HOME 読みもの 園藝探偵の本棚 第143回 戦前におけるダリアの流行について(2) 園藝探偵の本棚 第143回 戦前におけるダリアの流行について(2) メキシコ臙脂虫(えんじむし)薬玉球根横浜植木現生地 公開日:2021.11.5 『園芸植物図譜』 [発行]横浜植木株式会社 [発行年]1913、14(大正2~3)年 [入手の難易度]難 参考 『原色園芸植物図譜』第2巻 石井勇義 誠文堂 1930年 横浜植木株式会社が大正の初め(2~4年)に発行した豪華な図集、『園芸植物図譜』全24集のなかで、ダリアは3度特集されており、当時の「推し」であったことがわかる。第2巻3集では、こんなふうに紹介されている。 「(ダリアは)牡丹花に似て豪奢華麗の趣を有ししかも栽培容易にして花色に数百の別あり、花容また千変万別なるをもって近年すこぶるその声価を挙げ、怒涛の勢いを決してわが園芸界を席巻し、独り覇王の威を称したるものこれを「ダリア」となす」。 また、同書ではダリアの来歴(年代順のダリアの歴史)についても記録しているので、ここに採録しておきたい(漢字やかな等を読みやすく修正)。 ①西暦1615年 「フィリップ」2世の侍医「フランシスコ・ヘルナンデス」(Francisco Hernandez)の手になる「ニウ・スペイン」およびメキシコの動植物に関する著作中に「アコクチー」(Acoctii)なるメキシコ名を以て「ダリア」の事を記載す。これ書物に見えたる「ダリア」の記事の最初とす。 ②西暦1651年 ローマにおいて発行せられたる「ビタリス・マスカーディー」(Vitalis Mascardi)の著書に「ダリア」の図3、4を載す。図に重弁らしきもの1つあれども果たして如何にや真偽明らかならず。 ③西暦1787年(天明8年※正しくは天明7年) フランスの園芸家「ニコラス・テエリー・ド・モノンビイユ」(Nicholas Thierry de Mononville)、臙脂虫(えんじむし※染料になるコチニールアブラムシ)研究のため南米に旅行して「ダリア」を得て自らこれを栽培す。これ「ダリア」の栽培に資せられたる始めなりという。同氏の著書に見るに「ダリア」を叙して「生育して5、6尺に達し「アスター」に似たる大花を開く」とあり。 ④西暦1789年(寛政2年※正しくは寛政元年) はじめて英国に搬入せられたれども育成よからず。次いで同年中スペインに駐在せる英国大使「ブート」侯の夫人(Marchioness of Ambassador Bute)甚だこの花を愛し種子を故国の花園に送りて繁殖に努めしむ、また一方にはメキシコの一園芸家は「マドリッド」(Madrid, Spain)の宮室御苑頭「アベー・カバニーユ」(Abbe Cavanille)氏にその種子を贈る。しかしながらこれらは僅かに温室内において小規模に培養せられたるに過ぎずして未だ一般に愛賞せらるるに至らず。 ⑤西暦1791年(寛政4年※正しくは寛政3年) 英国の「ジョーン・フレーザー」(John Fraser)が前記「ブート」夫人より出でたる種子よりして新珍種を得、「ボタニカル・マガジーン」(Botanical Magazine)にその図を登載したり。この時より「ダリア」やや英国園芸界の注目をひく。 ⑥西暦1804年(文化2年※正しくは文化元年) 「マドリッド」の「アベー」氏はそのメキシコより輸入せる種子により半八重の美花を作出しスペインの植物家「ダール」氏(M. Andre Dahl)の名誉のためにこれを「ダリア」と名づく(※リンネの高弟、Andreas Dahl)。これ欧州において八重「ダリア」の作出せられたるはじめにして、また「ダリア」なる名称の濫觴(らんしょう※起源)とす。 当初欧州に輸入せられたる「ダリア」の発育不良なりしは、その熱帯地産なるを知りて熱帯地の高原に生育するものなるを知らず。一意熱帯植物的取扱をなしたるに原因す ⑦西暦1804~10年(文化2年より同8年に至る※正しくは文化元年~文化7年) スペインおよび英国より欧州大陸の主なる国に輸入せらる。この時代に特に注意すべきはベルリン植物園の主任「オット」(Otto)氏が八重の稀品を作出せることなり。 ⑧西暦1814年(文化12年※正しくは11年) フランスに流行しはじめ、1817年(文政元年※正しくは文化14年)この国において2種の新種作出せらる。1つは一重の大輪にして他は八重の美花なり。 ⑨西暦1820年~1860年(文政4年より文久元年※正しくは文政3年より万延元年) まず英国において、次いで欧州大陸各地において「ダリア」共進会(※品評会)盛んに行われ、その最流行を極めたる時代には百千の美花各国より集まり来たる。園芸界「ダリア」のほかまた花を知らざるの観を呈せり。而してこの時代における「ダリア」は主として「ショー」および「ファンシー」種にしてなかには「デコラチーブ」種に属するものをも見たりという。 ⑩西暦1842年(天保13年)※日本への渡来 初めて本邦に輸入せられ「薬玉」と称せらる。「ポンポン」種に属するものなり。ポルトガル人の手によりて渡来したるものなりという。 ⑪西暦1872年(明治6年※正しくは明治5年) 「カクタス」種初めてメキシコより英国に輸入せられ、次いで1876年(明治10年※正しくは明治9年)「カレングボード」(W.H.Cullengbord)氏によりて英国国民園芸協会に出陳せられ、斯界に新傾向の機運を醸す。 ⑫西暦1879年(明治13年※正しくは明治12年) 英国において「カクタス」種ようやく広く愛賞せられ「ガードナース・クロニクル」はその優花の図を掲げて推賞す。「カクタス」種は当時のメキシコ大統領「ジュアルジー」(Juarezii)氏の名誉を表彰して「ダリア・ジュアルジー」(Dahlia juarezii)と称せらる。 ⑬西暦1895年(明治29年※正しくは明治28年) 「カクタス」初めて本邦に渡来して現今の流行の先駆をなす。 ⑭西暦1900年(明治34年※正しくは明治33年) 英国において「カクタス」種よりして「ピオニー・ダリア」作出せらる。作出者は「コーピン」商会(Messrs. Copyn & Sons)にして「シングルダリア」と「カクタス・ダリア」とを媒合してなせるものなりという。 ⑮西暦1901年(明治35年※正しくは明治34年) 「コラレット・ダリア」英国に輸入せらる。この種は1899年すなわち明治33年(※正しくは明治32年)、フランス、リヨンの市立公園内における1「ダリア」の枝変りよりして作り出されたるものなり。 ⑯1901年以後における欧州および本邦における趨勢は他日を期して詳述するところあるべし。 図1 「The Gardeners’ chronicle」第12巻に掲載された最初期の「カクタス」咲きダリア。 以上の説明のなかで、「カクタス・ダリア」が1897年の「ガーデナーズ・クロニクル」に掲載されているというので、調べてみると、1897年10月4日号に、次のような説明のもと、図(図1)が掲載されていた。以下、当該部分の翻訳。 最近開催された王立園芸協会の会合で、カネルCannell氏が「カクタス・ダリアCactus Dahlia」という名前で展示した注目のダリアに大きな関心が集まった。通常のダリアでは、小花は巻き上がっていて、先端が開いた短い羽根のような形をしているが、このダリアでは、小花はすべて平らかそれに近い形をしていて、原種の外側の小花(レイ・フローレッツ)のような紐状の形をしており、色は濃厚なクリムゾン(深紅)です。その姿は非常に印象的であり、日本のキクに似たダリアの新種を示唆するものであった(図66、p.433参照)。 調べてみると、このダリアはフィリモア・ガーデンズのカリンフォード氏(Mr. CULLINCFORD, of Phillimore Gardens)から入手したもので、そのカリンフォード氏はハーレムの近く、オーフェルフェーンのアント・ローゼン&サン社から「D. Yrarezii(※D. juarezii)」という名前の品種ということで受け取ったという。後者に問い合わせたところ、彼らは数年前にフランスの苗木屋からこの品種を入手し、メキシコから輸入されたものと推測している。 この特異な品種の栽培方法は、他のダリアとまったく同じである。この品種を栽培しているアルフレッド・サルターMr. Alfred Salter氏によると、この品種は矮小でコンパクトに生長し、最初に咲く花は葉の上にあまり出ずに葉の間に咲くとのこと。以上、このダリアに関する情報をまとめてみたが、非常に注目すべきものであり、一般的なダリアの単調な形からの「New break 新しい流行の始まり」を期待させるものであるため、これを喜び、今後も注目していきたい。 ダリアの花型(石井勇義の解説) ダリアにはいくつかの花型のタイプがある。戦前の園芸界ではどのように分類されていたのか、石井勇義の解説を見てみよう。資料として昭和5年発行の『原色園芸植物図譜』第2巻を開いてみると、そこには、①原種、②シングル、③ポンポン、④ショウ、⑤デコラチブ、⑥ピオニー・フラワード、⑦カクタス、⑧コラレット、⑨アネモネ・フラワードの9種類が掲載されていた(以下次号)。 図2 ①原種のひとつ、ダリア・コッキネア ②シングル咲 ③ポンポン咲 ④ショウ咲 ⑤デコラチブ咲 ⑥ピオニー咲 ⑦カクタス咲 ⑧コラレット咲 ⑨アネモネ咲(『原色園芸植物図譜』1930)。 参考 『実際園芸』各号 誠文堂新光社 1926~1941 『横浜植木物語』近藤三雄他 誠文堂新光社 2021年 『横浜植木株式会社100年史』横浜植木株式会社 1993年 著者プロフィール 松山誠(まつやま・まこと) 1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。 この記事をシェア 関連記事 2022.2.18 第151回 室町文化をリードした「同朋衆」の画像を探す 『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』 [著者]村井康彦・下坂 守 [発行]国際日本文化 […] いけばなたて花生活文化室町時代会所座敷飾り 2022.2.4 第150回 「ステレオグラム」飛び出すいけばな写真教本~園芸家と写真術 『投入盛花実体写真百瓶』 [著者]小林鷺洲 [発行]晋文館 [発行年月日]大正6 […] 重森三玲いけばな写真新花道自由花山根翠堂花留めflower frogs 2022.1.28 第149回 浪速少年院の温室~温かい部屋がある意味 『実際園芸』第18巻第1号 1935年1月号 [発行]誠文堂新光社 [発行年月] […] 日清戦争少年法矯正院移動温室感化院