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第95回 「ダーチャ」のある暮らし―コロナ時代の生活モデル

公開日:2020.12.4

『ダーチャですごす緑の週末 ロシアに学ぶ農のある暮らし』

[著者]豊田菜穂子
[発行]WAVE出版
[発行年月日]2013年2月14日
[入手の難易度]易

※本書は『ロシアに学ぶ週末術~ダーチャのある暮らし』(2005年4月20日発行)の新装・改訂版。内容、文章はほぼ同じ。

「スローライフ」という言葉が日本に広まったのは2000年代の初めの頃だった。今、ほとんど聞かれなくなった感がある。「ファストフード」に対する、1990年代の「スローフード運動」から生活を見直そうという動きの中で登場してきた言葉で、関連する雑誌や書籍が出版されたことを思い出す。毎年12月に東京ビッグサイトで開催されてきた日本最大級の環境展示会「エコプロダクツ展」も1999年に始まっている。花の生産と流通の分野でも、オランダで開発された「MPS(環境に配慮した花づくりと流通に関する国際認証プログラム)」が2006年に日本でも始まった。

「スローライフ」が示した問題提起はその後「CSR(企業の社会的責任)」、「ロハス(LOHAS=lifestyles of health and sustainability)」などに展開、近年は「サステイナブル(持続可能な)」、「エシカル(倫理的な)」、「SDGs(持続可能な開発目標)」などといった言葉で語られることが多くなった。地球温暖化による自然災害の増加や発展途上国の無軌道な開発による自然破壊、格差と貧困など国際社会が抱える問題はなくならないばかりか、激しさを増しているようにも見える。先に挙げたような言葉は、2000年代以降の環境と人間の問題に関係しているように見える一方で、経済と環境の両立という、かなり人間にとって都合のいい言葉でもあるようだ。そして、2020年、新型コロナウイスル感染症の広がりにより、世界中で「コロナ対策と経済の両立」が叫ばれ、「コロナとの共存」、「コロナ後の新しい暮らし方」が模索されている。

「ダーチャのある暮らし」とはなにか

『ロシアに学ぶ週末術~ダーチャのある暮らし』は、2005年に発行された。表紙カバーには、「月~金までは町でお仕事。土日はダーチャでリラックス。さあ、あこがれのロシア人の週末暮らし、すべてお教えします!」という惹句が目を引く。ダーチャは「家庭菜園のある郊外の家」。ただ、著者の豊田菜穂子によると、日本で見られる「別荘、セカンドハウス、サマーハウス」などとは全く違うロシア人の生活に根付いたスローライフそのものを指すのだという。

まず、その面積に驚く。一般的なダーチャは、1区画600㎡(180坪=20m×30m)の土地を国から借りられるようになっている。都市からわずかしか離れていない郊外で、この広さの土地が得られるのはロシアならではのことだろう。そこに小屋を建て、週末や夏休みをそこで過ごしながら、自家用の野菜や果樹を育て家族で利用する。ジャガイモなどはダーチャでつくったものを長い冬の間にみんなで食べる。家族の人数が多くなければ、ほぼ一年分を自給できるそうだ。問題は土地代だが、いったいどれほどするのかというと、「まったくのタダ!」らしい。ダーチャの語原はダーチ(与える)なのだという。

首都のあるモスクワ州では住民の3分の1が菜園を持っている。一説にはモスクワ市民1,000万人のうちの75%が持つともいわれている。国全体でいうと、2003年のロシア国家統計局のデータでは、国内3,400万世帯の8割が菜園を持つか、野菜づくりの副業を行っており、ロシアのジャガイモ生産量の92%がまかなわれている。ロシアで出されているダーチャの案内書には、「100㎡の畑でひと夏に300kgの作物がとれます」と書かれていたという。もはや「生産」のレベル。実際に食べるものを自分たちで創造できる、というのは強い。1990年代に起きたソ連崩壊後の混乱で、モノ不足に陥ったロシアで餓死者が出なかったのは、ダーチャがあったからだといわれているそうだ。

ダーチャのはじまり

ダーチャの始まりは、1917年に起きた十月革命のとき、革命の指導者レーニンが、地主階級から没収した土地を農民たちに再分配することを約束したことにさかのぼる。その後1930年代、革命を引き継いだスターリンはその約束をすっかり反古にして農地を取り上げ、国家主導の集団農場(国営のコルホーズや半官半民の組合によるソフホーズなど)を始めてしまった。これに対して、農民は黙っておらず土地を要求して譲らなかったため、その後、申し出があれば「自留地」と呼ばれる個人の土地が与えられたのが今日のダーチャの起源となっている。当時、農民たちは国営農場では熱心に働かず、自分のダーチャでは一生懸命に作物を育てていたという話が載っている。現代のロシアでも、「空いている土地は貸さなければならない」という法律まであるという。つまり国を挙げて「空いている土地は家庭菜園にしよう」というコンセンサスがある国なのだ。

興味深かったのは、第二次世界大戦で日本への攻撃に使用された原爆とダーチャとの関係だ。戦後、ソ連政府はモスクワへの核攻撃を想定し、郊外に向けて避難道路を整備した。大勢の市民を迅速に避難させるための道路だが、結果、道路に沿って数多くのダーチャができることになった。万一の場合、郊外での避難生活も可能になるため、ダーチャの保護政策も取られていたという。冷戦後は、核の脅威も小さくなったため、ダーチャへの保護もなくなった。そこで、ダーチャに関するさまざま問題を解決するため1995年につくられたのがロシアの園芸家協会なのだという。

ダーチャのある暮らしとは

ダーチャは、お金持ちしか持てない別荘ではなく、ごく一般の生活者が取得できる農地である。それゆえ平日は街で働き、週末はダーチャで過ごすというのが平均的な都市住民の姿なのだという。モスクワでは金曜日の夕方になると、都市から郊外に向けて「ダーチャ渋滞」が起きるほどだそうだ。

本書には「ロシア人には伝統的に農民の血が流れている」、「土地を耕すことに抵抗がなく大地に根ざしたしたたかさがある」、「ダーチャはロシア人の暮らしの“活力のもと”」といった言葉がある。水道もガスも電気もないような場所もあるというから、よほどたくましくなければ楽しむどころではないのかもしれない。書店での園芸書コーナーは充実しており、ダーチャライフを楽しむ「きのこ狩り」関連の書籍も数多く並ぶ。ロシアでも、野菜は買った方が安い時代に入っているが、自分たちで作った安心できる野菜を家族に食べさせたい人、年金暮らしの人などはダーチャで野菜を作り続けているし、そうでない人は田舎でゆっくり過ごすことを優先している。

厳しい寒さが続く冬の長いロシアで、夏は最高の季節になる。外に居ても夜10時過ぎまで明るく、畑仕事や友人と楽しく過ごす時間も長く取れる。子供たちの夏休みは3ヵ月もあるという。共働きの多いロシアでは子供たちが祖父母とともに先にダーチャに向かい、あとから両親が合流するといったパターンが多く、ダーチャによって家族の距離が近くなる印象がある。

ダーチャ、クラインガルテン、アロットメント

ヨーロッパが発祥の市民農園は、各国で同じような営みが行われている。ドイツの「クラインガルテンやラウベ(小屋)」、ロシアの「ダーチャ」、イギリスの「アロットメント・ガーデン」、オランダの「フォルクストェイナ」、スウェーデンは「コロニーガーデン」など、それぞれに独自の自給自足的菜園ライフがある。歴史的にも自然発生的というより、国家が貧困と疫病など都市問題の解決、労働者の生活支援といった政策に基づいた導入の事例が多い。日本でもこうした方面にもっと積極的な支援があってもいいのではないだろうか。

昭和30年代の園芸書を読むと、戦中戦後に多くの市民がわずかな土地を拓いて野菜を育て自給していた(本連載第73回参照)にも関わらず、その後はみなそれを止めている。理由は、「自分で作るより買うほうが安くなった」からだという。また、生活様式が変わり、時間がなくなったからだということもあるだろう。2020年、このコロナ禍にあって、働き方が変わり、生活の仕方も変わった。リモートワークが進み、自宅で過ごす時間が増えている。野菜の価格は高いと言っても自分でつくるよりははるかに安いわけで、自給自足を目的にすることはできないけれど、新たに生まれた時間をどう使うのか。日本にも「ダーチャ・ライフ」が流行るようになるのかわからないけれど、あとちょっとのところまで来ているような気もするのだ。

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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