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第125回 楽しい「マッス」のつくりかた~戦後いけばなの造形教育

公開日:2021.7.2 更新日: 2021.6.29

『草月の家庭生花』(そうげつのかていばな)

[著者]勅使河原蒼風/勅使河原霞
[発行]主婦の友社
[発行年月日]1957年1月30日
[入手の難易度]やや難

「いけばな」と「フラワーデザイン」

2021年のいま、植物を材料に使った装飾やアート作品の制作に関わる人たちは、「いけばな」をやっているのか、「フラワーデザイン」をやっているのか、どちらでもない「アート/現代美術」だと考えてやっているのか。そもそもこういう問い自体、成り立つのだろうか。いま「いけばな」「フラワーデザイン」「フローラル・アート」などと言葉を並べてみたが、その定義自体が難しい。「わずかな花や枝を使ってつくるのがいけばなで、たくさんの花を使うのがフラワーデザイン」「線と空間を強調するのがいけばなで、色やボリューム重視がフラワーデザイン」「いけばなは一方見、アレンジは四方見」「剣山を使うのがいけばなで、吸水性スポンジを使うのがフラワーアレンジ」「造花や枯れものを使うのはアート」こんなふうに多分に主観的でおおざっぱなアウトラインはあるが、いずれも枠からはみ出す作品がたくさん存在しており、単に作者の出自がどこからなのかを示すだけなのかもしれない。

一方で、国際的な場面においては日本といういけばなの伝統を持つ国のデザイナー/アーティストとして、そのアイデンティティをどう表現するかは重要な問題だ。ヨーロッパのデザイナーと同じようなテイストの作品では海外に出ても自分の特徴が示せず、埋没するのではないか。現代日本の花の作家はどのように考え創作に取り組んでいるのだろう。きょう、ここでそれに答えを見出すことなどとうてい望まないが、昭和30年代に発行された書籍から植物を用いた当時の表現について少し考えてみたいと思う。今から60年以上前の作品だが古く見えないのは不思議な感じもあるし、当時は吸水性スポンジのない時代でもあり、むしろ現在の作家にとっては参考になることがたくさんあるように思える。

いけばなとフローラルアートの出会い

いけばなとフローラルデザインの歴史に関する充実した著作を残した工藤昌伸は「西洋のいけばな=フローラル・アート」という言葉を用いて、戦後から使われるようになった「フラワーデザイン」と使い分けている。工藤は『日本いけばな文化史』第5巻「いけばなと現代」のなかで西洋の「フローラル・アート」と日本の「いけばな」の出会いというテーマの項で戦後の状況を次のように記述した。

・終戦直後はフローラル・アートからの直接的な影響というより、外国から輸入された新しく刺激的な花材(アンスリウム、ストレリチア)が前衛いけばなに使われるようになり変化の引き金となった。

・1960年代には、輸入による各種ドライフラワーが出回るようになり前衛的な作品から日常的ないけばなへと活用の場が広がっていった(この時期を素材面からの間接的影響の始まりと見る)。

・逆に、日本で漂白、着色された花材が外国に大量に移出するようになった(※これは現在までつながってくる話で、さまざまな着色素材が逆輸入している)。

・日本に本格的なフローラル・アートが紹介されるのは、1954年、米国のホーテンス・ディーン女史による東京、名古屋、大阪での講習会がその始まりである。この時開発されて間もない「オアシス」(給水性スポンジ)が紹介された。

・ホーテンス・ディーン来日の目的は小原流を中心に日本のいけばなを学ぶためであった。アメリカのフローラル・アーティストたちの日本のいけばなへの関心は戦前からすでにあり、いけばなはアメリカのフローラル・シーンに大きな影響を与えていた。戦前に日本でいけばなを学んだグレゴリー・コンウェイや戦後のホーテンス・ディーン、さらにマミ川崎らを教えたミスター・バディ・ベンツら3人の存在は日本のフラワーデザインの発展に重要な役割を担った。

図1 ホーテンス・ディーン Hortense Dean ニューヨークでディーン・トラウト・スクール・オブ・フローラル・デザインを経営。小原流のいけばなを学ぶために来日しており、アメリカのフラワーデザインについて最も早い時期に教えてくれた人。初めてのデモは1954年で、この時に日本で初めて発売されたばかりのオアシス・フローラルフォームの実演や「グラメリア」の手法を見せたという。日本でいけばなを学び、のちに小原流のニューヨーク支部長もつとめた。(『園芸探偵』1から)

戦後のいけばな、フローラル・アートの世界は、戦争による凄惨な破壊や荒廃の焼け跡から奇態な塊となって生まれ出たような「前衛いけばな」と海外から輸入された新しい花材などの影響を受け取りながら活発な動きをみせていく。そのなかで次々と創造される作品に特徴的だったのが「マッス(塊)」表現だった。

一般に、いけばなの造形的な特性は線にあり、「ライン・アレンジメント」である。かたやフラワーデザインは「マッス・アレンジメント」であるといわれてきた。普通に考えると、戦後のいけばなに見られるマッス表現はフラワーデザインが与えた影響だと思われるかもしれないが、工藤はそれを否定し、むしろ、造形的ないけばなを目指して展開された前衛いけばな運動から生み出された膨大な量の作品群をふまえて、植物を造形的な目でとらえ直そうとする動きの中から出てきたものと理解すべきだと指摘している。その前衛いけばなの作品というのは、勅使河原蒼風によって発表された「つげの刈り込み」を用いた作品が最も早いものだった。この作品は古典的な生花をいける花道家からは「あれは植木屋的な技である」と非難されたと記している。日本のいけばなの長い歴史において、「砂の物」や立花の前置に使ったツゲのマッスなどあり、未知の作風ではなかったが、それらは線条の美しさに対して補助的に加えられたもので、「マッスだけによる構成」がなされたことはなかった(工藤)。

こうして「ポスト・前衛いけばな」以後はいけばなでもマッス表現が多用されるようになり、いけばな=ライン・アレンジメントとは言えなくなっている。一方のフラワーデザインのほうでは、マッシブ・アレンジントだけではない多様性が意識されるようになり、1960年代から70年代にかけて花の芸術理論が整理されるなかで、「装飾的(デコラティフ)」に対して「植生的な(ヴェゲタティフ)」なアレンジメントが位置付けられるようになった。

工藤は『日本いけばな文化史』第5巻において、ドイツで「花の芸術理論」を発表したウルズラ&パウル・ヴェゲナーとの対談でこの「ヴェゲタティフ」を「自然の感じに生えていくように花をいけること」と聞いている。二人は幾度も来日し、そのたびに草月、池坊、小原流のいけばなを見る機会があって、草月流と小原流を学び(1977)、「自然のたたずまいをじっくり見る」経験を持つようになったという。つまり植生的というのは「植物のたたずまいのなかにある根源的なものへの眼をもつことといってよいのかもしれない」と述べている。工藤はさらに、ウルズラは園芸家であった父から自分に与えられた庭では、植物は現在でも植えほうだい、生えほうだいにして自然に任せており、「だれでもそこで花を切ってはいけないし、私がそこの種を植えてから、その花が枯れてしおれて腐ってしまうまで、そういうすべての過程を美しいと感じるのです」と語ったことを記している。ヴェゲナー夫妻は中川幸夫の「花生ける」という映画を見て大きな感激を受けたという。このように、戦後のいけばなとフローラル・アートは東西でクロスオーバーしていったのである。

参考 本連載第91回「蒼風とヨーロッパのフローラル・アート」

現代のいけばなとは

ここまで戦後のいけばなとデザインの東西交流について概観した。ここから、昭和30年代に主婦の友社から発行された「いけばな双書」という一連の新しいいけばなの「入門書」について見ていきたい。特に、「マッス」表現について、草月流の勅使河原蒼風と霞の父娘による『草月の家庭生花』を中心に取り上げる。「家庭のいけばな」と書いて「かていばな」のふりがなを当ててあるのも興味深い。この本は、同時期に各流派から一斉に出版されたシリーズものの一冊だった。いずれも、当時の最も新しいいけばな、時代に合ったいけばなを提案する、ある意味、各流派による競作のようでもある。古典を大切にする池坊も前衛いけばなの最前線に立つ小原流や草月流も、それぞれに「現代のいけばな」について考え、実際に作品を制作して見せた。ここでは草月流家元の勅使河原蒼風が「現代のいけばな」をどうとらえていたのかを見ていきたい。

「いけばなは長い歴史がありながら、すっかり不活発となり、時代の動きや人の希望などをよそに風流とか趣味とかいった言葉で言い訳しながら、すっかり衰退し古臭いだけのものになってしまった」という反省から蒼風は語り始めている。現代のいけばなは、自分の家に似合ういけばなであるべきであり、自分の心を盛り込むことのできるいけばなでありたい、このような希望はいつの時代でも守られなければならない。戦後、再び活発化し、多くの人が花をいけるようになった。他の芸術と同じようにいけばなでもアマチュアとして研究する人、専門家、プロとして世に立つつもりで取り組む人様々であるが、いずれにしても現代の生活とつながりのある新しい形式のいけばなでなければ作る側の創作意欲も、見る人の共感も得られないだろう、こんなふうに蒼風は語りかける。

現代のいけばなとは、自然風の軽いものでは満足しない。花器にしろ花材にしろ、いけかたにしろ、すべてをもっと現代人の自由に訴えて大胆な試みをすることが求められている。例えば「前衛いけばな」と呼ばれるものにはほとんどなんの制限もないといえるほどいろいろなものが広範囲に利用され花瓶も使わず、直接木の根や石の塊を主材にするものや、植物をまったく使わず異質素材のみで構成する場合もあるほどである。ただし、自由であるということを簡単で勝手気ままにやることと履き違えたり、古風なものをすべて否定するのでは、いけばな以前の幼稚で非力な頼りないものに堕するだけであるから、造形の基礎を学び、技術を高めるように努める必要がある。こんなふうに述べた上で、造形や基礎技術について順次説明している。

大切な2つの基礎技術、線と塊

いけばなをつくるのに最も大切な技巧は、集約すれば2つになる、と蒼風はいう。1つは「線(ライン)の技巧」で、もう1つは「塊り(マッス)の技巧」である。「線と塊りが、いろいろの形で調和し、対照し、分離して、つくり出すいけばなの美しさ、そして、さまざまの形は、この本の作例のすべてから、知ることができるでしょう」と述べ、私たちのいけばなは、広い意味では装飾だが、花をそのまま挿しただけの花は「意思のない花」、いけばなとしてつくられた作品のような場合は「意志のある花」として区別される。なので、形態だけを取り上げてみてもその全体を理解するには偏ってしまうから注意が必要であるが、これからいけばなをつくってみようとする人たちには、まず、その作品の意思よりも、もっとあっさりと形態的な分析をしてみるほうが役に立つことがあると思う。まずは一つのいけばなをラインとマッスに分析してみようとするのは、こうした理由がある、というふうに説明している。形の分析を実際にやってみて技巧を手に入れておくことで、次の表現に向かうことができる。

このあと、「線」と「塊」の解説がある。「線によってつくる美」では線自体の美しさとともに「動きの表現」「動く力」に着目することが重要だ。「実は動いていないいけばなが、なんだか動いているように見える、それも非常に早く動く感じ、軽くすらすらと動くような感じ、双方からぶつかってくるように寄せ返す動き、静かな動き、上下に動く、左右へ動く、どっちかへ一方的に動く、などいろいろあるのですが、それらはおもに枝の線の見せ方、線の並べ方、線の組み方、線の曲げ方、などによって現わされていることを知らねばならないのです」と述べ、草月はこうした線の美しさを意識的に計画的に利用していくのだと説明する。草月では「ムーブマン(動的な力とか、感じ)」という用語を使い、線の扱い方に注意することを教えていた。作例では「弾力のある線」「静かな線」「強い線(線を発見して強調する)」「素材の持つ線の美しさを利用する、曲線の美、細い線、交差した線」といったように作品を観察し、ことばでしっかりと分析していく(言語化)。ヨーロピアン・フラワー・デザインで植物の形態観察(キャラクターの分析)、線の並列や交差といった構成があるが、日本のいけばなではこの時代にきちんと整理されていた。

塊(マッス)とは

先に、工藤昌伸が指摘したように、マッス技法には、はっきりとマッスを主体とし徹底的に利用されたもの、ややマッスが主となっているもの、線を強調するために部分的にマッスを利用しているもの、というように、マッスの活用には多種多様な階調がある。素材によっても、そのままで既にマッス的な塊になっているものもある。細い、薄い素材はそれらを集め、重ねる(ヨーロピアンでいうパイリング技術)必要がある。草月では、より意識的にマッスを使うことが多い。花だけ、葉だけ、枝だけを寄せてこしらえ、「自然には絶対ありえないマッスをつくり出す」のだという。

この本が出版された昭和30年代のはじめは前衛いけばなが盛んに行われていた時代で、それらの新しいいけばなでは、マッスが多用された。蒼風はこの流行を、過去のいけばながあまりにも素材が持っている線にたよる「ライン本位」であったのに対して、「塊、マッス」は新鮮な魅力を感じさせたからだと指摘したうえで、実はもっと切実な理由があったのだと解説する。

蒼風が着目したのは、「いけばなと建築環境」との関係である。

「軽くてあっさりしていた日本的な建築よりも、だんだん新しい西洋式のコンクリート建築が多くなって、装飾としても形も色も強く、重い、といった感じが圧倒的に必要となってきたということなのです」。「ライン本位の花より、形が小さくて力が強く重さがあるということが、マッス調のいけばなの特徴で、家庭を飾る場合でも、現代の生活状態からいって、あまり広くない場所を力強く生かそうとするいけばなとして、ライン式よりマッス調の方が都合のいい場合が多くなったといえましょう」。

それでは、具体的にどのようなものが「新しい感覚のマッス」表現なのか。図2では「全体をマッスにまとめる」というテーマで制作された作品を示す。花材は、大量のアスパラガス(アプライト系か)とカーネーション、クリビア(クンシラン)。これは過去のいけばなにはまるでないけ方方のものである、という。アスパラガスは普通にいける場合の3から5倍の量を使い、これに配合するカーネーションとクリビアも2、3倍の量は使っている。このように、マッス式のいけ方は、だいたい普通のいけ方の作品の3倍くらいの量を使うことが基準だと示している。

図2 【花材】アスパラガス、カーネーション、クリビヤ、【器】黄色陶器、【形式】全体をマッスにまとめた作品。

もう一つ掲載作品を見てみたい(図3)。クリスマスのいけばな、として制作された。緑、赤、白(器)のクリスマスカラーが用いられ、ヒイラギのマッスが大きな比重を占めているのが目を引く。サンキライの赤い実や白菊はいずれもかなり凝縮した高密度に集められ、「かなり固い、しっかりした結晶調のマッス」「あまり大きくないが、強い力が湧き出るような、というか、いかにもボリュームそのものといった感じが出せるいけ方」になっている。

いけばなは、伝統的に器を重視してきたが、この昭和30年代には創作陶器というのか、個性的な花器が大量に流通していたようだ。当時のいけばなの作品集などでは、器を製作した個人作家の名前を出して掲載されているものも少なくない。器と作品は一体のものであって、これもまたひとつの「マッス」として、あるいは「色」として構成される。そのため花材の量が増えると必然的に器もそれを受け止められるだけの適切なものが必要になる。

蒼風の記述のなかで興味深いのは、マッス技法の流行に合わせて器も変ってきたと述べている部分だ。「このごろ、小さいが厚い、そして重みがある、という花器が多くなったのは、やはりマッス調のいけばな流行と歩調を合せているものと見なければなりません」。また、洋風の部屋に飾って、かなり広い部屋でもマッス作品は場所に負けないような力があることは見逃せない大事な点であるといっている。蒼風は、他に「線のマッス」、「オブジェ的なマッス」、「圧倒的なボリュームを強調するマッス」というふうに作例を見せながら分類解説している。

図3 【花材】ヒイラギ、サンキライの実、シラギク、【器】白い陶器、【形式】全体をマッスにまとめた作品。

楽しいマッスのつくりかた

この『草月の家庭生花』という本はとても面白い。僕は3冊持っている。ネットオークションで見つけるたび購入した。うち2冊はカバーがなく、3冊めにして初めて表紙カバーがついているものを入手できた。あらためて、これ、「家庭」のいけばなだよな?と表紙を見直したくなる。この本では、マッスのつくりかたというページがある他に、「石や鉄」を使った作品の作り方が載っている。これは驚きだ。さらに藁や竹、野菜や果物、太い針金をいけるような作例もある。「新造形」というタイトルで、まさに当時、流行していた前衛的ないけばなを思わせる小作品の紹介もある。ドライの花材を使ったレリーフ作品もある。これが「家庭の花」と言えるのか。いったい何なんだろうという思いが湧いてくる。結局、この本は実に小さな書籍でありながら、蒼風、霞父娘がヨーロッパのフローラルアートの要素も取り込み、研究しながら作り上げた新しく意欲的な一冊だと思う。

図4は、マッスのつくり方、というページだ。材料は、大輪のシロギク、黄色のコギクのみ。これらは、花のみを強調し、葉はほとんど取り除かれている。その上で、花のトップをよく見ながら、手のなかで束ねるように形作り、それを紐などでくくりつけて固定する。このようなマッスのパーツをいくつかつくっておいて、器のなかに入れていく、というようなプロセスの説明があり、「盛り上がるように、湧き上がるように積み重ねて」「出来上がりは、一つの逞しい生命を感じさせる統一体」にならなければならない、と記されている。これは、小さな作例であるが、大きなものも原則的には同じようなつくりかたをしていくものである、というアドバイスもある。

図4 マッスのつくり方 下から上へ積み重ねるようにマッスをつくり、手前に大きく開いた花を入れて完成。

トップ画像で示したように、この本は、同時期に他の流派ともに出版された「いけばな双書」というシリーズの一冊である。主婦の友社が、この時代(1956年~57年ごろ)における最新のスタイルを打ち出し、かつ一般のこれからいけばなを始めたいと思う人たちに向けての案内書であった。そのため、本の表紙カバーには魅力的な作品が載せられている。

例えば、図5は池坊の家元作品であるが、まさにマッス表現、「色」を重視したたいへんに明るい雰囲気がある。白い創作花器や、植物以外の孔雀の羽根などが印象的に使われる。一見すると、小さな作品に見えるが、赤とピンクのカーネーションのマッスはそれぞれ30本ほど使ってまとめられたものだというので、実物はそうとう大きくインパクトを感じさせるものだったろう。

図5『池坊いけばな』池坊専永 1957
図6『小原流の新しい生花』小原豊雲 1956、『専慶流いけばな』西阪専慶・西阪慶美 1965(改訂新版)

図6は小原流と専慶流である。まず小原流の作品は花器がない(見えない)。その代わりにシャコガイが使われ美人蕉、シマフトイが配された「非写実いけばな」。ヤドカリでも這い出してくるようなおどけた面白さを表現したものだという。自由な素材で思うままの造型をねらう。専慶流作品では生花が使われていない。「枯れた素材の美しさ」を表現した。作家、岩田藤七のガラス器に、海松、まつかさ(漂白)、サルノコシカケ、ヒマワリの実などの枯れたものだけを使ったマッス作品である。枯れた素材の渋い色、質感は生花にはない独特の味わいがある。オブジェ的な感覚の新しい造形。

図7『草月の家庭生花』勅使河原蒼風・勅使河原霞 1957
図8『草月の家庭生花』の見返し部分に書かれた蒼風の書。「花は真の天才なり」裏表紙の見返しは「花は静かなり」とあった。

最後に図7が『草月の家庭生花』の表紙カバーである。これも「線のマッス」(線条を集めたマッス)に含まれる。黄色い実のついたカラタチの棘が網目状に配され、そのネット越しにツバキ(白と赤)が鮮やかに映える。器の下にはなにかやわらかさを感じる白い毛糸か化粧砂が敷かれているようであるし、カラタチはよく見ると漂白されたものも混ざっているようにも見える。線の面白さと色の面白さが際立つ印象的な作品だと思う。

参考
『日本いけばな文化史』第3~5巻 工藤昌伸 同朋舎出版 1995
『花の基礎造形』1、2 ウルズラ・ヴェゲナー 六耀社 2001

 

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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