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第20回 西洋アジサイはすべて「日本のアジサイ」からつくられた~山本武臣『アジサイの話』

公開日:2019.6.28

『アジサイの話』

[著者]山本武臣
[発行]八坂書房
[入手の難易度]易

アジサイは日本の固有植物

アジサイは、日本の固有植物(その地域にしか生息しない生物)だ。外観から、ガクアジサイ型とテマリ型、形態や生態などからガクアジサイ、ヤマアジサイ、エゾアジサイなどに分けられている。このほかに、蕾が特徴的なタマアジサイやノリウツギ、ツルアジサイ、装飾花のないコアジサイ、ガクウツギなど多様な系統がある。

ガクアジサイは、伊豆・房総・伊豆七島などに自生する葉が厚くて光沢がある。大株になる。ヤマアジサイの系統は関東以西の湿っぽい山地に自生し小型、葉には光沢がない。エゾアジサイは、新潟・長野県の豪雪地帯から北の山地、および日本海側の山地に自生。葉は大きいが光沢はなく毛深い。これらはもともとひとつだったものが生息地域の環境に適応するために進化したものだと考えられている。アジサイの仲間は変異が多く、また自然交雑による中間型が広く分布し、厳密に分類するのは難しいのだという。

固有種として昔から人々の目に触れ、全国で栽培されてきたはずなのに、古典詩歌に詠まれることが極端に少なかった。人気が出るようになったのは戦後で、戦前はアジサイの研究書も非常に少なかったという。日本のアジサイを育種親とした「西洋アジサイ」は大正時代に里帰りし、現在は庭木の他に鉢花として大人気となっている。

「アジサイの話」の著者、山本武臣は、大正9年に東京で生まれた。幼い頃の病気や戦後、事業の失敗による経済的な困窮のなかで、50歳頃からアジサイの魅力に取り憑かれた。アジサイの原種や園芸品種を多数集め、国内外の文献を読み尽くし、2002年に亡くなるまで、生涯をかけてアジサイの研究と普及に取り組んだ。さまざまなアジサイ愛好家、育種家に影響を与え、アジサイの母国、日本での地植え、鉢植えアジサイの品種改良に関して、その活性化に大きく貢献された。日本アジサイ協会の初代会長。著作には『アジサイ』(1979)、『アジサイの話』の他、さまざまな雑誌に記事を書いた。また自身の経験を小説形式で描いた『あじさいになった男』(1997)などがある。

この本のなかで、重要だと思うのは次の2つ。

①「西洋アジサイ」の母種はすべて日本の原生種
②シーボルトが持ち帰った「オタクサ」の素性

「西洋アジサイ」の母種はすべて日本の原生種

日本固有のアジサイが、中国を経由して(おそらく長崎から)、ヨーロッパに渡ったと言われている。1789年にイギリス、キューガーデンのジョセフ・バンクス卿のもとに生体が持ち込また。アルカリ土壌の多いヨーロッパではピンク色になり、「東洋のバラ」と呼ばれ珍重されるようになる。育種も進められ、「西洋アジサイ」の一群となっていった。

山本は、イギリスのアジサイの権威、マイケル・ホースブースとおぼつかない英語で文通し、西洋アジサイの育種の母種に使われた古品種の穂木を取り寄せ、そのすべてが日本原生のアジサイであることを知る。これらのかけあわせによって「四大品種」(ジョセフ・バンクス、ロゼア、オタクサ、トーマス・ホッグ)が生まれたのだった。

育種親になった品種は「寒さ」と「乾燥」に弱かった

日本の固有種であるツバキの仲間にユキツバキというものがある。これは、日本海側から北日本にかけての雪の多い土地に生息する。厳寒期に雪に埋もれるために茎がしなやかで折れにくい。極端な寒さや乾燥から雪が守っている。エゾアジサイ系統の品種群も同じような性質があり、山本らは「ユキアジサイ」と仮名している(とてもいい名前だと思う)。このようなユキアジサイ的な性質を持つ系統のアジサイが中国経由で(来歴がわからないかたちで)イギリスやフランスに渡ると、冷涼で湿潤な現地の環境に合って、非常に著しく強壮な品種に変化し歓迎されるようになったのだ。品種改良は各国で競って行われ、特にドイツでは優良な品種が数多く作られた。日本原産の品種を母種とした交配のほかに実生の枝変わりなどを挿し木するなどの方法で大量に出回るようになっていった。

一方で、こうしてヨーロッパで品種改良された「西洋アジサイ」が大正時代に里帰りし、日本でも植栽され流通され始める。昭和6年の横浜植木のカタログにはローレライ、センセーション、ラ・マルネなど20余種の西洋アジサイが掲載されているが、一般には人気がなかったという(「アジサイ」山本1979)。というのも、これまで述べてきたように、東京や関東の冬の乾燥と寒さに弱く、栽培が難しいものと考えられるようになったためらしい。そのため、長い間人気が出なかったのだという。

戦後になって、山本は全国各地で日本の原種や在来品種を用いて、日本独自のアジサイの育種をするように呼びかけた。山本が現在の多様な日本のアジサイを知るなら、きっと目を見張り喜ぶことだろう。

 

シーボルトがつけた「オタクサ」という学名

シーボルトが帰国して出版した『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』には誤りも含めて17種のアジサイ類が掲載されているという。このなかに「オタクサ」があった。先述のように「オタクサ」は西洋アジサイの母種として重要な品種のひとつになった。

オタクサの名は日本での妻、「楠本滝」に由来するという。日本でアジサイを「オタクサ」と呼ぶことはないので、その命名の理由があれこれ推察されていたが、山本は以下のようにその来歴を書いている(p74)。

「日本でやっとそれがシーボルトの愛人お滝さんに由来するものだということがわかったのは、大正の末ごろになって、呉秀三博士の『シーボルト先生其生涯及功績』の著書が出てからであった。いかにそれがショックであったかは、アジサイ好きの牧野博士がこれを知って、もと遊女の名を日本のアジサイの学名に用いるとは、美しいアジサイを冒涜するものでけしからん、と憤慨されていたというエピソードからも察せられる。

もっとも、シーボルトが自分の知人の名を植物の学名に用いた例は、じつはほかにもいくつかあったのだが、なお、Otakusa の学名がお滝さんに由来することは疑問とされる向きもあり、故白井光太郎博士のように、オオガクソウ説をとる方もいるが、これは、その大著『日本』のなかで、シーボルトがお滝の肖像画の下に、自筆で Otakusa と記していることからまちがいはない。さらに決定的な新資料を、先ごろ石山禎一先生が発表された。石山先生がライデン腊葉館でシーボルトの標本を検(しら)べている折、ハイドランジアの一枚に、シーボルトが自筆で Hyb. Sonogi S. Hb. Juli (ソノギ、シーボルト標本、七月)と記したものを発見されたという。ソノギはお滝の源氏名である。これによれば、シーボルトは、日本のアジサイに当初 Sonogi の学名をつけ、のちOtakusaに変更したものとみられ、この新資料は、Otakusaの学名に決定的な意味を持つ。」

 

オタクサの「お滝さん説」について疑問を呈する多くが根拠なしだ。山本が示した内容には確信が感じられる。山本は日本に残した妻や娘について何かを感じ、学名に託した情に厚いシーボルト像に肩入れしている。山本もロマンチストなのだ。僕もこのエピソードが好きで、根拠を示したこの一文は大切だ。シーボルトがドイツに帰ったあとに残された、楠本滝や娘の楠本イネの物語は、吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘』や司馬遼太郎『花神』で読むことができる。

 

参考

『アジサイ」 山本武臣 ニュー・サイエンス社 1979
『あじさいになった男』 山本武臣 コスモヒルズ 1997
『アジサイ図鑑』コリン・マレー アボック社 2009
『新花卉』第150号(1991)、169号(1996)
『採集と飼育』第50号(1988年6月号)
『ふぉん・しいほるとの娘』 吉村昭 新潮社 1993
『花神』 司馬遼太郎 新潮社 改版 1976

園芸研究家、椎野昌宏による「園芸史雑話」

山本武臣-あじさいになった男

http://engei.main.jp/2017/08/22/post-838/

 

検索ワード

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