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カルチべ取材班 現場参上

東京の伝統野菜・練馬大根 江戸時代から伝わる栽培現場を見に行く

公開日:2021.4.26
練馬区光が丘で260年にわたって練馬大根の栽培を継承するすずしろ農園の渡戸章さん。手にしているのは抜いたばかりの練馬大根。

桜島大根、聖護院大根、守口大根など、日本には古くから栽培されているダイコンが数多く存在します。これらは自家採種を繰り返しながらその特性を継承し、伝統野菜としての名声を守り続けてきました。

今回、カルチベ取材班は、伝統野菜の中でも最も有名といっても過言ではない「練馬大根」の栽培現場におじゃましました。

東京・練馬で農業を営む渡戸章さんは、江戸時代から練馬大根を栽培し続けてきた農家の6代目。87歳になった現在も精力的に栽培に取り組んでいます。自身が栽培した練馬大根のたくあん漬けも人気で、練馬大根の普及にも大きく貢献しています。

渡戸さんが継承してきた練馬大根の栽培方法とともに、たくあん漬けのおいしさの秘密も伺いました。

練馬大根の歴史とは?

練馬大根とは、長さ70〜80cmもある白首ダイコン。東京・練馬区で約20軒の生産者が栽培を手がけています。
渡戸さんが栽培するのは、練馬大根の中でも首が細くて中心部が太く、先に向かって尖っている「練馬尻細大根」という品種。繊維質が多くパリパリとした食感で、たくあん漬けに最適といわれています。

「私は6代目ですが、初代から練馬大根を作り続けて260年くらいになると思います。江戸時代からですね。もっと古くから作っていたかもしれないけど、わかっているのはそのくらいからなんです」

練馬大根の発祥は、江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉にちなんだ伝説がいくつか残されているものの、はっきりとしたことはわかっていません。しかし、まちがいなく江戸時代には栽培が盛んになり、江戸市中の食を支えていたと考えられています。

練馬の地でダイコン栽培が盛んになったのは、江戸の中心部に近かったことと、関東ロームと呼ばれる地質であったことが理由だといわれています。関東ロームは火山灰が堆積した赤土の粘土質で、水稲などには不向きではあるものの、ダイコンをはじめとする根菜類は栽培できたため、江戸幕府が推奨しました。

また、江戸時代にはダイコンを干して塩や米糠に漬け込んで作るたくあん漬けの製法が確立され、それには練馬大根が最適であるとして、広く栽培されるようになったとも考えられています。

明治時代、大正時代にはさらに需要が拡大し、生産者数も増えた練馬大根でしたが、昭和初期には一転して生産量が激減してしまいました。大干ばつとモザイク病の発生がその原因でした。

「昭和8年に大干ばつがあって、さらに病気が蔓延して生産量ががた落ちになったんですね。しばらくして今度は戦争が始まりました。国の統制経済によってダイコンの栽培から米や麦の栽培に切り替えなくてはならなくて、練馬大根の生産が減少しました。それでも少量は作って良いとされていたので、生産者が個々に種を採って栽培を続けていたんです」

昭和26年に統制経済が撤廃され、練馬大根の栽培が再開できる状況にはなったものの、今度は、青首ダイコンの品種開発と普及が進み、生産者の多くは青首ダイコンの栽培に移行したといいます。

「練馬大根は見た通り、長さが70〜80cmもあるので土からの抜き取り作業が大変なのですが、青首の標準の長さは35cmくらいです。作業効率からいっても青首のほうが作りやすいことはたしかですよね。また、当時はキャベツやレタスの生産に切り替える人も多かったですね」

現在は、練馬区や地元生産者が連携して練馬大根のPRに力を注ぎ、東京生まれの伝統野菜としてだれもが知るところとなりました。

「1988年、竹下内閣のときに、全国の自治体に1億円ずつ支給するという、ふるさと創成事業がありましたよね。その一部を資金として活用して、練馬大根を復活させようという活動が広がりました」

しかしながら、生産量が少ないことや、長くて重いためにスーパーなどでは取り扱いが難しいといった理由から、一般消費者が購入できる機会は少なく、名前は知っているけれど見たことも食べたこともない、という人が多いのが現状。なかなかお目にかかれない幻のダイコン、ともいえるのではないでしょうか。

恥ずかしながらカルチベ取材チームも、資料やテレビ番組などで見てはいたものの、実物の練馬大根を目にするのは今回が初めて。初見の印象は、「うわ! 長い!」。たしかに、収穫時はかなりの労力がいるだろうと容易に想像することできました。

収穫を待つ練馬大根。地上部約30cm、地下部約50cm、全長約80cm!
★地域では「練馬大根引っこ抜き競技大会」の開催が! 地域住民の方々も毎年たのしみにされている恒例行事となっています。
★やはり抜くのは大変そうですね!

渡戸さんの栽培方法

練馬大根の他に、青首ダイコン、トマト、キュウリ、ナス、レタス、春菊など、年間通して40品目以上を栽培する渡戸さん。7代目となる次男の正さんと2人で栽培を手がけています。

夏場に収穫を終えたキュウリのハウス。
ハウスで栽培中のミズナ。採れたてが直売所に並びます。

「作付総面積は、露地とハウスを合わせて40aくらいかな。そのうち練馬大根の栽培面積は8畝くらいですね。生産量は毎年3000本程度になります」

練馬大根の作型は、秋播き冬どり。渡戸さんはどのような栽培スケジュールで生産しているのでしょうか。

播種時期は8月中旬から9月20日くらいで、収穫はだいたい100日後の11月下旬から12月いっぱいまでですね。播種後3週間目に間引きをします」

収穫終盤戦の練馬大根の圃場。マルチを張り、株間は35cm程度にして植え付けています。左の畝では三浦大根の栽培中。

施肥は、ダイコン専用の化成肥料を播種の1ヵ月前に土に入れて耕耘機で撹拌。栽培中には土壌消毒をしてアブラムシなどによる病害虫を徹底して防除しています。潅水は降雨に頼り、特に行っていないといいます。

80cm以上に成長する練馬大根。直線的な美しい形状に仕上げるにはコツがあるのか聞いてみたところ、

「ダイコンはまっすぐに育つものなので、特にはないかなあ。気をつけているのは土壌消毒をしっかりやることくらいでしょうか。生長期間中に台風が来ると多少曲がったりしますけどね。

でも、播種直後や発芽後、間引きする前に台風が来ると被害は大きくなってしまいますね。種が吹き飛ばされてしまったりして、播き直ししなくてはいけないこともあります。そうするとその年は不作になったり、収穫が遅れたりしてしまうんです。2020年は、東京に台風が上陸せず、また、暖冬だったためぐんぐん育ちましたね。これじゃあ豊作貧乏になっちゃうよ(笑)」

畝を見ると、ダイコン栽培の定石ともいえる土寄せはしていない様子。聞いてみると、

「昔は播種後の台風に備えて土寄せをしていましたが、今はしていません。マルチを張って、風よけと日よけのために寒冷紗をかけているだけですね」

心配なのは、ここ数年、夏から秋にかけて東京で頻発するゲリラ豪雨です。冠水などの被害も各地で増加していますが、渡戸さんの畑は大丈夫ですか?

「ゲリラ豪雨も増えたけど、このあたりでは雨水は地面に吸収されるので、あふれることはないですね。今のところ大きな被害はありません」

収穫からたくあん漬けまで

土の上に伸びた葉が左右に開いた頃が収穫のタイミング。傷をつけないように、折らないように細心の注意を払って抜き取ります。

「抜き取ったらその場で葉を切り落とします。切り落とした葉はそのまま畑に残しておいて、あとで土にすきこみます。
そのあとは、作業場に移動して洗浄機で水洗いします。この機械を使って1日作業したら1000本くらいは洗うことができますよ」

洗浄機で水洗い。ブラシ部がダイコンの肌をやさしくこすって土を洗い流します。

水洗いが終わったら、たくあん漬けの前の乾燥作業です。ロープを編んでダイコンをしっかり固定して吊り下げ、2週間ほど干します。
日を追うごとにダイコンの水分が抜けてしなびて、くるりと輪を作れる状態になったら干し終わり。いよいよたくあん漬けの工程に入ります。

11〜12本をつなげる干し方は、たて編みと呼ばれる伝統の技。
くるりと輪になるくらい乾燥させたら漬けどきです。この状態になるまで約2週間かかります。

漬け樽に入れるのは、塩、米糠、そして砂糖。かつては、農業とともに漬け物店も営んでいたという渡戸さんの経験によって調合の割合が決まります。

「昔は、塩と米糠だけだったけど、最近は甘いたくあんを好む人が増えたので、ざらめなどを入れるようにしています。着色などは一切していません」

干し終わったダイコンを樽に入れ、重しをのせ、ダイコンか染み出る水分をていねいに取り除きながら1ヵ月待つと、味わい深いたくあん漬けが完成します。
販売期間は12月末から2月くらいまで。取材中にも、たくあんのできあがりを心待ちにしていた人が続々と訪れたり、問い合わせの電話が入ったり。その人気ぶりがうかがえました。

しっかり漬かって食べ頃に。渡戸さんの自宅販売では1本500円、練馬区のイベントなどでは650円で販売されます。

「干しダイコンの状態で買われて、ご自分で漬ける人も多いですね。
また、練馬区のイベントでの販売用に、干しダイコンを毎年1400 本くらい提供しています。区のほうで漬けて、パッケージに入れて販売するのですが、今年はコロナの影響でイベントが中止になり、インターネットでの販売になりました。去年までは大変な数のお客さんが集まったんですよ。
また、近隣の小学校3校でも干しダイコンを使ってもらっています。各学校で漬けているようですね。
最近では、他の漬け方もあってね。この状態よりさらに干して、切ってから醤油漬けにするんです。これもおいしいですよ」

渡戸さんのたくあん漬けのおいしさが広く伝わり、最近では、オンラインショッピングへの出店を提案する企業からの連絡も増えているそう。

「さかんに連絡がくるけど、うちはそこまで大きく商売はしていないからとお断りしているんです」

練馬の地が育んだ伝統野菜を練馬で栽培し、練馬で味わってもらうことにこだわる渡戸さんです。

東京初の直売所をオープン!

渡戸さんの圃場は、露地もハウスも自宅のすぐ近く。周囲には戸建て住宅やマンション、商店などが立ち並ぶにぎやかな地域で、圃場のフェンスのすぐ隣は住民の生活の場という環境です。

「農地面積は、昔に比べると3分の1になりました」

と語る渡戸さん。
畑だった土地にマンションや介護施設を建設し、建物のオーナーとしても地域に貢献。隣接する住民に対して土埃や肥料の飛散、匂いの発生といった迷惑がかからないようにと最大限の注意を払いながら、都市農業のスタイルを築いています。
渡戸さんの気遣いは周辺住民にも伝わり、クレームなどはまったくないといいます。住民とコミュニケーションしながら良好な関係を築いていく努力は、都市農業においては大切なことだといえそうです。

自宅前では、採れたての農産物を販売する直売所を運営。近所の人たちが次々と渡戸さんの野菜を買っていきます。

自宅前の直売所。新鮮で安いということが近隣住民にも浸透し、売れ行きも好調です。

「東京で直売所を始めたのは私が最初なんですよ。45年くらい前かな。収穫したキャベツのうち、大きすぎたり割れたりしたものを、ご自由にどうぞとここに並べたのが始まりです。
そのうちに、あちこちのとんかつ屋さんが車で取りにくるようになってね。しだいに、『タダでもらうのはかっこつかないからお金を払うよ』っていってくれるようになり、それから缶をぶら下げておくようにしたんです。
私としては売ろうと思ったのではなく、キャベツがもったいないから並べただけだったので、料金も書かなかったのですが、皆さん正直にお金を入れてくださいました」

25年前には直売所として三角屋根の小屋も建てました。

桧原村の間伐材で作られた三角屋根の小屋。直売所の目印になっています。

「この木造の小屋は、東京都の桧原村で出る木の間伐材で作られているんです。間伐材をなんとかして売りたいと、三角屋根の建物を企画した人がいてね。
設置には東京都の補助金も出ましたね。同じ小屋が練馬区内に17軒くらいあると思います。でもね、格好はいいのだけど、ちょっと狭いんだなあ(笑)」

農作物の直売は、自宅前の他に、都内の百貨店とJAでも行っています。

三浦大根も栽培中。こちらも練馬大根に負けず劣らずの重量級(上/三浦大根、下/練馬大根)。

練馬大根の今後を考える

現在、87歳の渡戸さん。

「高校生の頃から親の仕事を手伝っていたので、なんだかんだいって70年近く農業に携わっています」

7代目となるのは次男の正さん。10年ほど前に会社勤めを辞めて、家業を継ぐことを決めたそうです。これからも練馬大根の歴史を継続させていくために、親子二人三脚での栽培に取り組んでいきます。

「練馬大根は、名前は知れわたっていますが、栽培してくれる生産者がなかなか増えません。長くて大きいので大変だし、スーパーでも扱ってもらえないしね。短くカットして販売する方法もあるけれど、切ったら値打ちがなくなってしまう。練馬大根は長いままで売りたいんです。

当分は、たくあん漬けとしてのアピールを続けていこうと思っています。漬け物として加工するなら、青首より練馬大根のほうが絶対にいいですね。干すことで味わいが増すし、パリパリとした練馬大根の特徴がそのまま活かせます。

また、青首より辛みはちょっと強いけど、生で食べてもおいしいんですよ。煮くずれもしにくいので、おでんなどの煮物にもおすすめです」

一般消費者としては、おいしいものを手軽に味わえる機会が増えればと願う一方で、生産量が少ないからこそ希少価値が保たれるということもあるのかも……とも考えた今回の取材。

伝統野菜を継承し続けることは、その地域の農業を活性化することにもつながります。
渡戸家6代目から7代目に引き継がれていく練馬大根の魅力に、これからも注目したいと思います!

 

撮影/編集部

取材・文/高山玲子

★資料提供/JA東京あおば

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