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【野菜】難波葱について

公開日:2021.1.26

ネギといえば東日本では白ネギ(根深ネギ、長ネギとも呼ばれる)のことを指し、西日本では青ネギ(葉ネギとも呼ばれる)のことを指す。温暖な地域では生長が早いため主に青い部分を利用することが多く、寒冷な地域では生長が遅いため土をかぶせて葉の根元を軟白徒長させて栽培する技術が生み出され、主に白い部分を利用することが多くなった。
それぞれの利用方法に適した品種改良がなされ、白ネギには分けつしない「1本ネギ」と呼ばれるものが用いられてきた。青ねぎには分けつする「九条系」と分けつしない1本ネギの両方が用いられるが、最近は分けつしない品種の方が需要が高くなっている。

消費量も東は白ネギ、西は青ネギのほうが多いかというと、近年ではそうでもなく、関西でも季節によって需要のバランスが変わる。青ネギはうどんなどの薬味として用いられるので季節によらず平均的な需要があるが、白ネギは関西ではほとんどが鍋の食材として利用されるため、冬場の需要が高まる。

白ネギも青ネギも、もとは同じネギで、日本で最初にネギを利用し始めたのは大阪だと考えられている。

かつて大阪には日本最古の都があった。南北に伸びる上町台地の北端にはそびえる大阪城、そのすぐ南西に位置する難波宮跡は日本書紀にも登場し、古墳時代から飛鳥時代に大阪が日本の首都であったことを示す遺跡だ。
当時の地図だと現在の大阪市内はほぼ湖や海の底で、上町台地を中心に街が作られ、周辺の水田や畑では穀物や野菜が栽培されていた。この当時にはすでにネギも栽培されており、上町台地の西側の難波砂堆がネギの一大産地であったと伝えられている。ネギの栽培適地は水はけの良い砂質土壌で、元は海の底だった難波砂堆は品質の良いネギの栽培に最適な場所だった。

その後、都は奈良、京都へと移り、伏見稲荷大社建立の711年に難波国から京都にネギが伝わったという記録が残っている。これが京野菜の九条葱となった。関東の千住葱も、大坂の陣の後に江戸に都が移された時に伝えられたという。

都は移っても、難波砂堆ではネギの栽培が続き、後の世で「難波村」と呼ばれるようになったこの地域で栽培されるネギの食味が優れていることから、大阪ではネギのことを「なんば」と呼ぶようになった。「鴨なんば」という大阪うどんの定番メニューがあるが、これは鴨とネギが入ったうどんのことを指す。
このネギはやわらかくて香り高く、加熱すると甘みが引き立つのが特徴で重宝されたのだが、繊維がやわらかいため先が折れ曲がりやすく、また先枯れが起きやすいため見た目が悪い。売り手が目の前にいる市場や八百屋ではなく大型量販店の無人販売が主流となった現代では敬遠されるようになり、ネギ特有のゼリー状のぬめりも強いため業務用のカットネギとしても不向きとされ、栽培面積は減っていった。

難波葱。繊維がやわらかいため先が折れている。
根本を見ると、分けつしているのがわかる。

しかし、食味や香りの良さと日本のネギ発祥という歴史を残そうと、大阪府が認証する「なにわの伝統野菜」の品目に「難波葱」として加えられ、徐々にではあるが生産量も回復している。大阪府の働きかけでフェアなども開催され、飲食店などで難波葱を使った季節限定メニューを提供するところも増えている。

日本で元号制が始まった時から令和の新時代に至るまで、ずっと作られ続けている難波葱の歴史の重みを噛みしめたい。

今回の取材に協力していただいた難波葱の生産者さま。ありがとうございました。

著者プロフィール

新開茂樹(しんかい・しげき)
大阪の中央卸売市場の青果卸会社で、野菜や果物を中心に食に関する情報を取り扱っている。
マーケティングやイベントの企画・運営、食育事業や生産者の栽培技術支援等も手掛け、講演や業界誌紙の執筆も多数。

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