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第5回 巨大なプロジェクトを動かすノウハウ

公開日:2019.3.15

「大阪万博奮闘記」/「やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記」

[著者]小松左京
[発行]新潮社
[入手の難易度]易

EXPO90、国際花と緑の博覧会(以下「花博」)開催からもうすぐ30年になろうとしている。何かのときに、花博の公式記録集のようなものを見る機会があった。公開のシンポジウムで、園芸家の江尻光一さんが経験した敗戦直後の困難な時期に一輪の花に心を癒やされる人々の話が出ていたような気がする(詳細はまた別な機会に取り上げたい)。このシンポジウムは1987年(昭和62)年の第1回から1990(平成2)年までの毎年、計4回開かれた。花博関連の文化プログラムが開催の3年前に開かれるということは、それ以前から準備が進められていたということになる。

この巨大プロジェクトの準備に関わったリーダー的な存在が小松左京だということを知ったのは『巨大プロジェクト動く』(1994)という花博の顛末記による。小松は、花博で総合プロデューサーをつとめ、博覧会の「顔」になった。この本の後半には、過去に発表された「大阪万博奮闘記」も掲載されている。小松左京は、花博だけでなく、1970年の大阪万博からプロジェクトの中心にいて、重要な役割を担っていた。小松は、大阪万博の準備から花博に至る30年、文字通り巨大なプロジェクトを作り上げる縁の下の力持ちであり続けた人だった。

今日、紹介するのは『やぶれかぶれ青春期・大阪万博奮闘記』だ。新潮文庫の一冊になっている。戦争末期から戦後にかけて壮絶な青春時代を描く表題作のほかに、未来世界を扱ったマンガ家時代について息子さんが書いた解説も載っている。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」で知られる松本零士も小松作品に影響を受けた一人だったという(マンガ家「モリ・ミノル」の漫画全集として2012年に復刻出版されている)。「大阪万博奮闘記」は、「ニッポン・七〇年代前夜」(初出1971)と「万国博はもう始まっている」(初出1966)の2つの作品が掲載されている。

年譜を読むと、1966(昭和41)年は、モントリオール万博の準備を見るために、カナダ、アメリカ、メキシコを訪ね、その後「未来学研究会」を発足している。東京オリンピックから大阪万博までの10年を「祭の10年」と呼ぶそうだが、この激動の時代に小松たちの「未来学」が注目を集めていた。50年経ったいま、東京オリンピック(2020)から大阪万博(2025)という不思議に符合することがでてきた。東京や大阪は、これからどう変わっていくのか。いま、「未来学」があるとしたら、どんな未来を見せてくれるか、などと、あれこれ想像したくなる。いずれにしても、自分たちがどんな未来にしていきたいのか、考えるところからが一歩になるのだろう。

EXPO70、大阪万博の物語は、1964年(東京オリンピックの年)7月に小松左京、梅棹忠夫、加藤秀俊らが京都、祇園の旅館に集まってつくった「万国博を考える会」から始まっている。開催の5年ほど前になる。このグループはまったくの「知的興味(悪く言えば野次馬根性)から」勝手に万博を考え始めた。「万国博覧会」という和名もこの会から始まったのだという。

「考える会」は、万博を3つの方向から研究することにした。まず、万国博がなぜ生まれ、どのように人類社会に役割を果たしてきたか、1851(嘉永4)年のロンドン博以前とどのように関わっているかと調べる(本質論)。もう1つは、戦後のブリュッセル、シアトル、ニューヨークの各博覧会および、準備中のカナダ、モントリオール博覧会の取り組みをできるだけ詳細にたどり、ケース・スタディをやること。 3番目は、日本でこれから行われる初めての万博を《一種の「社会現象」としてとらえ、地域開発、政財界、官界、学会、文化人その他各界の反応と、対応のしかた、総合的な政治演出など、あらゆる側面から観察し、検討してみること》にした。

小松たちのグループは、この当時から、オリンピックや万博が政財界の思惑を投影した巨大な投資プロジェクトの大義名分となり、大規模な地域開発や産業振興の推進力になることを理解していた。ただ、そこに描かれる未来は、「これでいいのか」と問いかける。

例えば、目前にせまる東京オリンピックによって高速道路や新幹線など社会インフラが充実し便利になった一方で、失われたものもたくさんあった。東京が終われば、次は関西だ、というのが万博開催の向こうに見える。この当時、万博に期待されていたのは「輸出振興」のためということだったという。しかし、万博を輸出振興という目的に直接つなげることは「国」が主催するイベントとして果たしてふさわしいのか、という疑問がある。歴史を見ても、産業技術の一大情報交換の場、物産展的な博覧会は役割を終え、国際見本市へと受け継がれている。これからの万博は、世界的に広がる大衆社会を基礎として、《われわれの世界についての問題提起と、提案を、展示、催しを通じて行う場、という意義と性格が強まって来ている》《博覧会は、その直接的、経済的な効果より、その博覧会を通じて世界の大衆にアピールすべき「理念」のほうが重視されてきているのだ。そして、その方向にそってのみ博覧会を開催する「意義」がある。》「考える会」は、やがて「つくる側」へと巻き込まれていく。

小松左京は、巨大なプロジェクトでは、巨額な資金が動き、関わる人間も多く、利害の衝突や思惑が錯綜するもので、いくら精緻に考え抜いた「理念」が役に立つものでもない、という。しかし、《考えに考え抜き、現実を律する「方向」としてオーソライズされれば、それは眼に見えない糸として、巨大な現実を「しばる」だろう。また現実の巨大な葛藤の間に、その現実を動かしている人々が方向を見失った時、ふとそこを見かえれば、そういった場面に立ちいった時はじめて問題になるようなことについての解答のヒントが、そこにちゃんと用意されてある、というのが「文」の力というものなのであろう。》

このようにして、万博の理念は用意され、テーマ(統一主題)、4つのサブテーマおよびその展開事例、やってはいけないことなどが決められ、参加する各国、各企業の展示やアトラクションまでも貫いていった。理念を重視し、「理念」→「テーマ」→「サブテーマ」という骨組みをしっかりとつくることによって、イベント全体の統一感と企画の多様性を同時に実現できるようになるのだと思う。日本人がまだ誰もやったことのない博覧会の最初に、このイベントを動かす大きな構造に気づいた小松たちの慧眼にあらためて尊敬の思いを抱く。小松たちがいなければ、テーマ館すらつくられなかったかもしれない。当然、「太陽の塔」もない。太陽の塔は、テーマ館の地下展示と屋根の上部につくられた空中展示をつなぐエスカレーターの塔屋だった。

最後に、小松の話の中で面白いのは、「理念」や「テーマ」作成のように重要な会議はメンバーを旅館などに資料などを用意した上で一週間「缶詰」にして作り上げる、という極端な方法をたびたび提案していることだ。メンバーみんな忙しいなかで、何度も集まるよりも、時間的、コスト的にも、集中力を発揮するためにもベストな方法だと考えていたようだ。

参考
『巨大プロジェクト動く』小松左京 廣済堂出版 1994年7月
『小松左京自伝』小松左京 日本経済新聞出版社 2008年2月
『1970年大阪万博の時代を歩く』橋爪紳也 洋泉社 2018年5月
『幻の 小松左京 モリ・ミノル 漫画全集』小松左京 小学館 2002年1月

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