農耕と園藝 online カルチべ

生産から流通まで、
農家によりそうWEBサイト

お役立ちリンク集~カルチペディア~
カルチべ取材班 現場参上

レンコン1本5000円! 野口農園の栽培とブランド化の秘訣(前編)

公開日:2021.4.7
★株式会社野口農園取締役の野口憲一さん。家業をマネジメントしながら、大学で民俗学、社会学の非常勤講師も務めています。

レンコン生産量日本一を誇る茨城県。なかでも霞ヶ浦周辺の土浦市、かすみがうら市、小美玉市などでは古くからレンコン栽培が盛んで、広大なハス田が延々と続く見事な風景に出会えます。

今回、カルチベ取材班は、かすみがうら市で大正時代からレンコン栽培を続ける、株式会社野口農園を訪れました。

取締役であり、選別、マーケティング、マーチャンダイジングロジスティクス、営業など経営の大半を統括する野口憲一さんは、レンコン1本を5000円で販売する方法を構築。ニューヨークやパリなどのミシュラン星つきレストランでも野口農園のレンコンが使われるなど、ブランド化にも成功しています。

栽培の秘訣からブランド確立まで、幅広いお話を2回にわたってお伝えします。

霞ヶ浦周辺に広がるレンコン圃場

これまで様々な農産物の生産現場を訪れたカルチベ取材班ですが、実は、レンコンの圃場を訪れるのは今回が初めて。東京から車を走らせて常磐道の桜土浦インターチェンジを降り、ふと左右を眺めると、そこにあったのはどこまでも続くハス田! 「これが日本一の生産地か!」と車内に歓声が上がったのはいうまでもありません。これから取材にうかがう野口農園はどんなレンコン圃場なのだろうかと、期待も高まります。

霞ヶ浦沿岸に広がるハス田。夏には緑色の葉が茂り、美しい花が咲きます。

野口さんとの待ち合わせ場所に到着し、初めましてのご挨拶の後、さっそく野口農園のハス田へ移動します。

野口さんの車に先導されてしばらく山道を走ると、突然、山間に広大なハス田が現れました。そこではすでに数名の社員の方々が水中で収穫作業を行っています。突如として目の前に現れたハス田の迫力に圧倒される取材班ではありましたが、気持ちを落ち着けてあぜ道へ降り、さっそく撮影をスタート!

山あいに広がるハス田。水深は膝くらいの高さ。場所によっては胸まで浸かる水深のハス田もあるそう。
水圧ホースでレンコンを傷つけないようにていねいに収穫(生産管理部リーダー 平原聖也さん)。
掘り穫ったレンコンを引き上げ、すぐに水で洗浄して軽トラックに積み込みます。

撮影を続けながら、野口さんに質問してみました。

この地域でレンコン栽培が盛んになった理由は何でしょうか?

「1つは、霞ヶ浦があるからだと考えています。ハス田の水は地下水を使っているのですが、何十年にもわたってたくさんの生産者が地下水を掘り続けているにもかかわらず、水が枯れることがないんです。地盤沈下も起こっていません。地質学的なエビデンスはないのですが、霞ヶ浦と圃場が地下でつながっているのではないかと僕は考えています。

また、東京という大消費地に近いということも、この地域が大きな産地となった理由です。茨城県では、1960年のレンコン作付面積は300ha程度でしたが、1980年にはおよそ2000haに増えました。1970年に始まった減反政策により、水稲からレンコンへ転作する生産者が増えたんです。

ここのハス田の水深は膝くらいで浅いのですが、それは、もとは水田だったからなんです。社員も座って収穫作業をしているんですよ」

野口農園の歴史とこだわりの品種

「野口農園の作付面積はおよそ13haです。かすみがうら市の他、土浦市、霞ヶ浦の南岸、北浦の周辺にもハス田があります。20kmくらいの間に点々と存在している形です。

レンコン栽培は、曾祖父の時代から手がけていたことはわかっているのですが、もしかしたらその前の世代から始めていたかもしれません。そこは記録がないのではっきりしないんです。曾祖父の後、祖父、父と受け継ぎ、2008年に父が株式会社野口農園を設立しました。

それまでは父と母だけで生産していたのですが、設立後には家族で役員を務め、従業員も雇用して運営しています。僕は、主にマーケティングや営業に回り、栽培は父が中心となって行っています。経理などは妹が担当しています」

現在、レンコンのブランド化に成功されていますが、特別な品種を栽培しているのでしょうか?

「品種は『味よし』というもので、30年くらい前から父がこの品種にこだわって栽培しています。栽培している農家は減ってしまいましたが、必ずしも特別なものではなく、一般的な品種です。高級な品種だから高い値をつけて販売しているのかとよく聞かれるのですが、そうではないんです。僕が、これが一番おいしいと思っているから高い値段をつけているだけなんです。

父も、信念を持ってずっと味よしを作り続けてきました。それはなぜかというと、やっぱりおいしいからなんです。味よしの特徴は、糖度が高くて柔らかいこと。だから虫や鳥、イノシシなどに食べられやすく、病気にも弱い。網を張らないと鳥にやられてしまうし、電気柵を作らないとイノシシがもぐって食べてしまうんです。

もちろん、他の品種でも被害はありますが、特に味よしはおいしいので、鳥やイノシシに選ばれてしまうのだと考えています。要するに、おいしい品種は作りにくいんですね。この味よしを天ぷらにしますので、食べてみて下さい」

収穫されたばかりのレンコン「味よし」。野口さんが最も味わい深いと考える品種です。
レンコンの天ぷら。厚さ1cmくらいに切り、打ち粉を振って衣を薄めに付けて揚げるのが野口さんおすすめの調理法。

お父さんは、あえて栽培しにくい品種を作り続けてきたのですね。施肥などはどのようにしているのでしょうか?

「いわゆる慣行栽培ではありますが、鶏ふんなどの堆肥を相当量使っています。時には1反歩当たり100袋くらいは入れているでしょうか。肥料のためではあるのですが、一番の理由は土壌改良のため。鶏ふんは未発酵のものを圃場に入れ、かき回して、土中で発酵させると土がやわらかくなるんです。こうした父の栽培技術の理論は、40年くらい前には最先端でした。

ただ、農学を最先端で学んだ方は、泥のなかの化学式を頭のなかで描けるとでもいいましょうか。現代の農業では科学技術が用いられていて、それも重要なのですが、父のような農家の技能が実は一番大切で、本当は両輪で栽培していかないといけないのだと考えています。規定通りの施肥設計だけでなく、植物を見て、今何を欲しているかがわかる。そういう農業者が一流なのだと思っています

広範囲にわたって圃場が点在していると、同じ条件で栽培するのは難しいのではないでしょうか?

「そうなんです。霞ヶ浦周辺で栽培が盛んだといっても、すべてがいい場所というわけではないんです。土の深さ、土質などでレンコンの色や見た目、何より味が変わります。土壌が砂なのか、泥なのか、粘土なのかでも違うし、高低差によっても違いが生まれます。隣り合ったハス田どころか、同じ田んぼのなかでさえそうした環境の違いが見られることが多いんです」

ハウス栽培の技術開発と創業当時の圃場

「実は、父は僕が子供の頃に、レンコンの大型ハウス栽培技術を開発しています。父が確立した大型ハウスでの促成栽培技術は広く普及し、現在でも茨城県、千葉県、そして愛知県などで行われています」

ハス田に建てられた野口農園の二代目ハウス。葉が生い茂る季節には、なんともいえないいい香りがハウス内を満たすそう。
天窓は自動で開閉。ハウス内の温度管理を行って促成栽培をしています。
★撮影時には直接目にすることが叶いませんでしたが、6月頃にはこのような美しい光景に。
★ハウス内で収穫作業を行う憲一さんの父・國雄さん。

「父がレンコンの促成栽培を始めたハウスは、父が就農する時に祖父が父のために建てたようです。当時はキュウリを栽培していたそうですが、父がここに水を入れてレンコンを作り始めました。通常の露地栽培の場合、4月頃に植えつけをすると、夏に枝葉を伸ばし、秋になって気温が下がると肥大化し、冬に収穫となります。

これをハウスのなかでは、2月に植えつけて、温度管理を行って5月くらいに最も高い気温にします。そして、枝葉を伸ばした後に天窓を開けて気温を下げると、レンコンは秋になったと勘違いして肥大を始めるという理論なんです。ハウスの温度管理を行ってレンコンに1年を経験させ、早く栽培するというわけですね。

バブル景気の頃は、ハウスでの促成栽培のレンコンは2kgで5000円くらいだったと聞いています。その頃は、銀座の高級日本料理店などが人気で、伝統的な和食を愛でるといった文化があり、早出しのレンコンの価値が高まった時でした。
その後の20年で世の中が一気に大衆化し、それとともに早出しのレンコンの価値も徐々に下がってしまいましたが、うちでは今も7000円で販売しています」

「ここは、うちが創業した頃から栽培しているハス田です。ここは、本当にいいレンコンができます。水深が深いのですが、レンコンにとっては単純に深ければいいというものではないんです。

ここは、何万年もかけてアシなどが腐ってできた土壌だと考えられ、細かいピートのようなものがたくさん入っていてふわふわなんです。これは自然の力、何万年もかけて作られた環境、変えようと思っても変えられないものなんです。

自然農法や有機栽培を手がける生産者は、よく土作りが大切だとかいいますが、そんなことは当たり前。そもそもこうした自然の状況は所与のものなので変えようがないんですね。自然が永い年月をかけて作り出した環境です。人間が賢しらにうんちくをこねても、人間の努力ごときでどうにかなるものではない。越えられない何かがあるんです」

大正15年の創業時から栽培を続けているハス田。最高品質のレンコンが収穫できます。

民俗学研究者の視点でレンコンをブランド化

野口農園の経営のみならず、実は、大学の非常勤講師も務める野口さん。日本大学大学院で社会学の博士号を取得し、現在は民俗学、食と農の社会学を専門に教鞭をとります。

野口農園と大学のお仕事の両立は大変なのではないでしょうか。

「大学の授業は徹夜で準備をしなくてはいけないこともあります。子供がいるので、ごくたまに遊びに連れて行ったりはしますけど、毎日深夜まで、ほとんど仕事しかしていない感じですね(笑)」

民俗学、社会学の視点からレンコンをブランド化し、5000円で販売することにも成功している野口さん。
ミシュランの星つきレストランでレンコンが使われているともお聞きしています。どういった方法で成し遂げたのでしょうか。

「父は、本当においしいレンコンを作らないと消費者が見向きもしなくなるのではないかと危惧して、誰にも評価されないのにおいしいけれど栽培しにくい『味よし』を1人で頑張って作り続けてきました。でも、生産性がよくない品種なので、なかなか利益に結びつかない。それなら、あえて価格を上げてブランド化する方法しかないのではと、僕が考えました。
味よしは、JAを通してスーパーなどでも販売していたのですが、それだけで利益を生み出すことは難しかったので、1本5000円で販売することを考えたんです」

お父さんもそのプランに賛成したのですか?

「いえいえ、大反対でした。もうね、怒鳴り合いです。今もですけど(笑)でも、株式会社を設立して高額の投資もしていたので、利益が出ないと従業員の労働条件もどんどん悪くなってしまいます。それを考えても、僕がやらざるを得なかった。大学で助手をしながら、野口農園のマーケティングや営業をやり始めました。

ブランド化とひと言でいいますが、僕の考え方は本質的だと思っています。ファッションの世界でのラグジュアリーブランドであるシャネルを例にするとわかりやすいのですが、デザイナーであるココ・シャネルは、フランスの貧しい家の出身でした。母親が亡くなった後に父親から捨てられて修道院に設置された孤児院に預けられました。そして孤児院に隣接する寄宿学校の生徒から差別を受けながら大きくなったといわれています。

当時、ヨーロッパ社会における労働者の地位は決して高くありませんでした。このことは伝統的な日本社会とはまったく違ったんです。日本社会では額に汗を流して働くことは美徳だと考えられているけど、ヨーロッパ社会ではそうじゃなかった。シャネルも相当な差別を受けたようです。そんな彼女は、デザイナーとなってシャネルスーツを生み出しました。それは女性の解放だといわれることが多いです。それよりも僕が評価しているのは、彼女は労働の価値を上げたということなんです。

ジャージー素材のシャネルスーツは労働のエッセンスが取り入れられた機能的なデザインですし、海で働く人の作業着であったマリンボーダーをラグジュアリーなものにしたのもシャネルです。女性が日焼けすることもすばらしいことだとイメージづけたのも彼女でした。かつて日焼けは労働の象徴だったんです。

このようにシャネルが労働の価値を上げていったのと同じように、農業の価値を上げるためにも、ラグジュアリーブランドを作るべきではないかと、僕は考えたのです」

これまでにも社会運動や農業改革などで日本の農業の価値を上げていこうとする動きはありましたが、それでは実現できない。社会を変えるような革命は起こせない、ということでしょうか?

「僕はそう確信しています。社会運動を起こすことより、ビジネスで社会を変えていくほうが方法論的にも早いと考えています。もともと農業はビジネスですし。そのためには、JAなどが決めた価値ではなく、僕たち農家側で価値基準を作ろうと思ったんです」

具体的には、どういった方法を考えたのでしょうか。

「先程も、農業者の技能が大切だとお話ししましたが、現在、ミシュラン星つきレストランに納入しているレンコンは、品質、色、形、味などを見極めながら僕が選別しています。僕が見て、判断して、時には食べてみて、OKだと思ったものを送っています。こうした人間の技能を大切にしています。

また、農業の世界では、機械や品種の開発が進むと農機具メーカーや種苗メーカーが高く評価されて、農業者はほとんど評価されません。そういうことからも、農家の技能や植物を見る力などが価値とされるようにしていかないと、職業意識が上がっていかない。こういったものは長い年月をかけて培っていくことでもあるので、僕は、伝統や老舗であることを表現して価値を上げ、価格を上げることにしたのです

ここからのお話は次回に続きます。

1本5000円のレンコンが売れるようになったきっかけ、日本の農業の価値を上げるための独自の考え方、これからの夢などを語っていただきます!

 

撮影/岡本譲治(★は野口憲一さん提供)
取材・文/高山玲子

この記事をシェア