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第21回 「来歴」を学び未来の花をつくる~コリン・マレーの『アジサイ図鑑』

公開日:2019.7.5 更新日: 2021.5.12

『アジサイ図鑑』

[著者]コリン・マレー
[翻訳]大場秀章、太田哲英
[発行]アボック社
[入手の難易度]易

アジサイの季節の「雑草暦」

6月、7月の梅雨の時期は庭や畑の草がどんどん伸びる。雨の日が続いて外仕事ができないでいるうちに伸びるので、気づいたときにはいつも、「もうこんなになってる!」と驚かされる。第14回で取り上げた『草取りにワザあり』(西尾剛 誠文堂新光社)には「雑草管理カレンダー」という項目があり、12ヵ月それぞれの月ごとに違う種類の草が生えてきて(目立つようになり)、「花暦」と同じように季節を教えてくれているのだと分かる。

6月のところを読んでみると。うん、うん、確かに。この時期は雨の合間の晴れた日は急に気温が上がり、湿度も高くて、草取りはたいへん。だけど、「この時期こそ草取りが重要」。

「セイタカアワダチソウ、やススキ、オオブタクサ、オオアレチノギクなどの大型の雑草が伸びてきます。
株が小さいうちは草取り用の鍬(クワ)などで掻き取りますが、大きくなると手に負えなくなるので、地上数cmで刈り取ります」。

このほか、クズ、ヤブカラシ、アレチウリ、ヘクソカズラ、カナムグラなどのつる草やカモガヤの花粉が飛ぶ時期といったことが解説されている。

必要に応じて除草剤を使うことも勧めている。うちの庭では、最強の雑草ハタケニラの花が5月に咲き始めて「つぼみを見つけたら即、ちぎり」、6月はハマスゲが出てくるところをネジリ鎌で掻き取るのがお約束。

先日、畑で草取りをしていて、「ママコノシリヌグイ」を見つけた。葉やトゲの感じが似ている他の草に「イシミカワ」がある。
どちらも茎や葉裏に下向きのトゲがたくさんついていて痛い。18回で紹介した「ライオンゴロシ」も恐ろしいけれど、「ママコノシリヌグイ」という名前は、時代が令和になった今でも、すごく怖い名前だなとあらためて思った。

アジサイ分類の難しさ

コリン・マレーは、世界的に有名なアジサイの研究者で、フランス、ノルマンディーにある自分の庭園に世界中から集めたアジサイのコレクションがあるという。
著者紹介によると、もともとは薬用植物の研究から始めたが、アジサイに魅せられ1983年からは観賞用の品種にも強い関心を持つようになった。日本にも5回来日し、固有の野生種を調査している。

20回で、山本武臣の本を紹介した。コリン・マレーは、山本に会うことも来日の目的の一つだった。山本は日本のアジサイについて持てる知識のありったけを彼女に伝えている。
また、日本で出会った人々は常に親切にしてくれたということを書いていてうれしくなる。

この図鑑をつくる目的は、野生種から園芸種を含むアジサイ属の多様性を多数の写真で見せることだという。
さらに、アジサイ属の全体を眺めることができるように整理して並べている。これが、非常に難しい問題だったという。

というのも、たとえば、特にアジサイで重要な地域である日本では、古くからの「自然交雑」があり、どこまで「種」として差異を取っていくか、取らないのかが研究者の間で見解が異なるからだ。AとBを同じ種とするのか、別な種とするのかが決まっていなければ、図鑑にどのように名前を記載するのか困ってしまう。分類の仕方によっては、アジサイ属の魅力的な多様性が輝きを失ってしまうと著者は考えた。園芸品種も含めるとさらに複雑になる。

そこで、著者は、分類学でいう「種」と「属」の間に位置する「節(亜節)」という項目でまとめることにした。「種」の判断を保留して、全体がよく見えるようにする。

まずアジサイ属をアジサイ節とクスノハアジサイ節に分け、そのアジサイ節を6つの亜節に分ける、といった具合になっている。さらに園芸品種は、亜節のあとに園芸名を示すだけにしてある。

区分けのもとになった研究はエリザベス・マクリントックによる「A Monograph of the Genus Hydrangea」(アジサイ属)。日本語版では、コリン・マレーの記載に日本の専門家が最新の研究や知見をもとに注記が加えられている。

いずれにしても、こんなふうに難しいことを考えなくても愛情をもって映された大量のカラー写真を見るだけでワクワクしてくる。自分が知っている園芸品種を検索するのも楽しいと思う。

アジサイ属研究小史

誠文堂新光社の雑誌「実際園藝」や「農耕と園藝」の生みの親、石井勇義は、江戸時代以前の園芸植物の研究者でもあり、日本で最初の本格的な園芸植物の図鑑(『園芸大辞典』)をつくったことで知られる。ツツジ、カエデやツバキなど、石井が戦前に資料を集め記録した文献によって、戦後の研究者は大いに助けられたという。

アジサイと同じように、ツバキは日本に固有種がたくさんあるが自然交雑や枝変わりが日本全国にあって多様な品種を楽しむ園芸文化ができあがったというが、アジサイもまたそのような植物だったのだ。

「来歴」を知ることは重要だ。過去にどのような品種があって、どこから来たのかを知ることが未来の新品種育成のカギを握る。花のよさだけでなく、開花時期、葉や枝のサイズ、暑さ、寒さ、病害虫への耐性などなど、過去の記録は参考にできることが多い。
石井は戦争が激しくなり、空襲による焼失から園芸品種を守り、資料を残すために努力をしていたという。

さて、この『アジサイ図鑑』には、巻末に日本語版の訳者、大場秀章による解説(「アジサイ属研究小史と本書」)が載っている。この研究小史は、アジサイを学ぶ予備知識となるようにまとめられたもので、これだけコピーして保存しておきたい。

アジサイ属の仲間は太平洋を挟んで、アジアとアメリカ大陸に分布し、西洋アジサイの育種には日本のアジサイが決定的な役割を果たした。
1739年にオランダのフロノヴィースという人がアメリカで発見した植物の名前をHydrangeaと名付け、著書「ヴァージニア植物誌」に記載したのが最初だという(ラテン語読みではヒドランゲア、英語読みでハイドランジェア)。
1753年には、リンネがアメリカノリノキをHydrangea arborescensと命名し、その後のアジサイ属学名の出発点となった。
リンネの高弟で、日本にも滞在したツュンベルクは、6種のアジサイを採集し標本にして持ち帰ったが、1784年ヨーロッパではありふれた樹木であるガマズミ属(Viburnum)として「日本植物誌」に分類、記載してしまったためにその後、長い間、注目されることがなかった。
アジサイ属として再度、分類しなおされ、評価が高まるのは19世紀、シーボルトの時代になってからだ。

西洋アジサイの日本起源説

今、世界中で広く愛されている西洋アジサイの起源は日本のアジサイで、「西洋アジサイ」という呼び方もやめたほうがいいという意見が根強くある。「ハイドランジア」とか「園芸アジサイ」という呼び名でいいのではないか、というのだ。

山本武臣が早い時期から指摘してきたように、西洋アジサイの来歴は中国で栽培されていた日本のアジサイがイギリスに渡ったもの(1788年頃、ジョセフ・バンクス卿)と、アフリカに近い島国、モーリシャスからフランスに渡ったもの(1785年頃、コンメルソン)が有名だ。
いずれも中国からヨーロッパへ伝わったということだが、その中国へ、いつどのように渡来したのかがわからない。

この西洋アジサイの品種改良の起源のなぞを解くカギはガクアジサイ(H.macrophyllaだという。
ガクアジサイは、本州太平洋岸の房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆諸島に特産する海洋性のアジサイだ。分布域は世界でもごく狭い地域にしかないガクアジサイの特性が、西洋アジサイの古い品種と一致する。
このガクアジサイと日本各地の気候に合うように進化したヤマアジサイ(H.serrataの交雑品種が数多く存在し、これらが世界へと広がっていった。

コリン・マレーは、ガクアジサイとヤマアジサイに直接由来する栽培品種(品種改良の来歴が明確なもの)と「アジサイ発見」以前の来歴不明の交雑種を区別しておくべきだと考え、Hydrangea ×serratophylla という新しい学名を提案している。

参考
『増補改訂版 野に咲く花』 林弥栄・監修 門田裕一・改訂版監修 平野隆久・写真 山と渓谷社 2013

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

 

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