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新規就農ガンバリズム

「葉とらず」のふじ、「はつ恋ぐりん」も栽培! 走り続ける津軽「石岡りんご園」の6代目

公開日:2019.4.17 更新日: 2019.4.24

今回の「新規就農ガンバリズム」は、前編・後編にわたって青森県弘前市の「石岡りんご園」からお届け。

前編ではリンゴ農家を継ぐことになった石岡さんの今までとこれからに着目していく。

青森県弘前市の「石岡りんご園」は、「りんご公園」のすぐ近く。明治時代からリンゴ栽培のさかんなエリアだ。このリンゴ園の6代目となる、石岡りんご園・石岡紫織さんは1982年青森県生まれ。

航空自衛官としてパイロットを目指していた石岡紫織さんは、父の急逝を機に、リンゴ園を引き継いだ。津軽のリンゴ産地では、男女の役割が明確に分かれていたが、紫織さんの場合は「女仕事」はもちろん、「男仕事」もバリバリこなしている。

夢の途中で父が急逝「もう私がやるしかない」

リンゴ農家に生まれ育った石岡さんだが、家業には「ぜんぜん興味がなかった」そうだ。高校卒時代、夢見たのはパイロット。進路指導担当の教師の進めで航空自衛隊へ入隊し、つがる市にある車力分屯基地に配属された。男性隊員と変わらぬ訓練を受けていたが、「若かったので、そんなに苦にならなかった」という。が、自衛隊では試験に合格できずパイロットにはなれなかった。それでも夢をあきらめず、ニュージーランドのパイロット養成校へ。

ところが一時帰国していた2008年6月、父の譲さんが55歳で急逝した。石岡さんは2人姉妹。就職が決まったばかりの妹は、リンゴの仕事には就けない。必然的に長女で「フリー」の状態だった紫織さんが、引き継ぐことになった。

「この辺のリンゴ農家は、お父さんとお母さんの仕事がはっきり分かれているんです」

機械や薬剤を扱う圃場管理は父、木にハシゴをかけ、受粉や摘果、収穫などの作業をするのは母の仕事。そんな役割が明確に分かれているので、母に訊ねても、父が担当していた作業の内容がわからなかった。

「機械作業、冬の枝切り、草刈り、薬がけ…。お父さんが急に亡くなると、みんなできなくなるんです」

自衛隊時代、ずっと男性と同じ仕事を同じ給料でこなしていたので、SS(スピード・スプレイヤー)の運転や機械作業には、何の抵抗も感じなかった。野菜や花と違い、永年作物のリンゴは、栽培を1年も休めない。「私がやるしかない」そう決意して、栽培が始まった。

彼方に岩木山が見える日当たりの良い園地を改植して、わい化栽培にも挑戦。
父や祖父が植えた、開心形の樹もまだまだ現役。たわわに果実を実らせている。
収穫期の園地では、軽トラの屋根を外して改造した作業者が、大活躍。

共同防除にも参加 雹害に見舞われる

元自衛官ということもあり、機械の操作や運転は苦にならないが、急に父が亡くなったため、「男仕事」がわからない。そんな時、力になってくれたのは、同じ集落の「お父さんたち」だった。石岡りんご園のある下湯口地区には、共同防除組合があり、大型のSSを13 台所有。90軒分の100ha分の防除を共同で行っており、その規模は日本随一といわれている。紫織さんもその一員として、作業に加わることになった。

農薬を散布しようとSSに乗って圃場に出ると、薬剤を噴射している後方から、「こっち、こっち。通路を間違えては、ダメだ!」と、薬剤が身に降りかかるのも構わず、手招きして誘導してくれたのは、近所のベテラン生産者だった。園地の形は四角形とは限らず、凸凹があったり、三角形だったり。通路を走行しながら、均等に散布するのは難しい。散布のムラができたり、かかり過ぎないように、紫織さんを誘導してくれたのだ。

「薬がすっごいかかってるのに、一生懸命誘導してくれました。今も、感謝しています」

慣れないながらも、周囲の応援をうけながら、防除作業は続く。父が亡くなって間もなく、そのリンゴ畑を雹が襲い、リンゴに穴が空いてしまい、その年のリンゴの価格は暴落。紫織さんは、1年目の売上と収支を見比べた時、

「何これ? 農業なんて、無理じゃん」と思ったそうだ。農園主となった紫織さんは、雹害を乗り越えるため、急遽300万円の融資を受けた。弘前市には、比較的安定した価格で取り引きする農協出荷と、相場の変動が激しいリンゴ専門の産地市場がある。祖父と父の時代は、農協出荷だけだったが、紫織さんは「それだけでは立ち行かない」と判断。マルシェやインターネットでの直売の道を模索し始めた。

名人に弟子入り 剪定を学ぶ

収穫を終えて冬になると、剪定作業が始まったが、これまた「男仕事」なので、枝切りの要領がわからない。「枝切りどうすんだべ」となった時、同じ集落の男性が30人、枝切りに来てくれた。

「それがものすごくありがたかったですね」

帰郷直後、家の状況が筒抜け集落の人間関係を疎ましく感じたこともある。でも、それは、誰かが窮地に陥った時、助け合うための布石でもあったのだと気付いた。さらに集落の世話人に、紫織さんに「この人に就け」と紹介されたのは、清野誠さん。枝切りの名人で、亡くなった父の同級生でもある。以来、紫織さんは毎年清野さんの畑に通って、剪定の技を学ぶようになった。ひと口に剪定といっても、その方法や考え方は人それぞれ。

「剪定は、切った後どうなるか見ろ。リンゴとの対話だと教えられました」

枝を切ると『もうダメだ』と弱る枝もあれば、『頑張るぞ!』と伸びる枝もある。その見極めが難しい。すべて観察から始まるのだ。

「葉とらず」のふじ、「はつ恋ぐりん」も栽培

秋、石岡りんご園を訪れた。当日の朝は、にわか雨が降ったかと思うと、青空が見える。それを繰り返す空模様。

「今の時期は、こんな天気が多いんです」

祖父や父が植えた、開心形の巨木はずっと現役で、たわわに実をつけている。その横で、紫織さんが植えた若木も並んでいる。約半分が「ふじ」。続いて「王林」、果皮が黄色く食味の良い「星の金貨」など、試作中のものも含め約20種を栽培している。品質と食味を上げ、さらに省力化を実現するために「葉とらずふじ」を栽培するようになった。

11月までに葉を落とし、果皮にまんべんなく日光を当て、全体を赤く着色する「サンふじ」に対し、収穫時まで、樹の葉をとらずに栽培し、果実に黄色い着色ムラが生じるのが「葉とらずふじ」だ。葉を取らない分、収穫を遅らせることができ、ギリギリまで味を乗せることができる。下湯口地区は、先駆的な「葉とらず」リンゴの生産者の多い地域でもある。園地の一角に鮮やかなグリーンの果実をつけた樹があった。

「これが『はつ恋ぐりん』。青森県が開発した新品種です。正式な品種名は「レイ8」を父、「グラニースミス」を母として、2011年9月、青森りんご研究所で開発された「あおり24」で、鮮やかなグリーンの果皮と、酸味が特徴的。約30人のメンバーで構成される「あおり24研究会」は、これを「はつ恋ぐりん」と命名し、商標登録も取得している。紫織さんはこの研究会に所属して、栽培を開始。まだ生産量は少ないが、今後の展開が楽しみだ。

こちらは有袋のふじ。袋をかけて日光を遮ることで、鮮やかなピンク色に発色。贈答用としてのニーズが高い。
青森県が育成した「はつ恋ぐりん」。研究会のメンバーが栽培している。

「農業は、自分の仕事を全部クリエイトできるから、すごい! 栽培も剪定もプロデュースもすべてやる。すごく面白い仕事だな。そこに気づくか気づかないかなんですよ」

就農から10年以上。無我夢中で走り続けてきたが、やっと自分の人生を見つめ直す時間ができてきた。

「リンゴは私がやるから、普段は別の仕事をしていて、出産とか育児とか、肝心な時にフォローしてくれればいい。そんなパートナーに巡り会いたいですね」

そんなお婿さんを、ただ今絶賛募集中だ。

 

 

「農耕と園藝」2017年4月号より転載・一部修正
取材・文/三好かやの
取材協力/石岡りんご園

 

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