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第91回 勅使河原蒼風が見たヨーロッパのフローラルアート

公開日:2020.11.6

『ヨーロッパのフローラルアート 伝統と創造の花の芸術』

[原著者]ローランス・ビュッフェシャイエ
[技術指導]ジャック・ベダ
[訳・監修]勅使河原蒼風
[発行]東京インターナショナル出版
[発行年月日]1970年7月20日
[入手の難易度]やや難

蒼風が訳したフラワーデザインの本とは?

まず一言、この本は、すごい! これからフラワーデザイナーをめざそうという君が、この本をどこかで見つけたら、多少高くても、「買い」です。ぜひ手に入れて熟読し、作例を参考に作ってみてほしいと思っている。僕の場合は、あの日本のいけばな世界の巨匠、勅使河原蒼風が訳したフラワーデザインの本? いったい何だろう? そんな疑問に答えを見つけたくてこの本を手に入れた。

厚さは3cm、外箱がある。しっかりした紙に印刷された200ページ余の立派な装丁の一冊だ。基本はモノクロ印刷なのだが、カラー写真を別に印刷したものが数十枚もきちんとレイアウトされ、貼り付けて仕上げられている。価格は5,500円。現在の価格ではほぼ10倍、数万円もする超豪華本という感じだ(朝日新聞社『値段史年表明治大正昭和』1988によると、昭和45年の建設関連日雇労働者の日当は1,604円というデータを参考にした)。

蒼風は、巻頭の「訳者のことば 純ヨーロッパ調のフローラルアートと日本のいけ花の新しい出会い」のなかで、「日本のいけばなが1つの方向を目指しているとすれば、ヨーロッパのフローラル・アートはこれとは別の方向を目指していると思う。私は花を素材として地球上の人々が自分たちのメッセージを交し合えることを深くよろこぶとともに、それぞれの指向性の中に宿る哲学を理解し合うところまで進みたいものと考えている」と述べている。

それぞれの違いをまず理解すること。その上で交流を考え、第三の発展へと進む暗示を得られるのではないか。交流というのはけっして型の上の交流、合併ではなく、そこに宿る哲学やそこに在る心を相互に理解することで、相互の深い理解によってのみ第三の発展が可能になるのだと強調する。

「主に線を使って日本のいけ花がえがき出す虚空空間の中には、東洋の哲学、自然観が語られているはずです。その意味で、日本のいけ花は、形而上学的、哲学的なものを内包する芸術です。同様に、ヨーロッパのフローラル・アートも、決して、小手先の装飾性のみにたよる花のアレンジメントではなく、ヨーロッパの他の美術の伝統にも見られる、芸術的方向性があるものと私は考えています。」

こうして書かれた文章を読むと、蒼風はこの本を訳出し日本で出版する作業を進めることで、ヨーロッパの花の背景にある精神性とか哲学を読み取ろうという意欲を感じられる。そうすると、この本の原著は、単に作品を並べ、テクニックを紹介するだけの内容ではなさそうだ。日本の戦後のフラワーデザインはアメリカから学んだスタイル、いわゆる「ジオメトリックな型」の花が広まっていた。蒼風は戦後早くから海外にたびたび出かけ、アメリカとは異なるものがヨーロッパにあることを知っていたに違いない。この本にはたくさんの作例が掲載されているが、1980年代以降に紹介されるいわゆるヨーロピアンデザインのさまざまな型がここには網羅的に紹介されている。1970年という早い段階で、アメリカとヨーロッパの花の違いに気づいていた蒼風の着眼は、注目すべきことだと思う。

この本を書いたのはどのような人物だったのか

原著者、ローランス・ビュッフェシャイエ(1919年まれのフランス人、植物学者として有名な家系に生まれ、自然に囲まれたフランスとスイスの国境地帯の街で育った。後期印象派の画家であった父親の影響を受け、自然や花、美術、美術史に深い関心を示すようになる。絵画、タピストリー、陶器、モザイクに見られる花のデザインとその象徴的な意味を、書物や美術館を通じて研究し、花の歴史をたどることで芸術、科学、風俗習慣の変遷をたどることができるという。

作品制作に関して技術指導を行った、ジャック・ベダは1926年ジュネーブ生まれのガーデンデザイナー、フローラルデコレーター。もともとはガーデナーとしての修業を積み、フラワーアレンジメントはミニチュアの庭園を作る感覚だという。ヨーロッパ各国を回ってそれぞれのスタイルを学び、一時期はラップランドで木こりをしていたこともあったが、パリに店を構えて活躍中。本書では、伝統的なスタイルのアレンジメントはもちろん、いけばなを応用した非対称で線を生かした作品や流木や貝殻を添えたものなどをいくつも掲載、また一般には70年代に広まったとされる「パラレルスタイル」を感じさせるいけ方や、野菜を使ったもの、日本の前衛いけばなのような斬新な形など豊富なパターンが紹介されている。

本書の構成は、「技術的なアドバイス(花や道具、花器などの取扱い方法)」、「基本花型」、「時代別アレンジ」、「各国別のスタイル」、「場所・空間別」、「卓上花、レセプション、行事やお祝いの日の花」「野原・森・庭の花を素材に(フィンランドスタイル※まさに現代のシャンペトル)」、「ドライフラワー」本書ではすでに「グラミネ(イネ科の仲間、Grasses、Gramineae)」という言葉が使われている。

欧州の花は米とも日本とも異なり、それでいい

ローランス・ビュッフェシャイエは日本語版へのまえがきで、次のように述べている。

私たち外国人の目から見ると、日本は文字通り「花の国」であり、また花の芸術が高度に発達している国だと思われる。近年、数多く出版されているいけばなの本のおかげで私たちもよく親しんでおり、その芸術性にはただただ敬服するばかりだ。ヨーロッパでもいけばなの技法を取り入れている。たとえば、整枝技法や、優美なアラベスク模様(※多様な植物を少しずつ取り合わせることか)、微妙な色彩の調和といった技法である。

日本のいけばな芸術は、見た目に美しいばかりではなくヨーロッパ流にいうならば、美の神ビーナスに捧げる讃歌に近いものになり、はるかなる哲学の真髄に達する道につながっている。私どもヨーロッパ人の作品も、たとえそこまで及ばずとも自分たちが実感し、そして行きていく道を表現する方法として決して劣っていないと確信している。花は私たちの思想を伝える「言葉」であり、鋭敏な感性を表現する手段としては、言葉よりもはるかに雄弁だ。花を通じて私たちが真実を認識する力はより豊かになり、そこに微妙さをつけ加える。

私たちはヨーロッパの花の伝統と日本のいけばなのそれを、ここで比較するつもりはない。しかし、両者とも同じように自然への愛、美しいものや詩情への共通の感情から生まれてきたものであることは信じて疑わない。コンクリートの建造物、原子力兵器、宇宙飛行などに象徴される人間疎外の現代にあって、花こそは、人と人を強く結びつける、唯一の絆であることをかたく信じている。

 

以上が日本人読者に向けての挨拶文の概要だ。日本のいけばなの巨匠、勅使河原蒼風を前にしての儀礼的な挨拶と受け取れないこともないが、少なくとも日本のいけばな芸術に並々ならぬ敬意を持ち、誠実なことばで書かれているように感じられる。これが、戦後から昭和40年代にかけていけばなを学んだ外国人フラワーアーティストの印象なのではないかと思う。彼らは日本のいけばなからさまざまなものを学び、生かしている。むしろ、日本人のほうが、日本の伝統的な「型」に基づくいけばなを古いと感じ、家元制度への疑問を抱きながら、新しく輸入された「フラワーデザイン」を、憧れをもって学ぼうとしていたのではなかったか。

ただ、この日本のいけばなとヨーロッパのフラワーデザインはまったく別物で相容れないものだったのだろうか。蒼風のいう「第三の発展」はこの時代(昭和30年代、1960年代後半)に始まっていたのだろうか。少なくとも、ヨーロッパの人たちはいけばなを研究している。しかも相当、しっかりと勉強していたのではないかと思うのだ。

活け花の応用、自由ないけ方、花器、剣山とフローラルフォーム

この本に掲載された作例を見ると1969年に制作されたものとはとても思えない。およそ1990年代までに出現したデザインのスタイルがすべて網羅されている。ここにないのは、構造体を組み込んだデザインや、試験管を使った作品くらいではないだろうか。ドライフラワーのブーケや「シャンペトル」(本連載第31回)、「ポタジェのコンポジション」(本連載第63回)の原型がすでに載っている。“ムシュー”ことジョルジュ・フランソワ(10月に亡くなったファッション・デザイナーの高田賢三邸も飾っていた)やクリスチャン・トルチュがパリのファッション界に登場するのはもう目の前だった。

この時代の「花留め」に関して、もっとも多く使われている資材は「チキンワイヤー(金網)」だが、フローラルフォームも数多く、適所に使われている。アメリカで1954年に発明、製品化されたフローラルフォームは、ヨーロッパではなかなか広まらなかったという(アメリカ製の化学製品に対する忌避感があったようだ)が、この本ではチキンワイヤーと併用する形で多用されている。水を入れられない容器、壁や梁に吊るす場合などに「水分の蒸発を防ぐために薄いプラスチックで塊を包む」と記されている。面白いのは、日本語訳が「合成苔」となっており、これは発見だった。もともとはミズゴケを使っていたところに代用されている、ということがよくわかる。この「合成苔」が見えないように、天然のコケで囲むと見た目に感じよく仕上がる、という記述がある。

「合成苔」よりもっと重視されているのは「剣山」だ。水盤のような浅い花器に花をいけるのに重宝する。器の空間を見せて少しの花でいける日本風な着想の「モダンないけばな」には剣山が欠かせないという。大きめの花材には重い剣山をいくつも合わせて使うとか、水に少しのホウ砂を入れるとサビが出にくいといったアドバイスもある。剣山を使うことで、花をまっすぐにいけることができる。中心から放射状に広がる作品ではなく、すべての花が垂直に入れられた作品がいくつも載っていて、これらが角度をつけるなどバリエーションが出てくれば「パラレル」スタイルとして確立されるのだろう、そんなふうに現代の目からみると非常に興味深く感じられる。

枝物を多用して、器から大きく伸ばし、空間を大きく使った作品も掲載されている。「線と塊」「線と花の個性」を意識した自由ないけばなである。器のなかに流木や小石を入れて花留めと造形に使った作品も見られる。器を複数組合せて展開する装飾もある、テーブルに直にアレンジする「盆景」に似た卓上装飾の事例も載っている。

この本全体に言えることだが、個性的な器を利用しており、その器と花が合うように計算されているように思われる。日本には個性的な創作花器がたくさんある。昭和30年代から40年代のいけばなが隆盛を誇った時代には、創作花器で有名な作家もいた。この本では、そのあたりも十分に意識されているように思われる。もちろん、ヨーロッパには花の装飾に長い歴史があり、建築様式やインテリアと花のスタイルは深く結びついている。器も同じだ。それだけに、「モダンな日本風のいけばな」をいけるとき、ヨーロッパで古くから使われてきたスタイルの器では合わない、という。器に注目し、いろいろな用途に使えるようなものを手元に用意すべきだと記している。

花のデザインの歴史を学ぶ意味

一見、豪華な作品集と思われたが、この本は技術的な部分も含め、花卉装飾の歴史的な変遷を押さえながらしっかりと学べるように構成されていることがわかった。ぼくらがフラワーデザインを学んだ頃のテキストは基本の型と数多くの作例、作り方が書かれたものがほとんどで、ヨーロピアンデザインを総括的に紹介したものは、90年代に誠文堂新光社から出されたレン・オークメイド先生の『フラワーズインスタイル』(1992)を待たなければならなかった。

なぜヨーロッパのフラワーデザインでは歴史の学習を重視するのか、いや、必須項目にしているのか。

それは、ヨーロッパの街が、現在でも12世紀に建てられた教会があるとか、15世紀の宮殿があるとか、19世紀のアパートに住んでいるとか、歴史の教科書に出てくる「空間」が現在でも普通に利用されている、ということなのだ。そのような空間やインテリアに合わせた花のスタイルというものがある。冠婚葬祭や宗教的なイベント、季節の行事にはそれに合わせて決められた花の利用法がある、ということなのだと思う。こうした空間での仕事が、フロリストリー(花を扱う仕事)のゆるぎない基礎にある、ということなのだ。著者が「はじめに」に書いているように、花の装飾の側から見ると、場所に合わせて考えながら花の仕事をすることによって、歴史が見えてくるし、文化や人々の暮らし方、価値観までが見えてくる。

蒼風はヨーロッパの花をどう評価したのか

最後の問い。蒼風は、なぜこの本を日本人に紹介したのか。もちろん、いけばなをやっている弟子たちに読ませたいということがいちばんの目的だったと思う。この本は、他のフラワーデザインの本とは違う価値があると考えたからに違いない。著者がいけばなをよく学んで知っているということもあるだろう。先程も書いたが、時代の変遷や、さまざま状況でどんな装飾があるのか作例が多いということもあるだろう。ヨーロッパとひとくちに言ってもイギリス、フランス、ドイツ、北欧というふうにそれぞれの違いも作例を挙げて説明している。最後に、もうひとつ加えるとしたら、「多様性」だろうか。フラワーデザインというと、花ひとつひとつの個性を無視し、「絵の具」だという。丸、三角、四角のパターンのなかに「ライン」「マス」「フィラ」などと役割を決めてはめ込むようなものだという。そういう単純化されたイメージのものではない、ということをこの本は明快に示している。哲学とまでは言わなくとも、作品を作る時になにを感じてどのような技術でいけていくのか、それはヨーロッパも日本も同じだ。そういうことを感じ取ってほしかったのではなかっただろうか。およそ50年経過したいま、僕らは「第三の発展」を迎えられているか。

検索ワード

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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