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第98回 担ぐ、運ぶ、並べる、売る~ 江戸から明治の商いの姿

公開日:2020.12.25

『四季交加』

(『四時交加』とも表記/しじのゆきかい/しいじのゆきかい/しきのゆきかい/しきこうか)
[著者] 北尾重政・画/山東京伝・讃
[発行] 鶴屋喜右衛門
[発行年月日] 1798年(寛政10年)
[入手の難易度] 国立国会図書館デジタルアーカイブ参照 (今回掲載した画像はすべてここから引用)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533610

『世渡風俗圖會』(よわたりふうぞくずえ)

※以下「世渡風俗図会」と表記する
[著者] 清水晴風
[発行] 甲陽書房
[発行年月日] 不明(明治時代)
[入手の難易度] 国立国会図書館デジタルコレクション参照 (今回掲載した画像はすべてここから引用)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2550813 (巻1~8)

○参考にしたWebsite
※大江希望氏のサイト
http://dabohazj.web.fc2.com/kibo/note/YW-d/mokuji.htm
※林正樹氏のサイト
http://hayashimasaki.net/fuuzokuzue/

江戸・明治、多様な生業

いよいよ波乱に満ちた2020年も残すところあとわずか。終わりよければすべてよし、というふうにはいかないかもしれないが、いい感じで一年を納めたいと思う。

さて、(図1)は、師走の買い物で賑わう江戸府内の年末の様子を著した絵草紙『江戸府内絵本風俗往来』上編(菊池貴一郎、東陽堂、1905)から採ったもの。雑踏のなか、忙しそうに通り抜けようとしている八百屋さんが描かれ、天秤棒にかついだ篭にはダイコンが重なっている。右にはお飾りを売る屋台が見える。

この本の著者は四代目歌川広重とされる。明治の好事家で、江戸の四季の暮らしの様子を思い出して絵とともにまとめたものだという。江戸時代後期は町人の時代。多くの人がここに暮らし、いかに街が栄えていたかが伝わってくる。季節の感覚について押さえておきたいのは、暦のこと。江戸時代から明治6年まで、日本は太陽太陰暦(旧暦)を使っていたため、一年は354日から385日まで伸び縮みしていたようだが、およそ現在の暦で1月後半に年の瀬、正月があったというイメージか。

(図1)師走の買い物でごったがえす江戸市中の様子 『江戸府内絵本風俗往来』からhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767856 国立国会図書館デジタルコレクション(コマ91)

年の瀬の松市については、次のような描写がある。

《門松の市では松だけを売る。この市はお城の外堀のあたり、外神田佐久間町河岸のような町家、武家屋敷のあるところに市をなす。門に立てる松は、大中小、数多く集められ、あたかも松の山に来たかのようにたくさん並べ立てられている。
門飾りの大松は歳の市では売っていないため、松市に来て求める。雑踏で身動き取れないほどではないが、これまた勇ましい市場である。師走の15日からは諸方の遊び場、物見の場は休みとなる。
通りをゆく人々も遊山見物気分でゆっくりしている人などまったく姿を消し、「年の尾の進物」を配り回る人や、家業の用向きの人たちはみな急いでいるため自然に足の運びも忙しく、見ているだけで何となく心せわしない。歳末残す日もわずか、こうした光景が四里四方に現れる。》

年末には新年を迎えるお飾りや正月に食べる食材だけでなく、ご進物に使う様々なものを買っておく必要があった。今も昔も変わらない風物詩だ。

「漫画」が伝える江戸のにぎわい

『四季交加』(図2~4)は、横長の画面を通りに見立て、様々な登場人物を配置、上下2段でレイアウトした非常に面白い構図になっている。

この絵草紙は、戯作者、絵師として知られる山東京伝が、生業のキセル屋に居ながら通りをゆく人々を観察し構想したものだという。正月から師走までの江戸の街の人々の往来、四季折々の風情を描いている。
文章は山東京伝、絵は京伝の師である北尾重政(北尾紅翠齋/紅翠翁)が描いた。
制作されたのは寛政10年(1798年)、いわゆる寛政の改革の時代で、絵草紙の世界でも歌舞伎芝居や吉原遊廓の遊女などをテーマとするものが減り(山東京伝も洒落本で「手鎖50日」の刑を受けている)、「見立てもの」「年中行事」「職人尽くし」「名所案内」といった出版が相次いだ。

『四季交加』については、もうひとつ。山東京伝が書いた文章に「漫画」という言葉が使われており、これが日本の出版物のなかで「マンガ」が最初に登場する本だということである。ここでいう「漫画」はストーリーを展開する現代のマンガとは異なり、「戯画」と同じような意味合いだった。

このように『四季交加』2巻は日本文化にとって記念すべき本だが、出版当時は売れなかったようだ。後に山東京伝が愚痴をこぼしている。

(図2)12月の風景 しめ縄などの「お飾り売り」、「門松を運ぶ人」、「お神酒の口」飾り売りなどが描かれている。『四季交加』から。
(図3)上と同じく12月の様子(上下の下段)。肥桶をかつぐ人、おしゃれなストールを首に巻いたいけばなの宗匠?が竹筒の花きと花材を手に歩いている。
(図4)右から「万歳」「福寿草売り」「礼者」「宝船売り」「山伏」「羽子板・追い羽根」。11人の老若男女が絵と文章で活写されている。

江戸の生業、そのおどろくべき多様性

次に紹介する『世渡風俗図会』は、日本の玩具図録『うなゐの友』を著し、「おもちゃ博士」で知られる清水晴風が全8巻、580図で編纂した興味深い著作だ。
当時、路上で営まれていた商売する人々の生業を味わい深いイラストで表している。明治期に書かれたものだが、まだまだ江戸の情緒が色濃く残っている。

清水晴風のこの著作に関する研究を自身のホームページで公開する大江希望氏のサイトは労作である。大江氏のサイトを参考にして、ここから路上で「世渡り」していた人々の記録を見てみたい。

(図5)市物売(せんさいうり/前栽もの/青物)[1巻]
(図6)練馬の大根売り 冬季、大根の季節となれば、練馬より直接馬の背にて大根を売りに来る。「西大根」といって美味だと評判。[2巻]
(図7)「松売り」といって、市で仕入れをし、担いで売る者あり。 「まつや、まつや、まつや~ かざり松や、かざり松や」の売り声で歩く、年の暮の飾り松売り。 毎年、正月の飾り松は江戸市中諸々に松市といって12月25日頃から店を出すのを通例とする。  また、この飾り松は一本、二本、切留、鎌苅等々の鹿島松(茨城県鹿嶋市)という上物があるが、江戸に出てくる松は下総常陸(千葉県北総地域から茨城県南東部)から運ばれてくるもの多し。[2巻]
(図8)荒神松売り。毎月月末まぎわに売り歩く。「御繪ん馬」は絵馬で、荒神松と一緒に絵馬を売っていた。籠のなかに見える。大江のHPには「荒神様には鶏の絵馬が掲げられ、油虫などの害虫除けとされた」とある。[5巻]
(図9)車八百屋。明治12、13年頃、人力車の普及後、箱車が商用に利用され始めた。 リヤカーが普及する前の形(本連載第97回参照)。 車に品物を積載して横山町、大伝馬町、人形町あたりを回っていた八百屋が初めだと記されている。[8巻]
(図10)盆栽、水石(盆石)用の石売り。[8巻]
(図11)花売り[3巻]

ストリートが生き生きとしていた時代

東京の銀座通りの戦前の古い写真のなかには、通りの両側にずらりと露店が並んでいる写真がある。全国的にみても、露店商は人々の日常に溶け込んでいたといえるかもしれない。「寅さん」たちがいきいきと活動していた時代だ。これらの露店がすっかり片付けられたのは、戦後の混乱期に繁華街を中心に広がったヤミ市を撤去し、市街地を整備、都市計画に沿って復興再生するためだったという。
その後モータリゼーションが進み、道路は自動車が占領し、人は道の脇に追いやられた。道の往来を人々に取り戻すために週末の「歩行者天国」などが行われていたが、飲食や物販などはかなり制限されている。

近年はこうしたパブリックスペースの利用に関する硬直した状況を改善し、欧米のように人々が集まり、地域に新たなにぎわいを創出するための規制緩和策がだいぶ進んできた。自治体によって差があるものの、道路を閉鎖し、歩道を開放するなどして定期的にマルシェを開催したり、大きな公園にカフェができたりするようになってきている (「エリアマネジメントの民間委託」等と呼ばれる規制緩和の諸施策)。こうした都市の空き地(パブリックスペース)の利用や縁日について、本連載第10回30回76回などで触れてきた。

長いあいだ、植木、花鉢、観葉植物は、縁日に欠かせない商品だった。今回見てきた絵草紙には、実に様々な業種があり、いつまでも見ていられる魅力がある。
現代はインターネット時代。コロナ禍でオンラインによる商売は大きく伸展しつつある。一方で、江戸の路上で世渡りした人々は自ら商品を運び、面白く陳列宣伝し、売り子のユニフォームや小道具、看板まで客の目を引き、足を止めるように工夫していた。

コロナ禍の後を考える時、これらの手作り感覚、コミュニケーションのあり方は現代にも十分通じるものがあると思う。何より小さな資本ででき、自分にもできるかなと思わせるやさしさがある。

参考
三谷一馬 『彩色江戸物売図絵』 中公文庫 1996
北尾重政・画/山東京伝・作/大高洋司編注 『四季交加』 太平書屋 2018(太平文庫80)
中崎昌雄 「「意匠」 作家としての山東京伝:「小紋雅話」 連続模様デザインのシンメトリー構成」1986

検索ワード

#師走#松市#福寿草#荒神松#絵馬#山東京伝#絵草紙#広重#箱車

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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