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新規就農ガンバリズム

ママズベリー[後編]販路の開拓! 直売所と摘み取り農園の取り組み

公開日:2019.2.25

今回の新規就農ガンバリズムは、前回から引き続き、まったくの農業素人からイチゴ農園「ママズ・ベリー」を始めた斉藤久さんのお話です。

今年でイチゴ農園の経営も 13 年目になりますが、開業当初、イチゴの販路の開拓などはどのように進めていったのでしょうか……!
今回は、前回に続いて斉藤さんの販路の拡大から売り物にならないイチゴの有効活用の取り組み、そして、将来展望を紹介します。

販路開拓の不安は近隣の道の駅への出荷で払拭

研修先の先輩農家の助けもあって、初年度からなんとかイチゴを生産できた斉藤久さん。農園の経営を軌道に乗せるには、販路を開拓していかなければなりません。
農業を始めたばかりの斉藤さんはどのように販路を開拓していったのでしょうか。

「最初の年は本当に売れるんだろうかという心配はありました。農協に持ち込めば、引き取ってくれるとは聞いていましたが、農協の規格に合わせて、決められたサイズ、決められた並べ方でパック詰めしなければならず、その手間を考えると、私と母の手伝いだけでは農協に出荷することは難しい。研修先の農家の誘いもありましたから、イチゴ生産者の組合に所属することにしました」

品目を決めた理由は「イチゴが好きだったから」という斉藤さん。ハウス内の様子。

組合は、周辺のイチゴ農家数軒が所属し、交通量の多い街道沿いに直売所を運営しており、組合員が持ち込めば販売してくれます。
イチゴ狩りの集客のための宣伝も組合の予算で行っているため、独自の販路開拓に不安があ った斉藤さんには魅力的に映ったようです。組合に所属することで不安を払拭し、イチゴの生産に注力しようとしました。
ところが、その組合には最初の年だけ所属して、2年目からは脱会することにしました。その理由について、斉藤さんがこう説明します。

「毎日、直売所までイチゴを運ばなければならないのですが、ほかの組合員の農園に比べて、私の農園からは遠かったんです。15 ㎞ほど離れていて、この距離を毎日往復するのは決して楽ではありませんでした。配達用の車は軽自動車ですが、燃料費もばかになりません。自分の農園でもイチゴを販売していましたから、留守にする時間はできるだけ少なくしたかったこともあって、組合にお世話になるのは最初の年だけにしました」

斉藤さんが、組合を抜けて独自の販路だけでイチゴ農園を経営していこうと決めたのには、近隣の道の駅「ながら」での販売が順調だったことも関係しています。

組合の直売所と違い、道の駅「ながら」は、斉藤さんの農園から4㎞ほどしか離れておらず、こちらに出荷しているだけなら配達にかかる時間は大幅に短縮できる上、道の駅は多くのお客様を集める人気スポットでした。

レストランやアミューズメント施設を併設した今流行りの道の駅ではなく、農産物直売所ぐらいしかない質素な道の駅ですが、新鮮な農産物が手に入るとのことで、近隣の新興住宅街から多くの人が訪れ、休日ともなれば駐車スペースの確保も難しいほど。
斉藤さんにとって、この道の駅は大変ありがたい存在でした。

しかも、斉藤さん以外に長柄町でイチゴ農家を営む者がいなかったため、イチゴを出荷するのは斉藤さんだけでした。多くの農産物が、複数の農家が出荷しているのと異なり、道の駅「ながら」でのイチゴの販売を斉藤さんが独占できる環境が整っていたのです。

「農業を始めるにあたって何を栽培するのかを、農林振興センターの方や農業大学校の先生に相談した際、イチゴが候補に挙がったのは、長柄町にイチゴ農家さんがいなかったことも理由の1つでした。でも、その時は道の駅での販売で、町で唯一のイチゴ農家であることがうまく働くとは考えてもいませんでした。多くのお客様に来ていただける道の駅があって、そこの直売所にイチゴを出荷できたのが、自分だけだったというのは本当に幸運でした」

今では隣の茂原市の農家もイチゴを出荷するようになっていますが、ゼロから販路を開拓していかないといけない時期に、安定的な販売が期待できる場を確保できたことは、農園経営を軌道に乗せる大きな原動力になったことは間違いないようです。

より良い農作物を作るだけじゃない農園の雰囲気作りも大切

ただし、道の駅で売ってもらう以上、斉藤さんが手にするのは、販売価格から一定割合の手数料を引かれた金額となります。小規模経営の斉藤さんにとっては、可能な限り自身の農園で販売したいところ。イチゴ狩りの観光農園としても営業していたため、より多くのお客様に来ていただくために斉藤さんは広告を出すことにしました。

斉藤さんに広告出稿を依頼してきたのは2件。
1件は全国的にも知られた旅行ガイドブックのウェブサイトに設けられた、イチゴ狩りの特設ページ。もう1件は地元の千葉のタウン誌のイチゴ狩り特集号への広告出稿でした。
どちらにより効果があるのかわからなかった斉藤さんは、両方に出稿することにしましたが、それを毎年続けるほどの資金的な余裕があったわけではないため、広告を出して以降に初めて来られたお客様に尋ねて、広告効果を調べていきました。

「広告効果は地元のタウン誌のほうが圧倒的にありましたね。旅行ガイドブックのウェブサイトで来られたお客様はほとんどいなかったんです。実際にウェブサイトを覗いたところ、トップページから広告にたどり着くまで、イチゴ狩り特設ページ、さらには地域選択もあって、4、5回、クリックする必要がありました。これではなかなか広告にまでアクセスできません。翌年からは地元のタウン誌だけに広告を出すようにしました」

有名旅行ガイドブックであれば、それだけ多くの人がアクセスしていそうなものですが、多くの情報が階層化されていると、個々の広告にたどり着く人は少なく、結果的に十分な訴求効果が発揮できなかったのかもしれません。

トップページから自分の農園の情報を見てもらえる独自のウェブサイトなら効果がありそうですが、斉藤さんは「インターネットを利用したほうがいいと多くの人から言われていたのですが、元々ITには疎くて……」と言います。

これまで農園のウェブサイトは作っていませんでしたが、2012 年のシーズン中に突如、ウェブサイトを開設しました。その経緯について、斉藤さんがこう説明します。

「実は長柄町にあるブドウ農園の『はぎわら農園』のご主人に作っていただいたんです。
イチゴを買いに来てくれた際、イチゴ狩りとブドウ狩りなら、客層は似通っているだろうからお互いに協力しあいましょうという話になって、うちでは『はぎわら農園』さんの名刺を配布させてもらいました。私ができるのはこれぐらいですが…(笑)」

http://mamasberry.com/
(近隣のブドウ園「はぎわら農園」のご主人に作ってもらった「ママズ・ベリー」のウェブサイト。)

このウェブサイトの効果は絶大だったようで、多くの新しいお客様に来ていただけたといいます。作物の異なる農家であっても、お客様が似通っているなら、このように協力し合うことも大切なのでしょう。

小さいながらも充実した農園に新たな取り組みを始める

小規模ながらも堅実な経営を続けてきた斉藤さんは、4年目までは300坪のビニルハウスで営業を続けてきましたが、5年目にビニルハウスを増設することを決心。
自己資金に加えて、協力してくれているお母さんからの借金を足した合計400万円を投じて、100坪を増やすことにしました。しかし、これ以上の拡大となると、今のところは予定はないといいます。

シーズンを終えて、高設栽培設備のメンテナンスを行う斉藤さん。
写真は、高設栽培で使用していたマルチフィルムをはがしているところ。

「今以上、規模を拡大すると人を雇わなくてはならなくなります。元々、パートタイムの代わりに始めた農業ですから、人を雇ってまで規模を大きくしていこうとは考えていないんです。2人の子供はまだ小学生ですから、一緒にいてやれる時間をできるだけ確保したいですね」

収穫を終えたイチゴを掘り起こしているところ。

それでも、今ある農園をより充実させたいと考える斉藤さんは、小さすぎたり、形が悪くて売り物にならなかったイチゴの有効活用などの取り組みも進めます。

これまでは、お馴染みのお客様にあげたり、近隣の加工業者にジャム用として安く販売していましたが、研修先の農家に紹介してもらったアイスクリームを製造してくれる牧場に、オリジナルのアイスクリームとシャーベットの製造を依頼し、それを農園で売るというもの。当初は様々な苦労もあったとのことですが……

「うちは“ママズ・ベリー”の屋号でやっています。だから、ラベルにもお母さんのイラストを描いてもらうことにしたんです。でも、できあがってきたのは、どう見てもお婆さん(笑)。依頼している牧場は、少量発注でもアイスクリーム、シャーベットを作ってくれるのですが、ラベルは大量に作るので、こだわらせてもらいました。」

試行錯誤の末、完成したラベルで販売したアイスクリームやシャーベットも直に人気商品に。先に紹介したように、パートタイムの代わりに始めた農業でしたが、オリジナルの商品の開発もできるようになって、斉藤さんはイチゴ農園の仕事に大いにやりがいを感じているようです。

斉藤さんの収穫を待つイチゴ。

現在はシーズン真っ盛り。イチゴ農園に訪れるお客さまの対応のほか、苗を定植する9月までは、高設栽培設備のメンテナンスや土の入れ替えなど地味な作業の連続ですが、それもまた斉藤さんにとって思い描く農園づくりの一過程のようです。

2012年8月号より転載・一部修正
取材・文/斉藤勝司

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