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新規就農ガンバリズム

大型トラクタを乗りこなし日々活躍中! 加工用ダイコンを作っています

公開日:2019.5.8 更新日: 2019.4.24

今回の「新規就農ガンバリズム」では、加工用ダイコンを作るサンフィールド㈱の佐々木望都さんのお話を伺った。こちらは前編・後編でお届けする。

「大型トラクタに乗りたい」と入社

佐々木さんが農業を始めたきっかけは、ちょっと変わっている。それまで地元の中古車販売会社に勤務していたが、知人の、「大きなトラクタに乗れるらしい」のひと言に心ひかれた。元々車を見るのも乗るのも大好きなので、「乗ってみたい」との思いから、農業や栽培のことはよくわからないまま、転職を決意した。

入社したサンフィールド株式会社は、社長の桑原拓三さんが、2013年に設立。当初から北播磨地域の耕作放棄地や休耕田を借り受けて、無農薬・無化学肥料で青ネギを栽培。しかも1品目を大規模に作付けして次々と収穫し、主に食品メーカー向けの加工材料として販売していた。

桑原さんは多可町の畜産農家出身だが、高校卒業後、運送業やトンネル掘削機メーカー、上下水道のプラント管理など、様々な仕事の現場で監督を歴任。日本全国を飛び回り、出張先で畑や果樹園を目にするたび「いつか農業をやりたい」と思いを募らせていた。

7年前、それがようやく実現。耕作放棄地を借り受けて規模拡大し、一人で青ネギの栽培を始めた。元々畜産農家に知り合いが多いこともあり、10a当たり鶏ふんや牛ふん堆肥を30〜40t投入している。

「85馬力のジョンディアで、3t積みのマニュアスプレッダを牽引して、堆肥を散布しています」

畝にマルチを張り、年に4〜5回刈り取る手法で、青ネギ一本で規模を3haまでに拡大していく。「同じ株から最長4年間とり続けた場所もありました。ある人に『そら、兵庫県で一番の規模やで』と言われて、やっと気づいたくらいで……」そんな熱血社長もさすがに手が足りなくなり、スタッフを雇おうと面接を繰り返す。男性20人以上に会い、採用してみたものの全員「使い物にならんかった」。そこへ「大きなトラクタに乗りたい」と、佐々木さんがやってきた。

車が好き。85馬力のトラクタ・ジョンディアも乗りこなし、堆肥を散布。
収穫も終盤を迎えたダイコン畑で、社長の桑原さんと。
加工用に出荷するダイコンは、不揃いでも糖度7。食味が良いと評判。

草刈りはちっとも進まず「できひん」とは思わない

一方、佐々木さんは非農家の出身。父方祖父は漁師、父は船の上で料理する操船コックだった。そんな父に憧れ、子供の頃はテレビ番組「料理の鉄人」が大好き。自然に料理人を目指すようになり、大阪の辻調理技術専門学校(現・辻学園調理・製菓専門学校)へ進んだ。ところが、調理実習は水仕事が多いため、学校へ通ううち、手のかぶれに悩むようになっていた。

「手がガサガサでバキバキ。これでは料理人になれない。夢半ばで諦めました」故郷の加東市に戻り、中古車販売会社へ。車の掃除、洗車、納車、事故車の引き取り、何台も車を乗せる積載車も運転した。女性が社長の小さな企業だったこともあり、何でもやらせてもらえた。

そんな佐々木さんが、「トラクタに乗れるらしい」と、14年10月1日に入社して初めて命じられた仕事は、刈り払い機を背負っての畑の草刈りだった。

「初めてだからもう怖くて怖くて。2時間で、3 m ぐらいしか進みませんでした」しかも「俺なら1日で1haの畦草を刈る!」と豪語する、桑原社長に「クソミソに」怒られた。それでも、「おっさんだらけの車業界で、最初はできひんことも、だんだんできるようになっていたから、このまま『できひん』とは思いませんでした。単に初めてなだけで、時間はかかるかもしれへんけど、頑張ればできる!」

そうして入社した佐々木さんは、現場に行ったその日に、草刈りと播種を経験。徐々に農作業にも慣れ、点在した圃場を行き来して作業をこなし、今や桑原さんの片腕に。それでも、いつ・どんな指令が飛んでくるかわからない「奇想天外な毎日」を送っている。

桑原さんは当初から、有機質肥料を大量に投入し、形にはあまりこだわらず、単一の作物を大量に、加工向けに出荷する方針で栽培を進めてきた。

当初は青ネギ一本に絞っていたが、そこにダイコンが加わった。一昨年の10月、日照りが続き、圃場はカラカラに乾いて砂漠のよう。水利のない場所なので、もうダメだと半ば諦めていたがダイコンは日に日に生長していった。

ダイコン畑の様子。
手作業でどんどん抜いていく。

「土に手を入れると湿っている。周囲にほどよく雑草が生えていて、マルチ代わりになっていました」と佐々木さん。

播種する前に投入していた堆肥が土の水分を保ち、ダイコンを育てている。次第に気温が下がると、ダイコンは周囲の草に負けずに伸びていくので、除草剤も必要ない。堆肥の大切さを思い知った。そうしてできたダイコンは、カットして漬物などの加工品に使われるので、あまり形を気にせず、できた先から抜いて洗浄。コンテナに詰めて出荷している。

昨年は、秋口の大雨や長雨で、北海道、青森、群馬など、産地の畑が大打撃を受け、市場のダイコンが高騰。取り引き先の加工メーカーが仕入れに苦慮していた。

「市場にダイコンがないと大騒ぎ。まだ植えたばかりなのに、取り引き先の専務が電話で『今から見に行く……』と。本当に大変そうでした」

近年の異常気象は、大量に野菜を扱う食品加工メーカーに危機感を与えている。遠く離れた産地から送料を乗せて移送するより、車ですぐ様子を見に行ける近場の産地が必要。加工原料の「地産地消」が求められている。とはいえ加西市周辺でも、ダイコン農家は苦労している。通常8月半ばのお盆明けに種子を播いていたが、9月になっても高温が続いて芽が出ない。

一方、桑原さんらは栽培面積が広いので、一気に播種できず、9月後半までかかってしまった。すると遅れて播いた分が、順調に生育。発芽温度が合っていたのだ。「昔から定番と呼ばれている品種より、最近世に出た新品種のほうが、今の気候に適しているように思います。

圃場では紫色の安全靴を愛用。

糖度7のダイコンは加工適性も抜群

「農業を始めて、初めて気づきました。野菜ってこんなにおいしいんや(笑)」と嬉しそうな佐々木さん。土作りと播種は機械で作業しているが、収穫はすべて人力。時々人を雇うこともあるが、基本的に2人で行っている。しかも注文はt単位。「3時間で1000本以上抜くこともザラ」だという。

同社のダイコンは加工用なので、まっすぐでないものもあるのだが、「ここのダイコンでないとあかん」と、畑に車で乗りづけて物々交換で持ち帰る人もいるという。試しに測ってみたところ糖度は「7」。通常ダイコンの糖度は3前後。取り引き先の担当者も、「ダイコンなのに甘い。食感もナシみたい」だと、一様に驚いている。生食で食味が高いだけでなく、加工の現場では、「なます」の原料に使っても、塩や甘酢が早く浸透する。おでんに使う場合も下茹でせず、そのまま出汁に入れても臭みが出ない。

しかも煮崩れしにくいと高い評価。取り引き先の給食会社では、配達用の弁当に、毎日必ずダイコンのおかずが入るようになった。「そこで初めて気がつきました。うちのダイコンは他所とちゃうわ」と桑原さん。

農業を始めて数年。予想外な出来事も多いが、他の農家も巻き込んで、B級品を生かした商品作りをしたいと考えている。

これまで有機栽培農家の経営は、流通コストが嵩むこと、B級品の行き場がないことなどがネックとなり、規模拡大が難しかった。そこで桑原社長は、県内の有機栽培農家とネットワークを結び、加工メーカーから個人レストランまで、必要としている農産物を幅広く供給しようと考えている。

誰もやったことのない事業に挑む社長について行くのは、決して楽ではないが、「今までみんなが捨てていたB級品が素敵な商品に生まれ変われば、面白いやろな」やってできないことはない。そう肝に命じて「奇想天外な日々」を楽しんでいる。

 

 

「農耕と園藝」2017年6月号より転載・一部修正
取材・文/三好かやの
撮影/岡本譲治
写真協力/JAみのり

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