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作り続けて20年。いわきの西洋野菜名人

公開日:2021.1.18 更新日: 2021.1.19
いわき市で20年、西洋野菜を育てる坂本さん。

膝丈を超える黒キャベツ

11月初旬、福島県いわき市の内陸部、山田町にある坂本和徳さん(45歳)の畑を訪ねました。畑には見慣れぬ野菜がたくさん並んでいます。地際からニョキニョキ生えている、濃いグリーンの葉っぱたち。いったいこれは何でしょう?
「カーボロネロ。黒キャベツと呼ばれています」

カーボロネロは、イタリア生まれのキャベツの仲間。といっても結球することはなく、株元から立ち上がる肉厚でチリチリと縮れた葉を、1枚ずつ掻きとって料理に使います。その肉厚の葉は、炒めたり、揚げたり、加熱すると甘味が増す上に、表面に凸凹が多く「ソースがよく絡まる」と、イタリアンを中心とする料理人たちに人気。最近は、日本の種苗メーカーの種子も出回って、スーパーや農産物直売所等の店頭でも見かけるようになりました。

目を見張るのは、その葉の大きさです。直売所等で販売されているものは、手のひらサイズ、もしくは30㎝前後なのですが、坂本さんのカーボロネロは、大人の膝丈を超えるほど大きいのです。

「今から15年くらい前、軽井沢のホテルから『カーボロネロがほしい』と注文がありました。サンプルで50枚ほど送ったら、後からクリスマスに400枚の注文がきて、驚きました。1枚単位で注文がくる野菜です」

20種の西洋野菜の中でひときわ目立つカーボロネロ。
★肉厚で表面が縮れており、パスタや煮込み料理に利用される。

はじまりは西洋ネギ

坂本家は、代々続く専業農家。和徳さんは地元の工業高校を卒業後、サラリーマンとして製造業に4年間従事した後に就農。当時はコメ4haといわきが指定産地となっている秋冬ネギ2haを中心に栽培していました。
そして20年ほど前、海外研修でヨーロッパへ。オランダ、フランス、ドイツ、デンマークを2週間で巡る強行スケジュールでしたが、ドイツで見つけた西洋ネギの種子を購入して持ち帰り、栽培を始めます。

現地で「リーキ」や「ポワロ」と呼ばれる西洋ネギは、日本の白ネギよりも白根の部分が太く、ずっしり重いのが特徴ですが、当時日本で栽培する人は少なく、とても希少な存在でした。白ネギと同じ要領で栽培したところ「ちゃんとできてしまった」ので、4〜5年は、自家消費や親戚に配りながら自家採種で種子をつないで、栽培を続けていました。

そんな坂本さんの西洋ネギに着目したのは、市内でフランス料理店を営んでいた北尾博水シェフでした。いわき市では当時から若手の生産者と地元の料理人との交流があり、坂本さんの西洋ネギをいち早く使ってくれたのです。北尾シェフは、ネギにとどまらず、坂本さんにどんどん西洋野菜をリクエストしていきます。

「トレビスもほしい」
「ビーツも3色作って」
「俺がなんとかするから」

そんな要望に応えて徐々に品目と面積を増やすうち、ネギ一色だった畑は、どんどん賑やか&カラフルになっていきました。
北尾さんは、坂本さんが作る野菜を、出身校である辻調理師専門学校の出身の料理人を中心に紹介しました。さらにいわきの市場関係者に「これは東京のプロの料理人がみんな欲しがっている野菜だ」と説明し、市場流通も可能にします。そんなプロの目利きと口利きのおかげで、市場を通して首都圏へ販売できるようになりました。

トレビスが丸く、赤くなる理由

プロの料理人向けに西洋野菜に取り組む生産者の間で、特に栽培が難しいといわれているのが、トレビスとその仲間たち。レタスと同じキク科に属していますが、レタスがアキノノゲシ属なのに対し、トレビスはエンダイブやチコリと同じキクニガナ属の植物。その名の通り独特の苦味を持ち、結球すると見事な赤紫色に。専門料理店向けに1980年代から日本に輸入されるようになりましたが、徐々に日本で栽培する農家も増えてきました。

そんなトレビスは、レタス同様冷涼な気候を好みます。9月には種をして、圃場へ苗を定植。12月〜1月頃、収穫を迎えます。しかし、レタスとはまた違う難しさもある野菜です。

11月初旬のトレビス。寒さに当たると赤く丸く結球する。
★寒さの中で見事な赤紫色に見事に結球。ほのかな苦味がある。

坂本さんは、通常のレタス同様に露地で栽培したところ、見事に結球。鮮やかな赤紫色のトレビスを作り上げています。ところが、

「俺も作ってみたけど、結球しない」
「緑のままで、ぜんぜん赤くならない」
そんな声が他の生産者から聞こえてくるようになりました。

トレビスは、丸く硬くしまった玉になり、鮮やかな赤紫色が出なければ、商品価値が出ません。当初それは日本とヨーロッパの土質や水質、そして気候の違いによるものと考えられていましたが、特段手をかけていない坂本さんの圃場で、ちゃんとできてしまうのはなぜか? pHを測っても他の圃場とは変わらないので、その理由は、しばらくの間当の本人にもわからなかったそうです。

よくよく考えて、思い当たるのは小学生の頃。坂本家ではネギの栽培を始める前、平成のはじめまで養蚕を行っていました。つまり現在の野菜畑は桑畑だったのです。
「毎年クリスマスの時期になると、親父と一緒にあぶくま洞のある滝根町(現田村市)まで炭カルを取りに行って、それを桑畑に撒いていました」

30年前まで、鍾乳洞近くで採掘された炭酸カルシウムを散布していたその名残が、いまだに野菜たちに効いているのかもしれない……と、坂本さんは推測します。

地中海沿の岸には「テラ・ロッサ」と呼ばれる赤土地帯があります。それは石灰に含まれる炭酸カルシウムが溶け出して、残った鉄分が酸化して赤くなるためそう呼ばれていますが、坂本家では毎年クリスマスの時期に、鍾乳洞由来の炭酸カルシウムを散布し続けた結果、イタリアに近い土壌環境を生み出したのかもしれません。

とにかく赤紫に丸く美しく結球するトレビス、白地に赤い斑点が浮き出るカステロフランコ、3色のビーツ、5色のニンジン、黄色いカブ、黒いカーボロネロ……坂本さんの作るカラフルな西洋野菜は、ヨーロッパで修業を積んだ料理人たちに喜ばれ、徐々に生産量と売り上げを伸ばしていきました。

「カタカタと少しずつゆっくり登って、やっと頂上が見えてきたと思ったら、一気にダーッと急降下。まるでジェットコースターのようでした」

それは2011年3月に起きた東日本大震災。いわき市の沿岸部は津波の被害に見舞われ、大混乱。内陸にある坂本さんの圃場は無事だったものの、原発事故の影響はぬぐいきれず、注文はストップ。ほとんど売れなくなってしまいました。
「もう、西洋野菜はやめてしまおう。そう考えた時期もあります」

全体が黄色い西洋生まれの黄金カブも栽培。

復興目指し、ふたたび西洋野菜を

津波のダメージを受けた沿岸部には水田が広がっていましたが、津波で家やトラクタ、コンバイン、調整施設を一気に失った人も多く、同時に高齢化も進んでいたために、農地が回復しても栽培を続けられる人がいない。そんな状況になっていました。
それを元から栽培実績があり、農機具を所有している若手が一手に引き受け大型化する。震災後、東北の沿岸部では、そんな状況が一気に進んでいました。

「以前は4haやっていたお米は、今では飼料用米も含めて27ha。一気に8倍近くになっています」

一時は西洋野菜をやめて、お米とネギ中心の栽培に戻ることも考えた坂本さんでしたが、

「田んぼの面積が少なければ、ネギをやっていたと思います。でもここまで面積が増えると、イネの種まきとネギの収穫、稲刈りとネギの土寄せ、大事な作業が重なってしまう」

そこへいくと8〜9月に種子を蒔き、12月〜1月には収穫できる西洋野菜の方が、投資も少なく、無理なく栽培できると考え、ふたたび栽培に乗り出しました。

さらに自宅のある山田町から車で東へ30分。海に近い小浜町の圃場を借りて栽培を始めました。ニンジンだけで60aあります。

海に近い小浜町で5色のニンジンを栽培。

「うちのお袋の家の近くなんです。土がいいから根がまっすぐ入って、なんでもできる。同じいわきでも海が近いので、めったに霜が降りません。山田の畑を作りながら、ここをメインに増やしています」

震災直後は販売面で苦戦を強いられていましたが、 被災地支援や復興を目指していわきを訪れる人が増えました。ずっと応援してくれた北尾シェフ、いわきの復興のシンボル「スパリゾートハワイアンズ」の料理長をはじめ、地元のレストランも坂本さんの野菜を積極的に導入。中でも、赤、黄、紫、白、橙の「5色のニンジン」は、「他ではなかなか手に入らない」と評判に。特に紫のニンジンは、表面だけでなく芯まで紫のものは珍しいそうです。

★★5色のカラフルニンジンは、一般家庭でも人気。

震災前は自力で販売先を開拓していましたが、震災後は福島県の農業生産法人協会の仲間が流通面をサポートすることになり、以前より栽培に専念できるようになったことも、得難い収穫でした。

ところが、あの震災から9年が経過した2020年、今度は新型コロナウイルス感染症が全世界に広がり、農産物の流れを大きく変えました。特に、西洋野菜のメインの顧客である飲食店は大打撃。9年かけて、せっかく盛り返してきたのに、またも急降下かと思いきや……

「思い切って、売り先をレストランから生協へシフトしよう。5色のニンジンは巣篭もりしている一般家庭でも評判がいい」

農作業は従兄弟の生田目祥明さん(右)と二人三脚。

2020年暮れから、福島駅前の百貨店跡地できた「スーパーマーケットいちい」に、坂本さんの野菜が並ぶようになりました。

「なんだべ、これ?」

と首を傾げる高齢者が、スマホで「カーボロネロ」と名前を検索。その場ですぐ来歴や調理法がわかるので、「おお、うちで作ってみんべ」と購入していくそうです。

★トレビスの一種「カステロフランコ」。赤い斑点入りの葉が美しい。

新たな切り札は紫色のイチジク

そんな西洋野菜たちとはまた別に、稲の育苗に使っていたハウスの中で、なんとも不思議な植物がコンテナに植えられていました。どうも野菜ではなさそうです。
「ビオレソリエス。紫色のイチジクです」

育苗用のパイプハウスでイチジクをコンテナ栽培。

いわきでは元々和ナシやイチジクの栽培がさかんな地域ですが、イチジクの大部分は、大粒の「桝井ドーフィン」。小粒で濃紫色の「ビオレソリエス」を手がける人は稀です。日本では佐渡島や佐賀県に産地があり、その希少性から高値で取引されています。中には「5〜6玉で3000円」のものもあるとか。料理人だけでなく、パティシェ(洋菓子職人)からの要望が強いイチジクでもありますが、果皮が薄く輸送に弱いため、完熟果をいかに実需者に届けるかが課題となっています。

坂本さんのハウスのイチジクはすべてビオレソリエスで、今年2年目。まだ出荷はしておらず、「家族で食べたり、親戚に配ったり」している状態。なんだか西洋野菜のはじまりに似ています。

それでも、イチジクをおすそ分けした中のある人は、「いただきものは独り占めせず、絶対誰かにおすそ分けにする習性のある福島人」なのに、「あまりの美味しさに我慢できず、全部一人で食べてしまった」のだとか。それはまたこのイチジクがそれほど魅力のある作物であることを物語っていて、手応えを十分感じているようです。

圃場には籾殻となめこの菌床を利用した堆肥を投入。

ハウスの川向こうには、籾殻となめこの廃菌床を切り返し、2年寝かせた堆肥が大量に積まれていました。これがすべての圃場に投入され、野菜作りの土台になっていきます。
「ビオレは、来年からコンテナから地植えにするので、実はもっとなるはず」

ドイツで西洋ネギの種子に出会って20年。日本では馴染みの薄かった西洋野菜たちも、生産者と流通業者、料理人たちの努力の甲斐あって、一般人も無理なく使える存在となってきました。そしていま、坂本さんが手がける野菜たちは、外出も外食もままならない、日本の食卓を、カラフルに盛り上げています。

コンテナから地植えにして、本格的に出荷を始めるビオレソリエス

 

取材・文/三好かやの 撮影/杉村秀樹(★は三好、★★は坂本農園提供)

 

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