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第28回 薔薇と百合

公開日:2019.8.16 更新日: 2021.5.20

『薔薇族』編集長

[著者]伊藤文学
[発行]幻冬舎(幻冬舎アウトロー文庫)
[入手の難易度]易

園芸書コーナーに置かれた『薔薇族』

今年の夏も、寝苦しい夜が続いている。

僕は、東京の大田市場の仲卸で10年以上働いていた。近年は、花の鮮度保持対策も進んでいるから、市場の設備もよくなっているかもしれないが、僕らが働いていた頃は、今の時期、夜明け前でもすでに気温が30℃もあって、何もしなくても汗がじっとりと肌にからみついてくる。

今回紹介する本もまた、読んでいるだけでなにか汗ばむような、『薔薇族』というタイトルの同性愛者向け月刊誌をつくった人の話だ。

アートやファッション、芸能界のような世界でクリエイティブな仕事をする人たちのなかには、同性愛者が少なくないというのは、よく知られている。
フラワーデザインの世界でも、それは言える。僕が花市場で出会った人のなかにも、同性愛者としてよく知られた人が幾人もいる。いわゆる「オネエ言葉」で話す人や、初めて合った頃は男性だったのに、数年後には、まったく女性にしか見えない姿に変わった人がいた。
有名な華道家もいたし、雑誌などで活躍する最中に、早逝したフラワーアーティストもいた。
ニューヨークの富裕層に絶大な人気を誇ったデザイナーやインテリアデザイナーとしても活躍するオランダ人のペアもいた。

花の世界は多様であるのと同様、僕たち仲卸で働く連中はみんな、いわゆるLGBTの人たちもまた、変わっているけど、すてきな花だと思って接していたと思う。ほんとうに、才能にあふれた魅力的な人が多かった。好みがはっきりしていて、決断が早く、気持ちのいい買いっぷりが素敵な人ばかりだった。

日本で初めての同性愛者を対象とした雑誌『薔薇族』を1971年に発行、以後30年以上にわたって編集長をつとめた第二書房社長、伊藤文学。
この人が、学生時代に朝顔名人の尾崎哲之助のもとで、アルバイトをしていた、ということは、すでに書いた(第26回参照)。

まだ「ゲイ」という言葉は一般的ではなく、先行する閉鎖型の文学者のグループに「アドニス会」と機関誌「アドニス」があったが、『薔薇族』は当時、「ホモ」と呼ばれる同性愛者向けのいわゆるエロ雑誌(ポルノ雑誌)としてスタートした。
書籍取次会社を通じて全国の書店に並べるために、苦労して雑誌コードを取り、創刊号を世に出すのだが、今までなかった分野のため、間違って園芸書籍のコーナーに並べる書店もあったそうだ。

華道家の假屋崎省吾やマツコ・デラックス、IKKOなどのタレントをテレビでは毎日のように見かける現在でも、LGBTの人たちは生きづらさを抱えている。
40、50年前ならなおさらで、スーパーコンピューターや人工知能開発の先駆けをなした異能の科学者、アラン・チューリングを取り上げた映画「エニグマ」や、黒人天才ピアニストと黒人嫌いの粗野な白人用心棒と友情を描いたアカデミー賞作品賞受賞映画「グリーンブック」など、どちらも今から50年ほど前の時代の胸が痛くなるような状況を表現していた。

『薔薇族』にも、自殺してしまった高校生の話や、誰にも知られないようにいつも不安な生活を送っている人、仮面夫婦、そういう人の弱みにつけこむ悪い奴らの話がいくつも出ている。

まだ読者がどれほどいるのかわからない時代に、伊藤は創刊号を1万部を発行した。これがほぼ、完売した。地方の読者は、手を尽くして探し求めた人もあったという。
書店で買える全国誌の登場によって、読者は自分だけではない、ということが、はっきりとわかるようになった。

伊藤がやったことは、同性愛者という極端に少数を思われる読者層をセグメント化しターゲットとしてマーケティングをするということだった。それを手作りでやっていった。
上質な紙を使い、清潔感あふれる若い男性を描いたイラストによる表紙。グラビア写真も工夫して撮影した。最初は、隔月刊でスタートし、手応えをつかむ。

読者層は幅広く、上は70~80代、下は高校~中学生までいた。74年から月刊に踏み切る。
このときに、次のような告知をしたという。

  • 高校生のきみ、座談会に出ない?
  • 第一回読者パーティを開きます
  • 第二回愛読者旅行会は信州です
  • 第五回の『薔薇族』電話相談室は六月十四日です

こんなふうに、手作りで読者との直接的なコミュニケーションを図っていった。これは、園芸を含め、どんなジャンルであれ、いつの時代であれ、コミュニティ作りや雑誌作りではとても大切なことだろう。

伊藤は、雑誌のなかに原稿用紙を挟み込み、読者の体験や思いについての投稿を促した。後続の雑誌は、みな最初から真似をしてきたという。

なぜ「薔薇」なのか?「薔薇のオブセッション」

伊藤は、なぜ『薔薇族』という名前にしたのか、理由を書いていない。細江英公の写真集『薔薇刑』、澁澤龍彦の雑誌『血と薔薇』のようにバラとホモ・セクシュアリティを暗示した先行するイメージはあった。
最初は『薔薇』の2文字にしようとしたという。商標登録の関係でそれがならず、カミナリ族、暴走族、みゆき族のように当時流行っていた「○○族」という誌名に決めた。
出版社を経営する父のもとで若い頃からビジネスをやってきた伊藤文学にとって、雑誌はビジネスと割り切っており、自分でもエロ関係の雑誌だと言っている。

しかし、『薔薇族』の誌面はそこにとどまらず、LGBTの人たちにとって大切な情報誌、文化を形成するひとつの起点となる。
読者層も広がり、レズビアンも「百合族」として登場し、また、同性愛者以外の人々も読者として雑誌づくりに参加していった。

1999年から表紙を担当したイラストレーターの宇野亜喜良は、創刊300号記念号に次のような文章を寄せた。長いが引用する。

(前略)

『薔薇族』というネーミングは秀逸だと思う。

薔薇という植物が、ホモ・セクシュアルのメタファーなのかどうか、ぼくには分からないけれど、ジュネの『花のノートルダム』(この“花”は、どうもバラのようだと思う)や、ロジェ・バディムのレズビアニズムの匂う映画『血とバラ』、三島由紀夫を撮った細江英公の写真集『薔薇刑』というように、野性と高貴が内在し、しかも、少しばかり病んだ感じ、内側から、これでもか、これでもかという気構えで押し開いてくる花弁のオブセッション。

精神の内側に貼りつめる壁紙のようなビロード質。
読書のあいだに飲む覚醒と耽溺の味ローズ・ティー。
花束が大きければ、大きいほど声高に愛を叫ぶ花。

十四歳の少年すら魅了する耽美と犯罪の匂いのする、たった二文字で三十四画ある薔薇。

そうして今やホモ・セクシュアリティの代名詞のように使われる『薔薇族』なのだからすごいと思う。

「カワイイ」文化の内藤ルネと『薔薇族』

『薔薇族』創刊時に伊藤を支えたのは二人の同性愛者だった(伊藤はいわゆるノンケ、ストレート)。

そのうちの一人、藤田竜は、プロの編集者で、雑誌『私の部屋』などで活躍していた。『薔薇族』の実質の編集長だったそうだ。
創刊号の表紙も藤田が描いた。髪を短くカットした清潔感あふれる青年が椅子に座り、右ひざをかかえてまっすぐにこちらを見ている。青年はTシャツを着ているが下半身には何も身に着けていない。

僕はその絵が「内藤ルネ」のタッチにとてもよく似ているなあと思った。『私の部屋』をつくっていた内藤ルネについては、あとでもっとよく調べようと思っていたので、『園藝探偵』3号*(P42)の「花の切り前」のページに次のようにタグ付けして(記して)おいた。

『現代の日本文化を表す言葉のひとつに「カワイイ」がある。
この「カワイイ文化」の源流に「内藤ルネ」(1932~2007)というイラストレーター、デザイナーがいる。

内藤ルネに注目するのは、1970年代のドライフラワーブームを創った先駆けでもあるからだ。ルネは1964年に初めてヨーロッパ旅行に出た。このとき、オランダで見た大量のドライフラワーに感激する。

その感動のままに創刊に関わった「私の部屋」(1972年創刊)でドライフラワーの飾り方を幾度も紹介し、ライフスタイルのモデルを創った。

敗戦後の日本人にとってアメリカは憧れの国だったが、内藤ルネは、東京オリンピックを目前に実施された海外旅行の自由化で真っ先にヨーロッパへと出かけていったのである。』

藤田竜は、内藤ルネと一緒にマンションに暮らしていた。
伊藤が『薔薇族』創刊時に藤田の部屋を尋ねると、そこは今でいう「億ション」で、「真っ黒や真っ赤に統一された内装の部屋を含めて七つか八つの部屋が」あった。藤田は雑誌でインテリアのページを作るほどで、調度品も垢抜けて趣味もよかったという。

内藤ルネは、『薔薇族』の表紙を1984年2月号から1998年9月号までの170号余りを担当した。これは、宇野亜喜良をはじめとする表紙を描いたイラストレーターのなかでもっとも長い。

伊藤は、二人が二人三脚で何十年も仕事をしてきたことを自分のブログに記している。
内藤は、LGBTのための雑誌に真剣に取り組んだ人物であり、藤田もまた「カワイイ」を作った人物だったのだ。

参考

東京の同性愛者の聖地、新宿二丁目地区は、新宿御苑のすぐ近くだ。都心にある緑あふれる公園。温室に咲く花々。
そこは、国際色豊かな来園者を分け隔てなく受け入れている。世界は多様性に満ちている。それぞれに違う自らの生を営んでいるのだ。

「アドニスの園」については、連載の第2回『鉢植えと人間』に詳しく書かれている。

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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