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猟師と考える鳥獣害【実践編】高橋養蜂の蜜源植物を守れ!③

公開日:2020.10.13

野生動物の被害が年々深刻化している。静岡県南伊豆町で猟師として野生動物の管理・活用や、森と里、海のつながりまで考えた環境保全に取り組んでいる(株)森守 代表取締役社長  黒田利貴男さんに、山のこと、野生動物のこと、そしてみんなができる鳥獣害対策について教えていただきます。猟師の黒田さんと、下田市で養蜂を営む高橋養蜂代表の高橋鉄兵さんの取り組みはいよいよ実を結びはじめます。高橋さんの試みと成果から、地域の人たちの意識も変わりはじめます。

昔は守られていたミカン畑

食害を受けた鉄兵君のミカン畑が開墾され、栽培していた昭和40年代、人は野生動物と共存をしていたはずです。ところが野生獣が里山にやってきてからというもの、人々は農業をあきらめ、耕作放棄地が増えていきました。

それに伴い、森も里に近づいてきました。里山の崩壊が始まり、人々は獣害対策を「捕獲」に頼るようになります。それが一番手っ取り早い方法と考えたからです。農地を守る対策を同時進行で行い、森を本来の姿にするために後退させておけば、高橋養蜂のミカン畑も守られていたはずです。

鉄兵君も、はじめは「シカを捕まえて殺したい……」。そこまで憎んでいました。しかし、昔のように農地を守れるようになった今では、「シカは柵の外側の草を食ってくれるから、共存できる環境を作りたい」とまで言うようになりました。獣害対策は、お互い干渉しなくなったら終わりではなく、「干渉しないで共存できる環境をつくる」ことが肝心なのだと思います。

シカを憎んでいた鉄兵君も「共存できる環境を作りたい」と考えるようになった。

今もまだ高橋養蜂のミカン畑の柵の外には、昼間でも時折シカが出てきます。柵の中には入らず、人がいても平気でこちらを見ています。鉄兵君も怒りません。そのまま静かに見守っています。被害に遭っていた時とは、真逆の思い。それには訳がありました。

うれしい悲鳴、草刈りが大変だ!

鉄兵君がミカン畑を借りたのは、2016年11月。ここを「ミツバチの楽園」にしようと、菜の花の種子を播きました。しかし、最初の2年は発芽した先からシカに食べられ、先の見えないシカとの戦いが続きます。

ところが、3年目の2018年、適切に柵を巡らしたことで、ミカン畑とブルーベリー畑を守ることができ、シカとの戦いは終わろうとしていました。この年の夏、鉄兵君はお茶、レモン、菜の花、ヒマワリと、蜜源になる植物を次々と植えました。

それまで植えられていたお茶の樹は、新芽をシカに食べられ、花は咲きませんでした。だから柵の中に改めて植えました。柵がない状態でレモンを植えることはできません。ですから自宅の庭で鉢植えにしたものを植えました。柑橘類の中でもレモンは病気や害虫に強いので、農薬を使わずにすみます。農薬はミツバチにはよくないのです。

ミツバチのために農薬を使わず、草取りに励むことに。

それまで草のなかった圃場に、草がワサワサと育ち始め、肝心の蜜源植物が見えなくなってしまいました。これには鉄兵君も頭を抱えました。

「草が元気すぎる……」

うれしい誤算でした。

柵の外はそれまでと同じように、シカが食べて草がなく土がむき出しに。一方、柵の中では人の背丈ほど草が伸びています。入る隙のない柵がもたらしたのは、「草刈り」という労働でした。

元気に育つレモン。柵の外では今もシカが草を食べている。

本来ミツバチのための農園なので、除草剤は撒けません。夏の暑さに弱いミツバチ。そのために養蜂家はその世話に追われます。養蜂の作業の合間に草刈りをしました。ひと通り刈り終わる頃には、はじめに刈ったところが、既に伸び始めている。今度はそんな状態になりました。

レモンとレモンの間に、ヒマワリの種子を撒くと、ぐんぐん育ちます。お茶の樹は草の中に埋もれました。最近になって彼はクローバーの種子を撒きました。これもまた蜜源となる植物。今ではレモンも順調に育っています。草刈りが大変になりましたが、柵のおかげで蜜源植物は元気いっぱい! ようやく「ミツバチの楽園」が形になってきました。

今年の春、鉄兵君が撒いたクローバーが芽生えてきた。

守れば護れる

ミツバチが元気に飛び回れる農園ができるまで、1年半以上かかりました。それまでの苦労が嘘のよう。今ではミツバチの羽音が響き渡っています。

「守れば護れる」

これが私の考えです。対策を人任せにしない。あきらめない、動物を知る。それを実行することでミカン畑は蘇りました。そして鉄兵君に言いました。

「持ち主のおばあさんにも、見せてあげなよ」

おじいさんとの思い出。苦労してミカンの木を植え育ててきたこと。楽しかったことや苦労したこともあったのだと思います。それをシカの侵入であきらめ、耕作放棄をしなければならなかったこと。おばあさん、おじいさんがミカン園を始めた頃の姿に戻せたこと。

ここでミカンの栽培が始まったのは、おそらく昭和40年代だと思いますが、当時はここにはシカはいなかったはずです。今はイノシシよりシカの方が多くなりました。柵を農地の中に回し、当時から伸び放題の広葉樹は伐り払いました。柵の外側に餌場を作ることで、柵の中には入ってこなくなります。それと同時に広葉樹の切り株から、新芽が元気よく伸び始めます。切り株の周りの土の中にある草や樹、命の短いアカメガシワやカラスサンショウなどが芽を出してきました。広葉樹の森の中にあった山桜も、陽の光が入る森の中で大きく枝を伸ばし、花を咲かせています。

柵の内側(画面右)と外側では、草の生え方が明らかに違うのがわかる。

人が森へ関わりはじめると、循環可能な環境が生まれ、獣害対策にも繋がるのです。鉄兵君は、その風景を眺めながら、

「夜も安心して眠れます」

と話していました。

気がかりなのは鉄兵君の「この地域で、何頭シカが捕獲されたと思いますか?」という問いでした。

黒田「50頭くらい?」

鉄兵「150頭ですよ。すごいですよ」

管理された農地の外側には、まだそれだけの動物がいるのです。周辺環境が変わって農地の中の被害は無くなりましたが、それでもまだシカはたくさんいます。農園の周囲の食べ物がなくなってしまえば、シカは近くの農地を荒らすでしょう。

農地を守るためには、集落全体を守る対策が必要です。それには住民にいかに人任せではいけないことを伝えるかが大切でははないでしょうか?

住民自ら集落を守る

それはまだ、はじめにブルーベリー畑を柵で囲っている時のことでした。

通りかかった軽トラに乗ったご近所の方が、通りすがり車を停めて、

「何をすんだ」
「その高さじゃ、囲ってもダメだよ」
「金網の上に電気柵を張ってもムダだよ、電気が流れないし、イノシシには高くないか」

と話しかけてきたのです。

その言葉には、何をやっても被害は防げないという先入観とあきらめ、そして被害をもたらしている動物がイノシシだというと思い込みが感じられました。

ところがそのご近所さん。それから1年くらい経った頃に、

「やり方を教えてくれ」
「シカだよ、畑を食ってるのは」

と、その被害対策の効果を認め、さらに自分の思い込みとあきらめをやめて「農地を守る」という方向にシフトしたのがわかりました。そのため、はじめ半信半疑で柵を見て、無理だろうと思っていたのに……。

その方は、近くで稲作もしています。田んぼの脇には川があり、川向こうは肥大化した広葉樹の森が広がっています。シカの食害に遭っている農家さんでした。数年前までイノシシの被害に遭っていたそうです。イノシシは、稲籾にたまるデンプンを、シカは稲の葉を食べに来ます。米は人間だけでなく、野生動物も好む栄養価の高い食べ物なのです。

このまま稲作をあきらめるわけにはいかないと、高橋養蜂に柵の設置方法を学びにきたそうです。そんな話を聞くうちに、私は集落全体で足並みを揃えてほしいと思うようになりました。

しばらくしてその付近を車で通った時、数件の農地が同じように囲われているのを見ました。住民が自ら動き出したのです。

高橋養蜂の試みは、周囲に波及することが目的でもありました。一軒だけが農地を守っても、周りの農地に被害が出るからです。ミカン畑が森の中だったこともあり、周辺の広葉樹を広く伐採しました。その結果、近くの猟師が150頭シカを駆除しました。

若き養蜂家の思いと願いがまわり意識を変え、シカとの共存を実現した。

農地を柵で囲う「被害管理」、森に手を入れる「生息地の管理」、生息数を減らす「個体数管理」が面的に行われた形になり、住民自らがその対策を行う形ができたのです。

「よし、この地域は守れる」

そう思った矢先、次の問題が起きました。多くの人たちの協力を得て、高橋養蜂周辺の集落は農地を守ることができました。しかし、今度はその周辺の被害が増大したのです。

小さな範囲から大きな範囲へ

ある友人に、高橋養蜂のある蓑作地域の話をしました。すると、

「近くに知り合いがいて、蓑作へ行った時、裏山にシカが出てくるようになったって。たまたま行った時に『見てみろ』と。見たら、いたよ、いた。明るいうちから出てきてた」

そこで車で通る時に周辺を観察してみました。下田市の箕作地区は、国道414号線沿いに開けた集落ですが、高橋養蜂の周辺は、この地区でも唯一山の谷間にある集落。そのため1ヵ所守られると、他の地域に被害が出ます。

つまり高橋養蜂の集落では、シカもイノシシも農地に侵入できません。また、この地域だけが山の谷間にあり、同じ山の違う稜線を降って里に出ています。そして、他のところは国道があるために、国道手前にある集落の畑の作物を狙っています。山と国道の間にある集落を守らなければ……。次なる課題が出てきました。

ある時、蓑作地区から南伊豆町の職場へ通っている知り合いに話を聞いてみました。すると「家の裏に畑があって、お袋の作る野菜が食べられる」と言っていました。その頃原因は、ハクビシンやアナグマなどの中型動物でした。

「最近どう?」と尋ねてみると、
「最近はシカが出て来て畑もあきらめました」

やっぱり。

しっかり農地を守る対策をすると、他に被害が出ます。だから集落診断を行って、集落全体の対策を立てる必要があるのです。これには様々な条件があり、様々な形があります。

基本は農地を全部囲む

箕作地区には稲生沢川が流れていて、それに沿って国道414号線が走っていて、国道沿いに集落があります。家と森の間と横に畑があり、稲生沢川と国道の間に田んぼが広がっています。この場合、山裾の森を切り払い、森を後退させた上で、森と農地の境目から柵を設置して家の裏を回し農地を囲むように柵を設置する必要があります。

野生動物は非常に臆病な生き物ではあるのですが、時として大胆な行動をする生き物でもあります。そのために森から出てくるところ塞いだからと安心していると、横から回り込み道路から家の庭に入り畑に侵入します。人間がいようと、車が来ようと、灯りがあっても食べるために大胆な行動をとるのです。

野生動物は、目は色盲、人間の手の代わりに鼻を使い、その分耳はいい。人間ほど考えて行動をしているわけではありません。それでも人は「野生動物を利口だ」と言います。それは時として人間の考えの及ばないような行動をとるからだと思います。

現に、動物は四方をしっかり囲まなければ、予期しないところから畑に入り、農作物を荒らします。人間は考えて柵を張っているのだから、「ここまで柵を張ってあれば大丈夫」と思っています。しかしそれは人間の考えであり、動物の考えではありません。動物はただ食べ物が食えればいいだけなのですから。

そして被害に遭うと「あいつは利口だ」「何をやってもダメだ」と言って耕作をあきらめてしまい、最後には耕作放棄地の増加を招いてしまっているのです。

それでも一人の若い養蜂家とその養蜂家を取り囲む若者たちの力で森が蘇り、決してあきらめることのない努力で蘇らせることができたのです。だから、みんながあきらめず対策を立てること。そのためには行政も一緒になって地域を守るという視点に立つこと。やればできる。それを現場で立証したのが、高橋養蜂の取り組みです。

一人の力は小さくても、同じ目的に向かってみんなで取り組むことで大きな力になりました。誰にでもできます。

取材協力/高橋養蜂 高橋鉄兵
文/(株)森守 黒田利貴男
構成/三好かやの

 

著者プロフィール

くろだ・ときお

1965年静岡県生まれ。小学4年生の時から、猟師の父の後について山を歩く。
21歳で狩猟免許、猟銃所持許可を取得して以来、狩猟期間は猟を続ける。南伊豆の山を知りつくす猟師であると同時に、稲作や林業、しいたけ栽培の経験も持つ。野生獣の管理や活用にとどまらず、それを囲む森と里、海のつながりまでを、視野に入れ活動を続ける。2015 年7月株式会社森守を設立。現在は病気療養を続けながら、森林資源の活用、耕作放棄地の再生、狩猟者や加工処理の人材育成、自然を活用したエコツーリズム等、幅広く活動中。農林水産省が任命する農作物被害対策アドバイザー、南伊豆町町会議員

㈱森守 http://izu-morimori.jp/

伊豆下田 高橋養蜂 https://takahashihoney.net/

 

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