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第29回 平賀源内はいい匂いをさせていたか~江戸のローズウォーター

公開日:2019.8.30

第16回植物園シンポジウム「大江戸ハーブ物語」より

「土用の丑の日のうなぎ」を流行らせた平賀源内(1723~1779?)は、バラの香水を世間に広めるのにも一役買っていたかもしれない。

この8月11日、第16回植物園シンポジウム「大江戸ハーブ物語」のなかで知った。源内は讃岐から江戸に出て、薬用人参の専門家として知られる本草家、田村藍水の門人となった。源内の代表的な著作に「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」がある。田村とともに主催し、精力的に関わった「薬品会」(現在の博覧会)についてまとめたこの本には、薬になる動植物や鉱物など様々な展示品がリストアップされ解説されているのだが、最初に登場するのが、バラの香水、「ローズウォーター」だ。水の部というのを最初に置き、そこには「ローズウォーター」だけがピックアップされているというのが興味深い。

図1 「薔薇露」の項 『物類品隲』 国立国会図書館デジタルコレクションから
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2606523

江戸の女性も使っていたバラの香水

国立国会図書館のデジタルコレクションで見てみると、たしかに水の部に「薔薇露(バラのツユ)」として載っている。オランダ語では「ローズワートル」と呼ばれており、「ランビキ」(蒸留器)によってバラの花びらを蒸留し精製する香水と解説している。長崎にはオランダ人が常時、持ち込んでいて、その製法までも当時の日本人に教えていたことがわかる。

バラの香水は「フラスコ」に入れられ「キヨルコ」(コルクのこと)で栓をする。「サルアルモニヤアカ」(硇砂=塩化アンモニウム)を混ぜることで長期保存が可能になる、といったことまで言及されていて、当時の日本の知識人たちのレベルの高さがうかがわれる。

図2 平賀源内の肖像画

図2は、有名な平賀源内の肖像画。キセルを手にした涼やかな顔つきのイケメンな姿に描かれている。いかにも奇人変人を思わせる奇妙なマゲを結っている。

シンポジウムの第一部で、源内の生涯と業績について話をされた小笠原左衛門尉亮軒氏の話だ。細い髷を後ろから高く曲げて前に乗せる。いなせな本多髷のようだが、月代(さかやき)はそらず黒々としている。「源内櫛」というものがあって、平賀源内が香木を櫛に仕立てて高貴な女性に送ったものだというが、源内は香りをどう利用するかを知っていたのだろう。ローズウォーターも、舶来品を手に入れて楽しんでいたかもしれない。シンポジウムで話されたことによると、バラの香水は源内の時代から広まり、「小町水」などと呼ばれ、徳川家では篤姫も使っていた記録があるそうだ。主な原材料は、ノイバラの花弁、丁字、樟脳で、ランビキを用いて蒸留してつくるものだった。

マルチな才能を発揮した園芸家(本草学者)平賀源内

源内は多才でマルチな分野で他の人が真似できないような仕事を残した。「エレキテル」で有名になったように科学者であり発明家だったし、薬草の栽培も手掛ける本草家(植物や鉱物学者)、蘭学者、地質学者、医者、戯作者(浄瑠璃の脚本家、エロ小説家、エッセイスト、コピーライター)、俳人、油絵(蘭画)を広めた画家、など多芸にして多才。山師(詐欺師)とそしる人もいた。実際に各地に出向いて鉱山開発に関わっている。さらに、江戸時代を通じて最大の経済拡大政策を実施した老中、田沼意次のブレインとも言われ、田沼屋敷に出入りし、厚意を受けていた人物でもあった。

そんな源内のキャリアは讃岐高松藩(現在の香川県)の五代藩主、松平頼恭(よりたか)に引き立てられ、薬草園の管理責任者になったことに始まる。現在の栗林公園にあった薬草園を管理した。源内の知的好奇心は讃岐にとどまることを許さず、長崎、大阪、江戸、そして日本各地へと連れ出し、生涯を浪人の身として生きることを強いた。

この本草家、平賀源内の江戸での舞台となったのは、湯島聖堂だ。この聖堂に祀られている神様は、農業と薬の神様である「神農」。紀元前の中国に現れ、「一日百草を試し、一薬を知るために七十回中毒になった」という伝説の人物で、「神農本草経」を残した。現在「農耕と園藝」の誠文堂新光社からも歩いてすぐだ。ここに源内が生きて、「薬品会」を開いていたのだ。

先述のように、薬品会とは、全国から博物的な価値あるものを集め、見せ、研究する会だった。現代の目を引くエンターテイメントのような博覧会とは異なり、非常に地味な展示だが、源内たちは、各地に散らばる「研究者」たちのネットワークを築き、日本最初期の物産会(博覧会)を主催したのだった。展示会は湯島聖堂で行い、そのあらましを「物類品隲」にまとめる。シンポジウムでは、図を見ながら説明を聞くことができた。

そのなかに珍しいサフランや蝦夷地産のトリカブトの図がある(図3)。アイヌが狩猟などで用いた矢毒の原料であり、さまざまな薬効のある根塊が図示されている。トリカブトの子株である附子 (ブシ)は「ブス」の語源となっている。「ハルンケア」という頻尿改善薬にも欠かせない成分となっているそうだ。

図3 『物類品隲』から トリカブトの図 国立国会図書館のデジタルコレクションから
図4 トリカブトの塊茎 右が親芋の「烏頭」左の子芋が「附子」(孫イモは「天雄」という)※ 藤田早苗之助 農文協 『薬用植物栽培全科』 1972年 P159からマツヤマ作図

図3で注目したいのは、葉の表現だ。拓本のように、葉に墨を塗ってプリントするような技法で描いている。シンポジウムでは、このオリジナリティが源内らしさだと小笠原氏はコメントしていた。このような葉の表現は、のちの「尾張本草」に伝わり、幕末にシーボルトの来日を待つことになる。尾張藩士、水谷豊文ら日本人本草家は、幕府の鎖国政策が続くなかでも、植物学や博物学を受容できるまで自らの学びを成熟させていた。

参考
幕末期「尾張本草」と近代科学の受容
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medlib/history/siryou-2.html

『物類品隲』 平賀源内 解説 杉本つとむ 八坂書房 1972

平賀源内には、ほかにも、以下のような園芸書物がある。

「蕃椒譜」
柴田書店編集部のページから
http://www.shibatashoten.co.jp/dayori/2011/09/14_1003.html

源内の筆跡を(字の輪郭をトレースして中を塗りつぶすといった作業をしている)忠実に複写した写本が残っているという。250年前の唐辛子の品種が当時の色と形を図解した本。

秘伝花鏡
中国の園芸書を送り仮名と返り点を加えて読みやすく直したもの。

「花鏡紀聞」秘伝花鏡をもとに、園芸植物の育て方を書いた初期の本として版を重ね、のちの園芸書「花鏡」系のモデルとなるとともに、幕末の本草家、植物学者、小野蘭山もテキストにして講義している(「秘伝花鏡彙解」小野蘭山の講義をまとめたもの。

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プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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