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第148回 献花を手向けるときの花の向きについて~手前・向こう・右・左

公開日:2022.1.21

『日本いけばな文化史』〈1〉 いけばなの成立と発展

[著者]工藤昌伸
[発行]同朋舎出版
[発行年月日]1992年1月14日
[入手の難易度]易

 

花はどちらに向けるのか

いけばな文化史を研究し斯界に多大な貢献を果たされた工藤昌伸氏(1924-1996)による『日本いけばな文化史』全5巻は、1992年から95年にかけて刊行された。それぞれ「いけばなの成立と発展(第一巻には評論家の由水幸平氏によって工藤昌伸氏の略歴が詳述されている)」「江戸文化といけばなの展開」「近代いけばなの確立」「前衛いけばなと戦後文化」「いけばなと現代」のタイトルで、他書には見られない貴重な図版や写真とともに「いけばな」の通史が明快にまとめられている。この著作は隅から隅まで精読する必要があると思う。そこできょう、ひとつ取り上げてみたいのはこのシリーズの第1巻の巻末に置かれている著者と瀬戸内寂聴さんとの対談である。この対談のなかで、「仏様に手向ける花はなぜ私たちの方を正面にするのか」ということについて議論している。たしかに、お寺にいけられている花はこちらを向いているし、葬儀・告別式などで「献花」をする際に、花をこちらに向けて(茎を仏様・遺影に向けて)置く。これは、初めて経験するときは少なからず困惑することではないだろうか。結局、そういうものだから、ということで言われるままにやってきた。

ところが、この対談のなかで、工藤氏は「本来は仏様のほうへ向けて花を手向けていた」ということを指摘していることに驚いた。しかも工藤氏がその事例として提示した画像は、たいへんに有名な一枚の絵だった(図1の右)。これは国宝、「十六羅漢図」(東京国立博物館蔵)のうち10番目の「半託迦尊者( はんたかそんじゃ)」の図で、平安時代・11世紀後半に描かれたものだという。

 

※国立文化財機構所蔵 国宝「十六羅漢図」から「半託迦尊者( はんたかそんじゃ)」(10番目)

https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100157&content_part_id=010&langId=ja&webView=

図1 『いけばな文化史』の十六羅漢図を示したページ右が第十尊者、左は「注荼半吒迦尊者(ちゅだはんたかそんじゃ)」(16番目、第十六尊者)の図で、ガラスの花器にハスをいけたものを手にした人が写っている。

 

この図のなかにある仏様への献花は、いけばな史ではよく知られたもので、古い時代の「盛花」形式の花の事例として紹介されてきた。「盛花」というのは、小原流を興した小原雲心によって創案された様式(水盤など広口で浅い花器に花を盛るようにいける)だが、それ以前にも盛花のようないけかたがあったということを示している。図2は、花の部分を拡大したものだ。芙蓉のような花が花首だけを用いて、当時はたいへんに貴重だったであろうガラス製の器にこんもりと入れられている。一種類だけにして、葉がほとんど見えないようにして、きれいな花やつぼみがいけられているなあ、と見て、なんの不思議も感じない。

ところが、工藤氏は、花の向きがほとんど裏側を見せており、「向こう」を向いていることを見逃さなかった。「ガラスの鉢に盛ってあるんだけれども、花のがくのあるほうが手前を向いていて、花の正面は全部仏さんに向いている」。と寂聴さんに教えている。このとき、寂聴さんは「それが当たり前です」と受けているが、どうしてその「当たり前のこと」が後の世には逆向きになったのかと疑問を投げかけている。

図2 「半託迦尊者」(「十六羅漢図」の第十尊者)の図から 中国風の供花(くげ)の部分を拡大

 

瀬戸内寂聴さんの解釈

 

お仏壇に花を飾る、そのときに手前が表とし、きれいな方を私たちに向けることについて、瀬戸内寂聴さんはこんなふうに説明する。

(引用はじめ)

私は、それを回向(えこう)だっていってるんです。仏さまに向けても、仏さまが、きれいだからお前たちもご覧ってくるりと回して見せてくださる。どうせこちらに向けてくださるものだから仏さまの手を省いて、最初からそうやる(笑)って説明すると、みんなげらげら笑って納得します。(※工藤氏に対して)そうかしら。

(中略)

向こうへ向けたんじゃないかしら、最初は。あちら側へ向けてね、向けてからこっちへ回したんじゃないかしら。でもだんだん私たち面倒くさくなって、どうせこっちへ向けるなら初めからこっち向けておけ(笑)ということじゃない?

(引用終わり)

工藤昌伸氏は、寂聴さんの問いかけに「後囲い(うしろがこい)の花とか、それから『仙伝抄』に出てくるのは位牌前を飾る、でしょ。でも用語じゃなくて、手向け(たむけ)の花、位牌前の花は、花の輪(りん)を仏の方へなびけ、とあるんですよ。」と答えている。

 

※「回向」…死者の成仏を願って仏事供養をすること(「供養」と同義)。自分の修めた功徳を他にも差し向け、自他ともに悟りを得るための助けとすること。(『デジタル大辞泉』)

※「後囲い」…立花(りっか)の道具(役枝)名。花の裏側に挿す枝のこと。花に奥行きを出し、正面から見えない裏側をつくろう役割を持つ。(『いけばな総合大事典』)

※「位牌前の花」…『仙伝抄』に「いはいまへの花の事 うしろの方へ花のりんを向けてなびかせたつるなり」とある。回向の意味から花の輪を位牌の方へ向けることは当然だが、現代の回向の花にはそれがうすれてしまっている。(『いけばな総合大事典』)

 

手向ける花の向きについての瀬戸内寂聴さんの説明はユーモアに富んでいてしかも仏さまの愛情にあふれる本質をついているように思える。すてきな人でした。もしも、仏さまの「回向」というやさしいはからいがなければ、私たちは仏壇の花も裏向きに供えなくてはならず、それでは葬儀告別式も家の中の景色もずいぶん違って見えることになっただろう。

 

この対談で寂聴さんは仏教と花について、ほかにも興味深いことをいろいろ話されている。僧侶であると同時に「源氏物語」を現代訳するなど中世の文化にも通じた文学者としての知識が随所に現れている。以下いくつかメモしておきたい。

○中国から仏教が日本に入ってくるが、最初は生の花を使っていたのではないか。その後に中国の影響もあって造花を用いる行事が広まり、花をモチーフにした飾りや工芸品が作られるようになった。

○仏教で「花」というとき「樒・シキミ」を使う場合が多い。護摩を焚き、火の中に樒を投げ入れる。菊など花は投げ入れることはない。樒は儀式のなかで自分の身代わりとなる。密教ではさまざまな儀式で「花(樒)」が使われるが、非常に感覚的なものに訴えてくる。香りが重要なのかもしれない。後の時代、左道仏教に進み、とてもエロティックになっていく。

○花を仏に奉るというのは人間のとても自然な気持ちじゃないかと思う。自分がいちばん敬っているものに対して美しいものを差し上げる、仏教では仏さまのまわりを美しく飾ることを「荘厳(しょうごん)する」という。いい言葉でしょ。仏具や法具で仏堂を飾る、花もその中に入っている。

○日本に仏教が入ってきたとき、供花(くげ)は一つ。三具足というように香炉、灯明と花を一つ飾った。それが時代が下るにつれ五具足となり花は二つ「対」になる。灯籠なども同じで、日本では左右に1対2つを置くようになった。

○禅でいう「拈華微笑」はよくわからない(笑) ただ仏教では蓮の花にまつわる話はいろいろある。いけばなで蓮の実を用いる「(過去・現在・未来の)三世の花」というが、この「三世」という思想はもともと仏教にあるもの。

○因果の理法をいちばんよく表すのが花ですからね。実を蒔いたらつぼみから花が咲いてまた実を結んで、というように因があって果がある。

○仏教の中でも禅は花に重きを置かない(袈裟とお香)。やはり密教は「花」を重視。あと浄土宗は仏さま、ご先祖に、というので人情的に花を好む。

○日本の信仰の世界には仏教の教えだけでなく神道の影響も大きい。神道は榊・サカキを使う。仏教はシキミ(香り)。仏教では死を嫌がることはないが、神道ではケガレとして嫌がる。それでいろんな禁忌ができてくる。そのほかに陰陽道の影響もある。

 

以上、工藤昌伸氏と瀬戸内寂聴さんの対談から気になるところを記してきた。仏教をもたらした中国では供花がひとつだったのに、日本ではやがて2つ1セット(一対)となったことで、現在まで、葬儀告別式の花が1対を基本としていて、花屋の経営からみると単純に売上げ2倍となるわけで、たいへんに有難い変化だったといえそうだ。

非常に根本的な問題として、花の表・裏、左・右をどう決めてきたのか、ちょっととまどうことも多いが、伝統的には、神仏の側から見て、右左というようになっていることが多い。ほかにも、例えば着物のえりを左右どちらを前にするかとか、選挙のときに立候補者が肩に懸けるたすきは右がいいのか左がいいのかとか、しめ縄の向きはどっちがいいのかとか、舟形の花器をどちらに向けるのかとか、魚(海の魚と川魚)の頭をどちらに向けるとか、未生流の家元であった笹岡勲甫氏の『なんでも陰と陽』(1986)には面白い事例がたくさん載っているが今回は紹介できなかった。

表と裏で思い出したのは、「裏いけ」というテクニックだ。いけばなのデモンストレーションで講師が観客側に正面を向けて後ろからいける技だが、実際は誰でもできることではないので、たいていは自分の正面に向けて花をいけてターンテーブルなどを用いて完成後にお客様に見せる。

最後に、寂聴さんは、いけばなは才能だと語っている。習う習わない以前に上手な人は最初から上手だと話している。これに対して、工藤氏は、いけばなは今、なげいれの時代だから、その人の持っている感性がすべてみたいになっている。形(かた)がないから、弟子のなかで先生の感性をうまく引き継いだ人の花だけが生きる世界だという。それでは十年選手も一年選手も差がつかない。それで芸と言えるのか、と嘆いている。型というものの価値をどのように考えていたのだろう。

 

参考

〇『なんでも陰と陽』 笹岡勲甫 白河書院新社 1986

〇『いけばな総合大事典』 主婦の友社 1980

 

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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