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園藝探偵の本棚

第17回 「洲浜」という日本独特のモチーフ

公開日:2019.6.7

いけばな小原流『小原流挿花』 2019年3月号

[発行]一般財団法人小原流
[入手の難易度]易

誠文堂新光社の『園藝探偵』は3冊発行された。僕は、この1から3号のすべてに「島台」について書いた。「島台」とは、洲浜(すはま)形の台に松竹梅を立て、足元に鶴亀、翁と媼の人形などを飾る置物で古来より不老不死の仙山として信仰される蓬莱山を写し、慶事の祝儀として用いられてきたものだ。特に近世以降は「婚礼」の席に欠かせない調度品として飾られてきたものだという。図は、婚礼のシーンで登場する島台。(図1『武家義理物語』、図2『絵本江戸紫』いずれも部分)

図1『武家義理物語』一巻 井原西鶴 (貞享5 )年 国立国会図書館蔵 デジタルアーガイブズ
図2『絵本江戸紫』禿帚子 作[他]出版者 須原屋茂兵衛[ほか2名] 明和2 [1765] 国立国会図書館蔵 デジタルアーガイブズ

今日、紹介する資料は、いけばな小原流の機関誌「挿花」に現在連載中の原瑠璃彦氏の「美の庭をめぐる」から、第三回「洲浜-清浄な海辺」という論文だ。この連載では「日本にいにしえから伝えられる事物や文献を手掛かりに」ひとつの庭をめぐり歩くようにして日本の美のさまざまな側面を読み解いていく。連載一回目、二回目の「石」に続いて「海辺」が取り上げられた。連載三回目の「洲浜」、そして第四回目の「洲浜台」がそれだ。原さんは、「洲浜」は白砂青松に代表される日本の原風景であり、大陸文化にはない日本独特のモチーフだと指摘する。

記事によると、陸と海の境界は、人と神、男性と女性、生と死といった境界と重なり合う。日本の伝統的な庭は海辺を模したものであり、池は海に見立てられているという。海に囲まれた島国に生きる日本人にとって、海辺とはさまざまな意味をもっていた。たとえば、海の向こうに神々や死者が住まう「常世の国」があり、海辺とは聖地への入り口と考えられていた。海辺は男女の恋愛の場でもあれば、戦の舞台にもなった。「洲浜」は、州が曲線を描きながら出入りする海辺。まさに「白砂青松」、日本人の海辺の原風景を理念化したモチーフが古くから絵画、庭園、工芸品などの意匠に繰り返し登場してきたものだ。

原さんは「洲浜」が日本独自のものだという。

《興味深いことに、州浜というモチーフは大陸文化圏には見られない、日本独自のものと言われている。大陸文化圏において、水辺の風景といえば、滝や川、湖であり、海というものが主眼に置かれることは稀であった。どうやら洲浜とは、この島国ならではのモチーフらしいのである。》

どこか特定の具体的な海辺ではなく

《白砂青松の海辺の記憶の蓄積から析出することによって、生成されたモチーフ》

と考えるべきだという。

「島台」(洲浜台)が婚礼などお祝いの場で用いられるのは、原さんが指摘するように神聖なもの、永遠のものに祝福を願う意味が込められているということなのかもしれない。

「洲浜」と茶器に見られる「ゆがみ」の関連性

原さんの論文を読んで、さらに勉強をしていくうちに、学習院大学の荒川正明教授のサイトにたどり着いた。荒川さんは、「洲浜」のカタチが「へうげもの」古田織部が好んだ「歪み」と関連付け、日本人の心象風景が投影されていると指摘している。

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/g-hum/art/web_library/author/arakawa/yakimono/05.html

「ウス茶ノトキハ セト茶碗 ヒツミ候也 ヘウケモノ也」とある。これは博多の豪商の神谷宗湛が、古田織部の茶会で使われた茶碗を記録したものである。古田織部の茶会に出てきた「セト茶碗」が歪んでいて、しかもおどけたかたちであったことをこの日記は伝えている。

「歪み」とよぶこの桃山陶器の造形であるが、私たちは整ったかたちを崩したものというだけに解釈しているように思われる。しかし、本当にそうだろうか。私は「歪み」にはなんらかの日本人の心象風景が、投影されていたように感じられる。

ここでひとつの仮説として提示したいのが、「洲浜」との係わりについてである。

《平安時代の貴族や武家階級による饗宴や法会などのハレの場には、「造り物」が登場した。これには、神仏をよろこばせるとともに、幽趣や奇趣を競い合い、自然の景物や動植物などをかたどり、人目を驚かせる趣向が求められた。その性格をよく表しているのが「洲浜台」である。洲浜はもともと浜辺の入江にある渚をいうが、近世に入ると正月の飾り物として曲物の三方の上に再現されるようになり、「蓬莱飾り」「蓬莱台」「島台」などとよばれ、場を神聖化する仕掛けとして祝宴の吉祥の造り物に変容していく。蓬莱山に鶴と亀を配し、時に高砂の尉と姥を加えたものなどが代表的なものであった。つまり、時代を超えて日本人の心のなかに刻まれ続けてきた視覚的イメージで、絵画や金工、蒔絵の風景文様には、必ずといってよいほど洲浜が登場するのである。》

《歪んだ茶碗や鉢のなかで、あるものはこの洲浜のイメージに合わせてつくられたのではないだろうか。洲浜のモチーフが好んで造形化された背景には、日本人が長い間この洲浜を、神仏の宿る聖域として認識してきた歴史があった。ロクロで挽き上げた端正な姿の茶碗や鉢を、洲浜形に近い三角形に変形する。あるいは水指や花生の胴部を箆で内側に押し込んで、ぐっと湾曲させる。茶碗や鉢の文様に、水辺にまつわるモチーフが多く描かれている点からも、そんな思いを抱かせるのである。》

《日本的なアジールの象徴的表現、つまり海岸や洲浜や島など、神聖な場や領域のもつ聖性が宿されたと私は思う。》

余談だが、荒川教授は、昨年オーストラリアで江戸時代(17世紀)の有田焼の壺を多数発見しニュースになった。江戸時代の植木鉢を研究する瀬戸の愛知県陶磁美術館学芸員、佐久間真子さんの師である(佐久間さんは「探偵の本棚」の第9回で取り上げた浮世絵の展覧会図録で植木鉢についての解説を書かれた方です)。

https://www.asahi.com/articles/ASLD32RKQLD3UCVL001.html

日本人と海の関係、とくに海のある地域と、海のない地域とのつながりを考えることは面白い。古事記の「海幸彦と山幸彦」の神話であるとか、信州の「塩の道」であるとか、変わったところでは、「魚の行商」についての話で、日本海に浮かぶ離島、「飛島」(山形県)と沿岸地域との関係(魚と米を交換する経済)であるとか、「年取り魚」としてのサケとブリの話もある。お正月というハレの日(大晦日)に年に一度のごちそうを用意するのだが、そのときに「鮭」を食べる東日本と「鰤」を食べる西日本、その中間のフォッサマグナに沿った境界に位置する信州の年取り魚の文化(鰤と鮭の両方、また鯉、鱒を食べる)など調べていくと興味は尽きない。お正月の「松竹梅」の寄せ植えも「ハレの日」の文化に関係していると思う。

「島台」という言葉は、『神奈川県花き業界沿革史(1967)』のなかで初めて知ったのだが、当時はなにもわからなかった。しかし、勉強を進めるうちにだんだんと面白いことがわかってきた。『沿革史』では、昭和30年代に、フラワーデザインの勉強会で「島台」のデザインをやっていたことが記されている。考えてみると、戦後しばらくの間は、占領軍の駐留によって外国人が銀座や横浜にたくさんいたわけで、現在と似ているところがある。外国人を迎えて、あるいは外国人が主催するパーティのテーブル装飾として「島台」のデザインが提案されていたのではないかと想像する。実際に1980年代まで、国際会議などのテーブル装飾に「盆景(ボンケイ)」や「直盛り(ジカモリ)」が多用されている。

「盆景」の例として、日本のフラワーデコレーターの先駆け的な存在である永島四郎さん(当時、第一園芸に在籍)の作品を紹介する。

写真1  盆景(『新しい日本の花き装飾』1963年)

写真1は、1962年(昭和37年)10月13日に、東京のホテルオークラで行われた晩餐会で卓上装飾。メキシコ大統領主催で天皇、皇后両陛下が主賓だった。各皇族方はじめ閣僚、各国外交団も列席されたという(『新しい日本の花き装飾』1963年から)。永島さんたち第一園芸のチームは、ロビーのインナーガーデンのほかに、晩餐会場の卓上には盆景を七面制作した。以前から盆景の専門家を招いて研究を重ねており、どの流派とも異なる独自のスタイルをめざしていた。正面両陛下、メキシコ大統領夫妻の御席前は富士山風景、右手に松島風景、左手に牧場風景、右翼に海岸風景、日光風景、左翼には宮島風景、漁家風景だった。盆景と盆景の間は菊花を低く飾り、縁はスマイラックスを用いたという。

国際化が進み、日本の華道家やフラワーデザイナーもどんどん世界で活躍するようになった。「洲浜」のモチーフや「ゆがみ」のデザインが日本的な表現として応用、展開されどこかで見られることもあるかもしれない。

今回、資料として用いた論文が掲載された「小原流挿花」は、戦後からの長い歴史のある月刊誌だ。家元をはじめ、小原流を代表する先生方の作品、研究会のためのいけばな講座、支部花展の報告などのほか、小原流を学ぶ人に必要な知識と教養を高めるための質の高い記事が掲載されている。通販サイトがあり、小原流以外の人でも定期購読できる。また、大手書籍通販サイトでも最新号やバックナンバーを購入できる。

小原流教材通販サイト「花もあ Hana More」

https://www.ohararyu.or.jp/member/catalogue/product.php?lang=jpn&id=10000

Amazon「小原流挿花」2019年3月号
https://www.amazon.co.jp/dp/B07P9MR888/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_ad09CbS3GS910

参考
『神奈川県花き業界沿革史』 神奈川県生花商組合連合会 1967
『武家義理物語』一巻 井原西鶴  1688(貞享5 )
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207767 第11コマ
『絵本江戸紫』三巻 禿帚子 作、石川豊信 画 1765(明和2)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2575202 第8コマ
以上 国立国会図書館デジタルコレクションから
『鰤のきた道 越中・飛騨・信州へと続く街道』市川健夫監修 松本市立美術館

園藝探偵的 検索ワード

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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