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カルチべ取材班 現場参上

北上川河口発。希望のパプリカ 宮城県石巻市「デ・リーフデ北上」

公開日:2022.5.6
北上川の河口近く。軒高5.8mのフェンロー型ハウスが軒を連ねる。

1.3haの巨大ハウスでパプリカを生産

宮城県石巻市を流れる北上川。河川敷にヨシ原の広がる川沿いの道を河口に向かって走っていると、急に視界が開け、巨大な栽培施設が現れます。それは「デ・リーフデ北上」。1600年、日本に初めてたどり着いたオランダ商船「リーフデ号」の名を冠した農場です。

軒高5.8mのフェンロー型ハウスは、集荷施設を中心にふたつに別れていて、トマト1.1ha、パプリカ1.3haの栽培施設が広がっています。

3月10日、そのパプリカハウスに足を踏み入れると……
採光性の高いガラスハウスのなかには、濃緑色の葉を繁らせたパプリカの樹が整然と並んでいました。

「1月後半に収穫が始まって、9月末まで穫り続ける長期多段型栽培に取り組んでいます」

と、株式会社デ・リーフデ北上総務部長の阿部淳一さんが教えてくれました。

11月に3万本の苗を定植。9月まで穫り続ける。

11月に3万本の苗を定植。培地は下段にヤシ殻スラブ、上段にロックウールを使用。ペグを通して養液を送り込む上段は10cm四方。ここから5.8mの天井近くまで伸び続けます。

上段の四角い培地にはロックウール、下段にはヤシ殻スラブを使用している。
培地の下の白いチューブからCO2を発生させ、局所的に供給している。

1株から3本の主枝を伸ばして栽培するので、約9万本の枝で果実を育て続けます。別のハウスで育つトマトは枝がやわらかく、収穫を終えた枝の葉をかき取って下へ降ろしていきますが、パプリカの場合は下段の収穫が終わっても、そのまま垂直方向に枝を伸ばし、作業者が昇降機を使って果実のある段まで登り、収穫作業を進めます。

パプリカは、作業者が昇降機に乗り、着果している枝の高さまで登り作業を進めている。

「最終的に45段くらいまで伸びますが、どうしても花が飛んでしまうので実際収穫できるのは、咲いた花の3分の1くらい。なかなか連続して結実できないのがパプリカ栽培の難しさです」

それでも2016年の栽培開始以来、着々と収量を上げ、年間収量260t(20t/10a)を目指しています。

 

津波被害を受けた場所で

かつてこの場所には、水田や宅地が広がっていましたが、河口に近いため大震災が起きたとき、津波が川を逆流。その水は堤防を越えて集落を襲い、大きな被害をもたらしました。ガレキの撤去に2年を要した上、地盤沈下も起きていて、海水の流入による塩害も懸念される状態。非居住地域に指定され、更地になっていました。

同社社長の鈴木嘉悦郎さんは、もともと稲作兼業農家でしたが、震災後、米づくりの再開を断念。

「地域住民を雇用して、なんとかこの地域を活性化できる方法はないだろうか」

と、思案に思案を重ねます。そんな鈴木さんと一緒に「再生の道」を模索していたのが、石巻出身で、コンサルタント業に従事していた阿部さんでした。

露地栽培ではなく、施設園芸で再生の道を。全国の産地を訪ねて視察や情報収集を重ねますが、なかなか新事業として採算がとれそうな栽培方法に出会えませんでした。

そんな時、オランダ在住の石巻出身者が「何かできることはないか」と訪れたのが縁で、本場の施設へ視察に行くことに。鈴木さんも阿部さんもそのスケールの大きさに圧倒されましたが、落ち着いて周囲を見渡すと、「ここは北上川河口とよく似ている」ことに気づいたそうです。どちらも河川敷にヨシが生えている。夏も涼しく、日射量が豊富。冬は雪が少なく、天井を覆うことはない……奇しくも、大型施設栽培に必要な諸条件が揃っていたのです。

最初から巨大ハウスを建て、地元の人たちを雇用してパプリカやトマトを栽培し全国へ送り込む……再生の道はこれしかないと確信するようになったのと同じ頃、国の「次世代施設園芸導入加速化支援事業」が創設され、日本各地にこの事業を活用した大型栽培施設が出現していました。

単独の農園としてではなく、宮城県や石巻市、販売会社の協力も得て、コンソーシアムを結成。同事業に応募したところ見事採択され、全国屈指の規模を誇る栽培施設が誕生したのです。

太陽光をいっぱい浴びて、開花から約60日かけて色づくパプリカ。

 

雨水や木質バイオマス、地熱をフル活用

こうして誕生した栽培施設には、環境に配慮した最新のシステムが装備されています。

例えば、トマトとパプリカの栽培には膨大な水が必要です。ところが、

「開設以来、地下水も汲み上げていませんし、水道料金も払っていません」

では水はどこから来るのでしょう? ハウスの屋根に降った雨は、雨樋を伝ってタンクに集められ、濾過器を通って不純物を除去。養液タンクで肥料を混合し、チューブを通じてそれぞれの培地に送り込まれます。

広大な屋根に降った雨水を、集積して養液タンクへ。

続いて熱源は、LPG(液化石油ガス)と木質バイオマスボイラー、そしてガスヒートポンプ(GHP)を併用。これらを使用することで、化石燃料の使用量約3割減を実現させています。

木質ボイラー(↓)には、地元の森林組合が製造しているチップ(↑)を燃料として活用している。

同社が導入した3つの熱源のなかで今、注目を集めているのが地熱を利用したガスヒートポンプ。常に14〜15℃を推移している地中の熱を、地中熱交換器を通して地上に汲み上げるシステムで、全国的に見ても導入している栽培施設はごくわずかとのこと。それでも、

「ロシアの軍事侵攻の影響で、化石燃料や電気代が高騰するなか、今後ますます必要とされる技術だと思います」(阿部さん)

 

着々と自給率を上げる宮城のパプリカ

最近は、近くのスーパーや青果店で「DとL」のロゴマークが目印の、宮城県産パプリカを目にする機会も増えたのではないでしょうか?

デ・リーフデ北上のパプリカは、DとLのロゴマークが目印。

かつて「約9割が外国産」と言われていたパプリカの状況も、少しずつ変化の兆しが現れ国産率が高まってきました。2021年、東京都中央卸売市場に集まったパプリカの約27%を国産が占めるまでに。現在パプリカ生産量は宮城県が第1位。その背景に、大規模施設で着々と生産量を伸ばしてきた、同社の活躍があったことは想像に難くありません。

震災から10年の節目を迎えた昨年春、同社は北上川対岸に同規模の栽培施設「デ・リーフデ大川」を設立。「北上」が秋冬トマトを栽培するのに対し、「大川」は、冷房設備を装備して、夏から秋にかけトマトとパプリカを出荷。通年出荷を実現させていきます。

ハウス内では、現在、社員とパートを合わせ、2拠点で約100名の人たちが働いています。

「われわれはあくまで大きな農家。栽培システムを生かしていくのはあくまでわれわれ人間で、みんな同じ目標に向かって進んでいます。売り場でこのマークを見かけたら、宮城や石巻のことを思い出してください」と阿部さん。

地元や県、国、オランダの協力も得て、大型施設を実現させた阿部さん。

震災からの復興を原点に、温暖化対策、化石燃料やCO2削減等、あらゆる課題を克服しながら、地元の人々を雇用して自給率もアップ。東北屈指の「トマト、パプリカの栽培拠点」を目指し、北上川の河口近くで、栽培を続けています。

取材協力/宮城県石巻市 株式会社デ・リーフデ北上 阿部淳一さん
デ・リーフデ北上/大川 http://de-liefde.co.jp/

取材・文/三好かやの 撮影/杉村秀樹

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