農耕と園藝 online カルチべ

生産から流通まで、
農家によりそうWEBサイト

お役立ちリンク集~カルチペディア~
園藝探偵の本棚

第126回 育種家・平尾秀一による「ラベルの話」

公開日:2021.7.9 更新日: 2021.7.20

「ラベルの話」(『ガーデンライフ』第15巻第2号)

[著者]平尾秀一
[発行]誠文堂新光社
[発行年月日]1976年2月号
[入手の難易度]やや難

たかがラベル、されどラベル

この記事の著者、平尾秀一(ひらお・しゅういち、1919 ‐1988 )は、農学博士・園芸研究家。大正8年、東京に生まれ、幼い頃から園芸に親しみ、東京大学農学部農芸化学科を卒業後、水産庁に務めながら神奈川県逗子市の山の上(中腹)に長く住まわれた。サボテンの栽培や花ショウブの育種が有名だが、他にもネリネ、リコリスなど様々な園芸植物に詳しく、それらの品種改良も手がけた。誠文堂新光社の雑誌『ガーデンライフ』では数多くの記事を提供され、誌面の充実に貢献された。語学堪能、たいへんに社交的かつ面倒見のよい方だったという。国内、国外にかかわらず、育種を志す園芸家それぞれに役立つ情報や種苗を提供し、多くの園芸家を育てるなど、多大な功績を残され昭和63年没、70歳だった。

きょうは、数ある記事のなかから「ラベルの話」を紹介したい。『ガーデンライフ』誌の1976年2月号に掲載されたものだ。植物の名前の書かれたラベルは、お店で植物の苗や鉢植えを購入すると、たいていついているものだが、何もついていない場合は、お店の人に植物の名前をよく聞いておかないとすぐに忘れてしまいがちだ。ラベルは鉢植えに挿したり、花壇に挿したりしてよく使う。以前はちょうどよいものが入手しにくい場合が多かったが、現在は100円ショップでどこでも簡単に手に入るようになった。しかし、品質はどうだろうか。1年ほどで割れたり文字が見えなくなったりしないだろうか。こうした問題は昔も今も変わらない。先輩たちは様々な工夫をしていた。今回、この記事を探すために久しぶりに雑誌を手にしてみたのだが、この時代の『ガーデンライフ』には、「人の心にタネをまく雑誌」というキャッチコピーがついていたことに初めて気がついた。また、記事写真には昭和の文具として懐かしいテープライター「ダイモ DYMO」が出ていて手の感触まで思い出した。現在も販売されているようだが、ずいぶんスマートになっている。当時4,000円ほどだったというので、現在の感覚だと6,800円という高価な道具だった(消費者物価指数換算で1.7倍)。

参考 1970年代の「ダイモ」(おそらくM300という型)
https://zigsow.jp/item/318854/review/314742

さて、記事であるが、全体で5ページの分量で、文字通り「ラベル」について、その目的と重要性、材料と実例、注意点といったことをとても軽快にわかりやすく述べている。冒頭に「ラベルは植物にとっては大切な標札です。紛失したり、消えてしまったりで、名なしの権兵衛にしないよう気をつけましょう」とあるように、まずは、なくさないこと、そして間違わないようにするために、園芸家がいったいどのように取り組んでいるかがうかがえる、面白い記事である。興味深いことに、本連載第109回「日本サクラソウと植木鉢」に出てきた鈴鹿冬三(荒張冬三)の陶器製オリジナルラベルが写真で出ており(図1の下段中央)、例の三角錐の形のものと通常の木札と同じ形のものがあることがわかった。他にも様々な素材、形のラベルが集められている。今回の記事は、編集部によって坂田種苗(現サカタのタネ)の岩佐吉純(よしとう)氏や盆栽やサクラソウの大家、大山玲瓏(れいろう)氏、園芸研究者、鶴島久男氏らの資料も使われたことが記事の最後に付記として記されており、非常に詳細で面白い実例が写真で挙げられている。

ラベルは、植物の「名前」と密接につながっている。たかがラベル、されどラベルだ。あたり前のことだが、植物にはそれぞれに、たったひとつの大切な名前があり、その名前には人が関わってきた歴史がある。それらひとつひとつの名前を大切にしなければならないからラベルも大切なのだ。平尾は自ら育種に関わり、自身の「創造物」に対して品種名をつける機会も少なくなかった。その時に、どんな名前をつけるかは悩み多いところもあっただろう。この原稿の最後にその対処法に触れている。

以下、文章そのままに再録する。

—————————–

地球上に大昔から生えつづけてきた植物には、もともと名前などはなかった。いうまでもなく、名前というものは人間が森羅万象を識別するために考え出した方便である。植物も名なしの権兵衛では人の話題になることもなく、興味をもつ人もほとんどない。早い話、山から掘出した蘭も無名のままではかえりみる人もないが、これが品定めされ、りっぱな名前がつけられて檜舞台に立たせられると、たちまちファンが殺到するようなものである。

名前をつけた以上、いつまでもその名前が忘れられないようにしなければならないが、これがなかなかの難事業である。おぼえたつもりでも年がたてば忘れるし、名札をつけておいてもいつの間にか飛んだり混乱したりして、どれがどれやらわからなくなってしまう。庭の草花でも花が咲いている間はよいが、時期が過ぎてしまうと、はてこの株は白だったか赤だったか、来年また咲いてみるまでは手がつけられない、などというのはわれわれ園芸家が日常経験するところである。春から秋まで、めまぐるしく忙がしかった庭仕事も、冬の訪れとともに休戦状態となって、炬燵にあたりながらラベルのことを考えるのも一興であろう。

◇市販のラベルとインキ(※図1と2)

 園芸店に行けばいろいろなラベルを売っている。木製、プラスチック製、金属製の3種類がふつうで、木製は長さ30cmぐらいのから12cmぐらいのものまでのタテ型。プラスチック製はそれよりがいして小さく、タテ型のほかにT字型や荷札型のものがある。木製のものには濃くすった墨(墨汁は雨で流れるから不可)または黒のガーデンペンテル(※写真に見える「ぺんてるのガーデンマーカー」か)、または黒の油性インキ(黒以外の色はじきに消えてしまう)を用い、プラスチック製のものには鉛筆または油性インキを用いて字を書くのがふつうである。

金属性のものは、薄いアルミ板の吊札で、鉛筆で書くと字の部分が凹んで長く残るように工夫されたものが普及している。油性インキはふつうの文具店にあるものでよいが、不透明インキと銘打ったものの方が長もちする。またガーデンインキという、ふつうのインキのようにペンにつけて書くものがある。臭気が強いのが欠点だが耐久力は抜群である。

こうして市販のもので間にあわせているぶんにはあまり話題になるようなこともないが、そこは十人十色の園芸家のこと。人が変わればラベルも変わり、じつにさまざまのものがある。

図1
図2

◇まにあわせの場合

葉や茎に書いておく(※図2下)

友達の庭に行ってツバキの挿穂をもらった場合など、名前を油性インキで葉に書いておくと、苗が発根して定植する頃までは充分にもつ。この場合、なるべく頂点に近い部分の葉ならば一層確実である。クンシランのように、葉が何年も生きている植物もこの方法でいける。

更に進んで、いろいろなメモ、たとえばいつ肥料をやったかというようなことも記しておくと、あとになってひじょうに参考になるものである。シャボテンも接木の場合、台木に名前やメモを書いておくと半永久的にもつ。もっとも体裁の問題もあるが……。

ツバキのように幹のなめらかなものは、幹に書いておくと数年はだいじょうぶである。

しかし、ジャーマンアイリスなどは葉が幅広くて書きやすいので、つい葉に書いて安心していると、半年もたたないうちに新しい葉と入れ変わって腐ってしまうから、あとでしまったと思うことがしばしばである。

ポリ袋を利用

通販で送られてきた苗木など、紙の荷札をつけられたものが多いが、そのままにしておくと風雨のために三ヵ月もすると破れたり消えたりして、どれがどれやらわからなくなってしまう。こういう場合、その札を小型のポリ袋で包みなおして付けておくと、針金がだめにならない限りはだいじょうぶである。立札の場合も、札をポリ袋で包んで水がしみ込まないようにして立てておけば。ボール紙や経木の札であっても、二年ぐらいは安心していられる。

◇手近な廃品を活用

 駅弁の箱、カステラの木箱、木片、プラスチックの空箱などを截断してラベルをつくるのもアマチュアならではの工夫であり。冬の農閑期(?)の楽しみでもある。もう少し大がかりなところでは、自動車や室内装飾の廃品から、金属板やプラスチック板を回収して截断してラベルを作っている方がたもある。温室のガラス代りに使われているファイロンなどもよい(図5下)。

木材の場合、厚めのヒノキの板に墨で濃く書いておくのがいちばん長もちし、十年以上たってもなんとか形を保っている。木札が腐るのは土ぎわの部分からであるから、この部分に機械油などを塗っておくとさらに寿命がのびる。ヒノキのラベルは買うとなかなか高いから、建築のさいの木ぎれを集めておいて、ひまな時に工作するのがよかろう。ラワンなどの輸入材はヒノキやスギと違ってじきに全体が黒くなり、字が読めなくなってしまう(図5左上)。また油性インキは木材にはあまり長もちせず、墨のほうがよい。

プラスチック製のものの中には、夏の高温と強光によってたちまち老化して曲ったり割れたりするものがあるが、厚手のものならば数年間はなんとか使える。また着色してあるものはがいして弱く、白色や透明のもののほうが強い。プラスチックには墨が乗らないから黒の油性インキを使うことになるが、これが存外消えやすい点が問題である(図4)。

その対策として、書いた字を三回ぐらい上からなぞって、インキの付着を多くしておくとよい。三倍濃く書いておけば耐久力も三倍近くになるわけである。またラベルの裏面にも書いておけば反対側から見た揚合にも便利だし、さらに地中に埋まる部分にも書いておけば万全である。地上部の字は消えても土中の字は消えない。しかし黒のエナメルは黒の油性インキよりもはるかに日光に強いが、その反面地中に埋まった部分が意外に消えやすい。おそらく塗料の油が土中細菌に喰われてしまうのであろう。

ラベルの字が消えてしまった場合、白いラベルならば字のあとがかすかに残るので、どうやら判読できることが多い。ただし字画の点や線の一部が残るだけであるから、自分が書いた字ならばなんとか見当がつくが、他人の字はまったく読めないことが多い。透明なラベルや金属製のラベルは字が消える時には跡かたもなく消えてしまうことが多いので注意が必要である。透明ラベルの場合字を濃く書いて、さらに裏面からもなぞっておくとかなり長くもつ。

図3 写真上左に「ダイモ」が載っている。

◇ラベルを混乱させない工夫

 ラベルそのものがいかに耐久性があっても、それが植物を離れてあちこちに移動したのでは意味がない。また売店などにはたちの悪い客が来て、店員の目をかすめて正札をひょいと挿し換えてしまい、高価な植木をまんまと安くせしめる、という例もあるそうである。むろん売店もさるもの、高価な品には正札のほかに目印を客の気のつかぬ部分につけておき、「お客さん、申訳ないけどこの正札は間違っていましたので」と、対抗するとのことである。それはともかく、せっかく骨折って立てたラベルを愛児のためにきれいさっぱり抜取られたパパも多いことであろう。また、ハナショウブなどは冬に枯葉を火災放射器で焼払うと害虫がいなくなり、まことに工合がよいというので畑を焼払ったまではよいが、ついでにラベルも一枚残らず焼失してしまい、大あわてしたという話もある。

ともかく、ラベルを混乱させないためには、地植えのものには現場の見取図を作って保存しておくか、ラベルをもう一枚、株の近くあるいは株の下に埋めておくのが最も確実である。鉢植えの場合も同様である。鉢に直接書くことも一法だが、鉛筆などでは存外消えやすく、さりとてあまり長もちするようではその鉢をほかに使うときに不便である。

株がたくさんある場合、名前を書いたラベルのほかに赤や黄のラベルを添えるのも存外便利なことがある。たとえば赤札は放出用、黄札は保存用というように。

図4 ラベルとインクの劣化を長期にわたって調査・研究したあとがある。

◇大きいラベル・小さいラベル

 冬の間は葉が枯れているから、ラベルが小さくても全体がよく見通せるが、夏に葉が茂るとラベルはその下にかくれてしまい、鉢数の多い場合など、探すのがたいへんである。そうかと言ってあまり丈の高いラベルを立てると、冬枯れの季節に大きなラベルが列をなしている光景が、戦場の墓などを連想させて気分がよくない。

もっとも墓にしても木標をたてるのは死者を弔うよりも再生を祈る意味があるとのことであるようだが、いずれにしても木札では墓標の感じを避けられないから、釣下げ式のラベルすなわち太い針金を五十cm内外に切って、先の方を「の」の字型に曲げ、これにラベルを下げておくのもよい。欧米でもいろいろなラベルを遍歴した末、この方式に落付いている人が多い。

針金はビニールで被覆したのがよく、長年錆びないし、体裁もよい。なお、なるべく太いものがよく、細いのでは一時はよくてもやがてへなへなとして始末がわるくなる。欧米、とくにアメリカでは、ジュラルミンの細い棒の先に名刺大の板が着いていて、そこに名前を書くようになっているものがよく使われている。高さ七十cmぐらいでアマチュア用である。公共の植物園のものにはなかなかりっぱなものがあり、厚い金属板に字を浮彫りしたもの、黒のプラスチック板に字を白く彫ったものなど、スマートな感じのものが多い。

◇化粧札、植物を引きたてるためのラベル

 せっかくの展示会に、ラベルがお粗末だったり、まったく無銘であったりしては、せっかくの名花も首輪のない犬みたいな感じになってしまう。もっとも山草の寄植えなどにごてごてとラベルを立てられては、深山の趣がなくなってしまうが、サクラソウやハナショウブの鉢仕立ての陳列や、肥後ギクや肥後シャクヤク花壇などは、しかるべきラベルが添えられてこそ、堂々たる気分が加わり、いかにも伝統の重みを感じさせる。

こういう場合の化粧札はなかなか凝っていて、サクラソウには黒塗りの札に白の墨で名前を書いたり、あるいは特別に焼かせた陶器の札(というよりも杭)を用いたり、ハナショウブには真新しいヒノキの札に黒々と墨で、しかも達筆で書かれたのがデンと立てられたりする。西洋草花の展示会などもこれにならって、せめてレタリングセットでも使って、恰好よく仕上げたラベルを添えたら、どんなにか引立つことであろう。

図5 ラベルの経年変化とその後の利用(記録として)について。

◇ふたたび名前について

 どなたにもご存じの通り、植物や動物の名前は、十八世紀にリンネが二名法、すなわちラテン式による属名と種名とから成る命名法、たとえばサクラソウはプリムラ・シーボルディー、ツバキはカメリア・ジャポニカとすることを提案したのにはじまり、これが世界共通の呼び方となった。

サクラソウ、ツバキなどはそれらのラテン名に対応する和名であり。白鷲、大阪神風、十州の空、袖隠し、卜伴、長楽などはそれぞれの中の品種名であって、われわれ園芸家が日常親しんでいるのはたいていの場合、この品種名であることはいうまでもない。これらを源氏名と呼ぶ人もある。

品種名はわかりやすく、美しく楽しいものであってほしいものである。よい名前であればその品種がりっぱにみえるし、そうでなければ印象が薄くなる。既につけられている名前を勝手に変更することはできないが、実生の中から良い花が出た場合など、さて何かよい名前はないかと考えはじめると、意外に見つからないものである。冬の炬燵の中で文学書や国語辞典などを広くあさって、これから誕生する美花への名前をあれこれと用意しておくこともまた楽しいことではなかろうか。

参考 本連載第119回「学名の話」

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

この記事をシェア