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小鳥と農家さんのお話

公開日:2019.4.18

こんにちは! カルチベの園長です。

「いや~、まだまだ寒くていけなせんなあ」と毛布の上でくつろぐネコの横で固まっている、我が家の文鳥。普段、鳥のいる部屋にはネコは立ち入り禁止なのですが、寒い時期は油断をすると、部屋が暖かいのでネコが忍び込もうとします。

で、今回の主役はネコではなくて、この文鳥です。

見つかってちょっとバツの悪そうなネコの表情。

カルチベに文鳥がなんの用かといいますと、その昔、文鳥は作物(?)だったというお話です。江戸期に日本に入ってきて流行した文鳥ですが、その多くは中部地方の農家さんの納屋などで、閑農期の副業として生産されていました。

白文鳥で有名な愛知県弥富市では明治時代から生産が始まり、最盛期で200軒以上の文鳥農家があったといわれています。ちなみに現在、弥冨の文鳥農家はとても減っていて2軒程度しか残っていません。残念なことに、日本一の産地として弥富の名声を支えてきた弥富文鳥組合は平成21年8月をもって解散してしまいました。

弥冨に残る文鳥農家の1軒にお邪魔しました。

今も残る文鳥農家の1軒にお邪魔してお話をうかがったのですが、当初は自分の畑で作った野菜や穀物の余ったものを飼料として使いながら、納屋を使って多くの農家さんが文鳥を作っていたのだそうです。昭和50年代くらいまで、小鳥の飼育がブームだったこともあり、結構いい副収入になっていたのだとか。

納屋の中にはずらりと年代物の繁殖用の巣箱が並んでいます。
作られていたのは、弥冨文鳥の象徴、白文鳥。

ただ、そのうちに文鳥よりもインコなどの人気が上がり、文鳥の価格が頭打ちになったことや、餌用の穀物に輸入品を使うようになって、その価格が上がって、コスト的に合わなくなってきたことなどから、文鳥の生産が徐々に下火になってきたのだとか。

ちなみに、鳥に悪さをして、お仕置き中のネコもいました。

ちなみに、こういった事例は弥冨に限ったことではなく、戦後直後の昭和20年代には、当時欧米で人気の高かったカナリアが、各地でやはり副業的に生産されていて、かなりの高値で取引されていた記録が残っています。

例えば、昭和26年に発行された、岡山畜産便りによると、取引価格がオス1羽675円、メス175円となっていて、当時お米が10㎏50円程度ということですから、とても高値だったことが想像できます。また、輸出用に生産が奨励され、「昭和25年度中に岡山県貿易鳥農業協同組合が取扱ったカナリヤの輸出羽数は雄のみで4,600羽であり(中略)輸出価格については最高860円で、3月22日昭和26年度の輸出契約として10,000羽の仮締結をした。」(岡山県畜産協会『岡山畜産便り昭和26年5月号』)といった記事も見られます。

以前は畑で作った穀物を唐箕で餌用に選別していたのだとか。

とはいえ、小鳥の生産は養鶏や養豚などと違い、専業ではなく、あくまで副業的な色が強かったのでしょうから、コストや手間がかかり過ぎてしまえば、徐々にすたれてしまうのも仕方ないことなのかもしれません。ちなみに今は、生産者が減ったこともあって、国産の文鳥やカナリアの価格は高騰気味。ちょっと残念な気もします。

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