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第40回 花のエネルギー

公開日:2019.11.15

『花いけの勘どころ 器と色と光でつくる、季節のいけばな』

[著者]上野雄次
[発行]誠文堂新光社
[入手の難易度]易

「風をつかまえた少年」のこと

昨年から、工学院大学のブッククラブに参加している。参加者みんなで1つの本を読み、感想を話したり、問いを立てて互いに意見を述べ合ったり、ときにはお勧め本の紹介などを行っている。先日の選書は、ウィリアム・カムクワンバの『風をつかまえた少年』(文藝春秋、2010)だった。アフリカの最貧国、マラウイの貧しい家庭で育った13歳の少年が自力で大きな風車を建て、電気をつくる。そんな天才少年の話か、と思ってページをめくっていくと、意外にも、400ページにおよぶこの本の約半分まで、主人公の暮らすアフリカ、マラウイの人々の生活と文化、祖父のこと父親のこと、母親のこと、家族のこと、村の様子、友人のこと、というふうに延々と語られていた。とくに2001年の干ばつは凄惨を極め、多くの人が飢餓で亡くなった。少年の家も主食のトウモロコシが底をつき、生死の境をさまようような経験をしている。また、畑の作物が取れず、学費が払えなくなったために、著者は中学校に行けなくなった。それでも勉強がしたい。少年は、NPOがつくった図書室に通うようになるのだが、そこで出会った『風力発電』という1冊の本が運命を変えた。風車があれば、電気をつくれる。水を汲み上げ、畑に水を与えることもできる。水があれば、トウモロコシの二期作も可能になる。「風をつかまえた少年」の物語は、中学3年生向けの英語教科書『NEW CROWN 3』(三省堂)にも掲載されており、広く知られているというのだが、僕は知らなかった。 この本は、「飢饉」とその「危機を乗り越えるための園芸力」という切り口でも読める。また改めて紹介したい。

参考
TEDで行われたカムクワンバの最初の講演動画
https://www.ted.com/talks/william_kamkwamba_how_i_harnessed_the_wind/up-next?language=ja

今年、映画が公開されている(nippon.comのサイトから)
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c03041/

現在のカムクワンバ氏(朝日新聞のサイトから)
https://globe.asahi.com/article/12572434

エネルギーをパワーに変える装置

ウィリアム・カムクワンバ少年は、町のゴミ捨て場に捨ててあった古い機械の部品などを集めて大きな風車を作り上げた。風を受けた四枚の羽根が回ることで、自転車のホイールを回転させ、同じく自転車用のダイナモが回ることで発電する。風でつくられた電気は車用のバッテリーに蓄え、家の中の電球を点灯させ、ラジオを鳴らすことができた。うわさを聞きつけた町の人たちが「ケータイ」の充電をしに列をなすようになった。こんなふうにして少年は有名になっていく。物語を追いかけながら感じたのは、エネルギーは身の回りにあるのに、力に変えられていない、ということ。そして、エネルギーを動力に変えるには、なにか「装置」が必要なのだということだ。カムクワンバ少年にとって、自由に使えるエネルギーは「風」であり、「風車」という装置を発明することでパワーを引き出すことに成功した。振り返って、僕らはどうだろうか。花や緑が持っている多様なエネルギーをちゃんと引き出せているだろうか。パワーに変えられているだろうか。今回、取り上げた『花いけの勘どころ』は、出版されたばかりの本だ。著者は華道家の上野雄次さん。写真撮影は『フローリスト』(誠文堂新光社)でも活躍されている野村正治さん、編集は櫻井純子さんという布陣。図書室に通って1冊の本を見つけて風車をつくったカムクワンバ少年のように、この1冊をもとに、花をどのように扱って動力に変えることができるのか、考えてみよう。

「重力」を意識すること

『花いけの勘どころ』は、6章仕立て。ほんとうに技術的なところは6章の花留めの話くらいで、あとの5章はテキストとそれに関連する作品写真という構成になっている。花への向き合い方、距離、気持ちの寄せ方といった基本から、「光」「器」「重力」「バランス」というキーワードが並ぶ。〈この本は「花って綺麗だ。ちょっといけてみたい」と思っている人のために作った〉と「あとがき」にあるように、自分ための「花いけ」(花をいける行為)を勧めるためにできるだけシンプルに心配りされている。ルールは最小限に、それ以外は、自由に、先入観を捨てて。

僕は、2004年ころだったか、仲卸に勤めていた頃、「花育」の始まりに立ち会った。会社の所在地である品川区の児童館の協力を得て、定期的に花育イベントを企画させてもらい、プログラムを試していくことができた。僕は学生時代にお茶の水女子大学を拠点とする児童文化研究会に参加していて、文京区大塚、白山、千石といった地域で子ども会活動を足掛け8年ほどやった。だから、児童館というところがどんなところかよく知っていたので、品川区の協力は非常にうれしかった。僕らがやろうとしていたのは、子どもたちから学ぶ、ということだった。いろいろな種類の花をいつもたくさん持ち込んで自由に選んでもらうようにしていた。僕らのルールは、いくつもない。「花瓶が倒れないように花を入れるといいよ」ということくらいだった。重要なのは、子どもたちがどんなふうに花と出会い、なにを感じ、語りかけてくるのかに注意すること。会が終わって、家路につく子どもたちを後ろから見ていると、ガーベラを手に持った子どもが花を振り回しながら楽しそうにしていたなあ。。。こんなことを思い出したのは、『花いけの勘どころ』に「重力」という題で、こんなふうに書かれていたからだ。

 生きとしいけるもの、この世に存在するものは必ずエネルギーを持っています。重力に抗う力を持ち、人間ならば、その力の働きに立ち上がることができるのです。しかし、生きていなければ重力に背くエネルギーは失われ、重力に支配され、横になったままです。

 植物も人間同様に、地表から立ち上がっています。ほとんどの植物は、光を求めるために立ち上がります。そして、生まれた場所からほとんど動かずに、一生を終えます。きわめて慎ましやかで控えめです。声を発することもありません。(中略)

 美しいと感じる花いけでは、器と花の単なる形や色の組み合わせだけでなく、それぞれが持つエネルギーの流れを美しくつなぎ表現することが大切になります。

では、どうすれば、「エネルギーの流れを美しくつなぎ表現すること」ができるのか。さらに「花いけと重力」の項へと続きます。

 いけばなの世界では「真を捉える」という言葉をよく使います。これは、重心を理解して花をいけているということです。いけばなに限らず、人間が感じる美のバランスは、もともと真を捉えているものが多くあり、この真というのは重心です。多くの造形は、重心から重力に抗うエネルギーが上に流れています。

いつも存在するのに、目に見えず、意識することもない「重力」。そこに着眼せよ、という。先述のように、「生きているものは重力に抗うエネルギーを持つ」。テキストは、「物質」もまたエネルギーを持っているというふうに続きます。地面やテーブルなどの「接地面」にモノを置くとき、そこには「エネルギーが立ち上がる」のだというのです。たとえば、接地面に器を置く。その器にはエネルギーが蓄えられている。ゆえに、器にいけることで、植物は「器からのエネルギーを獲得できる」。こんなふうに上野さんは、「エネルギー」の存在を感じ取りながら器や花(接地面や植物の器からの立ち上がり方、先端の動きなども含めて)を観察し、花をいけている。「姿」や「動き」、その意味を考えていく。

 器の真を捉えて花をいけ、最後に枝先や葉先あるいは花の先端がどの方向を指すのか、それが獲得したエネルギーが流れる先でもあるということです。(「エネルギーの可視化」)

花の置き場所や光の観察の仕方、利用法など、まさに「勘どころ」が丁寧に解説されたこの一冊。カムクワンバ少年の『風力発電』のように読み込んで、ぜひ、使ってみたいと思う。目に見えないエネルギーを花器に可視化する。料理人が器の上で食材を美しく、おいしく活かすように、フローリストや園芸家も植物の力を存分に引き出していきたいね。

検索ワード

#重力#エネルギー#風#カムクワンバ

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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