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第103回 「路上園芸」観察はたのしい~主体性、積極性が生活文化を創る

公開日:2021.1.29

『たのしい路上園芸観察』

[著者]村田あやこ(路上園芸学会)
[発行] グラフィック社
[発行年月日] 2020年10月25日
[入手の難易度] 易

※参考
『街角図鑑』三土たつお(みつちたつお)・編著 2019第4刷(初版2016)
『街角図鑑・街と境界編』三土たつお・編著 2020

身の回りにある「なんだかわからないもの」

若い頃、上野の国立科学博物館で『科博ニュース』の編集の手伝いをしていた。当時は、他にも様々な雑用をいろいろやったのだが、一番の「役得」は館で主催する、一般向けの教育セミナーや野外観察会の受付をすることだった。仕事をしながら、そのまま講義を聴講し観察会に参加できた。観察会には実に様々な人がそれぞれの興味によって参加する。今日、初めて勉強する、という人もいたし、専門の研究者と同じくらい物事に詳しいアマチュアも参加していた。毎回のように家族と参加して、みんなによく知られる小中学生「博士ちゃん」たちもいて、楽しい思い出しかない。

毎年、年に2回、春と秋の大潮の時期に葉山の長者ヶ崎で開催される「磯の生物観察会」はたいへんな人気の観察会で、みんなが採集した生き物を水槽やイチゴパックに集め入れて観察する、いわざ「生きた磯の生物大図鑑」は、いつも大盛り上がりだった。夏の夜には目黒にある附属の自然教育園で「鳴く虫の観察会」があった。最低限の光源だけで園内を歩き、いつもとは違った雰囲気のなかで昼間は見られない生き物の姿を教えてもらえるなど、参加者は大喜びの楽しい観察会だった。

ある時、地衣類の野外観察会でとても若い女性が一人で参加されていたので、先生方やベテランに案内がてら、なぜ参加しようと思われたのですか、と聞いてみたことがある。その人が返した言葉は、「うちの周りにも、壁や木の幹になんだかわからないものがいろいろついているじゃないですか。それがなんだか教えてもらいたくて来ました」というものだった。その時に僕は、ああ、確かにそうだな、と深く感心したことを覚えている。
その日の観察会は、地衣類、コケ類の観察会ではよくあることだが、集合場所からほとんど動くことなく周囲を観察して1時間ほど過ごす、ということになった。先生による「このままだと、ここで1日終わりますから、少し移動しましょうか」という言葉でいくつかのポイントを回って終了、解散になった。博物館の植物関係の先生方はみんなの真ん中に座り込んで、どっしりと構え、参加者の質問に何でも、繰り返し問うても心安く答えてくれる方ばかりだったし、今でもそうだと思う。牧野富太郎以来の植物観察会の伝統的なスタイルだ。

(1)世の中は、ごく身近な場所にあるのに「気にも留めないもの」であふれている。

私たちの身の回りは、変化するものと変化しないものでできている。あらゆるものが揺らぐ世界では、人は一瞬も立ってはいられないだろう。変化しないものがあるからこそ安心して暮らせるのだ。それゆえに、日常生活は、気に留めずに済むもので囲まれていて、意識しなくても済むようにできている。毎日の生活で花や緑が意識されず、むしろ、「必要のないもの」というふうにすら思われがちなのは、それらが生活の背景にしっくりと溶け込んでしまっていることを示している。暮らしに安心と落ち着きをもたらす花や緑は、静かに生活の背景に溶け込みながら、季節になると花を咲かせたり新芽や紅葉で街を彩ったりする。魔法のような生き物だが、そういうこともすでに意識のかなたにかすんでいる。

三土たつおの『街角図鑑』は、僕たちが毎日、必ず目にしている街角の様々なものにひとつひとつ注目し、それがなんという名称で、なんのためにそこにあるのか、ということを解説する。とにかく、その幅広さと奥行きが驚異的な内容だ。
例えば「道路の舗装の種類」「防護柵」「駐車場のタイヤ止め」「自販機の脇に置かれた空き缶入れの種類」「ガスメーター」「エアコンの室外機」「鉄塔」などである。もしも、これらに注目して観察してみようと思うならば、いますぐにでも始められる。異界への入口は家を出たすぐそこに開いているのだ。

村田あやこの「路上園芸」もこの2巻にわたる『街角図鑑』にそれぞれ執筆・掲載されている。今回、満を持して単行本として出版されたものである。

路上園芸学、事例の収集、分析、体系化

村田あやこ『たのしい路上園芸観察』は、労作だ。この本には路上園芸の観察と研究の実例がたくさんの写真で示されており、本にまとめられるまで10年以上かかったという。とにかく信じられないような奇態、眼を見張る光景がたくさん記録されている。人々の心の持ちよう、愛情が溢れ出している。街の「落とし物」(本連載第49回参照)のような緑の断片を根気強く集めてみせてくれている。
すごいのは観察し写真を撮るだけでなく、人と出会い、話を聞き、分析・体系化していること。事例に対するネーミングも実に面白い。路上園芸は、多分に「日本的な」現象のように思われるのだが、日本だけでなく気候風土の違う海外(台湾)の事例も比較し、見せてくれている。

本連載第100回101回述べられているように、生活文化は僕らが主体的、積極的に作り出すものだ。路上園芸という人々の営み、生活文化は、生活の「図と地(対象と背景)」でいうなら、日常の「地」に埋没してしまいがちなもの。そこにカメラのレンズを向けてより主体的に積極的に事例を集めた。普通なら、SNSにアップして終わり、というものなのかもしれないが、著者はこれを分析し、体系化し、より発展的に事例を収集し、新たな発見につなげている。

本書は路上園芸の様々な表情がカメラでとらえられている他、造園家・樹木医・ネイチャーガイドの佐々木智之氏とのミニ観察会では、観察の実際を紹介しながら、「アースダイバー」的な(本連載第7回参照)関心の広がりも示している。また千葉大学大学院で客員教授を務める賀来宏和氏との対談では、人と植物の結びつきの歴史をたどりながら、路上園芸の意味を日本人の価値観や美意識に重ねて解説しているのも興味深い。

3つの路上植物分類

「路上園芸」とは、人々が鉢植えなどで育てた植物が、いつの間にか路上にはみ出し、街の景観の一部となっている、そうした「街の緑の動態」を表わす言葉だという。とても適切な言葉だと思う。この「路上園芸」は大きく2つに分けられるという。
1つは「住人によって路上で営まれる園芸」。もうひとつは「人の手を離れ、路上が育む園芸」だ。「路上園芸」観察の際には、この2つに加えて街路樹、公園などの公共空間や学校、オフィス、集合住宅、商業施設などに見られる「計画的な植栽」を付記してあり、これらは「路上の植物分類」としてまとめられている。

路上園芸はどこの街でも存在し、観察できる。そこで暮らす人々のプライバシーに最大の配慮をすることを大前提に、自分の足と目を使って観察に出かけることを勧めている。

路上の植物分類

1、住人が路上で営む園芸
軒先などの空間で個人が楽しみのために育てている鉢植えの植物。ベランダ、物干しなど見上げる位置にあるものも含む。鉢の種類や配置に多彩な個性と味わいがある。

2、(人の手を離れ)自生する植物
舗装のすき間、石垣などに自然に生えた植物。園芸品種のこぼれ種、野生種含む。

3、計画的な植栽
街路樹、公園など公共空間、オフィス、集合住宅、商業施設、学校等の植栽。

路上にはみ出した鉢植えは個人と公共空間の境界をやわらかく、あいまいにしている(本連載第2回参照)。街の風景を優しくみせているのだ。
1990年代は「ガーデニング」の時代、「飾る園芸」の時代だった。カラーコーディネートに配慮し、おしゃれな園芸資材も充実するようになった。こうした時代の動きにもかかわらず、「路上園芸」は生き残り、現在も進化しているようにも見える。
映画「ブレードランナー」や「ブラックレイン」など持ち出すまでもなく、新宿や渋谷の無数のネオン看板きらめく風景が外国人にとっての「日本的」なランドスケープ(風景)として映るように、浅草周辺や清澄白河あたりの下町の「路上園芸」の風景もまた「日本的」ステレオタイプとして取り上げられる。これを味わいのあるいいもの、風流と受け止めるのか、街の景観を乱す汚点、ルール違反として取り締まるのかは現在進行形の課題でもある。
なんとなくいろんなことが窮屈に感じる今の日本で、地域社会における生活の余裕、寛容さというのはいったいどういうふうになっていくのだろう。いつか『たのしい路上園芸観察』が日本における2000年代都市風景の貴重な記録になっていくのかもしれない。

※参考
『片手袋研究入門』石井公二 実業之日本社 2019
片手袋大全HP http://katatebukuro.com/index.html
『人間と鉢植え』田嶋リサ 法政大学出版局 2018

検索ワード

#路上園芸#観察会#鉢植え#科学博物館#自然教育園#ガーデニング#ランドスケープ#公共

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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