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新規就農ガンバリズム

誰も店をやらない場所で挑戦したい! ブドウ農家とワイン醸造所をはじめました

公開日:2019.4.24

今回の「新規就農ガンバリズム」は山形県山陽市で小さなワイン醸造所を営む藤巻さんに密着した。こちらは前編・後編でお届けしたい。

東京のレストラン→大阪→山形のブドウ畑へ

「あの震災がなかったら、私はここでブドウを作っていなかったと思います」

きっかけは、6年前の東日本大震災。

レストランの総支配人として活躍していた藤巻さんは、SNSで仲間と資金を募り、料理人たちと東北の被災地へ何度も炊き出しに出かけていた。寝る間も惜しんで炊き出しの仕込みをして、現地の人たちに提供して帰る。そんなハードな日々が続く。同じ頃、社内で大阪への出店が持ち上がっていたが、周囲には土地勘もなく、知り合いもない新天地での立ち上げを危ぶむ声も多かった。

ところが、「誰も店をやらない場所で、エッヂの立ったことをやれば成功すると、それまでの経験からわかっていました。結局、好調な滑り出しで、あっという間に満席になりました」

東京から大阪への単身赴任は1年半続いたが、この時藤巻さんはある醸造家と出会う。

大阪で「フジマル醸造所」を展開する藤丸智史さん。柏原市や羽曳野市の耕作放棄地を借りてブドウを育て、デラウエアなど既存の品種からワインを作り、大阪の店舗で販売していた。藤巻さんは、休みの日にそのブドウ畑へ手伝いに行くようになった。

「体験程度なのかと思ったら、がっつり農作業でした(笑)。それがリフレッシュになって、逆に心地よかった」

藤巻さんには、もうひとつ気になるブドウ畑があった。東北で炊き出し後の帰り道、疲れ切った体を休めようと立ち寄っていた山形の赤湯温泉。そこは一緒にレストランを立ち上げた平高行さんの故郷であり、毎年秋に贈られてくるブドウの産地でもあった。

「行くたびに、ハウスが解体されて更地になって、どんどん畑が消えていく。耕作放棄、後継者不足。話には聞いていたけれど、こういうことだったんだ」

それを大阪の藤丸さんに話すと、「ワインを作ればいいじゃないですか。藤巻さんが山形へ行けば解決しますよ。僕、全力で応援します!」と言ってくれた。

誰もやらない場所で、エッヂの立ったことをやれば成功する。それは農業も一緒。ブドウ農家になって、ワインを作ろうと決意した。

デラウエアが収穫を迎えていた。これを新設したワイナリーへ運び、ワインを醸造する。
収穫作業に当たる若手スタッフ。酸化防止剤は使わないので、一房ごとに点検し、病果を取り除く。

瀕死のデラウエアからワインを醸造

単身南陽市へ移住したのは3年前の11月。49歳だった。とにかく「栽培に関して農家と議論できるだけの経験を積む、醸造に関して醸造家と話ができるだけの醸造経験を積むこと」を目標にした。

プロのサービスマンとして20年以上のキャリアを持ち、見知らぬ人と打ち解けるのは得意なはず。周囲の農家に教えを乞おうと「タダで働かせてください」と頭を下げて頼んだものの、最初は悉く断られた。

すると1人だけ「雪で潰れた畑があって、2年くらいほったらかしになってる。持ち主に話してやるべか」と、仲介してくれる人が現れた。面積は20a。頭上にあるはずの棚を支えるワイヤーが地面に落ち、支柱は全部倒れていた。

「全体の6割の樹を伐りました。生きてる樹を持ち上げて、棚を添え木で上げて、草を刈って、空いた場所に苗木を植えて…。炊き出しで知り合った人たちが、宮城県から無償で手伝いに来てくれました」

いつしか「うちにコンクリートの杭があるから、使ってくれ。しっかり立つぞ」と申し出る農家も現れた。そんなこんなで1年目で棚は復旧。折れたり、虫喰いのある樹や枝を伐り、生きた樹の枝を伸ばした。2015年。2年間放置され、生き残った樹から収穫できたブドウはデラウエア70㎏にシャインマスカット30㎏。それを大阪の藤丸醸造所へ運んで、ワインを作った。

「ワイルドな状況で2年間生き続け、残ったデラウエアだから、めちゃくちゃ味が濃かった。お世辞抜きに美味しかったですよ」藤巻さんが作るのは、ナチュラルワイン。

使う農薬はボルドー液のみ。除草剤や酸化防止剤は使わない。ワインには種子の周囲にできる酸味がとても重要なので、種なしのブドウを作るためのジベレリン処理は行っていない。2年目は、新たに農地を貸してくれる人が現れ、栽培面積を80aに拡大。レストラン関係者や震災関連で知り合った東北の仲間たち。

また「自分もいつかワイナリーを立ち上げたい」と志願して、スタッフに加わった松山さんらと、収穫作業を進めていった。この年の収穫は15t。震災以来、東北にも新しいワイナリーが増えている。2年目は仙台市太白区にできた秋保醸造所にブドウを運んで醸造を行い、1万5千本をリリース。レストラン関係者を中心に販売した。

レストランでワインをサーヴする藤巻さん。「昔から接客は得意なんです」。東京と南陽市を行ったり来たりの日々だ。

農家からブドウを買い上げ、南陽市をワイン特区に

耕作放棄地の再生からコツコツと実績を積み重ねてブドウを栽培し、委託醸造の形でワインを作ってきた藤巻さん。レストランから完全に独立したわけではなく、現在もサローネグループのゼネラルマネージャーを務め、ネットを介して会議に参加。イベント等がある時は、サービスマンとしてフロアに立つ。家族のいる東京と南陽市を行ったり来たり、単身赴任の日々が続いている。50歳を目前にしての新規就農。思った以上にハードルは高かった。南陽市で認定農業者になるには、50aの栽培計画が必要だったが、藤巻さんは申請時点でその面積に達していなかった。認定が受けられなければ、補助金やスーパーL資金の借り入れは難しい。

「目の前で耕作放棄地が問題になっているのに、なぜすぐ認定してくれないのか。私はワインが作りたい!」そんな訴えを耳にして話を聞いてくれたのは、南陽市の商工観光課の担当者。情報交換するうちに「ワイン特区」になる道があることを知らされた。

南陽市がワイン特区として認められれば、酒税法が定める最低生産量が6KLから2KLに緩和されるので、小規模のワイナリーでも新規参入が可能になる。これまでのように大阪や仙台へブドウを運んで委託醸造するのではなく、地元にワイナリーを設立して自ら醸造することもできる。

藤巻さんは南陽市をワイン特区にするべく、白石孝夫市長に直談判。

「市長、聞いてください!」

当時山形県では隣の上山市がワイン特区になったばかり。南陽市内には、既存の4つのワイナリーもある。

市長は、当初は特区設立に及び腰だったが、藤巻さん個人や、会社だけの事業ではなく、高齢化が進む周囲のブドウ農家も巻き込んでワインを作っていくこと。ワイン作りを学びたいと藤巻さんの元に集まる若者が、ベテラン農家と交流しながら技術を高める絶好の機会であること。海外からプロの醸造家を呼び寄せて、世界に通じるクオリティのワインを目指すこと。それが耕作放棄地の解消や、既存のワイナリーや隣の上山市とも手を組んで地域を盛り上げる起爆剤になること等々……を渾々と訴えた。

そんな説得が市長の心を動かして、16年11月29日、南陽市は山形県で2番目のワイン特区に認定された。

レストランの支配人が潰れたブドウ畑の立て直しからスタート。周りの人を動かして、新たなワイン特区に。今年は新たにワイナリーを設立して、いよいよ3年目の収穫と醸造が始まっている。

 

 

 

「農耕と園藝」2017年11月号より転載・一部修正
取材・文/三好かやの
取材協力/株式会社グレープリパブリック

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