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第23回 「松山朝顔」とはどんな花?~突然変異を生み出す「動く遺伝子」トランスポゾン

公開日:2019.7.26 更新日: 2019.7.30

論文『品種分化をめぐって : 古典園芸植物のドメスティケーション』

[著者]仁田坂英二
[出典]国立民族学博物館調査報告084(国立民族学博物館リポジトリから)
http://doi.org/10.15021/00001156
[発行]2009年3月31日発行
[入手の難易度]易

75周年を迎えた「園芸文化協会」の朝顔セミナー

園藝文化協会 朝顔セミナー

2019年7月6日に行われた「朝顔セミナー」を聴講してきた。そこで、子どもの頃から親しんできた変化朝顔をライフワークとし、アサガオの系統保存や形態形成遺伝子など専門に研究されている仁田坂英二准教授の話のなかで出てきた「松山朝顔」が気になって、先生の著作「変化朝顔図鑑」や論文を読んでみることにした。

(公社)園芸文化協会主催 朝顔セミナー

戦禍のなかで、消えようとしている日本の園芸植物と文化を守るため、終戦間際の昭和19年につくられた園芸文化協会は、今年、75周年を迎えている。7月6日、夏の恒例行事となった協会主催の朝顔のセミナー「江戸の花プロジェクト・園芸文化を守ろうセミナー 未来につなぐ朝顔文化 シーズン3」を聴講した。

プログラムは、小笠原左衛門尉亮軒氏(公益社団法人 園藝文化協会会長/雑花園文庫 庫主)による講演「明治の朝顔図の名人、高輪其堂が描いた変化朝顔肉筆画三帖を見尽くす」と仁田坂英二氏(九州大学大学院准教授)による「変化朝顔の仕訳(しわけ)」。第一部の講演と二部の講師による朝顔トーク「変化朝顔の育て方・栽培 極意中の極意」という構成。コーディネーターは、西川綾子氏(日本植物園協会副会長/水戸市植物公園園長)。

今回のセミナーでは、伊藤重和氏(変化朝顔研究会副会長)から変化朝顔のお土産(苗2鉢)と講師・仁田坂先生がオリジナル絵袋まで用意された変化朝顔のタネが参加者全員に贈られた。僕も、うちに帰ってさっそく苗を鉢上げしてアンドンを立て、タネを播いた。

第一部の明治変化朝顔の肉筆原画三帖(合計188点の図)は、明治38年頃から44年にかけて描かれたもので、変化朝顔の同好会が出版していた会報のために制作された。この会報は、浮世絵と同じように木版多色刷り、20図版以上掲載の豪華なもので、現在なら数百万円をかけてつくられた図録だという(五百円で家が建った時代に二百三十円ほどかけて作られた会報もあった)。変化朝顔の奇抜な花や葉の変化を迷うことなくなめらかに、かつ細密な色彩豊かな描写でとらえた名人による傑作だ。

変化朝顔は江戸時代に流行し、維新の激変で衰退、その後、明治20年頃から再興し、東京、名古屋、京都、大阪など各地に同好会がつくられた。それぞれに品評会が行われ、会報に図版とともに掲載、発表された。高輪其堂は自身も東京朝顔研究会に所属した。アサガオのほかに、キク、サクラソウなども好んで描いたという。大正8年に凸版印刷図案部に入り、昭和13年に退職した。印刷の技術的な部分も充分にわかった上で原画を描くことができたに違いない。江戸から明治期にかけての変化の豊かなバラエティと圧倒される量、その変化を見出すために多くの愛好家が市井に存在していたのだ。世界の園芸を見回しても、これほどの変異を集めた園芸文化は日本のアサガオの他に見出だせないという。写真のない時代に、美しく彩色された変化朝顔の図版は、近くへ寄ってしっかりと見て味わうことの楽しみを教えてくれると小笠原氏は語った。

同じ変化でも大きく咲かせる方へ進化した大輪朝顔の世界とはまた異なる味わいがある。こちらは大正時代に6寸超えで驚かれていたものが、百年を経た現在は平成28年に25.5cm(8寸超え)の超大輪を記録するほどになっているそうだ。

アサガオのタネの寿命は50年以上

戦後、絵図の中でしか見られなくなった品種群を取り戻すために愛好家が努力を重ね、多くが復活し、また新しい変化朝顔が生み出されている。仁田坂氏によると、現在のアサガオの系統保存に関して、特に大きな功績を残したのは、名古屋在住の山高桂という人だという。山高は戦前の東京朝顔研究会でも活躍し優良な品種を輩出していた。この人が昭和 7、8 年ごろ採種した種子を乾燥・密封保存したものが戦禍をくぐり抜けた昭和 21 年、完全に発芽させることに成功し変化朝顔の復興に大きく貢献したのだそうだ。他にも、渡辺顕辰(東京)、深沢与四郎(東京)、小川信太郎(伊賀上野)らが戦争中も栽培を続けており、多くの系統が再現された。どのような厳しい環境にあっても覚悟を持った愛好家たちの手によって、江戸時代に生まれたさまざま品種の系統が明治・大正・昭和、そして令和の新時代へと引き継がれていく奇跡を思わずにはいられない。

*朝顔の系統保存の歴史 仁田坂英二 2015

https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/plant/column/2015/347.pdf

山高桂の種子が50年後も発芽させられたのは、「種子の乾燥保存」の仕方に鍵があった。タッパーや茶筒のような密閉できる容器のなかに、シリカゲルなどの乾燥剤とともに種子を入れて保存することで充分に乾燥させ、空気に触れさせず休眠させ、さらに冷蔵保存することで種子の寿命は大きく伸ばせる。そのため、品種改良や系統保存のための種子はたくさん収穫できた年にしっかりと乾燥処理し保存することで毎年種子のことで悩まなくて済むのだそうだ。

第二部では、「仕訳(しわけ)」の詳しい説明があった。変化を持った個体は種子を結ばない(出物という)。メンデルの遺伝の法則で知られるように、出物は、なんらかの確率で親木から出てくる。そのため栽培を続けていくには、この種子ができない観賞用の出物と採種用の親木をきちんと選別し、出物が確実に出る親木を残していくことが重要だという(これらの一連の作業が仕訳と呼ばれている)。

現在の遺伝学はたくさんのことを教えてくれる。その理論と園芸の実際を行っていくことが現代の園芸だろうし、栽培上達の近道でもある。アサガオの栽培に用いる資材や設備も進化している。たとえば、アサガオの種子を播くとき、初期の給水を確実にするために、種子の硬い皮をナイフやヤスリで一部傷つけてから播くといいという。仁田坂氏の研究室では種苗会社タキイの開発したレーザー処理の機械を使って処理をしている。今回、お土産で頂いた種子にも「x」のレーザー印が彫りつけてあった。変化朝顔の「華」は、その著しい変化そのものだが、そうしたタレントを世に出すためには、組織的な栽培活動が必要で、親木となる「普通の花」がとても重要……これって、多様性ってことだろう。僕たちが生きる社会ととても似ていると思う。すごく面白い話だ。

松山朝顔と「動く遺伝子」トランスポゾン

日本のアサガオの全史を一枚の絵巻物だと考える。アサガオは、中南米に原生する植物。それが長い旅をして奈良時代に中国から日本に渡来したと言われている。それは、アサガオに薬効があったからだろう。そのため渡来したあとも最初は薬として栽培された。そこから約千年の間、ほとんど花には変化なし。ところが、ある頃からアサガオに変化が出てくる。江戸時代中期、花に「シボリ模様」のあるアサガオが記録されるようになった。このシボリアサガオは、黒白江南花として平賀源内の「物類品隲」(1763年)にも出ている。このシボリアサガオは、「松山朝顔」とも呼ばれた。江戸時代のアサガオ栽培の最初の流行は、文化文政期(1804~30年)になるが、松山朝顔は、こうした朝顔の変異の最初の兆候であり、その後の流行の分岐点に位置している。朝顔の流行は、また鉢植えの普及と連動して大きく広がっていった(本連載第9回https://karuchibe.jp/read/3066/) 。植物の栽培と鑑賞眼を持った数多くの愛好家の目は小さな変異を見逃さず、保存し研究していったに違いない。

『物類品隲』第3巻  平賀国倫 編 (1763年) 国立国会図書館デジタルコレクションから

以下、仁田坂氏の論文から。

「その後,備中松山(現在の岡山県高梁市)で,黒白江南花(こくびゃくこうなんか) と呼ばれた,珍しい絞り咲きのアサガオが出て,これがその珍奇さ故に江戸や京都に伝わり栽培されたようだ(阿部 1758; 伊藤 1759; 平賀 1763) 。この咲き分けや絞り模様 の花をつける黒白江南花の出現はその後に突然変異体を多数生み出したトランスポゾン (動く遺伝子)の転移の活性化を示している 。

江戸時代・文化文政期(第1次ブーム)

黒白江南花のような系統のゲノム中ではトランスポゾンが盛んに転移し,色や形を支配する遺伝子に挿入し,新規変異を作り出していった。トランスポゾンの誘発する変異の多くは、遺伝子に挿入することで,その機能を喪失させる劣性突然変異であるが,アサガオは自家受粉する性質(自殖性)が強いため,容易に変異がホモ接合となり見た目の違いとして現れてくる。前述したように,この時期に前後して他の古典園芸植物の突然変異体(品種)が数多く発見されている。このように観察眼の肥えた植木屋や庶民が多くなったという時代背景もあって,現れてきた突然変異体を見逃さなかったのであろう。

文化8年(1811)ごろから急激に変異が出現したと記録にあり(秋水1817)そうして, 次々と出現してきたアサガオの突然変異体(変化朝顔)を集め,鑑賞する者が現れ,ブームとなった。最初は大坂で盛んになり,すぐに江戸にも波及して,それらのアサガオ を集めた木版刷りの図譜が刊行された。このころは比較的単純なアサガオを鑑賞していたようだが,現存するほとんどの変異が出そろっている 。また比較的濃色の黄色花など現在では見ることができないアサガオも存在したようだ。」

 

参考
『変化朝顔図鑑 アサガオとは思えない珍花奇葉の世界』 仁田坂英二 化学同人 2014年
『物類品隲』 平賀国倫(源内) 編 1763(宝暦13)年 国立国会図書館蔵
JT季刊誌「生命誌」通巻14号 黒白江南花 和名シボリアサガホ  基礎生物学研究所教授 飯田滋氏による解説

https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/014/ex_1.html

 

検索ワード

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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