンボルの一部が、明治以来わが国にもそのまま普及していることは読者も御存知のごとくで、もとの一高の学生がカシワの葉の帽章をつけていたこと、酒に月桂冠、硬貨にローレル(現在の十円貨)、タバコのデザインにオリーブの枝(ピース)など、たくさんの例があげ得られる。

★本書にはイギリスとフランスの花言葉を比較的に取扱ったが、前者の花言葉にくらべるとフランスの花言葉は実際に色々の花を花束にして手紙の代りにやりとりした一種のあそびの意味がより多く含まれているように思われる。花言葉の風習がいつ頃からはじまったかわからないが、フランスでは数種類の花を組合せて花言葉の文章を綴り、それにリボンを結んだ麦ワラまたはヤナギの小枝を添え、そのリボンの色とリボンにつくった結び目で、贈り主の名前をあらわしたというような時代もあった。フランスではこのような風習をセラム(Selam)といい、東洋から伝わった風俗だといっているが、これはアラビア語の「挨拶」という意味で、ペルシア、アラビア諸国の風習だということがわかる。フランスでは花言葉を「寓意の花束」または「無言の言葉」ともいっていて、花言葉という名称は本当はこのようなフランス風の花のやりとりが起原で、イギリス風の花言葉はむしろ花のシンボルが変化したものといった傾向がつよい。もちろん両国の花言葉には花のシンボルと花言葉の両方がまざっているが、フランス風の花言葉には実際に花をやりとりする時のエレガントな意味(したがってあまり故事来歴や深刻な意味にとらわれない)が多いように身うけられる。

★花には一般名のほかに俗名が多いので、それを日本、シナ、ギリシア・ラテン、英、米、仏、独といった風に調べることは容易なことではないので、一応両者をきりはなして、花言葉だけをまとめることにした。(中略)イギリスでもフランスでも、花言葉の一覧表にでている植物は、たいてい俗名なので、その正体がすぐにわからないのが多い。イギリスには俗名と一般名とを対照した本があるが、フランスにはそれがみつからない(私には探しあてることができないといった方がいい)。ところがある日、本棚の奥の方を掃除していると、古ぼけたフランスの本が出てきたので、なかを開いてみたらフランスの植物分類学の本で、フランスでみられる五千六百種の植物が取扱われている大変な珍しい本(1879年版)であることがわかった。これには俗名の一覧表がでていて、正しい名前がわかるようになっているので、本書を書くの(ママ)非常に役立った。いつ買ったかすっかり忘れていたものが、不思議な偶然で、この本が一番必要な時に役立った。本は買ってしまいこんでおくべきものだと、つくづく感じた次第である。

★西洋にも現在花言葉の意味を解説したものがないらしいことは、この原稿を書いているとき、アメリカから届いた『花の年代記』(1958)という新刊書の書目(※参考書籍のリスト)でわかった。その書目には「花言葉」に関する資料が十種あげられているが、私はそれに洩れた本を英、仏で各一種もっている。しかしいずれも現在のものではない。

★フランスは花言葉の本場であるが、それに関する本は上記の書目にあげられているのと私のもっているのと二冊(いずれも発行年代が書いていない)しか知られていない。私の手に入れたのは、標題は『花言葉』であるが(※1819頃発刊されたシャルロット・ド・ラトゥールの『花言葉』だろうか?)、内容は色々の花のよもやま話と花言葉の一覧表が出ているだけで、花言葉の意味の由来にはまったく触れていない。しかしこの本のおかげで、いままで日本に伝わった花言葉はすべてイギリスのそれで、フランスの花言葉はイギリスのそれとかなりちがっていることや、フランスには宴会、サンマー・ハウス、花冠、花鋏のようなものにも花言葉ができていることがわかった。

★すぐ役に立つ資料は一冊もないので、私は根気よく一花ずつの花言葉の意味をしらべた。たとえばアラセイトウ、キンギョソウ、アキノキリンソウは一八二四年にロンドンで出版された『花の歴史』(二巻本)という古い本からさがしだした。リンドウのなかの「石竹咲リンドウ」はアメリカの野草の本に上向きに花の咲いた挿画がでていたので「私は天を仰ぐ」という意味がわかった。

★そのほか最近私はギリシア・ラテンの博物誌や、西洋の民俗学や民俗史に興味をもって、その方面の本を少しばかり集めたことと、色彩の歴史、とくに色名の歴史を雑誌に連載中なので、それらの分野から偶然に発見した解釈もすくなくない。また以前からよく読んできた『希臘羅馬神話』(岩波文庫)から思いついた解釈もある。

★それからわが国で花言葉だといって通用しているもののなかには、相当に怪しいものが多い。なかには日本の園芸家が私案としてつくったものもある。花言葉はだれがつくってもかまわないが、いわゆる「花言葉」として西洋で知られているものと、あとからどこかでつくったものとは、本書ではいっしょにしなかった。たとえばコスモス、フリージアなどは、本来の「花言葉」のさかんだった頃には一般に注意されていなかった花なので、花言葉には現れていない。キクも同様である。

★本書にとりあげた花言葉は、一応全部にわたって意味の起原をしらべてみたが、情緒的な寓意のものは説明のしようがないし、なかには疑問のまま手をつけなかったのもある。意味のわからないもののなかには、全然わからないものと、多少の手がかりがあるものとがあるので、後者はその手がかりをもとにして私の解釈を書いた。それはあくまで私の解釈なので、それとすでに意味の解明されているものとは、文意にしたがって区別していただきたい。

★第二は西洋からわが国に伝わった植物は別として、ヨーロッパ並びにアメリカの品種と日本の在来種とは属は同じでも品種のちがっているものが多い。それを一々詳しく書くと、専門外の読者には却ってわずらわしいので、花言葉の植物はもともと西洋のそれだということを念頭において、読んでいただきたい。

★第三はこの本で、イギリスの花言葉と書いてあるのは詳しく書くとイギリスの本にでている花言葉という意味で、そのなかにはアメリカでつくったもの、アメリカだけでしか通用しないものもすくなくない。たとえば「五月の花」(メイ・フラワー)がイワナシになっていることなどは、イギリスでは通用しない。ただし英米の花言葉だからといって、全部が英米だけの解釈でないことは英仏がおなじ解釈になっている花言葉があることでもわかるが、花言葉のもとになっている花のシンボルは、大体ヨーロッパに共通したものだということを書いておきたい。花のシンボルというもとは同じだが、花言葉はそのヴァリエーションだから、各国のアクセントがちがっているといってもいい。

★それから英仏の花言葉をまとめて挙げた場合、たとえばアカンサスに「美術」、「技巧」(英)、「美術の愛好」、「離れない結び目」、「建築」(仏)と表示してあるのは、前の二つは英、あとの三つは仏という意味である。それから一つの原語にいくつかの語義があるものは、レモンの「強い香味、熱情」(原語はZest)のように、同一のカッコ内にそれをおさめた。

★今日の西洋では、花に花言葉的な意味をもたせる風習はむかしのようにさかんではないが、花言葉のもととなった花のシンボルはおそらく永久的に生命を保ってゆくだろうと思う。いずれにしても、本書は私の花の文化史の分枝として花言葉に関係した花のシンボルや伝説や民俗や名前の由来をとりあげてみたもので、このように一冊にまとめておけば、なにかの折に思いがけない役にたつこともあろうと思っている。

★日常の生活環境をみると、花の名前やシンボルは意外に広い範囲に使われている。たとえば人の集まる場所や店や商品に花の名前をつける場合、そういう場所や店や商品はどちらかというと派手な存在である場合が多く、花の種類もなにかしら美しい、エキゾチックな時代感覚をあらわす目的で選ばれる場合が多いように思われる。そのようなときに、選びだした花の名前やシンボルがなにを意味しているかを、一応しらべておくことは無駄なことではないと思う。詩歌をつくったり、作品の標題をきめたりする場合にも、同じことがいえよう。

★著者としては花のすきな人々に、随筆集の一種として読んでもらえるように、そのようなスタイルで書いてみたが、とりあげた花の全部の花の意味の由来をしらべてみたことと、英仏の花言葉をいっしょに並べたものとしては、私のしらべた範囲では、世界で最初の本のように思われる。

最後に、春山行夫が花の色の表す意味について解説しているので、これを抄録して終わる。黄色は特に注意がいるというわけだが、頭でっかちになって目の前にある良花を活かせないのでは困る。昭和22年、戦後間もない頃に出された吉津良恭(若い頃、石井勇義やランの大場守一とともに辻村農園働いていた)の『新選花言葉集』(タキイ種苗)によると色調によって受ける感情は、風土慣習、年齢や教養、環境、その時の生理状態によって変わるものだといい、黄色を愛する中国人の例を挙げ、とくに歴史的にキリスト教が旧宗教を根絶する過程で黄色をおとしめ、青を最上に置くといった偏向が起きたというふうに説明している。カラーコーディネートの世界でも、色のイメージには表と裏が必ずある。もともとポジティブな感情がネガティブに変わるから相反するイメージがひとつの色に生まれるのだという。たとえば、愛情が深すぎることで嫉妬へと変わるといったことだ。花屋には、お笑いコンビの「ぺこぱ」が得意とする「ノリツッコまないボケ」のように、「ネガティブ花言葉だけど、それもまた、悪くない」というようなクロージングの対応が求められているのであろうと思わなくもない。

★花の色 花言葉には花の色が思いがけない役目をはたしている。たとえばバラであるが、それには情緒的な愛情をあらわした意味が多いのに、黃バラだけが相手を嫉妬したり、相手の不貞を責めたりする不吉な意味になっている。花言葉の全体をしらべてみると、毒草以外に不吉な意味のあるのは、たいてい花の色が黄色である。そんな意味から、花の場合は黄色と紫色と青い色に特殊な意味があるので、それらの色を中心に、解説を加えておこう。

○黄色 黄色な色に不吉な意味があるのは、アカネ、黃ギク、黄色のカーネーション、キンセンカ、マリーゴールド(万寿菊)、黄色のチューリップ、黄色の葉ゲイトウ、ハナビシソウ、フウリンソウ、マツヨイグサ、黄花のユリ、ローレル、黄色いリンドウなどで、その数がすくなくない。アカネは赤い染料をとる草だから、赤い色の民俗をしらべてみたが、「誹謗、中傷」という意味はどこにも発見できなかった。ローレルも「光栄」や「勝利」の象徴なのに、花のついたローレルになぜ「不信、裏切り」の意味があるのか、はじめはすこしもわからなかったが、そのうちどちらも花の黄色いことがその原因らしいことがわかった。アカネは誰れもが赤い色を連想するし、ローレルの花はこまかい粒々で人目につくような美しいものではない。いわばひとの意表にでた寓意を与えたところに、花言葉のおもしろさ、あるいは秘密がかくされているともいえる。黄色がどういうわけで不吉なのか、その原因はわからないが、昔フランスで裏切者の家の戸口を黄色にぬったことや、中世紀の画家がユダの着物を黄色であらわしたことや、いくつかの国ではユダヤ人はキリストを裏切った民族だからというので、黄色い服を着なければならないという法律をつくったことなどが、原因の一つに数えられている。フランスでアキノキリンソウを「ユダヤ人の草」と呼んでいるのも、花の黄色なことが原因である。西洋の芸人は黄色をいやがって、舞台へでるときにはどんな小さなリボンでも、黄色は用いないといわれている。花ではキンセンカの伝説が「疑惑」や「嫉妬」をあらわすもとになっているが、あるいはそんなことがこの俗信のはじまりだったのかもしれない。ただし、黄色い色彩や花にこのような俗信があるからといって西洋人に黄色い花が全部嫌われているかというと、かならずしもそうではない。ヒマワリやラッパ水仙やタンポポには不吉な意味はなく、現在アメリカの女性は、赤の次に黄色を好んでいることが、統計にあらわれている。

○紫 紫はローマでは貴族の用いる色で、一般に紫は「絢爛たる」という形容詞に使われ、のちヨーロッパでは宮廷の色(ロイアル・カラー)になった。しかし花の場合はギリシア神話のヒアシンサスの物語がもとになって、紫が悲哀のシンボルになっているのがすくなくない。マツムシソウが「悲しめる花嫁」(英)、または「寡婦の花」(仏伊)と呼ばれ、紫色のオダマキが「捨てられた恋人」(英)といわれているのなどがその一例え、ライラックのいけ花なども、家の中の目立つ場所には置かない方がいいといわれた時代があった。

○青 青は空の色で、純粋、希望をあらわし、着物の色としては神々しい黙想、信仰、誠実なこころを象徴するというので、ルネサンスの画家たちは聖母の衣服をこの色で描いた。流行色のマドンナ・ブリューがそれで、花言葉でもムラサキツユクサがイチゴ(聖母に捧げられている)の寓意と同じなのは、花の色が聖母の青(実物は紫に近いが)であることに、原因があるように思われる。ヤグルマギクの「デリカシー」、「感情の純粋」なども、青い色の象徴につながっている。

○その他、白が清浄、純粋をあらわしていることはスズラン、白ユリ、スノードロップ、白スミレなどにその例がみられ、緑が青春、赤が情熱をあらわしていることは、一般の色彩のシンボルとおなじである。

参考
『花の文化史 : 花の歴史をつくった人々』春山行夫 講談社 1980

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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