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絶体絶命のピンチを乗り越えた、亘理のアセロラ

公開日:2021.7.27
5月24日のアセロラハウス。宮城県では6月から本格的な収穫期を迎える。

東北で熱帯植物アセロラを栽培

5月24日、宮城県の沿岸部亘理町を訪ねました。亘理町はイチゴの産地として有名ですが、10年前に起きた東日本大震災では、津波が押し寄せ甚大な被害を受けた地域でもあります。海岸線から300m。あの日津波に襲われた場所に建つハウスに、イチゴとは異なる小さな赤い果実が実っていました。
「これが亘理町のアセロラです」
と、生産者の伊藤正雄さん(70歳)が教えてくれました。

アセロラは、キントラノオ科ヒイラギトラノオ属の植物。その果実はビタミンCが豊富なことで知られ、日本では80年代に発売された「アセロラドリンク」でもおなじみです。ただ、ドリンクの原料はブラジル産で加工されて届くので、日本で生の果実を目にする機会はめったにありません。

国内では主に沖縄県で栽培されていて、「カルチベ」でも、本部町の㈱アセローラフレッシュの取り組みを紹介しています。本場ブラジルでは、アラロラの「ロ」にアクセントがついて強調するので、沖縄では現地の呼び名を尊重して、収穫が本格化する5月12日を「アセローラの日」と定めています。ところが、
「亘理町ではまだこれから。6月、8月のお盆前後、10月と、年3回収穫します」
ハウスでは青い果実が、少しずつ色づき始めていました。

それにしても、沖縄から遠く離れた東北で、伊藤さんが熱帯生まれのアセロラを栽培し始めたのはなぜでしょう? はじまりは1992年。今から約30年前にさかのぼります。

「はじまりは、ブラジルから取り寄せた10本の苗でした」と話す伊藤さん。

はじまりは10本の苗から

伊藤さんは、コメ農家に生まれ、地元の亘理高校を卒業。宮城県種畜場(現畜産試験場)での研修後、家業を受け継いで就農しました。コメを軸に、ハウスで春菊も栽培していましたが、92年、水田面積10〜20haの大規模経営のコメ農家の「生涯所得が、2〜2.5億円」になるという国の新政策が発表され、将来的に米価が3割ほど下がることが予想されました。

「米価が1割下がると利益は2割減る。これはなんとかしなければ」

経営を安定させるには、何を作ればよいのだろう? 当時40代の伊藤さんは、新たな作物を探し始めました。平成の大冷害が起きた翌年の94年、知人がブラジル在住の親戚の人を訪ねると聞きつけ、「何かいい植物があったら持ち帰ってほしい」と頼んだのです。

すると後日、親戚が持ち帰ったのは、観賞用の竹、黄花オランダセンニチ、そしてアセロラの3種でした。

早速ハウスに植えてみると、他の2種類は根付いたのですが、アセロラは緑色の葉が枯れて、ダメになってしまいました。苗が亘理に着いたのは3月。アセロラは気温が5℃以下になると、低温に耐えられず枯れてしまうそうです。苗を飛行機の貨物室に入れたことと、空港から亘理町へ運ぶうちに低温に当たったのが原因で、枯れてしまったようです。

それでもアセロラはちゃんと育てれば、利益の出る作物になるはず。そう考えた伊藤さんは、なかなかあきらめきれませんでした。

その翌年、同じ親戚が再びブラジルに行くことになりました。伊藤さんは、今度こそ枯らさずにアラロラの苗を持ち帰るように頼みました。二度目の訪問は6月だったので、前回のように低温にさらす心配はありません。事前に検疫の担当者に尋ねると、「苗の土を落とせば、根付きで持ち込んでも大丈夫」とのこと。今度は貨物室ではなく客室の手荷物として運んでもらうことになりました。

「根をきちんと洗って濡れ新聞に包んだ10本の苗が届きました。10㎝ぐらいでしたが、根が付いていれば、アセロラは死なないのです」

伊藤さんは早速その苗を25aのハウスの一部に植えました。加温器も設置していたので、冬場は5℃を切らないように設定して育てたところ、95年の春、ピンクの小さな花を咲かせ、果実を実らせました。はたして宮城県のアセロラは、利益の出る作物になりうるのか? 試行錯誤は続きます。

ピンクの愛らしいアセロラの花。ハウス栽培ではジベレリン処理が不可欠。

アセロラどんどん北上中

そして97年。「日本農業新聞」の読者の交換コーナーに掲載された、ある記事に目が留まりました。
「アセロラの苗譲ります」
それは茨城県の生産者でした。なんと、東日本でアセロラ栽培を試みていた人が、他にもいたのです。

早速連絡を取り、導入の経緯を訊ねました。するとそのアセロラは元々和歌山県で栽培されていたとのことでした。地元の農協がアセロラにチャンスを見出し、大規模に栽培を始めたのですが、果実を市場に出してもちっとも値がつかず、そのまま撤退したそうです。

残された樹の一部を、当時グァバなど熱帯植物を栽培していた茨城の生産者が譲り受け、栽培し始めました。ところが、

「グァバの樹の間に植えていたけれど、樹間が狭くなってきた。うちはグァバが主力で、アセロラはもういらないから、誰かに譲りたい」

和歌山から茨城、そして宮城の伊藤さんの元へ。行き場をなくしたアラロラたちは、なぜか日本列島をどんどん北上していきます。

「人の背丈ぐらいに育った大きな苗を10本。車の荷台に乗せていただいてきました」

ブラジルから10本、日本国内から10本。両方のアセロラを育ててみて、初めてわかったことがあります。

「アセロラにはブラジルから持ってきた甘味系と、茨城からいただいた酸味系がある」

ブラジルから渡ってきた甘味系のアセロラは、果実は大きいものの、着果量が少なく日持ちが悪い上に、雨に当たらなくても空気中の湿気が付着するだけで腐敗してしまう危うさがあります。一方、和歌山と茨城で栽培されていた酸味系は、実は小粒ですが、酸味が強く日持ちが良いのです。

伊藤さんはこの酸味系を中心に栽培し続け、98年、初めて東京の市場へアセロラの生果を出荷しました。するとなんとキロ6000〜7000円の高値がついたそうです。

「キロ単価3000円以上で販売できれば、大型ハウスを建てて栽培しても採算がとれる」

そう考えた伊藤さんは、2000年に地域の仲間にも声をかけ、宮城県や町の補助を受け、2ヵ所にハウスを建設。3人で本格的に栽培をスタートしました。

樹が生長し、収穫量も順調に伸び、年3度の収穫が可能になりました。さらにアセロラのビタミンCは酢酸を加えると長期的に安定することがわかり、加工品の「アセロラで酢」も登場。オフシーズンにも販売できるようになりました。ところが、「亘理のアセロラ」に、思いもよらぬピンチが訪れました。

ジベレリンが使えない!?

2002年に起きた無登録農薬問題に端を発し、それまで広く、流通・使用されていた無登録農薬が大問題になりました。急遽、農薬取締法が改正され、翌03年に施行される中で、経過措置としてそれまで使用していた農薬を継続して使用するには、検査を受け人体に害のない薬剤であることが証明されなけれなりません。

ハウスでアセロラを栽培するには、着粒安定剤としてのジベレリンが欠かせません。メジャーな野菜に使用されている農薬は、スムーズに登録されましたが、アセロラの栽培実績があるのは沖縄県と鹿児島県、そして北へ飛んで宮城県だけ。特に県内に宮城県に3人しか生産者のいないアセロラは、超マイナークロップなのです。

「たまたまうちの家内が、研修で一緒になった沖縄の農業普及改良所の方の名刺を持っていたので連絡すると、沖縄県ではジベレリンが使えるようになったと。法の下の平等があるのに、なぜ沖縄ではよくて、宮城県はダメなんだ?」

伊藤さんは、宮城県へ経過措置でのジベレリンの使用を申請しましたが、03年3月27日、普及センターを通じて「県では経過措置は認められない」との返答がありました。経過措置の申請期限が31日に迫る中で、伊藤さんは普及センターの了得を得た上で、単独で上層機関へ働きかけることに。東北農政局、農林水産省の農薬対策室へ電話をして、直接事情を説明しました。

そして3月31日、農政局の担当者と面会し、アセロラ栽培におけるジベリンの必要性を訴えると「もう一度宮城県にお願いしてみて下さい」との助言を受け、その足で普及センターへ出向き、再度申請すると「果実の残留濃度を測定して、問題なければ許可します」との回答を得ることができました。許可を得るにはギリギリのタイミングでした。

伊藤さんは6月9日、1kgのアセロラを検体として提供。「問題なし」との結果を得て、使用許可がおりました。こうした経過措置を経て2006年7月31日、ジベレリンは、晴れてアセロラに使用可能な農薬として登録されたのです。

「あと1日遅ければ、ジベ処理はできなくなっていたでしょう。あの時農薬の使用や、栽培を断念した人は、たくさんいたはず。私だけでなく、マイナー作物を作っている人はみんな一緒だったと思います」

津波に襲われ、寒さの中で…

そして2011年3月11日。大きく揺れた直後、5人家族の伊藤家では、長男の圭一さんが伊藤さんの両親と妻のあけみさんを車に乗せて避難しましたが、家長の伊藤さんは自宅に待機していました。地元の広報無線が「今、2mの引き波を観測しました」と告げるのを聞くやいなや2階へ。すると窓の向こうに白波が見えました。瞬く間に津波が押し寄せ、自宅とハウスを飲み込んでいきました。なんとか難を逃れ、2階で一夜を過ごし、翌12日、ヘリコプターで救助されました。この時周囲の4世帯に10人の人たちが残っていたそうです。倒壊したハウスと、逃げられないアラロラの樹が残されました。

避難所から自宅へ戻ってきたのは、津波から5日後の16日。アセロラのハウスには、2.7m程冠水した跡がありました。葉は全部立ち枯れて、樹そのものも枯れてしまうのではと思われました。ところが……

「連休明けにハウスへ行ったら、緑色の新芽が出てきたんです」

津波を受けたハウスに残ったアセロラ。5月に新芽が出てきた。

津波に襲われたのは3月で、ハウスと加温機は壊れたまま。気温は5℃を切り、時にはマイナス3℃になる日もあったそうです。南国生まれのアセロラが生き延びるのは到底無理と思われたのですが、長時間水に浸かって、寒さの中で2ヵ月を過ごした400本中、津波がダイレクトに当たらなかった100本が芽ぶき、うち70本が生き残ったのです。

津波は6℃。5℃だったらダメだった

最初にブラジルから渡ってきた時は、東北の寒さに耐え切れず枯れてしまったアセロラが、3月の津波に襲われても負けずに生き続けたのはなぜでしょう? 当時を振り返り、伊藤さんは次のように推測しています。

「あの時の津波の水温は、6℃だったそうです。これがもし5℃だったら死んでいたけど、ギリギリ6℃だから生きていた。そしてあの時、瞬間的に休眠したんだと思います。ちょうど虫がサナギになって越冬するように。周囲の温度が零下になっても、雪が降っても死なない。それと同じだったんじゃないでしょうか?」

とにかく、震災を生き延びたアラロラを復活させなければ。連休明けに全国から集まったボランティアの人たちが、毎日10人、5日かけてハウスに堆積したガレキやヘドロを撤去してくれました。

伊藤さんは、生き残った樹の中から特に大きな果実をつける樹を3本選び、挿し木で増殖。生き残った100本は、2013年まで実をつけました。そして翌14年4月、残された樹はすべて倒し、新しい苗木に改植しました。

あれから10年。津波に襲われながらも、ギリギリの1℃違いで生き抜いて、再建したハウスで赤い果実を、ならし続けています。

アセロラ入りジンジャーシロップも登場!

震災後、復興支援の機運に乗って、新たな出会いも生まれました。

伊藤さんが栽培する亘理町のアセロラと、島根県斐川町の砂地で育つ出西(しゅっさい)生姜が合体。「燃える女のアセロラジンジャーシロップ」という、加工品が生まれたのです。

ショウガには、身体を温めたり、血のめぐりをよくする効果があることは、広く知られています。小粒の「出西生姜」は、斐川町の限られた地域でしか作れない、小粒で繊維質の豊富な生姜です。これを丁寧に削り、手作業で絞った汁に、伊藤さんのアセロラ果汁とハチミツを加えた珠玉の商品。1本2,880円(200ml)で販売しています。

世にジンジャーシロップは数多く出回っていますが、そこにビタミンCが豊富なアセロラ果汁、しかも国産のものが入った商品は他にないと、とくに冷え性や、体調不良に悩む女性たちに人気です。

オリジナルの「アセロラで酢」に加え、「燃える女のアセロラジンジャーシロップ」も登場。

一度に10kg買う人も!?

こうして何度もピンチを切り抜けた「亘理のアセロラ」は、年3回収穫し、東京の市場へ出荷。高値で取り引きされてきました。新型コロナウイルス感染症の影響で、都心への出荷は減少していますが、「健康になりたい」「免疫力を高めたい」という人たちが、農園を直接訪れたり、近隣の直売所で買い求めたり、オンラインショップ「みんなの亘理」から購入するケースが増えています。中には1人で10kg購入する人もいるのだとか。

主な産地は沖縄、鹿児島、そして宮城。もしかすると、その間の地域でも栽培できるのではないでしょうか? 伊藤さんによると、

「加温が必要なのは10〜4月まで。7℃に設定しておけばいい。他の花や野菜よりも油代はかかりません。でも、アセロラは手がかかって難しい。細心の注意を払って栽培しなければなりません。」

毎日、開花数と収穫した果実の量を、手書きでノートに記録。日々の観察はいまなお続いています。

——アセロラを作っていてよかったと思うのは、どんな時ですか?

「ある双子の女の子のお母さんが、お医者さんに『身体が弱いから、ビタミンCをたくさん摂って免疫力をつけなさい』と言われたそうです。そこでうちのアラロラを絞ったスペシャルジュースを購入して、毎日100㏄ぐらいずつ飲んでいたら、だんだん元気になって、競争するように勉強して、二人とも仙台の進学校に合格したそうです。それを聞いた時は、アセロラを作っていて本当によかったと思いました」

アセロラ特有の「レモンの34倍のビタミンC量」は、東北で栽培しても変わらず。絶体絶命のピンチを、何度もくぐり抜け、伊藤さんとともに歩み続ける「亘理のアセロラ」は、コロナの時代を生き抜く人たちを、身体の中から応援しています。

年3回の収穫時期は、開花数と収穫量を記録して出荷。

 

みんなの亘理
http://minnano-watari.com/

燃える女のアセロラジンジャーシロップ
https://www.hitohata.co.jp/shop/user_data/details_ginger.php

文/写真 三好かやの

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