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【関西 野菜】エビイモ

公開日:2021.12.21

京料理に使われている食材の多くは、かつての京の都の立地や気候風土と深い関わりがある。ハモ、漬物、サバ、川魚、湯葉、また料理そのものも京都の自然環境から生まれた文化的背景が影響して生まれたものばかりだ。

東西と北の三方を山に囲まれた盆地に位置し、夏は暑くて冬は寒く積雪もある。都の周辺も含め、まったく別の水源から流れ込んだ川が合流しており、豊富な水に恵まれていた。北山の鞍馬を水源として高野川と賀茂川が合流して鴨川になる。三重の伊賀を水源とする木津川は東から東山を越えて北向きに進路を変えて鴨川に合流する。琵琶湖を水源とする瀬田川が宇治川となり西に向かって東山を超えて同じく合流、西山に当たる亀岡や嵐山の辺りを水源とする桂川も最終的には合流し、淀川となって大阪湾に流れ込む。

◆参考(京都府HP):http://www.pref.kyoto.jp/suishitu/jyoujikanshi/katuragawa.html

都には多くの人々が暮らしていたため生活に必要な上水として利用するだけでなく、多くの物資を運ぶための水路としても利用されていた。今は大きな道路となっている堀川通はかつて堀川という運河として開削された川の名残だ。

当然、多くの食料が必要であったが、海から遠く海産物には恵まれず、運河を使って運ぶにしても今とは違って何日もかかってしまうため、鮮度の良い魚介類を入手することは困難であった。また冬の間は農産物の栽培も困難であったことから、貯蔵する食文化が発達し、干物や塩蔵、醗酵という食材が生まれていったと考えられる。

京漬物は野菜の塩蔵や醗酵を利用して発達し、若狭湾から鯖街道を伝って塩サバが運ばれ、酢でしめた鯖寿司へと進化していく。ハモは徳島や淡路島辺りの特産であるが、当時は小骨が多く地元では誰も食べない雑魚扱いだった。ところが生命力が強く、京都まで運んでも生き生きとしていることから鮮度の良い状態で手に入れることができたので、これを何とか料理しようと、堺出身の刃物職人によってハモの骨切り包丁が発明され食べられるようになり、今では京料理の代表的な存在となった。

優良な湧き水や井戸水を利用して、東山の界隈の社寺門前では豆腐料理が振る舞われた。今でも銀閣寺から南禅寺にかけて湯葉や湯豆腐の店が軒を並べて観光名所となっている。茶道の文化は懐石料理を生みだし、様々な地域から人々が集う街道口では休憩所や茶屋が設けられ、茶や即席料理と呼ばれる茶菓子や軽食などが振る舞われた。

琵琶湖や川で捕れる様々な淡水魚も貴重な食料で、旬の時期には焼き物や揚げ物として利用される他、しょうゆとみりんで甘辛く炊いた甘露煮は貯蔵食としても重宝された。臭みを消すために山椒を好んで用いた文化は今でも残っている。

さて、正月料理には縁起を担ぐ食材が欠かせないが、関西ではエビイモもそんな食材のひとつだ。先述のとおり、海から遠く新鮮な食材が手に入りにくかった昔の冬の京都で、干した魚(棒ダラ)と旬の食材であるエビイモは炊きものとして皇室で提供された食材だった。この料理を、庶民が普段でも入手しやすいサトイモを用いて作ったのが関西各地に広がった京都の郷土料理「芋棒」で、正月くらいはぜいたくしようということで、庶民の間でも正月には高価なエビイモが用いられるようになった。

その名のとおり、エビに似た縞模様と湾曲した形が特徴だが、形を美しく仕上げるには生産者の相当の労力が必要だということは意外と知られていない。エビイモやサトイモは親芋を植えつけて、そこから分かれて生えてくる子芋や、子芋からさらに分かれて生えてくる孫芋を利用している。エビイモは暑い夏に何度も土寄せを行うので土の重みで子芋部分が湾曲するのだが、エビの形にすることが目的ではなく、土の重みを利用して茎が伸びすぎないようにして小芋がしっかりと養分を蓄えるようにするためなのだ。機械化できない作業で、炎天下のなかを手作業で重い粘土質の土を掘ることを繰り返す。その結果、デンプン質を蓄えてぷっくりと太った小芋ができると、きれいなエビの形になる。縞模様は新しく茎が生えてくるたびに層のようになるためできるもので、丁寧な土寄せの作業がきれいな縞模様を生み出すのだ。つまりエビイモは美しさとおいしさが比例している作物なのだ。

エビイモの親芋と葉。

秋が深まると収穫、出荷が始まり、11月の後半から12月にかけてが出荷のピークとなる。やはり正月商材としての利用が多いため、年末に売り場が作られる。

大阪市東部市場の入荷を見ると、産地構成としては、ほぼ静岡県と大阪府である。

京野菜のエビイモだが、実は大阪府の富田林市辺りが優良な産地で昔から京都の料亭などでもご用達として重宝され、取り引きされてきた。エビイモは大阪の誇るブランド野菜なのだ。この大阪の優良なエビイモの親芋が種イモとして静岡県に持ち込まれて静岡県がエビイモの一大産地となったため、昨今では静岡県産のエビイモが入荷の主体となっている。

見た目の美しいエビイモは、なめらかで口に入れるととろけるような食感で、ほど良い甘さと粘り気があり、正月料理らしい高貴な味わいがある。しかし家庭での需要は年々減っており、料亭などでも他の食材に押されて利用頻度は減少を続けている。作業の大変さが報われないため生産者も出荷量も年々減っている。

豪華な食材を使った高級おせちを利用するのも良いが、粘り強く腰が曲がる歳まで家族皆が幸せに暮らせるように、という願いを込めて昔から食べられてきたエビイモを、せめて正月くらいはぜいたくして食べてほしいと願う。

 

著者プロフィール

新開茂樹(しんかい・しげき)
大阪の中央卸売市場の青果卸会社で、野菜や果物を中心に食に関する情報を取り扱っている。
マーケティングやイベントの企画・運営、食育事業や生産者の栽培技術支援等も手掛け、講演や業界誌紙の執筆も多数。

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