HOME 読みもの 園藝探偵の本棚 第22回 人をまきこみ、「花の街づくり」を進める方法~調査研究報告を読む 園藝探偵の本棚 第22回 人をまきこみ、「花の街づくり」を進める方法~調査研究報告を読む 公開日:2019.7.12 『ヨーロッパと日本における花のまちづくりに関する調査研究』 [発行]財団法人日本花の会 [入手の難易度]難 「馬糞」と園芸の歴史 耕作地の土壌改良に用いる資材に「家畜糞」というジャンルがある。牛糞や鶏糞などを堆肥化し、有機質肥料でもあり、土壌改良材としても用いられる。鶏糞堆肥はリン酸・石灰分が多く即効性がある。牛糞堆肥は、カリウムがやや多く、肥効は遅め(『土・肥料のきほん』2014)。こうした家畜糞のなかに「馬糞」もある。東京の大田区や目黒区、世田谷区周辺は、明治後期から大正にかけて花や野菜の生産が盛んに行われてきた歴史があるのだが、その理由は、陸軍の施設がたくさんあったからだという。軍用馬の飼育施設から譲り受けた馬の糞尿は、堆肥化すると「醸熱」を発する資材となり野菜の促成栽培に大いに用いられたという(『世田谷の園芸を築き上げた人々』1970)。現在でも、鶏や牛に与えられる飼料が昔と変わったこともあって、馬糞を重視する生産者も少なくない。例えば、中山競馬場周辺、千葉県白井市には、日本で唯一のJRA競馬学校があり、今、大人気の藤田菜七子騎手をはじめ数多くのジョッキーを育てた場所のほか、競走馬の牧場があちこちにある。白井市は、全国有数の梨の産地なのだが、馬糞堆肥を利用しているところが多いという。本連載の第三回で、産地が形成される理由について考えたが、生産資材が身近に手に入る、というのは、一つの着眼点だ。(https://karuchibe.jp/read/2612/) 馬糞堆肥については、こんな話がある。世界一有名な人物が子どもの頃に近所に馬糞堆肥を配っていたというのだ。 「ビートルズ」と園芸 マッカートニーとジョージ・ハリスン ポール・マッカートニーの評伝、「メニーイヤーズフロムナウ」を読むと、子どもの頃の園芸にまつわる話が少し出てくる(評伝はいくつか出版されているが、園芸のエピソードは、この本だけだと思う)。ポールは1942年6月18日、イギリス北西部の港街、リヴァプールで男2人兄弟の長男として生まれた。小さな頃、とても嫌だった思い出がある。それは、馬糞を拾うことだった。当時、父は地元の園芸クラブの会長をやっていて、会員には無料で肥料(おそらく堆肥)を配るというような活動をしていたという。その大事な肥料の元となる馬糞を集めるのが幼いポールの仕事だったというのだ。また、その園芸クラブへの勧誘の仕事もさせられていた。最初はきついことばかりだったそうだが、そのうち顔を見ただけで、話を聞いてくれる人か、そうでないか分かるようになり、後に人を見る目ができていったという。子どもの頃は嫌だった馬糞堆肥が素晴らしいバラを咲かせることもきっとよくわかっているだろう。のちに世界中の人をとりこにしたポールの幼い姿を、馬糞入りの堆肥や土のにおい、花や果樹の苗木だとか、イギリスの庭の様子だとかあれこれ想像すると、なんだかとても愉快な気分になる。 ビートルズで、もう一人、園芸に深く関わったメンバーに、ジョージ・ハリスンがいる。自宅に広大な庭を持ち、専属のガーデン管理のチームを常雇いして、自分好みの庭をつくっていたという。「自分は、基本的にはガーデナーだ」と言っていたそうだ。 アーティスト、ミュージシャンとして有名な人たちでも、園芸や植物の扱い方をよく知っている、というのが、なにかイギリスらしいことだと納得してしまうほど、イギリス人とガーデニング文化は世界的にもよいイメージとして染み付いている。チャールズ皇太子をはじめ、王子の家族も園芸好きとして知られ、庭づくりに積極的に関わっていることがニュースになったり、チェルシーフラワーショーのような大きな園芸イベントに大勢の人が集まったり。こんなふうに多くの国民が、花や緑で美しく街を飾るガーデニング大国のイメージが、実は、国を挙げて育てられてきたものだとしたらどうだろう。きっかけとなったのは、1960年代のBBB運動(ビューティフル・ブリテン・イン・ブルーム運動。BB運動とも呼ばれる。『ガーデニングとイギリス人』2016年)だ。 園芸による街づくり―つくられた「園芸大国」のイメージ もともと先例があった。それは、フランスで1959年に始まった活動だった。これにならって、英国政府観光庁が主催して、BBB運動が始まったという。もともとは、観光振興政策の一環だった。外国人観光客が数多く訪れるような街の目抜き通りには寄せ植えのハンギングバスケットが飾られ、パブや商店の店先は色とりどりの花があり、ラウンド・アバウトと呼ばれる環状交差点には花壇がある、というような具合だ。こうした街の植物による美化活動は、1983年からは主体が民間団体に移行し、2002年からは、王立園芸協会RHSの主催によって続けられている。今回、資料としてとりあげた報告書は、このような海外の事例をもとに日本でも花や緑を用いて美しい街づくりをしていこうという目的のために制作されたものだ。日本花の会では、この調査をもとに、1991年から実際に「全国花のまちづくりコンクール」を始めている。 報告書では、ヨーロッパにおける花の街づくり2大運動を現地で調査した。フランスの活動(FF運動)とイギリス(BBB運動)の事例、そしてその後、ヨ―ロッパ各地に広がる運動の全体を見ている。そして、日本でどのように進めていけばいいか(予算をどのような活動に対してどう使えばいいのか)を具体的に提言する形でまとめている。ちょうど「花博」の直前であり、園芸熱が高まっていたころの貴重な資料だ。そして、これから僕らがなにをすればいいのか、考えるためのヒントがたくさんつまった資料でもあると思う。 *イギリスのBBB運動は1964年から始まったと書かれているが、それに先行するフランスの活動についてはこの調査報告書では触れられていない。ただ1972年以前からの活動をもとに、FF運動があるということは想像できる。 フランスを花でかざろう運動(Fleurir la France) フランスを花で飾ろう運動(FF運動)は、フランス観光省が旗振り役となって全国委員会(CNFF)を組織しコンクールによる表彰(1987年~)などで盛り上げた。目的は、こんなふうだ。 ・フランスをもってヨーロッパの庭とする。 ・花をもって最大の歓迎とする ・観光産業の発展を促す ・国内外の観光客をより一層歓迎する ・フランス国民の生活環境を改善する ・フラワーコンクール参加市町村数を増やす ・観光客に対しては「魅力的な国」というイメージ、フランス国民に対しては快適な国というイメージを育てる 手段については、 ・豊かな建築、文化遺産、自然の価値の保存 ・花による修景を推進するような活動の実行と促進 ・花と緑による歓迎の向上 ・1987年のCNFFコンクールをもって花による修景の飛躍的普及の手段とする このように、具体的にはコンクールを大きな手段として考えており、全国委員会が市町村にコンクール参加を呼びかけ、参加団体に資料や必要な書類の送付を行い、一般国民に広く情報が流れるように組織化されている。 コンクール参加にあたっては、市町村の人口によって8つのカテゴリーに分けてあり、観光シーズンにのみ人が集まるような土地では、そのシーズンの人口を基準とする。コンクールは県レベル、地方レベル、全国レベルというふうに審査が分けられる。全国レベルでグランプリ、あるいは、何度も好成績を取る地域は競争の対象外とし、「花咲くまち」「花咲く村」と書かれた公式な表示版を授与し表彰される。コンクールには参加できなくなるが、その後も審査員が訪れる場所と定められ、さらなる向上が見られる場合は、ミシュランの星の数のように、看板に表示の「花の数」が増えていく仕組みになっている。 以上は公共団体に対するものだが、個人の参加も促すために、「花の家」コンクールも同時に進められている。この表彰は、「住人の意思に関わらず」市町村審査委員会がカテゴリー別に美しく花で飾られた家を選定して行われる。住宅、商工業の建物、私財による公共的施設や農業関係の建物などで、カテゴリーとしては、 ・道路からよく見える庭付き住宅 ・公道の花による修景 ・道路から見える庭のない建物のバルコニーやテラス ・窓、あるいは壁 ・集合住宅、特に8世帯以上が花で飾られた団地 ・庭の有無にかかわらず、ホテル、レストラン、あるいはカフェ(公道からよく見えるファサードや建物周辺の花飾りが対象となる) というふうに、よく考えられている。市街地から離れた場所が多い農業関係の建物についてはコンクールを別に実施することもできるとしている。いずれのカテゴリーでも、評価に値する項目と同時に、「減点」となるような要素についても、注記で具体的に示されている。たとえば、傷んだり、汚れたりしたファサードや屋根、壁など。また、けばけばしい看板やセンスの悪い扉、窓、柵など。 コンクール実施に際して、住民への助成は以下のようになっている。 ・無料の相談が受けられる。指導してくれるのは、CNFFメンバー、地域の専門家(造園家、園芸家)、「花で飾ろう」運動推進役の地域ボランティア ・花による修景実施にあたっての地域の委員会からの援助。スタート時点ではコンクール参加者ゼロもありうるため、地域の委員会メンバーが自ら修景にあたることも想定されている。一般的には、地域住民がすぐに委員の活動に協力し始める。 最初は、国や地方自治体からの運動として始まるが、民間団体や個人がすぐに参加をするようになる。マスコミが取り上げたり、地域の美化運動を紹介するガイドブックが作成されたり、ホテル協会や商店会が率先して参加するといったことが始まっていく。 FF運動の成果 こうした運動による花の影響は以下のようなことがあった。 ・花によって街や村の入り口を飾る ・地域の活性化 ・新しいデザインの植栽やバラエティに富んだ植栽の出現 ・植栽の質的向上 ・デザインの向上(ストリートファニチャー=街路を形成するさまざまな備品、色彩、建物・広場・道路、植物) ・生活環境の向上 ・清掃活動の促進 ・公共空間の個性化 ・四季の草花による街や村の表情に変化 ・質のよい管理 ・花による緑化が集合住宅を一新 ・商店、ホテル、レストランなど、花による歓迎 ・地域を大切に思う心や地域に対する誇り ・「花飾り」という共通の目的のもとに地域住民の動員 ・新しい雇用の可能性 ・自然との触れ合い ・住居(街区)の付加価値向上 ・バンダリズム(いたずら、公共設備の破壊行為)の減少 ・花をテーマにした祭りやフェアなどの開催(地域的交流) こうした地域社会への好影響の他に、観光におよぼす効用も見逃すことができない。 フランスの運動で見られる影響は、イギリスやその他、ヨーロッパ各国の場合にも多くが共通している。 報告書では、後半を日本の「花いっぱい運動」を振り返りながら、今後の活動について見通しを述べているが、重要な点は、花や緑による修景がよりよい街づくりに大きく貢献するという考え方である。 外に開かれる園芸、花の社会性に注目 日本の「花いっぱい運動」は戦後間もない、1952年に長野県松本市の小学校教諭が「日本中を花で埋め、人の心を安らげよう」と呼びかけたことに始まったとされる。その後、現在までを考えると、「園藝探偵」2巻と3巻で取り上げたように、60年代の「生活改善運動」と「東京オリンピック」の時期に一つのピークがあって、その後、大きな展開が起こせずにきたと僕は考えている。報告書でも、国や自治体が予算をつくって助成する事業がとても少なく市町村レベルに留まっていることや、運動の多くが公園、道路、学校に限られ、その形態は「花壇」がほとんどでパターン化していることを指摘する。また、「緑化」がほとんどで、季節の草花を用いた多様な取り組みが見られない。ヨーロッパでは、街路に面した場所で、建物の玄関やベランダ、窓辺など街や通り全体を装飾し、メンテナンスもしっかりと行われている。民間の庭も公開され、「イエローブック」で情報が広げられるといった取り組みもある。こうした海外と日本の事例を比較しながら、日本でも花や緑による修景が街づくりに役立つという視点で運動の組織化が行われることが期待される。そのためには、民間や個人に任せるだけでなく、国や地方自治体によるリーダーシップも必要だ。花や緑の社会性を発掘し、街づくりに活かすという発想がまず重要になる。前回の東京オリンピックでは、海外からやってくるお客様を迎えるために街を花でいっぱいにしようという運動が全国的に広がっていた。近年増え続ける海外からの観光客の数を考えても、街の魅力を上げることは、経済にもよい影響をもたらすことが充分に予測できる。また、公園や道路を使ってのカフェやマルシェ、イベントの開催が増えているように、規制緩和、公共空間の活性化、活用のあり方がどんどん進化している。令和の時代のわくわくするような「花いっぱい運動」は、ほんとうに、これからだと思う。 参考 *公益財団法人 日本花の会HP http://www.hananokai.or.jp/ *全国花のまちづくりコンクール(1991年~) http://www.hananokai.or.jp/city/city-contest/ *『土・肥料のきほん』 一般財団法人 日本土壌協会監修 誠文堂新光社 2014年 *『世田谷の園芸を築き上げた人々』湯尾敬治 城南園芸柏研究会 1970年 ※私家版 日本花卉園芸史における重要資料 *『ガーデニングとイギリス人 「園芸大国」はいかにしてつくられたか』 飯田操 大修館書店 2016年 *『ポール・マッカートニー/メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』 バリー・マイルズ ロッキング・オン 1998年 *『ジョージ・ハリスン:美しき人生』アラン・クレイソン プロデュース・センター出版局1999年 ・ジョージ・ハリスンは、「自分は基本的にガーデナーだ」と言っていた。 http://news.jash.hacca.jp/?eid=1089049 ・「The George Harrison Tree」 2014年に枯死したLAの記念樹の根元には「アーティスト、ミュージシャン、ガーデナーとして世界を感動させた偉大な人道主義者を追悼して」と刻印された記念のプレートが設置されていた。 https://www.barks.jp/news/?id=1000105930 園藝探偵的 検索ワード #花いっぱい運動 #日本花の会 #ガーデニング #馬糞 #ポール・マッカートニー #ジョージ・ハリスン #生活改善運動 #東京オリンピック プロフィール 松山誠(まつやま・まこと) 1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。 この記事をシェア 関連記事 2022.2.18 第151回 室町文化をリードした「同朋衆」の画像を探す 『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』 [著者]村井康彦・下坂 守 [発行]国際日本文化 […] 室町時代会所座敷飾りいけばなたて花生活文化 2022.2.4 第150回 「ステレオグラム」飛び出すいけばな写真教本~園芸家と写真術 『投入盛花実体写真百瓶』 [著者]小林鷺洲 [発行]晋文館 [発行年月日]大正6 […] 写真新花道自由花山根翠堂花留めflower frogs重森三玲いけばな 2022.1.28 第149回 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