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第144回 戦前におけるダリアの流行について(3)

公開日:2021.11.12

「品評会で一等賞にもなれる優れたダリヤの作り方」

[掲載]『実際園芸』第3巻第1号
[著者]野口 秀(日本ダリヤ会顧問)
[発行]誠文堂新光社
[発行年月]1927(昭和2)年7月

「移りかわる欧米のダリヤの流行界」

[掲載]『実際園芸』巻4第4号
[著者]岩本熊吉(岩本農園主)
[発行]誠文堂新光社
[発行年月]1928(昭和3)年4月

「ダリアの新品種と栽培傾向」

[掲載]『実際園芸』第17巻第6号
[著者]遠藤博(埼玉園芸商会)
[発行]誠文堂新光社
[発行年月]1934(昭和9)年10月

[入手の難易度]難

ダリアの流行の記録

戦前のダリアの流行について、1927(昭和2)年の『実際園芸』7月号(第3巻第1号)に掲載された「品評会で一等賞にもなれる優れたダリヤの作り方」という記事がある。著者は、日本ダリヤ会顧問の野口 秀である。ここではダリヤの流行や品評会の主体となった団体について記されている。

我が国に於けるダリヤの流行

ダリヤが初めて日本へ渡来しましたのは、天保年間の事でありますが、一般の数寄者に栽培されるようになりましたのは、明治35、6年頃からであります。その後帝国園芸協会、国民ダリヤ会等が設立され、ダリヤの趣味の普及に力め、ついで国民園芸協会が設立され、国民新聞社が、大正2年頃大いにダリヤ趣味の宣伝に力めたのであります。今日から考えますと、この頃が、ダリヤ流行の一番盛んな時代であつたように思われます。しかしまだ当時は一部の人々に限られて居って、今日のように一般的につくられては居りませんでした。

世界的に申しますと、ダリヤの最進国は、イギリスでありまして、その一番盛んな時期は、1912年から13年頃であります。それは丁度我国の大正2、3年頃に当たり、東京でも流行が盛んでありました。当時我が国でも新種を作リ出し、中でも大正、御代の誉、黒蝶(こくちょう)、半蔀(はしとみ)、陽明等は、外国に出しても恥しくない位立派なものであります。大正10年に日本ダリヤ会が成立し、日本としては、ダリヤの栽培に長足の進歩を遂げるようになりました。

何故このように、ダリヤが流行したかと申しますと、この花は栽培が容易で、安く手に入れられ、花の変化が多く、開花期に永いというような、特長があるからであります。そして花壇用にも、切花用にもなって、花屋の店を賑ぎわす訳であります。

(以下略)

1921(大正10)年につくらた「ダリヤ会」は、毎年春秋2回の品評会を開き、その優秀を競い合い新品種の発表をするなど、ダリアの普及や園芸上の研究に関する機関として活動していた。会の事務局は銀座の高級園芸市場内にあったという(戦後、しばらく休止していたが2004年に再結成し現在に至る)。

次も1928(昭和3)年『実際園芸』4月号「移りかわる欧米のダリヤの流行界」と題してダリアの流行について触れている記事である。著者は岩本熊吉(岩本農園主)。国内のみならず、海外の情報に注目してよく調べていることがわかる。しかも、海外の流行が日本国内の流行となるのにさほど時間差がなくなっている。それだけ日本でもダリア熱が高まっていたのだと思われる。

欧米におけるダリヤの流行

日本の流行も追々に世界的となり、欧米における流行は数年ならずして我が国に伝播するようになりました。ある人が申しました。「アメリカに行きてその他の流行を見て未だ日本に流行せぬものが見つかったなら、これを日本に持ってきたなら必ず2、3年にして成功疑いない。」と。ことごとくそうは行きませんが、まだ我が国は文明の程度に於いて遅れており、かつ在来の西洋崇拝主義の惰力が抜けませんから、一面の真理を語るものと言えましょう。(以下略)

岩本は、この頃、海外では圧倒的な人気を誇ったカクタスダリヤからデコラ咲へと流行が変化しつつあるとも述べている。カクタスの花が下向きに咲くことや茎がやわらかい品種が嫌われ、反対に、切り花としまたは花壇に植えるために花首が丈夫で、「細くて硬くて長い」というのが理想となってきたという。ただ、花びらが硬いものを追求すると、花弁の伸びが悪く大輪になりにくい、として、今後の育種の課題だという。さらに岩本の記事では、ダリアの各タイプ(カクタス、デコラチーブ、ポンポン、ショウ、ピオニー、コラレットなど)についてそれぞれ品種を挙げながら解説している。趣味家全盛の頃は多様性が維持されたが、商業栽培が進むと流通に乗るもの(大輪、カクタス、デコラチーブなど)が他を圧倒していく。

デコラチーブ咲の新花 マベルローレンスMabel Imperial Lawrence

英国で著名な育種家、ストレッドウイック(※Stredwick)において最近作出されたる最も自慢の品種に、マベルローレンスというのがあります。その説明を見まするといわゆる巨大輪ダリヤの一般を知ることができます。

図1 デコラ咲の新花「マベルローズ」(※正しくは「マベルローレンス」だと思われる)。1928年『実際園芸』巻4第4号から。

「マベルローレンス」

従来我らの作りたる最大のダリヤ、実に絶大輪(ぜつだいりん)である。かつその巨大なる花梗はあたかも鉄棒であるかのごとく、この絶大輪花を支えている。各花弁は尖弁であって、しかして花輪(かりん)は完全なる円形をなし少しの狂いもない。色は純深紅色、丈4フィート、15シルリング割引なし。

右は巨大輪デコラチーブの例でありますが、一方において花壇用ダリヤ流行の結果として、小輪デコラチーブないしピオニーダリヤが流行しております。これらは花の大きさに重きを置かず、むしろその色彩の鮮麗なること、その花梗の丈夫なることに重きを置かれております。(以下略)

図2 アメリカのデコラチーブダリヤの代表、ゼルシービウチー(Jersey Beauty)。

ピオニイ、ショウ咲ポンポン咲などの流行はどんなふうか

近来大輪ピオニー咲はあまりいわぬようになりました。元来ピオニーダリヤは、デコラチーブに至る進化の階梯であって、未だ十分にデコラチーブにならぬ中途半端のものを称することができましょう。故にその色彩等に非常の特色を持たぬ限りデコラチーブに負けるのは当然でありまして、ピオニー、デコラの本場と称せらるるオランダにおいても近来陰が薄くなりました。ショウ咲のごときもその初めて作出せられたる時は非常な人気でありまして、その名称の示すがごとく品評会用として唯一のものでありましたが現今ではやはりデコラチーブに圧倒されるようになりました。

図3 アメリカにおけるダリアの品評会。1928年『実際園芸』巻4第4号から。

■英米におけるダリヤ会の事務所の所在地

英国
ナショナルダリヤソサイチーロンドン市ワンズオールス、コンモン、デンツロード2

米国
アメリカンダリヤソサイチー米国コンネクチカット州ニューヘブン市ノルトン街198

カリフォルニヤダリヤソサイチー米国加州サンフランシスコ市第3街621

こちらは、『実際園芸』第17巻第6号、1934(昭和9)年10月の記事。「ダリアの新品種と栽培傾向」について埼玉園芸商会、遠藤博が書いている。

新品種について

ダリアは他花のごとく、花形が同一であったり、葉茎が同一である等の品種または種類の相違でなく、花型、葉、球根の型等に顕著な差があってたとえばポンポン咲とカクタス咲のごときで、ポンポンは花にして円型、球は極小、カクタスは細弁、概ね細長い球である。また樹の丈にしても、大小、極く早咲、遅咲、大中小輪、花型、花色の万様等、誠に他花に見ぬ変化に富んでいる。

その中でも、流行があって現在では、欧米でも我が国でも、特殊な用途は別として、花色豊富で雄大、しかも万人向きなデコラチイヴ咲が、一番依然として他のカクタス咲やペオニー咲等より愛培されている。新品種として推賞し、読者の期待に背かんような各種も、したがってこの花型のもので、大半を占めることになる。

もちろん英国の如きでは、大輪の他、スモール・デコラ、スモール・ペオニー(一名チャーム)、オーキッド・スター、ポンポン・ミニオン、ショウ、ペオニー、アネモネ、の各種をも愛培し、年々新花を発表しているが、中で、ポンポン、スモール・デコラ、スモール・ペオニー、スターのごとく、切り花として使用の道のあるものは、他国でも多少、注目しているくらいで、大輪を圧倒するほどの人気でないから、大勢はデコラと観るべきである。小輪の花型としては、よほど進歩したもので、特長の優れた点がなければ、新品種としてむやみに推賞することは危険である。

わが国では、一時、カクタスでなければダリアでないように考えられた時代があったが、花梗の軟弱と花色の欠乏から、英本国では、あまりこの種に重きを置かなくなった。しかし花梗の強固なものは依然として喜ばれ、新花としては、強い品種が徐々に発表されている。わが国でも、近年非常に各地で実生新花の作出が盛んになり日本ダリア会の品評会を中心とし、質において、カクタスにせよ、デコラその他の花型のものでも、欧米を凌駕する勢いであるのは、まことに喜ばしい次第である。

ただし、大輪種において、花梗のやや弱い点、花梗の短い点、花径の小さい点、花色の不鮮明等の諸点において、欧米種との対抗には、なお一段と改良されたいのである。花色のごときも、作出者が、大衆の好みを主眼とせず、紫色、または緋紅色に限っているがごとき、かような選出は営利的にも不利益である。一面、趣味としても、面白みがないから、今一層研究の余地がある。

図4 著者、埼玉園芸商会の遠藤博(昭和9年)。『実際園芸』第17巻第6号から。

1、わが国種の品種

まず最初に、お膝元のわが国の新種について、読者に注目して頂きたいのである。わが国では、品評会向きはもちろん、切り花向きの品種にしても、近年、しきりに新花の作出に努めている作出家が多くなっていて信にけっこうなことであるが、欧米同様、折り紙付きの名花はそうザラに作出されない。品評会向けのデコラ、カクタスのごときも、花茎が12インチすなわちわが国の曲尺で1尺からなければ、満足されず、花型、花梗も進歩しておらねばならんので、過去の記録の8寸くらいでは、大輪としての品評会用種に一歩遅れをとっている。また花壇向き、鉢向きにしても、いっそう標準が高まっており、花色の艶麗は、それぞれ理想的なものでなければ認められなくなって来た。つまり欧米の新花と比較されるので、在来の観賞価値の品種では、営利的に観ても、観賞本位から観ても、一般ダリアファーンの目が肥えたので、需要と、関心とが少なくなったのである。

切り花向きの品種は、わが国の切り花の用途が、いわゆる和式が主で、花屋用途で申せば、ツクリ、ネヂメ、投げ等、切り花としてもそれぞれ用途が別れている。ツクリとは、花環、花籠、花束のごときものへの用途で、ネヂメは、主体となった生花の美を生かすために使う、あっさりした小輪物。投げは投げ入れである。かくのごとく切り花としても用途が区別されておる。また食卓のシキ花(※敷花)等であるが、わが国では、欧米のごとく、あまりダリアのごとき切り花には、葉物を添えて使用するのを好まずダリアだけで、生けることになるから、葉付きの少ない、葉もなるべく小型で、花との調和のよい、花色としても白、赤、黄の順で、大輪は2尺、中、小輪は1尺5寸くらい、しかも花が45度の角度で、直立して上向きに開花し、水揚げよく、花梗の強固な物でなければ、市場価値がないのであるから、欧米の切り花向けなら、何種でも、直ちに使用できると思うのは、誤りである。

品評会用や花壇用種は多いが、切り花向けとなると、花付きも、増株率も、多く挿木としても活着歩合が多くなければならんので、仲々新花として賞用できるものは作出されないのである。最近切り花用の名花「しろかね」(白銀)の後を継いで、デコラで「ずいうん」(瑞雲)という輝いた濃紅色の品種が作出され、現に誌上で他種より高価に取引されている。この種は葉が照り葉で、濃緑色、花弁は中位の広さをもち、カクタスのごとき花弁である。花の大きさも、大小なく、すべて同型に咲くので、確かに切り花種としての新花として、奨賞に値するものである。而して往々、受咲云々と称して、系統の解らぬ品種を切り花むけとして販売している者があるが、ダリヤは切り花向けの価値が、どれだけあるかは市場での取引値段で決めるのが一番確実である(中略)。

デコラでは「曙光」というのがある。これは濃黄色に杏色を帯び、花弁は波状をなしている巨体輪。同じく、「桂雲」はオレンヂ黄で、波状咲の品評会用種。これらはわが国産品として誤りなき最近の佳作である。(以下略)

図5 日本で作出されたデコラの新花「桂雲」。1934年『実際園芸』第17巻第6号から。

参考
『実際園芸』各号 誠文堂新光社 1926~1941
『横浜植木物語』近藤三雄他 誠文堂新光社 2021年
『横浜植木株式会社100年史』横浜植木株式会社 1993年

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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