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第43回 燃料生産と「密植」(前編)

公開日:2019.12.6

『火の昔』

[著者]柳田國男
[発行]実業之日本社
[入手難易度]易
*文庫版あり。初版本は入手難。
*国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460030

12月に入った。花業界はクリスマスと同時進行でお正月の装飾に向けて準備が始まる。東京では、最初の週末が「松市」、二週目が「千両市」というふうに、毎週日曜日にセリが行われてきた。今年の東京の「松市」は、8日(日)と例年と同じだが、千両市が18日(水)となり、通常の切花市終了後に行われる。翌19日(木)に苔松・苔梅大市。これも鉢物市終了後だ。苔松・苔梅、花梅・南天などは、その後の日程となっている(参考:大田花き)。これも、「働き方改革」の一環だというが、毎週日曜日がセリに追われることを考えるといいことなのかもしれない。

今日は、「火と園芸」「燃料と生産技術」といったテーマで、柳田國男の『火の昔』という本を取り上げようと思っているのだが、その前にまず、お正月に使われる「若松」の畑について見てもらいたい。僕が3年前から通っている茨城県神栖市波崎地区の生産現場で撮影したものだ(図1~8)。

図1 若松の畑。ここは植えてから2年目で収穫は来年か再来年になる。神栖市には、千両の「楽屋」(竹柵で覆われた千両畑)とマツの圃場があちこちに見られる。
図2 10月の後半から11月いっぱいが収穫の季節だ。写真は、収穫途中の畑の様子。極端に密植するために、主枝はまっすぐ、脇枝は短く育ち、雑草は生えない。下葉は自然に枯れて振るだけで落ちる。
図3 作業場で不要な枝を整理し、下葉をきれいに取り去る。その後、太さ・長さ・「穂」のようすなどで「門松」「若松」「カラゲ」など規格ごとに細かく分類し束ねていく。
図4 若松の「穂」の比較。主枝と脇枝のバランスが違う。右を標準としたとき、左は「穂短(ホミジカ)」と呼ぶ。逆に主枝が標準より長いものを「穂長(ホナガ)」と呼んで分けていく。
図5 先端を揃えて50本で束ねていく。丁寧に揃えることできれいな束ができる。
図6 梱包機でバンドをかけたら、規定の長さで裁断し、出荷まで水につけて低温で保管する。
図7 根引き松の一種、「三光松」 定植してから6年目。枝を整理し、最後の2年間はすべての枝に手を入れて(いわゆる「みどり摘み」)、短い葉がつまった状態に仕上げる。

マツの圃場は、とにかく気分がいい

神栖市波崎地区というのは、千葉県の銚子岬の北側に位置しており、太平洋に突き出した半島にある。風力発電の風車がたくさんあることからもわかるように、いつも風があり、空気は澄んでいる。そんな場所にマツの圃場はある。僕はいろいろな植物の圃場を見てきたが、マツは特別な感じを受ける。収穫に参加してみて気づくのは、ここにはマツしかない、ということだ。「超密植」のために雑草もない。地面には共生菌がたくさんいるのだろう。白い菌糸やキノコが見えるが、とにかく、ここは、マツだけの畑なのだ。晴れたよい天気の日に収穫できると、枝を振るだけで枯れ葉はさらさらと音を立てて地面に落ち、きれいになる。風も心地よく感じられ、とにかく、とてもいい気分になるのだ。

「密植」というすごい園芸技術

マツの畑を見て「おや?」「なにか異常だな」と感じ、さらに驚かされるのは、ものすごく密に植えてあることだ。あえて似ているものをあげるとしたら、栃木県鹿沼市の「野州麻」の産地で見た「麻畑」の風景だろうか(福島県大沼郡昭和村で栽培される「カラムシ」の畑も同じように単一作物の密植栽培でまっすぐな繊維を取るという)。いずれもシンプルで特徴のある葉を持ったひとつの植物しかそこにはない。

「若松」は植物名で言えば「クロマツ」で、新芽の色が白く見える(よく似たアカマツの新芽は白い毛で覆われていない)。マツ類は二葉系(クロマツ・アカマツなど)、三葉系(ダイオウショウ・テーダマツなど)、五葉系(ゴヨウマツ・ハイマツなど)がある※が、よく見ると葉はねじれていて、わずかな風でも揺れてキラキラと光る。よい天気の若松畑は、たくさんの白い光を発する天頂部と葉のキラキラが動いて、とても美しい。これらの葉は、葉のすべての面で光を吸収し光合成ができるようなしくみになっているという。キラキラのもとで活発にエネルギーを生産しているのだ。

※一葉系もある(アメリカヒトツバマツなど)

こうして育った若松は定植から3年目と4年目に収穫する。それ以前では小さすぎ、適期を過ぎると大きすぎて商品にならないのだ。今年のように暑い夏や大型の台風、水害になるような雨が降っても、マツはかなり耐えられる(葉先が赤くなったり曲がったりは多少ある)。むしろ、収穫時期に雨が続き、刈り取り用のトラクターや搬出のためのトラックがぬかるんだ畑に入れないことのほうが影響大だったりする。

もうひとつ、マツの生産が面白いのは、この一つの圃場から、「すべての商品」が出てくることだ。図2で見られるような密植された畑のなかにすべてが混在している。「若松」「門松」などの1等から4等といった規格もの、仏花に入れるための細い「カラゲ」、穂と脇枝のサイズがちょうどいい「アレンジ」向きのもの・・・こうした細かい規格商品が、ひとつの圃場から収穫したものを選抜して作り出される。逆にみれば、需要が大きな「カラゲ」だけをもっとたくさん欲しい、という客の要望に答えられないという欠点にもつながる。植物は工業製品のようにはいかないのだ。

ぼくには、「密植」という、たくさんの植物をまっすぐに育てるための人間の知恵や、規格を「見出し」、選抜する観察と発想に興味がある。先にも書いたが、繊維を取るための技術「密植」がある。密植するためには「苗」をつくる(苗を作り、定植する)必要があるのだが、タネを直播するタイプとは異なる系統の園芸技術で、古い歴史を持つ稲作との関連も推察されるという。考えてみれば、「切り花」の生産現場では、「密植」が普通に行われているではないか。背が高くなるような品種を育成し、「F1」や「栄養系」の苗を圃場にたくさん植えて競って生長させ、さらにフラワーネットを入れて、長い茎が倒れないようにする……。

先日、テレビ番組を見ていたら、「吉野杉」の切り出し技術をやっていたのだが、そこでは、ミリ単位でチェンソーを入れる場所をさぐって、正確に木と木の間に伐ったものを倒す「職人のワザ」を紹介していた。この技術が必要なのは、吉野杉が「密植」して育てられているからだ、ということだった。一般的な間隔より小さくすることで脇枝を少なく、まっすぐに育てるための技術だという説明をしていた。

※吉野杉についての参考サイト
http://web1.kcn.jp/woodbase/_yoshinosugi/yoshinosugi_2.html

「若松」の密植技術はどこからきているのか

「園藝探偵」1また、2「植木鉢の話」では「園芸産地が東京の市街地から周辺への移動」に関連して、次のように書いた。

この「園芸産地移動ルート」には大きく二つある。一つは足立区北千住あたりの園芸農家が夏キクの産地西新井大師周辺へと移動、そのほか、梅島、伊興、舎人へと広がる。もうひとつは、亀戸、大島、吾妻、寺島あたりから平井、さらに荒川、中川を越えて西小松川(鹿骨)というふうに広がっていく。この変化は都市の拡大や鉄道の発達によって大正十年頃にはすでに進行していて、関東大震災以後は埼玉、千葉、茨城方面へとさらに広域になっていった。なるほどと思うのは、石炭以前に必要とされた燃料用の松葉の産地も外へ移動していることだ。野田、流山、柏市あたりが松葉の供給地になっていて、そこからお正月の門松も切り出されていたという。現在はさらに東へと移り茨城県鹿嶋地方が主産地となっている。

最後の鹿嶋地方というのは、波崎地区もふくめた地域のことだ。江戸という都市が関東の広大な湿地帯につくられて400余年。都市の住民の生活を支える燃料が周辺から得られる薪炭に頼っていた時代、その主力となったマツやシイは、必要に従って栽培されていたわけで、生産地は都市の拡大とともに移動する。日本は「白砂青松」のマツの国だった時代が長くあった。古墳時代から飛鳥時代、陶器をつくり、鉄を溶かすために山の自然から広葉樹を伐採し尽くして以降、燃料としてのマツの植林が多く行われてきた結果がつくりだした景観なのだという(『マツの絵本』)。

江戸周辺では、たとえば、城下町の防火のために瓦を焼くための窯が浅草周辺にできた。そこで使われる燃料はどうしたか。千葉の行徳で大規模に生産され小名木川(運河)を通じて都市に運ばれた「塩づくり」に欠かせない燃料はどうしたか。

図8 『江戸名所図会』第4  行徳塩釜の図を加工  国立国会図書館蔵

図8は、『江戸名所図会』の行徳(千葉県市川市)の「行徳塩釜の図」から採ったもの。海水を汲み上げて水分を抜くために大量の火力を必要とし、そのために「松葉」と呼ぶ薪を大量に用意しているようすが見て取れる(『マツとシイ』)。江戸時代、各地にあった「塩田」を描いた浮世絵には、かならず幾筋かの「煙」が描かれ、ときに松葉を山のように積み上げたものも見られる。この「松葉」は、「小松」と呼ばれることもあり、運搬しやすいサイズで収穫された松材だった。一年で一度寒い時期に収穫することで松葉がついた状態でドライにし、濡らさぬように積み上げられていた。このような大量生産の技術が、現在、若松の生産に生かされているのではないか、と僕は考えている。

後編につづく。

参考
『広益国産考 大蔵永常』 飯沼二郎・校注執筆 農文協 1984年第8刷(初版1978年)
『松』ものと人間の文化史 高嶋雄三郎 法政大学出版局 1975年
『マツとシイ』現代日本生物誌6 原田洋・磯谷達宏 岩波書店 2000年
『マツの絵本』 福田健二・編 農文協 2016年
『火の科学』 西野順也 築地書館 2017年
行徳塩釜の図 『江戸名所図会 』第4 p299 斎藤幸雄・等著 友朋堂書店 1927年 国立国会図書館蔵
デジタルコレクション  コマ番号154
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174161

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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