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第27回 お盆はご先祖とランチしよう~歴博フォーラム『盆行事と葬送墓制』

公開日:2019.8.13

『盆行事と葬送墓制』

[編者]関沢まゆみ・国立歴史民俗博物館
[発行]吉川弘文館
[入手の難易度]易

佐渡と奥会津の「トウゴボウ」

ちょうど八月のお盆の頃に咲く野の花がある。オミナエシやミソハギ、キキョウなどだ。人々は昔からそれらの花を摘み、お墓参りの時に花筒に差して供花とした。このような花を「盆花」と呼ぶ。庭に植えたアスター(蝦夷菊)やケイトウ、千日紅や百日草などと合わせることも普通に行われている。

盆花には外来の帰化植物も多く、近年ではオオハンゴンソウ(大型のルドベキア、八重はハナガサギク)のように外来生物法に基づく特定外来種として駆除対象となり、見られなくなった花もある。この連載では、第16回で、佐渡島の花文化について書いた。この資料を紹介してくれた福島県奥会津、昭和村の菅家博昭氏に「トウゴボウ」という地元に伝わる在来の薬草について教えてもらった。現在、切り花として栽培、出荷していて野趣ある姿が人気だという。

トウゴボウは、もともと地元に原生する植物ではない。過去にどこからか導入されている。この地方では、旧暦の6月1日を「ムケノツイタチ」(蛇や蚕の脱皮と関連するらしい)と呼び、毎年、正月の餅をトウゴボウの葉で包んで食べるのが慣習となっていた。そうした行事が廃れていっても菅家氏の祖母は庭に一株を残し大切に育てていたそうだ。現在、6月1日は、夏服に着替える衣替えの日でもあって人間も脱皮する、そんなふうに、どこかに同じ根が張っているような気がする。

面白いのは、「トウゴボウ」という薬草は、限定された地域にしか生育していない。そして古くから奥会津と交流のある新潟県の佐渡島にもあるみたいなのだ。しかも、福島からやってきた人が、これは食べられるのだと教えたという。

参考
菅家博昭氏のブログ「記憶の森を歩く」 記事は読売新聞福島版2019年7月24日
http://kanke2017.blogspot.com/2019/08/blog-post_3.html

「佐渡島の植物と民族」ブログから 「佐渡山菜風土記」伊藤邦夫(1992)
https://ameblo.jp/syakunage0412/entry-12419301213.html

「むけの朔日、氷の朔日」 「つきのこよみ」サイトから
http://88d.jp/know/muke/

お盆にお墓参りして、みんなでご飯を食べる伝承

今回紹介するのは、千葉県佐倉市の城跡にある国立歴史民俗博物館(以下、歴博)から出された「盆行事」に関する単行本。映像資料を用いた第9回歴博映像フォーラム(2014年に開催)の報告と討論をまとめたものだ。日本列島各地で集めた盆行事の多様性(死者や先祖の霊をどう扱ってきたか)、墓参りや精霊棚の地域差、葬送における遺体の扱い方、また霊魂や死そのものをどのように考えてきたのか、といったテーマで考古学、文献学(狭義の歴史学)とも合わせて調査、分析が行われた。過去に撮影された映像に見られた盆行事や葬送儀礼は、この50年で急速に失われようとしている。こうした失われつつある「死・葬送・墓制」について参加した研究者がそれぞれに報告を書いている。

まず、表紙カバーや口絵の写真に引き付けられる。大勢の人たちがお墓に集まっていて、家族や親戚と一緒に飲んだり食べたりしている。墓石や卒塔婆がなければ、まるでお花見のにぎやかな宴席のようだ。一方で、お盆でもお墓参りをしない地方もある。ご先祖さんは、迎えに出なくても自分たちでやってくるらしい。盆棚(精霊棚)にも各地で特徴のあるものが見られる。室内だけでなく庭に棚をつくる地域もあるようだ。飾り物も違っている。

先祖の迎え方の3つの型と分布「遠方の一致」

盆棚の設営と墓参習俗と霊魂感覚をめぐる地域差を調べた関沢まゆみによると次のような3つのタイプがあるという。

A 先祖・新仏・餓鬼仏の三種類の霊魂の性格とそれらをまつる場所とを屋内外に明確に区別してまつるタイプ。墓地はケガレの場所と考え、墓参や飲食を控える(先祖は屋内に、新仏は縁側や軒先、餓鬼仏は屋外に。中心部の近畿地方に顕著)

B それらを区別しないで屋外の棚・砂盛りなどでまつるタイプ(屋内の仏壇で先祖をまつり、外にも盆棚を設ける。中国、四国、東海、関東などの近畿地方を挟んだ中間地帯に多い)

C それらを区別せずに(屋内に盆棚)しかも墓地に行ってそこにも棚を設け、飲食するなどして死者や先祖の霊魂との交流を行うことを特徴とするタイプ(東北、九州などの外縁部にみられる)

このなかで、注目されるのは、墓地で飲食をし、祖霊と交流をはかる伝承がある地域が東北地方北部と九州地方南部にあって「遠方の一致」を見せている点だ。「遠方の一致」というのは、柳田國男によって提唱された概念で、長い間、文化の中心であった京都からみて日本列島の最も周縁部である東北地方北部と九州南西部に古い伝承や言葉が残っているという説。各地の伝承(伝統文化)を数多く集めて比較検討することでわかってくることがあるのだ。自分たちの地元では、お盆の行事がどうなっているか、もう一度、見直してみるのも面白い。この本では、お葬式のときに、誰が中心となって葬儀をまとめるか、お墓に納骨するときの段取り、人が集まる場所でのしきたりはどうなっているかを紹介し、地方差が生まれる背景・思想を考察している。

盂蘭盆会の語源はイラン語系の「ウルヴァン(霊魂)」

この本で驚いたのは、お盆の行事の起源にまつわる話だ。お盆の行事、いわゆる「盂蘭盆会(うらぼんえ)」というのは、日本の歴史上、初めて文献として登場するのが『日本書紀』。606年に書かれた記事で、お寺で行われる盂蘭盆会という行事だった。仏が逆さに吊られる苦しみを救うという盂蘭盆会だが、語源は倒懸の苦しみを表すサンスクリット語のアヴァランバンテに近いアヴァランバナ(よくウランバナなどと書かれている)だというのが定説になっていた。ところが現在、研究者の間で広く支持されている説は、イラン語系の言葉にあるウルヴァン(霊魂)だという。そもそも、サンスクリット語にはそのような言葉が見当たらない。いままでの定説を示した中国の経典は、いわゆる偽経で、インドから渡ってきたものではなく、中国で創作されたものだった。盂蘭盆会の祭祀は漢民族の文化に広く行われており、東アジア全体のなかで日本のお盆行事もその位置付けが研究課題となっているそうだ。

また、連載第26回で紹介した『朝顔抄』の尾崎哲之助翁にとって生涯の恩師という民法学者、穂積陳重(ほづみのぶしげ)博士の論文を読むと、日本人にとっての祖先崇拝という信仰が家族や親族、地域社会の在り方に始まり、家長制、公妾制、家督の継承、天皇制を支える基盤づくりに至るまで多くの影響を与えていることについて分かりやすく書いていて戦前の日本国憲法や民法を考えるうえで、非常に興味深い。

参考
「祭祀と法律(1896年)」(「祖先教と法律(1899年)」と同じ内容)…『穂積陳重遺文集 第2冊』 穂積重遠 編 岩波書店 1932年 (国立国会図書館デジタルコレクション)コマ番号341

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444335

民俗学は伝承(伝統)の歴史学

民俗学とはどんな学問なのか。関沢まゆみは、次のように説明する。「民俗伝承を資料とし、その新旧の段階差を分析することによって、生活文化相の変遷を明らかにする学問であり、文献記録(※狭義の歴史学)だけでなく特に民俗伝承を収集して分析する広義の歴史学である。」その研究方法として、柳田國男は、民俗伝承情報の比較による分析を提唱した(重出立証法)。多くの類似した事例情報を収集整理、比較することで、一つの事例だけでは見えない意味が分かってくる。伝承には、「社会伝承」「信仰・儀礼伝承」「言語・芸能伝承」「経済伝承(植物や野菜などもここに含まれる)」などに分類できる。文字に残ることのない情報がそこにある。それぞれの相違点からは「民俗伝承の変遷の段階差」が見えてくるし、共通点を分析することで伝承を支えている中核的な意味が見出せる。このような方法で柳田が見出したのは、都市が新しい文化の創生と発信の中心地であって、それが地方へと波及、伝播していくという視点だった。各地の伝承を歴史情報として分析することで、時代を追って変遷していく動きもわかるという考えだ。その研究のおおもとになる地域の伝承(伝統)が、2000年代から急速に失われているという。日本各地の葬送や墓制についての伝承について、研究者が1970年代に集めたさまざまな資料を20年、30年と研究してまとめられた成果が90年代に次々と発表されていくのだが、現在では大きく変わってしまっている。だからこそ、過去や現在撮影されている映像記録は重要になっていく。今後も民俗学の伝承による調査・分析が日本の文化の構造を明らかにするだろうが、文献による歴史学や発掘による考古学の成果も併せて新しい事実を提示することになりそうだ。冒頭に上げた「トウゴボウ」という外来薬用植物の偏った分布もその歴史的な意味がわかる日がくるかもしれない。

「日本文化」とは何か?令和時代の多様性を探ろう

図1 弥生時代以降の三つの文化と二つのボカシ文化地域および自然環境(森林)①北の文化、②中の文化、③南の文化、④南のボカシ地域(隼人)、⑤北のボカシ地域(蝦夷)ⓐ落葉広葉樹林、ⓑ常緑広葉樹林(照葉樹林)、©亜熱帯樹林 (藤本強「日本列島の三つの文化」の図をもとにマツヤマ作図)

日本は単一民族、単一文化などと言われるが、実際は長い歴史上じつに様々な文化が各地に併存していたという。考古学者の藤本強は北、中、南と大きく3つの文化に分け、さらにそれぞれの間に「ボカシ」の文化圏があったと考えている。先祖の霊を家に迎えるお盆行事は、こうした地域差を現在まで引きついだ数少ない行事だといえる。これに対して、花屋はお盆になると精霊棚をつくる材料を店頭に並べるのだが、地域外に育った店員はもちろん、新しく地域住民も、その地域独特の飾り方や材料がわからなくなっている。スーパーなど量販店で販売される海外で製造された「お盆飾りセット」が主流になるとなおさらだ。ネットで検索して出てくる「どこの伝承でもない盆棚」を飾るようになるだろう。ただ、お盆の休みを利用して家族が集まること、ご先祖を迎えてみんなで楽しくご飯をいただくことといった中核となる行事はなくさないようにできたらいいと思う。

*歴博映像フォーラムは今年も10月19日(土)に開催される。第14回目となる今年のテーマは「からむしのこえをきく~福島県昭和村のものづくり~」ということで、冒頭で紹介した菅家博昭氏も講演される。(定員260名、無料、要申込)

https://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/index.html

参考
『日本列島の三つの文化』藤本強 同成社 2009年
『先祖の話』柳田國男 角川書店(角川ソフィア文庫) 2013年

 

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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