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第119回 「ピザではなくピッツァ」です~植物名の転訛(なまり)について

公開日:2021.5.26

「園芸植物の学名はどう読むか」『実際園芸』第5巻第4号(種苗の準備号)

「誤り易き園芸品種名の読み方」『実際園芸』第5巻第7号

[著者]「辻村農園主」 辻村常助
[発行年]昭和3(1928)年9月号および11月号
[入手の難易度]難

『植物の学名を読み解く ―リンネの「二命名法」―』

[著者]田中學
[発行]朝日新聞社
[行年月日]2007年6月30日
[入手の難易度]易

「名前」というのは普段、あまり悩むことなく使っているけれど、考え出すととても深い。
昔話の「大工と鬼六」とかアニメの「千と千尋の神隠し」、「DEATH NOTE(デスノート)」のように名前にまつわるお話がいくつもあるということからすると、名前の周辺にはいろいろな問題が隠れているのではないかと思えてくる。

名前は人や物事を指し示す。もしも、一つの事物にいくつもの呼び名があると混乱するし、それらをぜんぶ覚えなければならないとしたらたいへんだが、実際にはそういう事例がけっこうあったりする。

園芸家にとっては、植物の名前はとても重要な問題だ。人間と植物との関係には長い歴史があるだけに、第一に重要視するべき事柄のひとつだと思う。
いままで見たこともない外国産の園芸植物を輸入した場合、どのように名前をつけ、どのような発音で読ませるか、他者と通信し、取引きし、いかにして日本全国に「流通」させ得るのか。逆に日本植物の輸出においてもまた同様な努力が必要だった。

このように名前の問題は明治の開国以来、植物関係者の頭を悩ませる最初にクリアすべき課題となった。
と同時に、これらは過去の話ではなく、現在もまったく同じ問題に直面しているとも言える。今まで流通していなかった新しい園芸植物や新品種が次々と市場に投入されていて、ひとつひとつに「日本語の呼び名」をつけるのが難しくなっているし、手垢のついたような形容詞を取り入れた品種名では商品の価値が上がらないのだ。
園芸家や花屋は植物の魅力を言葉で表現していく必要がある。その手がかりはどこにあるのか。

幸いなことに、あらゆる植物には、「学名」という世界共通のひとつの名前がそれぞれに与えられている。昭和天皇が発せられたと言われる「雑草という植物はない」という言葉のように、頼りになる名前がある。学名は手がかりの第一歩である。

ただ悩ましいことには、学名には聞き慣れない言葉が使われており、単純に覚えることの難しさがある。
さらには、近年の研究の成果によって、植物分類の体系自体が大きく変わってしまったために、せっかく慣れ親しんだ名前の植物も、まるで別人のように変わることがある。

ちょうど誠文堂新光社から最近刊行された『マンガでわかる楽しい草取り』(図1)には、植物の学名を決めるために必要な分類方法の変更がどうなっているのかをわかりやすく解説してあった。

いわく、古くから行われてきた分類方法というのは「形態の違い」に基づくものだったが、近年は「DNA塩基配列による分類=APG体系」に大きく変更され、研究成果が発表されるにつれて、分類の変更、そして学名の変更ということが繰り返されているのだという。
著者によると、この「APG体系」は1998年に第一版が発表され、現在は、2016年に改定された「第4版」になっているそうだ。

分類は大きい方から「目」「科」「属」「種」というふうになっているが、「目」のところで大きな変更が行われた。
その下の「科」では、例えばユリ科という大きなグループの場合、タマネギやニンニク、ニラ、ノビルがヒガンバナ科へ変更、同じくユリ科のアスパラガスやスズランはキジカクシ科、ニッコウキスゲ→ワスレグサ科、サルトリイバラ→サルトリイバラ科、コルチカム→イヌサフラン科というふうに出ていってしまい、もとのユリ科に残ったのはユリ類やチューリップ、カタクリ、ホトトギスなどわずかなものになっているそうだ。
一度覚えてしまったものを変えるのはかえって難しい。

図1 西尾剛・著『マンガでわかる楽しい草取り』2021の表紙カバー。著者の前作『草取りにワザあり!』に続いて、農家の草取りとは異なる家の周りの様々な環境に生える草といかにつきあっていくかを教えてくれる。坂木浩子さんの柔らかいイラストでとてもわかりやすくなっている。身近な植物学入門書としても面白く、とても濃い内容になっている。https://www.seibundo-shinkosha.net/book/flower/60948/

学級肌の大農園主、辻村常助

こんなふうに、学名についてだけでもいろいろあるのだが、まず、戦前の園芸家が学名をどのように扱っていたのかを調べてみた。
今日は、昭和3(1928)年に書かれた「園芸植物の学名はどう読むか」「誤り易き園芸品種名の読み方」というテキストを読んでいくのだが、記事は『実際園芸』の昭和3(1928)年9月号、11月号に掲載されたものだ。今から93年前の文章になる。
著者は、「辻村農園」主の辻村常助(つじむら・つねすけ)である(図2)。辻村農園は、明治34年(1901)頃、小田原(現在の小田原駅がある場所)に広大な農園を開いて、外国産の園芸植物を大規模に栽培し販売した先駆けだ(辻村農園に関しては、本連載第86回第110回参照)。
辻村は『実際園芸』やその編集主幹である石井勇義(元辻村農園研修生)が編集する園芸書籍に数多くの記事を書いているが、いずれもかなり硬くスキのない印象の文体で、人となりがひしと伝わってくる。

図2 『実際園芸』第11巻8号(1931年)に掲載された辻村常助(1881-1959)の肖像。 40代後半と思われる、学級肌の人物らしい雰囲気が伝わる。 辻村家の蔵書は小田原市に寄贈され図書館「辻村文庫」となった(関東大震災で焼失)

辻村常助は明治14年(1881)に小田原の商家・大地主の家に甚助(のちに先祖代々の名である5代目甚八と改名)の長男として生まれ、辻村農園を経営、昭和34年(1959)に亡くなった。
常助11才のときに父親が42才の若さで早逝したため、東京府開成中学校(現・開成学園)を卒業すると小田原に戻って家業を継いだ。
明治34年頃(1901)、弱冠20歳の頃に、大きな温室5棟を備えた農園を開いた。農園では観賞用植物や果実を大規模に栽培・加工し、東京市内に売店を持つなど当時最先端の経営を行っていた。また自ら雑誌『家庭の園芸』を発行している。
弟は日本登山史に名を残す登山家で高山植物の専門家だった辻村伊助。

辻村家とその親戚には学者が多く、地質学の辻村太郎、鳥類学者の内田清之助、心理学の内田勇三郎、水産学の内田恵太郎、水産動物学の内田昇三らがいる。
また農芸化学を専門とした東北大学名誉教授、辻村克良は常助の次男である(『小田原が生んだ辻村伊助と辻村農園』)。

「著名欧米園芸書解題」

昭和5年に誠文堂から発行された『綜合園芸大系 第1篇 園芸総論、基礎学一般』(石井勇義・編 1930)には、辻村常助による「著名欧米園芸書解題」が掲載されている。この園芸書籍の解説は、34ページにわたって350冊以上の書籍を解説、リスト化している。
その内容は、園芸全般、果樹、蔬菜、暖室(温室)園芸、花卉、育種、風致園芸(現在の修景、ガーデニング)、装飾園芸、および雑、未見、高価本(稀覯本)というふうに分類されている。

園芸研究家の椎野昌宏によると、この解説はこの種の文献としてはおそらく日本で初めてのものであり、当時の研究学徒にとっては極めて貴重な手引きであっただろうと述べている(椎野昌宏「園芸史雑話」その2)。

辻村常助は、大地主の家に長男として生れ育った学究肌の人物であったようだが、「園芸植物の学名はどう読むか」という記事を書くにあたって、書き出しの部分には

「外来の園芸植物の名を、多少の例外はあるにしても、学名をもって呼び慣れたことは幸福である

とある。園芸植物を学名で覚えることには大きな利点があるから、呼び慣れることが大事、という立場を取っていた。

「学名は慣れるにしたがって、ますます記憶がしやすいことで、その上、一度覚え込むと容易に忘れない長所がある。
この学名なるものは、いうまでもなく、古代の文明国、ローマの言葉であって、今は世界的に死語となっている。
死語であるために後は地方的の訛りが生れない。みだりに変化しないために、学名としての価値もあるはずである」

と理由を述べている。

当時の日本の園芸界では、植物の名前を和名(漢字表記)で命名し直して流通させることが普通に行われていた。これは物や情報を閉ざされた人々で独占し、かつまた流通経路がわからないようにして品種の価値を守ろうとする知恵だったとも言われているが、異名の氾濫や取り違えが常につきまとい、健全な発展をさまたげていた。
やがて海外からの輸入が増え市場規模が拡大してくると、多様なものを大量に流通させるためにも学名を基準とした体制づくりが求められていたのだと推察できる。

リンネの二命名法

動植物の学名は、リンネの膨大な仕事によって広まった(2つの名前をセットにして示す)「ニ命名法」が定着し、国際的に厳密な取り決めが行われている(図3)

しかし、辻村は短所もあることを認めていた。学名の音調は拮屈(ことばが難しく理解しにくい)で、趣味に乏しく感じが悪い、詩的でもなく情緒に欠け、ピンとこないのだ。
日本だけでなく、英国でも同様の批判があるそうだが、たとえば次のような例がある。

  • 忘れな草〈Forget-me-not〉
    Myosotis alpestris〈ミオソティス・アルペストリス〉
  • すずらん/谷間の百合〈Lis-des-Vallee〉
    Convallaria majaris〈コンバラリア・マヤリス〉
  • 薄雪草/エーデルワイス〈Edel-weiss〉
    Gnaphallium Zeontopodium〈グナファリウム・ゼオントポディウム〉

こうした「欠点」に対して、辻村は「植物学や園芸学はもともと文学ではないからいたしかたがない」のだと言って割り切っている。各国語による植物名称の特に優れた名前はどこまでも残すとしても、全体としては「植物を学名で呼び慣れることに賛同し進めていくべきである」と主張している。

図3 標準和名「ベニシダ」の学名。属名のドリオプテリスは「樫の木の葉に似たシダ類」の意。エリスロソラは、「赤い胞子嚢群を持つ」という意味。実際にその通りで、一度みれば忘れない特徴があるシダだ。学名は、「属名」+「種小名」+「命名者の名前(略号)」 となっていて、O.Kuntzeオットー・クンツェは19世紀末から20世紀の初めに活躍したドイツの植物学者。

学名の発音について

さて、この学名を文字に表す時は、世界共通であって、1字の相違も認めない。これが決まりである。
しかし、この文字を「どう読むか」は、ひとつに決められていない。そのため、それぞれの祖国の発音に「転訛」しているのが不思議だ、こういうふうに辻村常助は述べている。転訛とは〈言葉のもともとの音が、なまって変わること〉である。

たとえば、Cyclamenの場合、ラテン音=キクラメン、ギリシャ音=キュクラメン、英語読み=サイクラメン、ドイツ=ツィクラメン、フランス=シクラマン、日本=シクラメンとなる。
図3で示したベニシダはラテン語読みではドリオプテリスだが、英語読みではドライオプテリスと発音する。

こうした状況をどう考えるかはなかなかの問題であるが、辻村自身は(一般的な物の名前、商品名、流通名はさておき)学名として読む場合は、ラテン語の原音、法則にしたがってキクラメンというべきだと考える、という。これに従うと、「Asparagus」は〈アスパラガス☓→アスパラグス○〉である。
辻村は、「アスパラガス」というのは英米読みであって、「いささか下品である」と述べている。同様に、ドイツ語なら「シュパルゲル Supargel」、フランス語なら「アスペルジュ」となってしまう。

ここでふと思い出したのは、漫才、コントの「サンドウィッチマン」の面白いフレーズだ。「あのお客さん、失礼ですけど…。ピザじゃなくてピッツァです!」「やかましいわ」というのがある。「カレーじゃなくてカリーです!」というのもあったと思う。

いずれも外国語を日本語化するときにどういうふうに表記し、またどう読むのかということには、話し手のなかに「こだわり」がある場合があって、その差異を別に重要だと思っていない聞き手との間にズレがあって、そこに笑いの要素が生まれてくるということなんだろう。
この「ピザとピッツア」「カレーとカリー」の違い、「お国なまり」が植物の学名の読み方にも存在する、と辻村は述べている。

「言語は、その国々の長い歴史や風俗の影響によって、いろいろに変わっているものであり、一概に是非すべきものではない。
またその国のことば全体として極めて自然に快調韻律を含むものであって、それぞれである。
他国の言葉は舌にこだわって自国のことばのごとく滑らかにいかないのは、めいめいが親の体内で自国語の訓練を受けていたためである

というふうに辻村はここを収める姿勢を見せながら、それでもなお多少不満げで、心から納得しているわけではなかった。

「ラテン語のような死語に遭遇して少なからず面食らうのはもとよりだが、しいて自国の音調に同化しようとする欧州人のやりかたは、感服し難いところがある」

結局、辻村は、欧米系の言葉とは縁の薄い日本の園芸家が学名を扱う場合、ラテン語の古典的な発声法にしたがって発音するほうが覚えやすく利点が大きいと考えていたようだ。

ラテン語と発音法

辻村はラテン語読みを勧めるにあたって、「日本人にとって、学名は他の欧州語を習うよりは楽である」、日本語で話すように発音すればいいのだとして、次のように記している。

ラテン語は1千年も前に行われた詞(ことば)であり、今は死語となって、ただその文字が残されているが、その発音は不明であると言うて、これを書く時は兎も角も、もし読む場合に当っては各自の国音に依って差支えないという説がある。

しかしそれは何かの勘違いであろうか。ラテン語の発音が現存しないというのは26個の字母である。
ギリシャ語はアルファー、ベーター、ガンマ、デルタというように、英語はエイ、ビー、スィー、ディーであり、仏語は、アー、ベー、セー、デーである。これらの字母の発音法は全くラテン語には伝わっていない。
しかし字母を組み合わせて一つの詞とした時、いかに読むべきものであるかはハッキリと残されて、例えば大科学者たる Archimedes はアルキメデスと読まれている。さすがにこれをアーチメデスとかアルヒメデスなど云ふ人は欧州にも稀であろう。有名なローマの政治家Ciceroのごときはキケロと誰しも言っている。これをシセロと言うのは英仏人である。Julius Caesarもユーリウス・カイサルである、これをジュリアス・シーザーと読むは英語読みである。

要するに学名を学名として、存在の価値を維持するためには、やはり発音法も基本源に基いて一定すべきであり、斯くてこそ真に世界共通の詞として存在理由が認められよう。

さて一々の例を挙ぐる事は紙数の許さぬところゆえ、簡単に現今、我国の園芸界で最も乱雑になっている点を数えておく事とする。畢竟(ひっきょう)日本人にとって、学名は他の欧州語を習うよりは楽である。祖国の言葉そのままに発音してよいのであって、例へばDahliaはダーリアで宜しい、あえて唇を甘ったるくしてデイリアなどという必要はない。Fuchsiaはフクシアで宜しい、妙に口を尖らしてフューシアなどいうに及ばぬ。Bouvardiaはボウワルディアである。これをブッヴァ―ディアなんて口から唾を飛ばさないでも差支ない。殊にvarはラテン語ワルであって、英仏語のようにヴと濁って発音すべきものではない。

学名の正読法

辻村常助の文章はきっちりしている。雑誌『実際園芸』の読者に対してとても誠実で、いわば読み手を信頼しているのだと思う。辻村の弟子でもあり本誌主幹の石井勇義も、辻村にこの記事を安心して任せている感がある。
辻村はここで、字数の限りを尽くして、ラテン語の古典的な発音法についてまるで語学書のようにしっかりと解説している。

先ず学名を読むに、aとあればアでよろしい。エイとかエとか発音してはいけない。

iの字はイでよい。英語のようにアイと言ってならぬ。Irisはイリスでイリースあるいはアイリスではない。

uはウだけである。決してユーと言わない。Cupressusはクプレッススである。キュプレススまたはカプレサスでない。

eはエであるイーとは発音しない。

oはオでオウまたはオーではない。

なわちaiueoの五つの母音だけであることを銘すべきであるから、もしこれらに配してkを添えれば、ka、ki、ku、ke、koで、sを添えればsa、si、su、se、soである。

斯くて五十音はたちまち組み立てる事が出来、之にnを足せば、日本のカナと発音がほとんど類似する。
すなわち何時の場合も、母音aiueoはアイウエオと読む心得であれば、他の子音を添えた時の発音は自由に案出し得るはずである。

このような調子でaからzまですべての発音を解説している。こうした発音の決まりは、現在なら書籍やネットで学ぶことができるが、当時は、たいへんに貴重なテキストだったと思われる。

以下、辻村が取り上げた植物名と読み方だけを記しておきたい。

Saintpaulia〈サイントパウリア〉であって決してセントポーレアとは読まない。

Gaillardia〈ガイラルディア〉である。ゲーラルディアでない。

Paulownia〈パウロウニア〉でポーローニアでない。

Maurandia〈マウランディア〉でモーランディアでない。

Spriraea〈スピライア〉である。決してスピレアまたはスパイレアでない。

oenotheraは〈オイノテラ〉である。オエノテラまたはエノセラでない。

母音は一つずつ明瞭に切り離して読むべきで、英語のように続けてはいけない。

cはkと同じくカキクケコを形成する。

Bacilius〈バキルス〉で、お医者がコレラのバチルスなど言うは正しい学名読みでない。

Cedrus〈ケドルス〉である。通常セドラスと言われるけれども、これは英音である。

Cinerariaはキネラリア、Hyacinthus はヒアキントゥスである。
映画をキネマというあのキが正しいので、シネマは英仏音である。

Platanus occidentalisもプラタヌス・オッキデンタリスである。オシデンタリスもしくはオクシデンタリスと言うべきでない。

Camellia〈カメリア〉、 Cupea〈クぺア〉、 Coleus〈コレウス〉、などはcをkと同音にしてあるにかかわらず、ce、ciだけはとかく英語のc音を使う傾向が多い。

時としてcuをフランス流にキュと發音する人もあるがクが正しいのである。
またchもk音であってAchimenes 〈アキメネス〉、Chrysanthemum 〈クリサンセマム〉のごとき好例あるにかかわらず、しばしば英語のchに濫用されてChionodoxa〈キオノドクサ〉をチオノドクサ、Escholtzia をエッチョルジア(正しくはエスコルチア)と読むような悪例がある。

その他Eichcholniaは〈エイクコルニア〉と言うべきであるが、往々アイコルニア、またはアイヒホルニアと読まれている。
しかしながら、この植物名は有名なるアイヒホルン氏の記念名であるから、固有名詞をそのまま用いて差支えないけれども、ラテン読みとしては、やはりエイクコルニアである。

schはシュまたはチと読む(ことが多い)ようであるが、これもスク、スキというふうに2語に読むべきで、Schyzanthusは〈スキザントゥス〉で、シザンサスでない。Schiadophytisは〈スキアドフィーティス〉である。

Hippeastrumはヒッペアストルム、Azalea〈アザレア〉、Thea〈テア〉などは我が国でも正しく用いられている。
Euonymus〈エウオニームス〉、Eupatrium〈エウパトリウム〉、Deutzia〈デウトゥジア〉で、これをドイッチアと読むは正解でない。

Geraniumは〈ゲラニウム〉であってジェラニュームでない。英語のジュレイニアムはなおいけない。日本化してゼラニュームはますますいけない。
Garberaは〈ゲルベラ〉である。ガーベラ若しくはジャーベラもいけない。
Gesneria〈ゲスネリア〉はジェスネリアと言うべきでない。
Gynerium〈ギーネリウム〉はジネリュー厶でない。

hはハヒフヘホと同じであるがDahlia、Rhododendronのごとくhを加えて長音を補う事がある。

Jasminumは〈ヤスミヌム〉でジャスミナムでない。Jambosaは〈ヤムボサ〉である。ジャムボサでない。
Juniperusは〈ユニペルス〉でジュニペラスまたはジャニパースではない。

oはオと読む、オウではない。
Roeaoは〈ロエオ〉、Bouvardiaは〈ボウワルディア〉である。ブーヴァルディアでない。
Bousang-aultia〈ボウサンガウルティア現在のBasella tuberosa〉である。ブーザンゴールティアでない。
ただしこの名は有名なブーザンゴール氏の記念名ゆえ固有名詞のままに後者のごとく読む人もある。

pはパピプペボであるがphは英語のようにf音でない。かえってkに近くてただ軽く発音するのみであるから、むしろドイツ語のpfに近い。
先づプとフの中間と見るべきであるけれども、日本のカナでは表わし難い。Phasearus、Philodendron、 Phitoniaなど数々ありて今流行のPhoenixなどは〈プォエニクス〉である。フォニクスまたはフェニックスでない。

Quercas は〈クエルクス〉と離して読む。必ずケルクスとは言わぬ。
Quinariaは〈クイナリア〉である。キナリアでない。
Sequoiaは〈セクオイア〉でセコイアでない。

rはラリルレロと「江戸っ子の巻舌」で宜しい。

sは英語のようにズと濁ることをしない。如何なる場合も清音であるからRosaは〈ロサ〉である、ローザでない。
Freesia は〈フレエシア〉である。フリージアでない。

shはシ。シャスュシェショである。したがってshiは日本のシに同じくsiはやや軽く発音する。

tはタティトゥテトである。thは英語の如きsやcに似たth音でない。ドイツ語のthと同様の軽い音である。
それゆえThunbergiaは〈トゥムベルギア〉である。サムバージアでない。
Thrinaxは〈卜ッリナクス〉でスリナックスでない。

uは既述の通りである。
したがってTulipaは〈トゥリパ〉である。テューリパでない。ただしTulipテューリップと読むは英名である。
Opuntia〈オプンティア〉は、オパンシアでない。
Tropoeorum〈トロポエオルム〉は、語源的にTropaeorum トロパイオルムといわれるけれども決してトロペオラムでない。
Adiantumは〈アディアントゥム〉で、アヂアンタムでない。
Pinusは〈ピヌス〉でパイナスでない。
Lilliumは〈リッリウム〉である。リリューム或はリリアムでない。

ついでながら同じ文字の並列した時、例へば Lillium、Passiflora、Messembrianthemumなど、すべて重複した文字は、「促音」になるのであって、リッリウム、パッシフロラ、メッセムブリアンテム厶という類である。

vとwとは同音である。Vitisは〈ウィティス〉であってヴィティスでない。
Violaは〈ウィオラ〉である、ヴィオラでない。
Veronica は〈ウェロニカ〉でヴェロニカでない。
それゆえは耳に由て区別する事はラテン語で不可能である。

xはクスである。ギリシャ語の如くkの喉音でない。
そのため Picea excelsa は、〈ピケア・エクスセルサ〉がほんとうである。これをピセー・エクセルサというは誤りである。

yはヤイユエヨ、Yucca、はユッカ即ち〈ユクカ〉である。
ラテン語でyとjとは同音であって、たとえ詞のなかほどもしくは尾りに在っても英語の如くイーとは発音しない。

zはザジズゼゾ、Zamia〈ザミア〉、Zea〈ゼア〉、Zephylanthus〈ゼプィラントゥス〉類である。

欧米語と学名の相似

要するに欧米諸国はその国語の源泉がギリシャ・ラテンに由来して、それが久しい年代の間に各自の国語として訛り訛って現今の如く固定したものである。
今さらこれをラテンの原音に帰すことの至難なるは、あたかも我が国の漢字音と同様である。漢音といい呉音といい、若しくは唐宋音といっても、果して何の程度まで我が国で呼び慣れている発音と同じであるか疑わしいごとくに、英米独仏の人々がラテン語のつもりでやっている発音が、案外当てにならぬは怪しむに足らぬ。

これを西洋人が発音するからそうだろうと盲従して、銘々のお国訛りを頂戴して有難がっている。
英国ビイキは英語流に、独逸ビイキは独逸流に学名を読み覚えて、それが則ちラテン語の正しい読み方だと思い詰めているなどはいかがなものであろうか。

幸いに我が国の人々は、遠く対岸に位して昔からいささかの影響を受けていない。それだけ何らの先入主もなければ何等の因習にも捉われない、極めて有りのままに眺める事が出来るだけに将来共に学名を読む場合は、なるべくラテンの原音に由りたいものと思うのである。

図4-1(クリックして拡大)
図4-2(クリックして拡大)
図4-3(クリックして拡大)
図4-4(クリックして拡大)

以上のように、辻村常助は、当時の読者に向けて「学名の読み方」を概説した。
これだけでも十分なボリュームがあるが、この記事の2ヶ月後に、その続編として「誤り易き園芸品種名の読み方」を書いている。最初の論文で「学名」を、そして次に「園芸品種名」の読み方について説明しようというわけである。
とくに、海外で育種の盛んだった「フランス語が使われている品種名」をどう読むのか、詳しく解説し、文法上の要点(男性・女性・中性の変化)や「リエゾン(連音化)」などについても教えている。
欧米諸語は覚える気になれば、そう難しくないから、各国語に広く当たって学ぶべきだと尻をたたいている。

辻村は、当時、「品種名」が導入の過程でいくつもの読み方がなされ、「異名続出」しており、学名よりむしろ問題が大きいと考えていた。
これは言語の問題でもあり、かつ一般教養の問題でもあって、現在でもまったく同じ課題として現実に存在し続けている。
以下抜粋してみよう(図4の1~4を参照)。

誤り易き点

前回には石井主幹のご依頼に基き学名の読み方を略解し、いささか我が国園芸界で乱雑になっている点を注意したつもりである。
そうすると事のはじめに園芸品種に最も多いフランス名に就てもその音読法を述べて置かないと時弊に適中しない事になるから、婆心ながら今度はこの点に説明を進めたいと思う。

園芸植物の品種名が乱雑になり、異名続出して、そのため読み方に至っても千態萬状収拾すべからざる有りさまは、既に大井上康氏も本誌で読者の注意を喚起された通りであるが、ここでは主にフランス名の読み方を述べる事とする。(注:大井上康は農業学者、育種家、栄養周期理説の提唱者、ブドウ「巨峰」の生みの親、1892 -1952)

我が国の園芸家は英語を介して外国の園芸書、あるいは園芸植物に接している人が殆ど大部分であるため、たまたま独、仏、伊、蘭、西、葡(ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、ポルトガル)等の品種名に出会わすと随分滑稽な間違いを冒すものである。

日本で有名な園芸商の目録にリーラーの品種「CharlesⅩ」を「チャールス・エックス」と書いてあった事がある。本当はフランス名「シャルル・ディーズ」であって、つまり有名なチャールス10世の事である。
「Charles」は日本で言えば太郎とか次郎とかいうように、割合ありふれた名前であって、英語で〈チャールス〉、仏語で〈シャルル〉、独逸で〈カルル〉というふうに訛るから、その点はまず差支ないとしても、10=「X」をエックスと読むは沙汰の限りである。
これはローマ数字で時計の十時の所の文字と同じであるから、もし英語で読むならば〈チャールス・テンス〉で、これを仏名で〈シャルル・ディーズ」〉と言うのである。

これらはむしろ歴史に不注意なる弱点であって、あながち読み方の例に探るべきでないかも知れぬけれども、これほど重大なる誤りでなくとも随分いかがわしいのが沢山あって、例えば、石楠の品種「Hugo de Vries」も〈ヒューゴー・デ・ブリース〉と読んでいる、いやしくも園芸をやる程の人に「ド・フリース」の名を知らぬ人は有るまいと思われるが、上の方にHugoがくっ付いたため、ちょっと面くらったものと思はれる。
この品種名は「突然変異説」で有名なオランダの「ユーゴー・ドゥ・フリース」氏、の名を記念したものである。

それからオランダで父祖三代の偉業を守った球根園芸家の「Krelage(クレラーゲ)」氏を〈クリレージ〉と英語読みするのもかわいそうである。
特に仏国の「Vilmorin商会」を〈ヴィルモリーン〉と読むのも気の毒である(注:ヴィルモラン)。世界的の園芸家「Philippe, Maurice, Henry」と三代の間に祖父と孫とははるばる日本に来訪した程の熱心家である(注:田中芳男が仏留学時に寄宿し、また来日時には吉田進が案内した)。

人の名前の固有名詞すらこの仕末であるから植物の品種名がメチャメチャに訛って、時によっては一つの物が二つにも三つにも通用する事は当然過ぎるほどの当然である。

とにかく欧米諸国の詞は語源的にはほどんど同じものであり、なかんずく園芸書は文学書などと違って極めてやさしい言葉使いであるから、少しく習熟すれば他の二三か国の書物を読みこなす事はさほど難事でない。園芸家としては狭く深く学ぶ事よりも、浅くともよいから広く学ぶ方が実際の役に立つのである。
殊に数ある植物の品名に接した場合、少なくとも英独仏くらいはただ読み分けるだけでよいから覚えておく必要ははなはだ切実であり、なかんずくフランス語はちょっと他の国語とは異なって読み方が変わっているため、なおさら心得ておかぬと飛んでもない物笑いを胎(のこ)すことになるのである。

(中略)

新種(注:新品種)の作出はある時代にはフランスが世界の中心であったために、今もって仏名の品種が世界の隅々にまで行き渡っている。
我が国のごとく「カナ」で示す場合に一歩読み違えて伝えられるととんでもない訛伝を来たすのであるから、特に深甚なる注意を払うべきである。

読み違いの著例

桜桃のBigarreau系統は〈ビガルロー〉でビガリューはいけない。

萄葡のCharsselas系統の品種、こは〈シャスラー〉である。チャスラスなど読むべきでない。

苹果のCalville系統は〈カルヴィーユ〉で、カルヴィルはいけない。
ちょうどMarseille,(マルセイユ)、Verseille(ヴェルサイユ)などの地名と同じくlleはユと発音する。

白はblanc(ブラン・男性)、blanche(ブランシェ・女性)でブランク、プランチェと読んではいけない

lait(レイ)は牛乳の事で乳白色の場合に使はれる。レートとは読まない。
レイトと読むにはeを添へて女性化してlaiteとする。

黒はnoir(ノア・男)、noire(ノアール・女)である。ノイァなどとは言わぬ。
このoiは必ずオア即ちオワである、それゆえ薔薇のNoisette系統はノアゼットである。ノイセットでない。
ベゴニアのgloireはさすが我が国でもグロアールと読み、グロイアーとは言わない(注:この当時、花ベゴニアに「グロワール・ド・ローレイン」という名花があった)。

すべて仏語は英語を除く他の欧州語と同様、詞に男性と女性との区別が有って一つの詞で文字も違ひ、また読み方もちがうのであるから注意を要するとともに、かつまた語尾に発音しない文字が付く場合も多いのであるから、この点を記憶すれば現在世間通有の誤読はよほど軽減されるであろうと思われる。

(中略)

一体自国の詞さえ満足に出来もしないに異国の詞を学ぶなど、深く考えると矛盾した話であるが、それも知識を世界に求めるためにはいたしかたがないとして、さて園芸家としては一般の場合、一か国に精通するよりもなるべく諸国の詞を覚える方が便利である。

米国の園芸学の祖、L.H. ベイリー

辻村による学名、園芸品種名の読み方についての解説は今読んでも少しも古びていないように感じるのが不思議だ。それだけ物事に精通し深く理解していたのだと思う。

学名に関してより詳しく学びたい場合、現在手に入れられる本としては、L.H.ベイリーの『植物の名前のつけかた』、田中學の『植物の学名を読み解く』などがある。どちらの本も学名に用いられた言葉の意味がリスト化されていて便利だが、後者は、世界と日本における学名の命名者の解説が有り難い。
より多くの語句を調べたい場合は、英国王立園芸協会RHSの『LATIN for GARDENERS』もある。
実際にはインターネットで検索するほうが早いかも知れない。

L.H. ベイリー(Liberty Hyde Bailey, 1858-1954)は、『植物の名前のつけかた』のなかで、植物の学名を知ることで、身近な植物がぽつんと1人でここにあるのではなく、人間とともに遠い道のりを歩んできたことを感じられると教えてくれている。学名はより大きな世界とのつながりを暗示する。

私の鉢植え植物は、室内に差し込む日の光のなかで、元気に輝いている。何世紀も前に、だれかが、どこからか、その種子をもたらしたのである。
そして、波乱に富んだ世代を重ねてきたことで、その植物たちはそれぞれの形を保っている。すなわち、一つはいまやトウガラシ属の種であり、一つはいまやナス属の種である。

つまり、それぞれの植物は、時の膨大な積み重ねのなかで発達してきた、固有の特徴をもっているのだ。私にとって、植物こそは広い世界を象徴するものである。

植物はまた、何百年も前に注意深い観察者がいたことを思い出させてくれるものでもある。
彼らは、いわゆる普通の生活言語では、植物の知識を伝える手段として適当ではないと考え、格調高いラテン語を用いてすぐれた記録を残してきた。
ここに数世紀の時空を越えて、過去と現代は結ばれている。

ベイリーは米国の園芸学の祖と呼ばれる園芸界の巨人で『植物の名前のつけかた』のカバーでは次のように紹介されている(図5)。

アメリカ合衆国の植物学者、園芸学者、ミシガン農業大学卒業後、同大学園芸学・造園学講座教授を経て、1888年から1913年までニューヨーク州イサカ(Ithaca)のコーネル大学園芸学部教授。
園芸植物(栽培植物)の体系的・科学的研究に世界的な功績を残し、自国の農学・園芸学関係者にも多大の影響を与えた。
栽培植物の研究センターとしての The Liberty Hyde Bailey Hortorium (コーネル大学)の創設者であるとともに、北アメリカのスゲ類やキイチゴ類あるいは新大陸産ヤシ類の専門家でもあった。
大著『標準園芸辞典』(The Standard Cyclopedia of Horticulture)ほか多数の著書がある。

図5 L.H. ベイリー(Liberty Hyde Bailey, 1858-1954)の肖像。

『植物の名前のつけかた』の表紙カバー裏には、写真付きで著者が紹介されている。

ベイリーの業績と人物については、この本の巻末に置かれた「あとがき」に翻訳を行った編集部による詳しい解説がある。
興味深いのは、ベイリーがミシガン大学からコーネル大学へ移ったことだ。1888年に新設された園芸学部の教授として迎えられている。
ここで25年の第2の人生を送ったベイリーは1913年に大学を退き、「hortorium」の構築と執筆、講演活動などに専念した。「hortorium」はベイリーの造語で栽培植物を中心とする植物標本館である。
1935年には、ここで収蔵された膨大な数の標本類や関連図書を含めてコーネル大学に施設が寄贈され、「The Liberty Hyde Bailey Hortorium」として活用されるようになった。
こうした記述から分かるのは、コーネル大学がこの時代、園芸植物研究のひとつのセンターになっていたということである。

そこで、ふと思い出したのは、以前、恵泉女学園短期大学で花卉園芸・花卉装飾を教えておられた宇佐節子先生(園芸科・園芸生活科・園芸生活学科 助教授)にインタビューをお願いした際、1951年から1954年頃にアメリカに留学し、コーネル大学で学んだという話をされたのであった。船でアメリカに向けて出発したとき、日本はまだ占領下にあるという時代だ。
恵泉女学園は戦後しばらくの間、日本で花卉装飾が学べるほとんど唯一の学校であり、留学から帰った先生を中心にアメリカで学んだ技術を教えていた。

宇佐先生は恵泉の学生時代、最初は別な学科に在籍したが、園芸を学びたくて恵泉女子農芸専門学校に入り直し、第1回の卒業生として渡米し、ペンシルバニア州フィラデルフィア郊外のアンブラーにあったPennsylvania School of Horticulture for Womenに留学した。
先生は恵泉女学園にゆかりの深いこの女子園芸学校(通称「アンブラーの学校」)を卒業したのちにすぐに帰国せず、ニューヨーク州でコーネル大学でも園芸学、花卉装飾学を学んだ。「4年制の総合大学でありながら花卉装飾のコースがあって驚いた」と教えてくれた。

今から思うと、この大学がベイリー教授以来の園芸学の最先端だったことが関係していたのかもしれない。

ベイリーは50代で大著『The Standard Cyclopedia of Horticulture』(1913年)を著した。日本の園芸界では、しばしば「ベーレー園芸事典」の名で様々な資料に登場する、戦前の園芸家にとってまさにバイブルであり、冒頭で紹介した辻村常助の解説文にも最重要扱いで取り上げられている。

石井勇義はこの辞典を目標に、日本人による日本人のための園芸辞典を人生をかけて完成させた。

また本連載で何度も紹介した小石川植物園の松崎直枝は1917年版「ベーレー園芸事典」全3冊をぼろぼろになるまで愛用し、亡くなったときには余白がないほど書き込みがしてあったそうだ。

参考

  • 『植物の名前のつけかた』
    L.H.ベイリー 八坂書房 1996
  • 『RHS LATIN for GARDENERS』
    Lorraine Harrison RHS 2012
  • 『マンガでわかる楽しい草取り』
    西尾剛 誠文堂新光社 2021
  • 「アルプスに挑んだ小田原の登山家 辻村伊助」展覧会パンフレット 2013年(小田原市のサイトから)
    https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/204346/1-20150213181907.pdf
  • 『小田原が生んだ辻村伊助と辻村農園』
    松浦正郎 箱根博物会 1994
  • 『綜合園芸大系 第1篇 (園芸総論、基礎学一般)』
    石井勇義・実際園芸社/編 誠文堂 1930
  • 『はじめてのラテン語』
    大西英文 講談社 1997

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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