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日本ワインの流れを変えるヴィラデスト

公開日:2023.2.17
全国から受講生たちが集う「アルカンヴィーニュ・ワイナリー」
全国から受講生たちが集う「アルカンヴィーニュ・ワイナリー」

 

栽培・醸造・経営を学ぶワイナリー

標高920m。長野県東御市のブドウ畑を見下ろす丘に、「アルカンヴィーニュ・ワイナリー」があります。ここは、30年前に旧・東部町(現・東御市)へ移住し、ワインブドウを植え始めたエッセイストで画家の玉村豊男さんが設立した「ヴィラデストガーデンフアーム&ワイナリー」(以下ヴィラデスト)の兄弟ワイナリー。玉村さんとワインを作り続けてきた、栽培醸造家の小西超(とおる)さんとともに2015年に設立しました。

年間5万本の生産能力があり、ワインの試飲や購入ができるサロン、公開講座やイベントを開けるパーティールーム、そしてブドウの栽培、ワイン醸造、ワイナリーの経営について学べる「千曲川ワインアカデミー」を開講。これまでここでワイン作りを学んだ人は200人を超え、長野県を流れる千曲川流域を中心に、全国でワイナリーを設立しています。

受講生の年齢は、20〜70代と幅広く、中には遠く離れた北海道や沖縄から駆けつける人も。これからワインの栽培と醸造を目指す多くの人たちが「ここで学びたい!」と熱望するのはなぜでしょう? 株式会社ヴィラデストワイナリー代表取締役で、栽培醸造責任者の小西さんにお話を伺いました。

現地を訪れた9月半ば。ヴィラデスト周辺のブドウ畑では、果実が実り、収穫を間近に控えていました。
栽培面積は12ha。シャルドネ、メルロー、ピノノワール、ソーヴィニヨンブラン、ゲヴュルツトラミネール等、ヨーロッパ系品種を栽培しています。

垣根仕立てのブドウが並ぶ畑で、ワイナリーの歩みを振り返る小西さん。

「雨と湿気の多い日本では、ブドウは1本の樹を大きく育て、何十キロものブドウを収穫する『棚仕立て』が主流ですが、ヨーロッパ生まれのワイン用ブドウは、小さく育てる『垣根仕立て』で栽培します。1本から採れるブドウは1〜1.5kg、ワインにすると1本分ぐらいで量は少ないのですが、その分味と香りが凝縮したワインができるのです」

シャルドネを1m間隔で栽培。小さな樹で味と香りが凝縮した果実を育てる。

 

世界に通じるワインを目指す

たしかに。白ワイン用ブドウ「シャルドネ」の樹が、1m間隔できちんと一列に並んでいます。樹間が狭くても、毎年同じ高さのフルーツラインにきっちり実をならし、収穫が終わると冬の間に剪定。春になると再び芽吹いて新梢を伸ばし、そこから再び花が咲き、果実を実らせる。小西さんは、こうして約20年栽培を続けてきました。

2003年に「ヴィラデスト」の自社ワイナリーで醸造をスタート。05年のヴィンテージワインは08年の洞爺湖サミット、14年のヴィンテージは伊勢志摩サミットで、各国首脳に提供されました。

2022年。イギリス・ロンドンで開催される「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」において、「ヴィラデスト ヴィニロンズリザーブ シャルドネ2020」が銀賞を受賞。世界に通じるワインを提供できるワイナリーへと成長を遂げています。

2020年産シャルドネのワインが、国際的なコンペで銀賞受賞(ヴィラデストのショップにて)。

 

麻井先生の教えを胸に

さてここで、東御市におけるブドウ栽培の歴史を振り返ってみましょう。千曲川沿いの河岸段丘に位置し、日本有数の少雨地帯である東御市周辺は、食用ブドウ「巨峰」の名産地として知られています(詳細は、秀果園の紹介記事へ)。
それでも30年前は、隣の小諸市にマンズワインの工場があるのみで、生産者自らブドウの栽培と醸造を手がける農園はありませんでした。

標高差のある東御市内で、ブドウの栽培に適しているのは標高600m前後。玉村さんが栽培に取り組み始めた当初、850mの畑では、積算温度が足りず、凍害や霜害の恐れがあり、栽培は難しいといわれていました。

そして、最初に苗を植えた畑の土壌は粘土質。周囲の巨峰農家から「樹が育ちにくい粘土質は、ブドウに向かない」と言われたそうです。

「たしかに粘土質では樹は大きくなりませんが、その分凝縮感のある作物が育ちます。玉村さんは開墾当時、土壌改良剤として、東北から牡蠣殻を大量に取り寄せてブドウ畑にまきました。それが今も時々畑から出てきます。これは主に土壌のpH調整とミネラル補給の役目を果たしています」(小西さん)

さらに当時日本で栽培されていたワイン用ブドウは、食用に適したアメリカ系のヴィティス・ラブルスカ種が中心。ヨーロッパで主流のヴィティス・ヴィニフェラ種は、乾燥地帯に適していて、開花時期に梅雨、収穫期に長雨が重なる日本で栽培するのは無理というのが通説でした。

それでもフランスへの留学体験をもつ玉村さんが、標高850mの畑に植えたヨーロッパ種は、温暖化も手伝ってしっかり育ち、近隣のワイナリーへブドウを持ち込む委託醸造で、自家用ワインを作り始めます。

雨に当たると割れやすいピノノワールは、房の上にレインガードをかけて栽培。

すると大手酒造メーカーから東御にワイナリーを作ろうという話が持ち上がります。単にワインを作るだけでなく、世界に通じる高品質なワインを作れる技術者を養成したい。そこで抜擢されたのは、当時酒造メーカーで研究職に就いていた小西さんでした。そして技術指導者として麻井宇介氏が着任。映画「ウスケボーイズ」にも登場する「現代日本ワインの父」と称される人物です。

小西さんは麻井先生が東御を訪れるたび、駅前の居酒屋でマンツーマンのレクチャーを受けていました。熱くワインについて語る麻井先生に対し、「ひたすら聞いているだけだった」という小西さんが、今も忘れられないのは、

「日本は雨が多いから、いいワインができないというのは言い訳にすぎない。ボルドーだって元は湿地帯で、地元の人たちが水はけをよくして努力を重ねた結果、銘醸地になったんだ。世界には土壌や環境に恵まれなくても、いいワインを作っている場所はたくさんある。日本でもブドウからちゃんと育てて、知識と経験を積めば、世界に通用するワインができる」
という言葉でした。

そんな麻井先生の教えを受けながら、ワイナリーの準備を進めていましたが、諸般の事情で頓挫してしまいます。そのまま計画も立ち消えか……と落胆していた2002年、麻井先生が他界。このとき小西さんは玉村さんと話し合い、
「このままあきらめきれない。我々だけでちゃんとワインを作ろう!」
と決意したのです。二人は資金を集め、2003年に酒類製造免許を取得して、ヴィラデストワイナリーを設立。本格的なワインづくりに乗り出しました。

私もワインを作りたい

こうして世に出た「ヴィラデスト」のワインは、国内外のコンクールで高評価を受け、世界の首脳が集まるサミットで提供され、その名が知られるようになります。さらに玉村さんが著作を通してワインづくりとその魅力を発信すると、「私もワインを作りたい」という人が、東御を訪れるようになりました。

ワイナリーに併設されたレストランで、玉村さんの姿を見かけると、「前職を投げ打って移住してワインを作りたい」と、真剣に相談をもちかける人も。毎年秋の収穫時期になると、都会からワインの好きの人たちが集まり、ボランティアで作業を手伝い、帰りにはワインを購入する。そんなつながりも広がっていきました。

さらに2008年、東御市は長野県では全国で初めて「ワイン特区」の許可を取得。それまで果実酒製造免許を取得するには、6000ℓ以上製造することが要件でしたが、特区になると2000ℓでも可能になり、小規模なワイナリーを設立できることに。特区はさらに東御市のある千曲川流域を起点に、長野県内全域に広がっていきます。

メルロー。ワインに適したヨーロッパ品種を選び、しっかり防除も行っている。

ワインというのは不思議な農産物で、1本1000円以下で販売されるものもあれば、数千円、数万円を超えるものもあります。特定の銘柄を「ほしい」「もっと飲みたい」という人が大勢いて、買い手がその価格に納得できれば、高価格でも販売できる。それは規模の大小に関係なく、作り手の腕次第。どこか芸術作品に近い一面もあるのです。いつしかそんな世界に魅力を感じて、それまで農業とは無縁で暮らしていた人が、就農のチャンスを求めて、東御へやってくるようになりました。

その反面、ワイン用ブドウは、野菜や他の果樹と違い、苗木を植えてから5年間は無収入。その間、ブドウの世話をしながら、貯金や別の仕事で食いつなぐ。その覚悟がなければ、安易に始めることはできません。

「本当に情熱と覚悟がなければできない仕事です。でもなぜか途中でやめたという話は、あまり聞きません。ここへ来るのは、最初から熱意も覚悟もある人たちなんです」
その様子は、就農を目指して準備中の米田直人さんの様子からも伝わってきます。

はじめの一歩は委託醸造

2003年の設立当時、ヴィラデストは玉村さんの個人事業としてスタートしました。07年に法人化。08年小西さんは取締役に就任。17年から社長を務めています。

ワイナリー設立から10年後、玉村さんと小西さんは、これからはそんな就農希望者が、ワインについてしっかり学べる場所が必要だと考えるようになりました。そして後進たちの育成と、日本のワイン文化、そして農業全体の発展を目指して、2014年3月、日本ワイン農業研究所株式会社を設立。農林漁業成長産業化支援機構(A FIVE)等の支援を受け、ワイン作りを目指す人たちの学びの場=アルカンヴィーニュ・ワイナリーをオープンしました。

委託醸造のワインたちは、名前も色も柄もいろいろ。強い個性を放っている。

ワイン農家を目指す新規就農者の多くは、自前の醸造施設を持っていません。そこで先輩や近隣のワイナリーの設備を借りて「委託醸造」の形で、最初のワインをリリースするケースが多いのです。そこでアルカンヴィーニュでは、卒業生たちが栽培したブドウを受け入れる、委託醸造を手がけています。

収穫時期になると、それぞれの畑から、トラックに積んだブドウが運び込まれます。
「ブドウは1tから受け付けています」
ブドウの質や醸造方法は、醸造責任者である小西さんがしっかり吟味。責任を持って、世に送り出します。中には最初から栽培の難しい「ピノノワールを作りたい」「無農薬で栽培したい」、酸化を防ぐ「亜硫酸塩なしで」と希望する人もいるそうですが、
「できないことはできないし、やめるべきことはやめた方がいいと、お伝えしています」
ときっぱり。そんなワインづくりの厳しさも身を持って伝えています。

アルカンヴィーニュに設けられたサロンの戸棚には、これまでここでワインを学んだ人たちがそれぞれの場所で生み出したワインが並んでいます。ボトルに貼られたエチケットに記された名前も絵柄も実にさまざま。十人十色のワインがあることを物語っています。

小さなワイナリーは集まって強くなる

それでも同じ地域に小さな個人ワイナリーがたくさんできると、競争が起きて顧客を奪い合うのでは? という疑問が生じます。
ところが実際はその逆で、同じ地域に小規模ワイナリーが集積することで、「いい産地だ」という評判を高める効果があり、観光客がワイナリーを訪ね歩いて直接生産者の話を聞きながらワインを味わう「ワインツーリズム」にもつながる。小さなワイナリーは集まることで強くなるのです。玉村さんはこれを「千曲川ワインバレー構想」として打ち出しました。アカデミーとしても、卒業生が新設したワイナリーの紹介やサポートを続けています。

ヴィラデストのショップにて。ワイナリーが誕生して今年で20周年を迎える。

長い間、日本人にとって自国で生まれるワインは、メーカーが作る工業製品に近い存在で、農家は材料としてのブドウを提供してきました。
ところが、小規模ながら生産者自ら醸造も手がけ、オリジナルのラベルを冠して世に送り出す、ワイングロワー(栽培醸造家)としての本来の姿を取り戻したことで、「日本ワイン」の味は格段に上がり、その愛好家も増えてきました。それまで農業と接点のなかった人たちが、移住や就農を志す動機にもなっています。

30年前、東御市にはワイナリーは一軒もありませんでした。20年前、ヴィラデストが誕生。当時の栽培面積は1ha未満でした。現在、市内にワイナリーは13場。ワイン用ブドウの栽培面積は60haを超えるまでに広がっています。その多くは、元はブドウやリンゴ畑だった場所、さらに耕作放棄地を開墾して、これからワイン農家を目指す人たちもいます。

「今年ヴィラデストワイナリーは20周年を迎えます。ショップとカフェはリニューアルして4月1日にオープン。記念のワインも準備中です」

日本ワインの味と流れを変えたワイナリーで、ブドウとワイン、そして次世代のつくり手を育て続ける、新たな10年が始まろうとしています。

《参考文献》
玉村豊男『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』(集英社新書)
日本ブドウ・ワイン学会監修『醸造用ブドウ栽培の手引き』(創森社)

ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー
https://www.villadest.com/
アルカンヴィーニュ
https://jw-arc.co.jp/#

 

取材・文/三好かやの
撮影/杉村秀樹
取材協力/信州萩原農園

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