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ワイン作りを目指し、ただいま東御で準備中

公開日:2023.2.1 更新日: 2023.1.31
ワインの醸造家を志し、長野県東御市へ移住。

 

地域おこし協力隊員として東御へ

昨年9月、長野県東御市でワイン用ブドウの栽培農家と醸造家を目指して移住した、米田直人さん(42歳)を訪ねました。近年東御市には、若手の醸造家が集まり、ここ30年の間に市内に12の新興ワイナリーと、醸造家を目指す人たちの学校が誕生。日本ワインの新たな拠点として注目を集めています。

米田さんは、東京で警察署職員として18年勤務。それでも「農業をやりたい。自分でブドウを栽培してワインを作りたい」
と一念発起。2021年5月に夫婦で東御市に居を移しました。

何もかも手作業。まるで戦前のよう

東御に移り住んで1年近く過ぎた2022年4月、米田さんは就農に向けて初めてブドウの苗を植えました。そこは市街地を見下ろす高台にある10aの畑。支柱を地中に打ち込み、ワイヤーを張る作業は業者に依頼しましたが、苗木の植え付は、米田さんがたった一人で行ないました。支柱とワイヤーに沿って深さ30㎝の穴を掘り、水をたっぷり入れた後に、取り寄せた苗木を植えつけていきます。その数300本。

「穴はスコップで30㎝ちょっと掘ります。掘ったらすぐ水をやらないといけないので、500リットル入のタンクを軽トラの荷台に載せて運びました。そこからバケツに汲んで、ひと穴ごとにジャーっと入れる。何もかも手作業。まるで昭和の農民のよう。それも戦前の。正直植え付けがこんなに大変だとは思いませんでした。でも最初の畑だから、できることはできるだけ自分でやりたかった」

最初の畑には、「シャルドネ」の苗を300本、手作業で定植。

2年後の収穫を目指して植えたのは白ワインの定番品種「シャルドネ」。資材費と施工費、そして苗代を合わせると、10aで100万円の資金が必要でした。できることはできるだけ自分の手で。そんなポリシーで進めても、思いの外資金が必要なことも学びました。
それでも苗木が順調に育つ姿を見ると、目を細めて、
「1年目はまだ背が低くていい。幹は鉛筆ぐらいの太さがちょうどいいと教えられました」

 

離島勤務で「農業をやりたい」

以前は東京の警察署に勤務していた米田さん。
「警官ではなく警察職員として、鑑識の仕事をしていました。そう『相棒』に出てくる米沢さんのよう。やりがいを感じていました」
そんな米田さんは、東京都に属する小笠原諸島の警察署に勤務したことがありました。そこで知り合った農家と仲良くなり、毎週末葉物やトマトの栽培を手伝うことに。この時、「いつか農業をやりたい」と考えるようになります。

都心へ戻り、就農の可能性を探っていた時、東御市の「ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリー」のワインに出会いました。
それは作家で画家の玉村豊男さんが、1991年旧東部町(現東御市)へ移住し、当時日本では栽培が難しいといわれていたヨーロッパ種のブドウを植え始めたのを機に、生まれたワイナリー。ここのワインは専門家の評価も高く、08年7月の洞爺湖サミットのランチで各国首脳に提供されました。
そんな流れを受け、東御市にワイン用ブドウを育て、自ら醸造する人たちが次々と現れたのです。「ヴィラデスト」のワインを飲んだ米田さんは、
「これはおいしい。自分もこんなワインを作りたい」
と、東御市への移住を目指します。
現地の移住アドバイザーに相談したところ、
「1年で成果が得られる野菜と違い、ワインでの就農はどうしても軌道に乗るまで時間がかかるので、移住していきなり就農するのではなく、地域おこし協力隊として東御で暮らしてみては」
と提案を受けます。米田さんは、この時40歳。
「本当は35歳で就農したかったんですが、なかなか踏ん切りがつかずにいました。このままずっと警視庁にいるのかな。せっかく協力隊の話もあるのだから、今、行こう!」
と決意。都会から地域に拠点を移し、地元で働きながら定住の道を探る「地域おこし協力隊」。続いて私たちは米田さんの協力隊員としての職場へ向かいました。

 

ワインミュージアムに勤務。ブロッコリーも栽培中。

温泉施設に併設されたミュージアムで、東御のワインを紹介している。

それは温泉施設「湯楽里館(ゆらりかん)」に併設された、「ワイン&ビアミュージアム」。東御市内でブドウを栽培・醸造している12軒のワイナリーのワインがここに集結。訪れた人たちに、東御のワインの歴史やそれぞれの特徴、魅力を伝えるのが米田さんの仕事です。

玉村さんが、この地にワイン用ブドウの苗を植えてから30年。東御市はもとより、日本のワインの歴史と品質は大きく変わりました。かつて醸造用ブドウを栽培していた生産者は、ブドウを原材料としてメーカーの工場へ納めるスタイルが一般的で、品種も日本生まれの「マスカットベーリーA」「甲州」等が主流でした。ところが近年は、「シャルドネ」「カベルネ・ソーヴィニヨン」「メルロー」等、ワイン専用のヨーロッパ品種を栽培し、小規模なワイナリーを建て、醸造も自ら手がけ、オリジナルのエチケット(ラベル)を貼って販売する。そんなスタイルに憧れて、就農を目指す人が増える中、ブドウ栽培に適した長野県や北海道で、次々と新しいワイナリーが誕生しているのです。

米田さんは、月に17日間は「ワイン&ビアミュージアム」に勤務。それ以外は、「里親」となっているワイン農家で働いていて、ブドウの栽培を学んでいます。さらに里親のすすめで、ブロッコリーも栽培するようになりました。面積は1ha。こちらも苗の定植、防除、花蕾のカットも手作業で行っているので、気の遠くなるような面積ですが、ブドウが育ち、収量が上がり、ワインとして販売できるようになるまでには、どうしても時間がかかります。
「ブロッコリーの作業は本当にしんどいですが、すぐお金になるのがありがたい。これもワインにたどり着くまでのステップです」

 

耕作放棄地を伐り開く

耕作放棄地を整備して、新たなブドウを畑を準備中。

数々のしんどい思いや経験にも負けず、米田さん着々と次のステップに向け準備を進めています。苗木を植えた10aに加え、新たに75aの畑を切り開き、苗木の植え付けの準備中。最初の場所は農地として活用されていたので、すぐ支柱を打ち込むことができましたが、次の場所は、元は耕作放棄地でした。
「草だけでなく、鬱蒼とツタや木が生い茂っていました」
農地は一度耕作を止めてしまうと、どんどん「森」に戻ろうとします。草で覆われるだけでなく、ほどなく樹木が生え、それをツタが覆い、暗い森になっていくのです。10年以上放置されるともう立派な森に。かつて人が何かを栽培していた面影はありません。これを使える状態にするには、草を刈り、木を切り倒し、日当たりを良くしなければなりません。

米田さんのように、ワイン用ブドウの栽培を志す場合、こうした「放棄地」での栽培に取り組むケースが多いのですが、同じ放棄地でも、最近まで耕作されていた場所と、10年以上放置されていた場所では、条件がまったく異なることを物語っています。

「草刈は自分でやりましたが、木を切って、抜根して、それをまた運び出して……。北海道の開拓者のよう。それはさすがに業者さんにお願いしました」

放棄地の整備にあたり米田さんは、多くの木を切り倒し、その場で焼却していきましたが、これがなかなか燃えず、苦労したそうです。さらに抜根すると地中から出てくる大量の石にも悩まされましたが、最終的に「石にはミネラル分が含まれているから、それがブドウに伝わればいい」と、大きな石だけ取り除きました。

 

整地が終わり、見晴らしのよい傾斜地が現れると、次は苗の定植に向け、支柱の打ち込みが始まります。

「地面に自分で穴を開け、100以上の支柱をハンマーで叩いて打ち込みました。この時も石が邪魔をしてなかなか入らず、太さや大きさも1本ごとに違うので、とても苦労しました」

放棄地の整備では、切り倒した木や根の処理と、土から出てくる大量の石に悩まされた。(米田さん撮影)
開墾前の放棄地は、写真の奥のような状態。農地の面影は既になく、森になっていた。

苦労して開墾した傾斜地に、陽が射したことで植生が変わり、クローバーが生えてきました。ワイン用ブドウには、野菜畑のような肥沃な土よりも、野生に近い痩せた土地が適していると言われています。米田さんは、春には「メルロー」「ソーヴィニヨン・ブラン」などの苗木2000本を植える予定です。

放棄地の開墾、資材や苗木の確保、水やり、ブドウが育つのを待つ間の収入源…。想像以上に課題は多いのですが、「ワインを作りたい」という思いは揺るぎません。
自ら開墾を手がけた場所で、米田さんはこれからどんなワイン作りを目指すのでしょう。

「尊敬できる里親との出会いや、自然にも感謝し、2か所の研修圃場をしっかり管理したい。目指すのは、長期熟成できるような、力強い、凝縮感のあるワイン。数年後、自分が作ったワインで、多くの人を幸せにできたらな。そんな滋味深いワインを作りたいです」

「地域おこし協力隊」の任期は今年3月まで。見習い期間を経て、東御で迎える3度目の春からは、やっと本格的に新規就農者としての修業が始まります。
「できることは、できるだけ自分の手で」着々と準備を進める米田さん。
いつか醸し出すワインからは、きっと「力強さ」が伝わって来るに違いありません。

冬の畑の様子。支柱を打ち込み苗木の定植の準備を進めている。(米田さん撮影)

 

取材・文/三好かやの 撮影/杉村秀樹 取材協力/㈲信州萩原農園

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