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第10回 日曜日がキラキラしていたころ

公開日:2019.4.19 更新日: 2021.4.14

新園芸手帖シリーズ「日曜植木屋」

[編者]林弥栄・相関芳郎・中村恒雄
[発行]誠文堂新光社
[入手の難易度]難

タイトルの「日曜植木屋」がいいよね。この時代に誠文堂新光社から発行される園芸書のタイトルに使われているフォントは、「太明朝体」というのか、インパクトの強い顔をしている。表紙カバーのモデルになっている男性は、ヘアスタイルもすっきりしていて、サラリーマンなのだろうか。まわりに広げられた道具はピカピカだ。履いている長靴までも光っている。

この本は、新・園芸手帖シリーズの一冊で、10人ほどの専門家、愛好家が書いている。
桜井元、船越亮二らのほかに、「園芸家12カ月」を訳したドイツ文学者の小松太郎(今は中公文庫に入っているが、最初は誠文堂新光社の「園芸手帖」シリーズの一冊として出されたもの)や植物学者の本田正次、園芸学の小杉清らの名前が執筆者のなかにある。
初版の発行は昭和41年(「ガーデンライフ」が季刊だったころ)。当時はまだ週休二日制は夢のような話だったろう。日曜日がキラキラ輝いていた時代だったんじゃないかな。どんなことが書かれているか一緒に読んでみよう。

日曜植木屋入門 高橋壮介(園芸家)

高橋が読者に「日曜植木屋」になるように勧めるのには、こんな理由がある。
どうも植木の様子がよくないと思ったら、それはもしかしたら植木屋のせいかもしれないというのだ。

《農地を宅地用として売りはらい、農業から転業したニワカ植木屋さんがふえたからである。
それでいて日当は大工さんなみにふんだくられるのだから、たのむお客さんこそとんだ災難というものだろう》

《手間賃稼ぎのニワカ植木屋にまかすより、自分の好みにあった味も出せるばかりか、四季の粧いを考えて、あれこれ草木の配置に工夫をこらす楽しみもある。
あまつさえ、楽しんでしかも安上がりときては、これほど健康的で結構な趣味も少なかろう》

そうやって、自分でやってみると、本物の庭師がキセル片手にスパリスパリして「休んでばかりで仕事がサッパリすすまない」ことにも、ちゃんと理由があることがわかる。離れて見ることが、とても大切なのだ。

《はしごや脚立の上でチョキチョキやっていたのでは、全体の形がよくわからない。
岡目八目他の木々、いや庭全体との調和をとりながらハサミを入れるには、やや離れたところから、前後左右に位置をうつしてながめ、どこをどう切ったらいいかしらべるのがいいのである》

しかし、「日曜植木屋」にも2つの泣き所があるという。
1つは、その名の通り、日曜しか時間がないこと。
もう1つは、作業に対して必要な体力が追いつかないということ。それゆえ、自分のやるべき場所を絞り込むことが大切だという。プロに任せたほうがいいところは任せる、そういう割り切りが大事。

《趣き深くとか、入念に仕立てたいといったもの。
あるいは少しずつ暇をみては、楽しみがてらに仕立てられる茶庭のかん木とか、庭の要所要所に配した大切な木、根締めの草木など芸術性豊かに仕立てるもの、花木や果樹にかぎって自分でやればいいのである》

植木屋、造園家への注文 山田菊雄(園芸家)

上と同様に

《一流の造園会社や、老舗の庭師は別として、農家から植木屋に早変わりし(た植木屋が)、金に物をいわせて店先や、庭先の植木や造園材料や看板は堂々としていても、看板通りの庭園設計施工ができるだろうか。看板にいつわりありの数多いのには、おどろかざるをえない現状である。素人がいいカモにされ、泣き言の実情はよくある》

また植木生産の方々にも一言

《市場に出回っている在来からの植木は、伝統的に、丈夫でよい物であるには違いないが、店をのぞいても、縁日でも同じようなものばかりで、これというものがなくなってきた。まだまだ、あまり作られない、バラエティーにとんだ植木がたくさんあるはずだ。昔の植木屋気質に見習って、もっと特長のある看板を自慢してもらいたい。どうか珍しい、丈夫な植木を、店頭に飾って欲しいものである》

縁日・植木屋あさり 桜井元

「明治のころ、大正のころ」

明治のころは
《東京でも本郷の駒込、四谷の大久保あたりには、植木屋という職業人がたくさん集まっていた》。
植木溜めという庭園向きの、大小さまざまの木や下草になる植物が植えてあった。植木の好きな人はそこに出かけるのが楽しみだった。

明治から大正時代、東京では縁日がさかんで、

《各町々にあった不動様、稲荷様、地蔵様や、小さい名ばかりのお堂やお社が、暮らしむきの収入を得る方便の一つとして一種の流行のようなものでもあったのだろう、七、八丁(一丁=109メートル)も歩くつもりなら、毎晩のようにどこかしら縁日があった。
そこにはまあ今日の安デパートでみられる衣類や布地、台所用品やこどものよろこぶ玩具はとくに多かった。夏なら氷水や金魚、焼きトウモロコシや赤い行燈をつけたスイカもみられ、秋ならば焼き栗や焼きイモ屋も、よい香りを流していた》

縁日にはとくに植木屋がたくさん出ていた。(関連:第105回

《草花、苗物、鉢物、盆栽、山草といったものを並べていた。
そのなかには老舗(しにせ)がいて、名のとおった盆栽もあり、当時としては他ではちょいと手にできないめずらしい山草もあって、植物好きな人たちには、なによりと楽しい場所でもあったのだ》

「かけ引きは楽し」

《(縁日に)でかければ、何か気にいったものが目にとまるし、1ヵ所でほしいものが、あれこれまとめて入手できる重宝さも買われて繁盛した。
それに、植木やのいう、売り値をねぎって買う楽しみもある。最近では苗物、鉢物など、定価というのか値段をつけてあるので、おもしろくなくなったし、うっかりねぎると、植木屋に怒られたりして、引きさがる仕儀にもなるが、以前はほしい品を植木屋のいい値で買う奴は、アホウの仲間、まあ、いなかった》(第9回参照

《そんなやりとりが、いかにも人間味があって楽しかった。
それでも植木屋は案外ほくほくと、帰りには一杯のめるという胸算用だろうし、買ったほうだって、何か、もうけでもしたような気分で、女房に自慢話もできるといった寸法であった。》

「今日、このごろの縁日」

戦後は、縁日の植木屋もすたれる一方であったが、

《近ごろ復活したところも多く、目黒不動(毎月28日)と虎の門の金比羅神社(毎月10日)の御縁日の植木店はにぎやか》

だった。

浅草の富士神社の縁日、通称おふじさんは、季節は夏、植木店が数百軒も出ていた(5月31日、6月1日、6月30日、7月1日)。
世田谷ぼろ市は12月15日、16日、1月15日、16日の冬。

《以前はぼろならぬ生きのいい植木店のほうも盛んで、掘りだしものも多かったが、最近は植物の方はさびれてきたようだ》

「植木屋の本場あさり」

関東では埼玉の安行が関西の兵庫県山本と並んで有数の苗場。用途別に専門があって1日や2日では回りきれないほど。

草花の鉢物の専門は小松川・鹿骨
《江戸時代から亀戸辺りにいて、名をあげていたが、これも東京都の広がるのに追われて、しだいに奥へ奥へと移転し》、
《今日の集団を作り、まあ東京都全域の草物を、一手に引きうけているといってもよいだろう》

この本には、東京の縁日と植木市の一覧と植物別に全国の植木屋218軒が掲載されている(P182)。ウメ、ツツジ・サツキ、ボタンなどとともに「珍品」というジャンルもある。
植木市のリストには、出店する植木屋の店舗数が出ている。前述の「おふじさん」は400軒、世田谷ボロ市が300軒、練馬区石神井公園駅前は200軒、西新井大師と大国魂神社が150軒などとある。縁日や植木市が植物普及に果たしていた役割とその重要性は園芸史を考える上で見逃すことはできないと思う。

植木の買い方・選び方

植木屋をめぐる

  1. 植木の生産地に出かける。(第2回参照
    関東では埼玉県の安行(「赤羽駅東口からバスで20分」)、
    関西では愛知県稲沢市周辺(「名鉄国府宮下車バス矢合下車」)、
    大阪の池田市兵庫県の山本(「阪急宝塚線にて池田、または山本下車」)、
    久留米市田主丸などの植木屋の「植木だめ」や苗木の畑と、足まめにのぞけば、思いがけない念願の斑入り物とか珍品をさがしあてることができる。
  2. デパートの園芸用品売り場や種苗商などは、大きな植木は少ないものの季節にごとに楽しい苗木が見つけることができる(日本橋三越、新宿の伊勢丹屋上、渋谷の第一園芸など)。
  3. 縁日や植木市には
    《庭ブームのおかげで50軒、100軒と植木屋の店がならぶようになってきた》。

都会で育つ木・育たない木 相関芳郎(園芸家)

当時(1966年)、東京を代表するさまざまな木が発育不良になっている、と書いている。枝枯れはあちこちで見かけられ、ついには枯死する。

《その残骸を町中でたびたび見るようになった》。

こうした障害の原因としてもっとも問題とされるのは

《空気の汚染によるものである。産業の発展にともなう工場よりの亜硫酸ガスの増加、激増する自動車の排気ガス中にふくまれる一酸化炭素の充満などが、植物の生理を阻害している》。

《土壌中への有害成分の溶解浸透、踏圧、振動なども》生育に不適なものだ。
それで、このころは、「公害に強い木」が紹介されている。
常緑広葉樹(マテバシイ、トウネズミモチ、ネズミモチ、キョウチクトウなど)、
落葉広葉樹(イチョウ、イヌビワ、ヤナギ、アカメガシワ)、
針葉樹(クロマツ、イヌマキ、カイズカイブキ)。

火を防ぐ木と火を呼ぶ木 相関芳郎

《このごろ土地の入手難から、市街地はもちろん郊外においても、かなり隣家と接近して家が建てられる場合が多い》ので
《目かくしをかねて防火力のつよい木を植えて大火になるのを防ぐようにしたいものである》。

火を防ぐ木は、イチョウ、サンゴジュ、ユズリハ、モチノキ、マテバシイ、シイ、ラカンマキ、サカキ、ナギ、ヤマモモなど。
火が下をはうこともあるので、低木のアオキ、マサキ、ヤツデ、モッコク、トベラ、ジンチョウゲなどをびっしりと植えるのもいい。

逆に火を呼ぶ木もある。ヒノキ、サワラ、ニッコウヒバ、マツの類、スギ、ヒマラヤスギなどの針葉樹。シラカバ、シュロ(皮)、プラタナスなどもすぐ燃える。

赤実の柊 大間知篤三(民俗学者)

赤い実がつくヒイラギは、この当時、まだ非常に珍しかったようだ。
大間知夫妻は、なんとか赤い実のヒイラギを手に入れようと、友人に頼んだり、アメリカやカナダに行った帰りに持ち帰るなどしているが、なかなか実がつかないと書いている。

《埼玉県の安行あたりへの照会したり、近畿方面の園芸商への問合わせを出したが、どこにも赤実の柊が見つからなかった。》

《昭和37年に家内がカナダのトロント大学へ行き、38年に帰ってきた。トロントは寒さが強すぎて、ホリーは育たないということである。
その代わりに山の岩の上に生えていたという藪柑子(ヤブコウジ)のようなもの、ゴールテリヤとにているが、葉がもっと丸味をおび、実ももって大きいものが、トロント土産だった。》

《39年の秋のある園芸商のカタログに、初めてホリーの苗の広告を見たので、さっそく取り寄せてみると(中略、その名前は)、チャイニーズホリーだという返事であった》

壁面緑化 大山陽生(小石川植物園)

石やレンガ造りの建物の伝統があり、第一次大戦後にはコンクリート建築へと発展した欧米では、壁面を緑化する工夫が古くからある。
日本も最近コンクリートやブロックの建築が急速に増えているが、壁面緑化に用いる植物をまとめた本もほとんど出版されていない。こうした土地利用の変化に人口過密ということも加わって、

《都市そのものが立体化し、各個の建築の持つ土地空間が狭くなれば、緑や花の美しさを求める人間の必然として、狭い空間に、いかにして自然を導入して美化するかを考える必要に迫られるのも当然であろう。
その一つのあらわれがインドア・ガーデンの流行となり、貸鉢や盆石が盛んになってきたのであろうが》、

壁面緑化は意外に考えられていない。

《植物を寄せつける余地のないほど完璧にデザインされている場合は別として、非情さ、単調さのともないがちな、これら材料の壁面を緑化することに、暖かい緑でつつむことに異論はないであろう》

灯籠や石にコケを生やす秘訣 高橋壮介

買いたての灯籠などにコケを早く生やすには、
《サトイモやナガイモなどを、ザラついた石の肌にこすりつけて粘液をぬりこむと高価はテキ面》
ですぐにコケが生えてくると書いてある。
つるつるしているときは、一度オロシですりおろしてからぬればいいそうだ。養分が張り付いて雨でもあまり流されないみたいだ。「庭師の伝える秘訣」らしい。

関西の庭木・東京の庭木 平井昌信

関東と関西の好みの違いと縁起かつぎ、仕立て方のちがいについて書いている。
昔は、移植と輸送手段の制約があったために、植木の種類や好みに関して地域とその周辺の生産地と強く結びついていた。
それが、鉄道からトラックへと輸送手段が近代化し、造園家の移動も活発化するにつれて差が少なくなくなっている。ただ、傾向として「東京は花木を比較的好み、関西ではいみ嫌うものさえあっておもしろい」という。

植木・庭木の吉兆 中根金作

植物をもって瑞祥をあらわすことは、東洋の思想だと書いている。
松竹梅をはじめ、縁起がよいとされる植物はたくさんある。センリョウなど切枝としてお正月に飾られるものはすべて含まれているようだ。
住宅に縁起の木として植えられる種類があるのと反対に「兆木」(吉木、瑞祥木の反対で縁起が悪い木)とされるもある。寺院や墓地などに植えられる木などが含まれている。

 

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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