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園藝探偵の本棚

第44回 燃料生産と「密植」(後編)

公開日:2019.12.13

『火の昔』

[著者]柳田國男
[発行]実業之日本社
[入手の難易度]易
*文庫版あり。初版本は入手難。国立国会図書館のデジタルコレクションで読める。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460030

ずっと「永島四郎」という人物を追い求めている。明治生まれで大正から戦後に至る日本のフラワーデザイン界の礎をつくったフラワーデコレーター。永島が最初に勤めた伝説的な花店、「東洋園芸株式会社」は新宿駅東口の新宿大通りにあった(『園藝探偵』2)。通りを渡ると、洋食の中村屋、フルーツの新宿高野などがある。通りには市電が走っていて、「角筈」停留所の目の前に当たる。同じ並びには、当時、薪や炭の問屋つをやっていた「紀伊國屋」(現在の紀伊國屋書店)があった。紀伊國屋書店は昭和2年、江戸時代から続く薪炭問屋の八代目、田辺茂一が書店に転じたのが始まりだという。茂一は文化人と幅広く交流を持ち本が好きで芝居が好き、文化のすべてを愛した実に粋な人だったという(※参考サイトから)。田辺家の初代は紀州徳川家の足軽で、七代目鉄太郎の時代までは、薪炭の問屋を営んでいた。人の暮らしと深く関わり、生活に温もりや明かりをもたらす「薪や炭」と「本」を重ねてみるとなんとなく共通点があって面白い感じがする。

※参考 紀伊國屋書店の歴史 (紀伊國屋書店のサイトから)
https://www.kinokuniya.co.jp/c/20150109100001.html

燃料としてさまざまに使われる園芸資源

前回は塩田の話を書いた。図1は、『江戸名所図会』の川崎塩浜の様子(現在の神奈川県川崎市川崎区)。俵状にコモで包まれた塩が舟で運ばれていく。遠くに塩釜を沸かす煙が上がっている。塩浜がある、ということは、周辺から燃料が求められていたはずで、豊かな木材資源が持続可能な状態で供給されていたはずだ。

図1 『江戸名所図会』河崎汐浜の図 国立国会図書館蔵(デジタルコレクション)

マツは苗をつくると成長が早い

江戸周辺では、人口が増えるにつれて周辺地域からの広葉樹(クヌギ・コナラ材など)の薪炭供給だけでは不足気味になってくる。そのため、成長が比較的早いマツの人工林が増えていった(『マツとシイ』)。大蔵永常の『広益国産考』でもマツの項がある。ここでは、マツを育てるには、山から幼苗を採ってくるのではなく、種子を蒔いて苗をつくり、定植することを勧めている(スギも同じだという)。種子を蒔き、苗を作って育てた場合、天然ものが24、25年もかかってやっと薪にできるところを、15~17年で同じくらいに生長させられるのだという。図2は、苗をつくるようす。このように、苗から圃場に定植することで十年たたないうちに薪にできる(「松葉」や「小松」の束)。12、13年もすれば太い材が得られる。大蔵永常は、ヒノキ、スギ、マツは、暖地でも寒冷地でも育つものであるから、不毛の地には必ず植えて育てるべきだ、そうすることが地域の利益の第一となるのだから、と書き示した。明治になって、燃料が石炭や石油へと変わっていくとき、全国にあったマツの人工林は伐採されスギやヒノキが植えられ、景観も変わっていった。園芸も「芸」であり、技術である。「芸」集まりて「業」となる、そんなふうに思う。とても興味深い記事だった。

図2 マツの苗づくり タネを蒔いて二年目(※年明けて旧暦2月)に畝をつくって植え替える。 『広益国産考』 国立国会図書館デジタルコレクションから http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802207 ※コマ番号19
図3 『江戸名所図会』杉田村海鼠製の図 国立国会図書館蔵(デジタルコレクション)

こちら(図3)は、同じく『江戸名所図会』の横浜杉田村(現在の神奈川県横浜市磯子区南部)におけるナマコの加工風景だ。ナマコはゆでて干し、「イリコ」にされる。東京湾で江戸時代、さかんにナマコが捕獲されていたという。これを干したものは、幕府が統制し、中国へ輸出。外貨獲得の一大産品となっていた。イリコは中国料理の高級食材として知られ、長崎を通じて中国大陸に送られていた。フランス、ボルドーのワインとか、ロシアのキャビアといったふうに、日本産の干しナマコは品質がよく有名な商品だった。

図では、ナマコをゆでる大きな釜があり、周囲に大量の薪が積まれている。前回紹介した「松葉」のように細い枝を束ねたものが見える。当時は必要な「火力」によって用いる材料を変えていたはずだ。太い松の枝も使う場面もあったろうし、クヌギ、コナラ、シイノキなどの木炭も流通していた。こうした「工業用燃料」以外に、家庭用の燃料、暖房もある。家事の場面ではもっと繊細で、「わら」を使うときもあった。先日、日本農業新聞の投書欄に次のような記事が掲載されていた。

〈炊飯の火加減 義母との10年 愛知 杉江節子73〉

収穫もたけなわで、農家は繁忙を極めています。採れた新米は、仏前に供えます。結婚して当地に来た頃、台所の主役は大きなかまどでした。義母がご飯を炊こうと、わらをかまどに足していました。「せっちゃんも、わらをくべてみてごらん」と、義母にわらを渡されました。早速、一握りのわらをかまどの奥へ置きました。炊飯の火加減をわらで調節することで、ご飯の炊き上がりが決まります。義母に教わった10年間は、農業の大切さ、素晴らしさを学べました。お母さん、今年の新米ができましたよ。(東海市)

図4 表紙は、「油徳利」を手にタンポポの綿毛を吹く女の子

戦争の末期に書かれた「火の昔」

ようやく、今回の本の紹介にたどりついた。著者の柳田國男は、民俗学の泰斗。民俗学は、大きな意味での歴史学のひとつで、文書によらず、伝承や地域に伝わる道具などをもとに、「類推」という方法で人々の生活文化の変遷を分析する学問だ(本連載の第27回でも紹介したhttps://karuchibe.jp/read/5754/)。時代とともに暮らしは変化するが、それは、地域によって時間差がある。Aという都市では見られなくなった習慣がBにはまだ残っている。新しい技術によって古いものが必要とされなくなり消えていく、その前に、調査をし、記録を残していくことが現在でも重要だ。情報化が進み、変化が早く大きくなった今日では、むしろその重要性はより大きくなっている。

目次には「闇と月夜」「挑燈の形」「蠟燭の変遷」「炬火の起り」「盆の火」「燈籠と蠟燭」「家の燈火」「油と行燈」というふうに39の項目が立てられ、一つのモノからじわりと世界を説明してくれる。意外だなと思うのは、「ちょうちん」が工夫され、人々が普通に手に持って使うようになるのが江戸時代。それまでは、タイマツのように裸火を手にして夜道を歩くほかなかった。そういう時代が長かった。人々は闇に向き合い、怖さや寒さに耐え、火や明かり、温もりを大切にし、神に祈った。世の中の夜が明るくなったのは、ほんの数百年に過ぎない。

今回注目したマツについての記述は、火の歴史を通じて繰り返し登場している。長い間、マツは身近な植物だったのだ。乾燥させた松葉(※冬に収穫する若松のことだと思われる)や油分の多いマツ材を選んで着火材にする(ヒデ松・コエ松)、松ヤニを利用したろうそく、タイマツ(松明)の名に表されるマツの燈火、漁労や祭りで使われる松の明かり、門松の根本を取り巻いた松の割木(※新年の「清い火」を炊くための薪にする)のこと、意外と火力がある燃料としての「松かさ」の利用(松かさ=松ふぐり→松ぼっくり)というふうに、人々がいかに詳しく植物を観察し利用してきたのかがよく分かる。

「火の昔」が出版されたのは、昭和19年。戦況の悪化で物資が枯渇し、国民生活に深刻な影響を及ぼしていた。明治以降、急速に近代化が進み、電気もガスもある暮らしが一変、統制経済のもと、江戸時代以前の昔の暗さに戻りつつあったのだ。柳田は、この本を青少年に向けて、やさしい言葉で書き上げた。軍国主義、愛国主義者らの勇ましい掛け声や戦争協力に動いた文化人たちの称揚する「日本文化」から一線を引いて、柳田が考えるリアルな生活の「文化」について書き残そうとした。〈(火の)文化は国民がともどもつくりあげたものだった〉。

戦争に勝っても(負けても)、偏見や差別することなく、世界の他の国々の人々を助けられるような人間になってほしいと次のように書いている。

〈私たちの祖先の生きてきた跡は、決してまるっきり埋もれてしまってはおりません。そうしておおよそは未開諸国内の、今も文化の恩恵に浴しない人たちと似かよったものを持っていたのです。私たちは早くそういう不便な時代を、通り抜けて進んで来ました。だからこれからは余った力を分けて、おくれてくる者を助けてやらなければなりません。〉

国連の事務職を務めたこともある柳田は戦況の行方を理解していただろう。このころに書かれた「先祖の話」にも、どこか、遺言めいた印象がある。そんな柳田が未来の日本を担う子どもたちに向けて言いたかったことは、日本人が長い間、どのように飢えや寒さ、暗闇に対して向き合ってきたのか。先人の知恵と行動を知ることが未来への希望になるということだったのではないか。〈世の中が進んだということ、今が昔とべてどのくらいよくなっているかということを、考えてみるのには、火の問題がいちばんわかりやすい〉と考え、逆に大人たちのせいで悪くなった現在・・・戦火の迫るなかでこれを書いたのだ。

本というモノが教えてくれること

柳田は先人たちが暖房と煮炊き、照明に用いた「火の歴史」をテーマにして具体的なモノ(道具)を図示しながら丁寧に語っている。図4、5は、実業之日本社から出された初版本のカバーをはずしたところ(装丁と挿画は梅原龍三郎に学び国画会で活躍した洋画家、中村好宏による)。発行から75年。当時は印刷紙も自由にならなかったはずだ。そんななかでつくられたものが、今ここに在る。

図5 裏表紙は燈火
図6 奥付け 初版は3,000部の発行だった。

最後に、現在、東京都板橋区立美術館で開催中の「小さなデザイン 駒形克己」展が行われている(2020年1月13日まで)。駒形さんは、「絵本は子どもといっしょに年を重ねるもの」だと言っている。本が持っている情報以外の価値について考えさせられる言葉だと思う。

※ 板橋区立美術館
http://www.itabashiartmuseum.jp/

参考
『広益国産考 大蔵永常』 飯沼二郎・校注執筆 農文協 1984年第8刷(初版1978年)
『松』ものと人間の文化史 高嶋雄三郎 法政大学出版局 1975年
『マツとシイ』現代日本生物誌6 原田洋・磯谷達宏 岩波書店 2000年
『マツの絵本』 福田健二・編 農文協 2016年
『火の科学』 西野順也 築地書館 2017年
『江戸名所図会』河崎汐浜 コマ番号245 国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174130

川崎の塩づくり
http://arasan.saloon.jp/rekishi/edomeishozue5.html

『江戸名所図会』杉田村海鼠製(なまこをせいす) コマ番号304 国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174130

駒形克己さんについて   ※参考:個人ブログ
http://umeland.air-nifty.com/blog/2013/09/post-5408.html

 

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

 

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