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第111回 女子の教科書に載る「いけばなの奥義」~西川一草亭の言葉とその解説 (前編)

公開日:2021.3.26 更新日: 2021.3.31

『純正女子国語読本』改訂版 巻6

[編纂者]五十嵐 力
[発行]早稲田図書出版社
[発行年月日]1937年7月28日(1938年1月訂正再版)
[入手の難易度]難

参考
『省労抄』 純正女子国語読本参考書 巻6
監修・五十嵐 力 早稲田大学出版部 1935年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269129
国立国会図書館デジタルコレクション(図書館のみ)

昭和戦前の国定教科書 国語

教科書の国定制度は、1903年の小学校令改正以降に確立され、その後1945年の敗戦まで幾度かの修正を経て、徐々に国家主義や軍国主義的な色彩を強くする。
今回取り上げた『純正女子国語読本』は、昭和13年の訂正再版にあってもまだ「鬼畜米英」「打ちてしやまん」的な雰囲気はまったくなく、まだまだ余裕を感じられる。旧制高等女学校国語検定教科書ということで、和綴じ製本、縦21cm横15cm、厚さ8mmの優しく上品な装丁は、女子学生の机上に置かれた場合によく似合っていたであろう。

表紙をめくると挿絵が目に飛び込んでくる(図1)。歴史画家、安田靫彦(ゆきひこ、1884~1978)の作品、「生花」。ページの裏には次のような解説がある。

〈生花の位取に「天地人」という言葉がある。一瓶の中に活けられた一茎の草、一輪の花に大宇宙の姿が圧搾して暗示されるという意味であろう。
この絵を御覧なさい。清楚な少女の2つの手に痛わり立てられた一茎の萼(がく)、その容姿色彩には、自ら瓶中の中心となり、やがてあとから挿し添えらるる同類を従えて一つの別天地を創造しようという心意気が見えるではないか。
少女の全身はことごとくこの花に吸い取られて、新しい花の世界を無理なく成り立たせようという懸命不乱の心境を見せているではないか。〉

解説はこの教科書を編纂した五十嵐力(1874~1947)によるもので、この「教科書」の解説書、『省労抄』(1935年)も出している。そこにも「教科書」と同じ説明があり、安田画伯の「生花」は昭和7年の9月1日から開催された、「日本美術院展覧会」に出品して好評を博したもの、とある。

(図1)『純正女子国語読本』挿絵 安田靫彦の「生花」

五十嵐力は、国文学者であり、早稲田大学文学部教授を務めた。
この教科書が早稲田図書から出ているのもその関係からだろう。先にも述べたが、五十嵐は、「教科書」を編纂するとともに、教職員向けの指導書『省労抄』も作っていた。

今日は、この「教科書」の中から大正・昭和に活躍した花人、西川一草亭(1878~1938)の文章を紹介し、その解説と対照して見てみようと思う。まず、西川一草亭とはどんな人なのか。

解題(『省労抄』巻6から)

『省労抄』では次のように解説している。

一草亭氏は去風流の家元で、明治11年に京都に生れた。多芸多能で、茶を能くし、画を能くし、文を能くし、またよく談じよく評する。
氏が此の書に序した左(※下記)の数語を読んで、読者は彷彿とすることが出来るであろう。

「花は私の職業であると云うよりも、私の家、過去二百年の伝統を伝えた職業である。私の家は京都の古いお花の家として存在して居た。私は父から十三の歳にそれを教わって、半生をずっと花の中に没頭して暮らして来た。」

「私の生活希望は、簡素な気の利いた家を建てて、そこを毎日きれいに掃除して、いわゆる明窓浄室に、気の利いた書画を掛け、気の利いた花を活け、垢抜けのした工芸品を集めて、気の合った、話の面白い友達を折々集めて、お茶を飲み、食事をしながら、世を罵ったり、風流を談じたりしたい事である。」

西川一草亭は、京都の由緒ある花道、去風流の家に生まれ、7世として家業を受け継いだ。早くから本草、漢学、禅、茶の湯を学び、富岡鉄斎とも交流があった。
やがて伝統的ないけばなの世界から離れ、「挿花芸術」と呼ばれた新しい感覚の挿花論をもって独自の道を歩み始める。その才能は多方面に広がり、建築、庭園、書画、図案を手がけ、美術評論、エッセイも数多くなした。
夏目漱石、浅井忠、藤井厚二、堀口捨己らと親しく交流し、マルチな才能を発揮した。自身が主幹として著名な知識人が関わった雑誌『瓶史』を発行。
「風流」を標榜した一生を送り、昭和13(1938)年、没。60歳。胃がんだった。病床にありながら筆を執り大書した5文字「風流一生涯」が絶筆となった。

西川一草亭の『瓶史』はまた取り上げたいと思うが、それ以外に、戦前の京都にあって外国人に対して、いけばなのデモンストレーションを行い、また海外向けの書籍も出しており、いけばなの国際交流にも大きな貢献をしている。
いけばなの歴史を独自の視点で整理し、各時代の表現を再現するなど時代をさきがけた人物だと思う。歴史的な表現を踏まえ、西洋のいけばな(花き装飾)も比較しながら、新しい時代のいけばなの表現を模索していた。

「西川一草亭のプロフィール(肖像写真、住居跡等)」 TOTOのサイトから
https://jp.toto.com/tototsushin/database/architect/issotei_nishikawa.htm

白洲正子「花日記」(世界文化社、1998年) の中で
「私はいけ花を習ったことはない。しいて先生があるとすれば、昔から好きで集めた器の類と西川一草亭の編纂による『瓶史』とよぶ冊子かもしれない」と書いている。

『瓶史』から学んだのは、いけばなは一種の総合芸術であるということだった。花は花だけで孤立するものではなく、周囲の環境と生活の中にとけこんではじめて生きるという意味である」

「一草亭は随分前に亡くなったが、京都の花屋の生まれで、胸のすくような花をいけた。単に花をいけるだけでなく、日本の文化一般に通暁している教養人で、したがって『瓶史』という冊子も、近頃よく見るような花道の機関誌ではなかった。志賀直哉、和辻哲郎、西田幾太郎といったような、錚々たる人物が執筆している芸術論集で彫刻、絵画、書、庭園、建築などを網羅しており、今、読み返してみてもなかなか充実した面白い本である」

「もうひとつの先生は器である。(中略)
花は器にしたがって生けていれば自然と形になるということを自得した」
(「花日記」より抜粋) 。

図2~4は、西川一草亭がいけた花(「教科書」に掲載)。白洲正子が書いているように、味のある多様な器を使っている。

図2 ススキにムクゲの取り合わせ
図3 白椿
図4 バラ

以下、「教科書」に載った西川一草亭のいけばな論を採録する。
この小文は、昭和6(1931)年に出版された『茶心花語』(実業之日本社)から数節を取り合わせて、一草亭が教科書用に書き下ろしたものだと思われる。
題は「生花我観」とある。いきなり「生花」をどう読むのか、不明であり解説もないが、『茶心花語』では「いけばな」というルビが使われているので、「いけばな・がかん」と読むことにする。
一部、旧漢字やカナ等を読みやすくした。色付きの太字は、後述する手引書『省労抄』で解説されている用語である。

「生花我観」      西川一草亭

日本の生花に取って第一の命ともいうべきは枝振を生かすことである。この枝振が善いか悪いか、それから枝の布置配位号が面白いか面白くないか、これがあらゆる生花の高下優劣を判断する最高の標準で、この点に於いては抛入(なげいれ)も立花(りっか)も更に違うところがない。

枝振にはリズムがある。そしてそれを見る人に音楽的な快感を与え同時に日本画の筆勢を味わわせる。
これは西洋の草花にはほとんどないことで、もともと日本人の自然に対する趣味の教養から来たことであり、殊に日本画の影響から来た結果であるが、これと共に見逃すことの出来ないのは日本の植物が天性曲折に富んでいることで、もしあの二三尺の小枝までが、変化に富んだ風流な姿態を見せて、我々に花道の極意の暗示を与えることがなかったならば、またもし日本の植物が、西洋の植物に見るように、ヒマラヤ杉やポプラのような物ばかりであったならばいくら日本人でもあの生花のような特殊芸術を思いつくことは出来なかったであろう。

アメリカ人で花の稽古を始めた某の夫人が、「せっかく花を習っても、私の国には日本のような面白い枝振の木がありません。いくら花菖蒲や百合の類はあっても、木物がなくては駄目ですからね。」と言って、稽古を中止してしまったというが、さもあるべきことである。

日本には到る所に枝振の好い木がある。もっともこれについては、国が小さいので、木までが小さく島国的にこぢれていると言って非難する人もあるが、とにかくそのこぢれたところを生かして、独自の芸術を工夫したところに面白味があるので、これは生花のみならず庭園や盆栽に就いても、同様の事がいえるのである。

枝振からいうと、梅のごときは生花に最も適当した材料であろう。梅は花や匂もよいが、その東洋人に喜ばれるのは、主として木振、枝振の妙趣にある。枯れ切った書や画でも見るような、その一種特別な風致にある。梅には木に精神があるといわれるのは、こういう点を指すのであろう。

草花には木に見るような面白い枝振の物が少ない。
殊に牡丹芍薬のような、花の見事な物ほど、この方の面白味を欠いているのが常で、そういう花を生かすために工夫するのが花の取合わせである。
例えば牡丹に木蓮を添え、燕子花に柳をあしらうというのがそれで、花が美しくて線の変化に乏しい物に木振の面白い物を添えて、その単調の弊を救うのが主眼である。

この取合わせのことを支那の文人は「使令」と称し、これを召使に比較して、牡丹は玫瑰(まいかい、ハマナス、赤い玉=実?)や薔薇を婢とし、芍薬は罌粟(けし)や蜀葵(しょくきタチアオイ)を婢とするなどと言っているが、しかしながら、牡丹に薔薇を添え、芍薬に罌粟をあしらう類は、取合わせとして、実は極めて劣等なものである。
これは支那人の趣味が日本人の淡白なのと違って一体に濃厚なところから来たので、あたかも鯛の後(あと)に鰻を出すようなものである。
日本人の趣味からいうと、取合わせの極意は、一方の短を補うか、あるいはそれと対照の美をなすにあるので、例えば牡丹が主ならば竹をあしらって、前者の重々しい感じと後者の軽快清楚な趣とを併観するのが、変化兼統一の大趣味を成就する極意なのである。

生花を研究する人は、花や木を生ける技術を練るばかりでなく、暇があれば、郊外に出て、花木のもつ自然のままの有様を研究しておくべきである。私はよく東京京都間を往復するが、汽車が箱根や関ケ原の山間を走る時は、いつも窓外に目を放って野生の花の姿やその周囲に見える自然の取合わせを観察する。
秋は龍胆(リンドウ)やおみなえしや、藤袴、草藤などが薄の中に交って咲き乱れている。夏は、薊(あざみ)、百合、萱草(かんぞう)などが、野茨や、わらびや、ぜんまいの中に、一茎、二茎あるいは五六茎とかたまって咲いている。
そうしてそれがいかにも自然で、生花にしばしば見るような、また花壇の花によく見るような、調子はずれの不自然なところが更にない。生花はやはり、かような草木の自然の生態を参考して、雑草などを取合わせつつ、大自然の中に咲いている通りの趣を示すべきである。

西洋の花についても同じ事がいえるわけで、西洋花を生けるには、やはり西洋の郊外を親しく観察する必要があるであろう。私にはその連想がないために、西洋花には装飾以上の趣を感ずることができない。
西洋花はただ美しいばかりで、日本の花ほど深い趣味をもっていないという人が多いのも、一つはこの背景に対する連想が伴わないからであろう。

生花に命を与えるコツは花木それぞれの個性を知って、無理のない取扱をすることである。
近衛家いえひろ)公の『槐記』に、こういう一節がある。

御うしろに一重の御筒(おつつ)に白玉椿と緋木瓜(ひぼけ)の入ってありし、木瓜の枝元に花の蕾多く、梢は花もなく、一屈り曲りたる枝のところを指して、
「ここより切って捨つべかりしを、そのままにおかるるにて木瓜なり。先の曲りを断たるなれば梅の枝になる。この味はひよく合点すべし。」と仰せらる。

この話の極意は、花にはそれぞれの個性があるから、それをよく考えて、木瓜が梅に見えたり、梅が桜に見えたりしないように心掛けることが肝要だというのである。
自然をよく見て居れば誰にも気のつく筈のことであるが、この個性の有無について、私はかつて面白い経験をしたことがある。

花を生ける人がよく、「枝が自由になるものならば、生花もさまでむずかしいものではないが、思うようにならないから困る。造花のように針金でも入れて撓(たわ)め易くしておいたら楽だろう。」などという。
なるほどそうかも知れない、もっともな言い分だと、私も久しく思っていたが、あるとき知人に頼まれ、造花の薔薇を生けてみて、自分の考の間違であることを知った。
その花というのは、近く洋行される高貴の御方に献上して船中の御徒然をお慰め申す料(りょう、目的、ため)であったが、造花の形のままでは趣がないから、抛入風に生けてくれろという依頼であった。
私は無造作に引受けて、籠花入に生けたが、さてやって見ると、生きた花とは違って、枝に一々針金が通っているから、面白いほど自由になる。これは本物の花より遥かに生けやすいと思ったが、段々やって見ると案外で、その生けにくさといったら、なかった。

どうして生けにくいか、本物の生きた花にはそれぞれの個性がある。いくら素直な枝でも、よく見ればやはりその枝々の枝癖があって、生けて行くうちに、それぞれ自然に持前の美を現して来る。
ところが造花には何らの個性もない、それを生けるのはちょうど魂のない人間を教育するようなもので、どう手をつけてよいか、全く見当がつかないのである。
それも、流儀花のように一定の型があって、その型にあてはめて生けるのであれば、それでまだやりやすいが、抛入には型がなく、自然の枝振に応じて適宜の処置を取るのが要領なので、その形は人間が案出するのでなくて、花の方から与えてくれるのである。

ところが造花には個性がなく、癖もなく、生まれつきの心がないから、自らその特色を発揮して本性の美を表現しようとする力がない。
したがっていくら工夫をして生けてみても、博物の標本同様に、どこまでも死物で、活き活きした趣が更に出て来ないのであった。

私はこの時の経験によって、一直線に生花の極意に悟入したような気がしたのである。

『茶心花語』に拠る)

以上が本文だが、「教科書」には、この文章の上に、各段落で重要な言葉や、要約がつけてある。この本の前の持ち主が書いたえんぴつの文字も記されたままだ(図5、6)

図5、6 「教科書」の頭注。重要な用語の解説や段落の要点が書かれている。

さて、ここからは、指導者向けの手引書『省労抄』の解説文だ。用語をあげて解説している。
以下、抜粋して示す。

釈義 批評

【生花我観】
生花に対して我れは斯く見るというので、我観は私見とか、一家言とか言うのと同じこと。
「観」という字には思想の義が含まれている。「覧」は眼でみること、「視」は注意してみること、「見」には覧の意味になる場合と観の意味になる場合の両方がある。
視と聴と対し見と聞と対する。視聴は有意的で、見聞はこれに比すれば無意的である、など字義の方ではいうが、実際の用例は、そう一々きちんと決まっているのではない。

【立花】
大いに人工を加えた、花の挿し方。
ただしその根源は花木自然の景致を再現しようという所から来たので、したがってその理想は自然への復帰にある。不自然な、人工のための人工は立花の本質ではない。

【日本人の自然に対する趣味の教養から~殊に日本画の影響から】
これは非常に面白い、立派な観察であり、また考えようによっては華道精神の骨髄ともいうべきものである。
日本人は神代上代から自然を愛し花卉を愛した。日本人の自然愛草木愛が西洋諸国に先んじていたこと、また支那印度の影響を受けながら、彼等を踏まえてその上に日本独特のものを創造したことは歴史の証するところである。
また生花が倭絵(大和絵)や文人画や俳画の影響を受けていることは、その姿態の類似を見る者のすぐにうなずくところであろう。

【花道の極意の暗示】
花道の極致をそれとなく示す。
明らかにこそ示さね、その姿の曲折変化が、芸術心のある者は、我が姿態によって花道の極意を知れと、暗々裡に誘うように見えるということ。

【木物】
キモノ。草花以外の生花にする木の物。

【島国的】
他を容れぬ狭量な、排他的、独善的、非融通的性根。

【枯れ切った書や画】
生々しさがぬけて乾き切った趣、絢爛の賑やかな美しさが除かれて、枯淡な趣を現すことを枯れるという。
ただし生々しさ、きらびやかさは脱しながら、普通の生々しい、賑やかな美しいものよりは更に高尚な生命と超越的の趣味とを持っているのである。
一寸説明し難いが、美醜とか上手下手とかいう標準を超越し、俗気や匠気(しょうき、好評を得ようとする態度)や形式や法則やを離れた超越的の味で、その境に到った人の主観的に感ずべきこと、実際「一種特別な風致」である。

【連想】
心理学の術語(association)で、つづけて思い出す精神作用のこと。
たとえば筆を思えば紙、紙から雪、雪からスキーというように、一つの観念から次の観念へ、次から次へと連絡していく心理傾向である。
ここは日本の郊外ならば郊外らしい建物、その垣根の花、それから大根畑、野良装束の農夫というふうに次から次へと環境が連想されるが、西洋の草花を見ても、その草花がどんな野辺の、どんな地形の所にどんな他の雑草と隣接しているのか、さらに思い浮かべることができないということ。

【背景】
backの訳語。当の事物の周囲のもの。
絵画ではこれに対して前景、中景の語が用いられるが、本課の背景はこれらの全部を引っくるめたものである。

【個性】
個々のもの、それ自身の特有する性質。
「箇」が正字で「個」は俗字。

【近衛家熈】
豫楽院と称し書道においても徳川時代有数で、『秀歌大體』『和漢抄』などの書道界でも珍重する手本を遺している。

【『槐記』の文】
意味はこういうことであろう。
木瓜の枝が二段をなして、曲り目の下の部分には花の蕾が賑やかについているが、曲り目の上の部分はひょろひょろと枝が伸びているばかりで、花一つ見えていないのであった。
この下の部分に蕾がびっしりついていて枝先が花なしのひょろひょろというのは、木瓜によく見るところで、木瓜の一種の特色とも見るべきものであるが、それについて家が説明して、こう言ったというのである。
「この木瓜の枝ぶりが、下は立派に花をつけているが、曲り目から上の方はさらに見立てのない、花なしのひょろ枝であるから、本来ならば、この曲り目から上を切り捨てるべき所だが、しかしそこが問題で、花なしのひょろ枝をそのまま助けておいたので、木瓜になったのだ。もし曲り目から上を切り取ったら、見掛けのないひょろ枝がなくなって、挿花の姿はよくなろうが、しかしそれでは梅か木瓜かの見境がなくなるであろう。生花には、何でもその花の特性を存して、その花らしく見えることを第一義とせねばならぬ。ここの味をよく心得よ」と言われた、というのであろう。

【御徒然】
オンツレヅレ、お退屈、無聊。

【流儀花云々】
池坊流とか千家流とか、それぞれ生花に一定の型のあるものをいう。
型があるから生けやすいというのは、外の物でたとえれば、三十一文字、十七文字ときまっているから、歌も俳句も作りやすく、決まっていないもののほうがかえって不安定ゆえに難しいと同然である。

【花の方から与えてくれる】
奇言のようでこれが実際であろう。
すべて芸術は何でも、芸術家があらかじめなるべく詳しく案は立てるものの、さて実際にあたってはなかなかこちらの思うようにばかり行くものでなく、しばしば向こうの材料に支配されて思いもかけぬ事をやるものである。そしてそれがかえって大成功の種となる事がいくらでもある。
「花の方から与えてくれる」は実に面白い。

【生花の極意に悟入】
生花の生花たる所以を知った。
これ程な生花の名人がこんな事を機縁として、極意を悟ったということも妙な事のようであるが、しかし、一方から言えば、名人なればこそ、こうした些事から悟入し得たとも言えよう。

【批評】
さすがその道の名人の説だけあって、花道の深い味がいかにも面白く言い現わされている。理屈と実際と、本義と喩義とを綯い交ぜつつ、縦横に説き去り説き来る間にも、一帯の青松道迷わずで、根本中心の趣意が一貫して、人の心に迫り、目に映るように出来ている所が面白いではないか。
組織段落の事は已に「要旨」の部に書いてあるが、ずっと見渡して殊に面白いのは、最初の冒頭と最後のトメとで「この時の経験によって一直線に生花の極意に悟入した」などは、最初の「第一の命ともいうべきは枝振を生かすことである」と呼応して、堪らない面白味であると思う。

今回の話はここまで。次回、もう一度、西川一草亭の挿花論について考えてみたいと思う。
(つづく)

※参考

  • 『茶心花語: 茶の話・華の話』
    西川一草亭 実業之日本社 1931
    https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175431
    国立国会図書館デジタルコレクション(図書館のみ)
  • 『生花の話』
    西川一草亭 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社 1923(「サンデー毎日」叢書)
    https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977061
    国立国会図書館デジタルコレクション(公開)
  • 『花道去風流七世 西川一草亭 風流一生涯』
    熊倉功夫ほか 淡交社 1993
  • 『京都 近代美術工芸のネットワーク』
    並木誠士・青木美保子編 思文閣出版 2017

検索ワード

#いけばな#京都#富岡鉄斎#浅井忠#夏目漱石#瓶史#白洲正子

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

 

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