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第48回 AIとデジタルに呑まれないために~「わびさび」の世界観(前編)

公開日:2020.1.10 更新日: 2019.12.25

『Wabi-Sabi わびさびを読み解く For Artists, Designers, Poets & Philosophers』

[著者]レナード・コーレン
[発行]ピー・エヌ・エヌ新社
[入手の難易度]易

ダニエル・オストと日本

世界的に有名なベルギー人のフラワーアーティスト、ダニエル・オストは30年にわたって幾度も来日している。彼が京都で制作した作品を集めた『ダニエル・オストの花 in 京都』(2009)の巻頭の最後の部分に次のような詩が掲げられていた。

Silent flowers
Speak also
To that obedient ear within
—Onitsura

〈もの言わねど 花は 内なる素直な耳に 語りかける ―鬼貫―〉

調べてみると、上島鬼貫(うえしま/うえじま・おにつら)という江戸中期(享保期)に関西で活動した俳人の〈順(したが)ふや 音なき花に 耳の奥〉という句であることを知った。孤高の俳人、鬼貫は「鬼の貫之」という意味でその名を用いたといい、「東の芭蕉、西の鬼貫」と並び称された俳聖だという。「本来無一物」という禅の悟りから「まこと」という形式よりも心情を尊ぶ作風を完成させた。芭蕉の「さび・しおり」と鬼貫の「まこと」は根元を一にする。〈(句の姿を棄てて心を尊ぶというふうに)外形を放擲することは「本来無一物」に帰する行動であり、その無から湧出る澄みきった心緒、それが「まこと」である。その気分が匂となって表現されるものが俳諧だというのである〉(岡田利兵衛著作集Ⅳ『鬼貫の世界』)。〈順ふや 音なき花に 耳の奥〉というこの句も、見えないものを見ようとし、聞こえない音を聞こうとするまっすぐな気持ちが伝わってくる。誰かがオストに日本の鬼貫という俳人の、この句を教えたのだ。オストと日本の関わりについて、とても興味深いインタビュー記事があるから、以下紹介する。これは、僕が切り花の輸入会社に勤めていた頃、ニュースレターで配信するためにテキスト化しておいたものだ。長くなるが、ここに取り上げる。

※鬼貫(1661~1738)について 郷里・伊丹市のHPから
http://www.city.itami.lg.jp/shokai/gaiyorekishibunka/rekishi/1392285884285.html

 

「ダニエル・オスト 独占インタビュー」(訳:ダニエル・オスト東京事務所)ベルギーの花雑誌『fleur creatif』2008年秋号から抄録

―そもそも日本を好きになったきっかけはなんでしょうか?

人生、時折偶然によって導かれるものだと思っています。最初にアジアで縁ができたのは台湾でした。幾度か訪れましたが、常に極東に圧倒的な魅力を感じていました。1983年、初めて日本にまいりました。準優勝を果たしたデトロイトのワールド・カップで、パーティ・バルーンのリーダー的なアメリカの企業のイベントに関わることになって、然るべきところ、日本に行き、私の師匠と出会うことになりました。このときの日本滞在の最後に、アメリカ人のクライアントが、望みを言えばかなえてあげよう、と言ってくれたのです。日本にいる間、書店で日本の茶の湯について栗崎昇さんが書かれた本を見つけたのですが、茶道では花をいかに飾るのかがとても大きな意味を持ちます。私の願いは、栗崎昇さんの花屋に行くこと、でした。日本人が笑い出してしまいましてね、というのも、栗崎さんが経営していたのは花屋ではなくて、東京のおしゃれな街、六本木にある高級ナイトクラブ(※栗という字を分解した「西の木」という名前のお店)だったのです。そのクラブに入った瞬間、目に飛び込んできたのは、私の店(※ベルギー北東部の街、シント・ニクラース)にあるよりもたくさんの花でした。それが信じられないほど素晴らしいアール・ヌーヴォーの花器のコレクションに活けられていました。私を迎えるにあたって、栗崎さんはいつもよりもさらに丁寧に着物をまとわれていました。それ以降、非常に親しくさせて頂いております。

(中略)

大阪で《花の万国博覧会》が行われた1990年、72人が参加したコンクールに日本代表として出るよう依頼されました。結果は金賞、そして日本とベルギーの協働事業ということから、ベルギー国歌のブラバソンヌと日本の君が代の両方が演奏されたのですが、ベルギーの新聞ジャーナリストがこれに気づき、フランダースの民放、VTMでも取り上げられました。(略)

―そこまで幾度も訪日されていると、作品にも影響がありますか?

幸いにも日本でマネージメントをしてくださっている女性が日本の文化を学んでいる関係で、私がそれまで存在すら知らず、とても経験することが叶わなかった様々な儀式や行事、場などを教えてくれました。普通の観光客では体験することのできない日本と出会うことができました。日本人ですら展示がめったにできない、または、全くできなかった場所での展示もおかげさまで実現できました。今、ようやく発表できる段階になったのですが、外国人の私が初めて、あのもっとも神聖にして有名な金閣寺で3日間も展示できることになったのです(※2009年)。確かに私の花の捉え方と日本の感性との間に通い合うものがあると思います。また、ここまで幾度も日本に行きながら何も学んでいなければ、私は自ら大変愚かな人間だということにもなります。ここまで惹きつけられていなければ、こんなに訪日を繰り返すことはなかったでしょう。私が日本を本拠地とするか否かは、妻に迷惑をかけずに自分で決めなければなりません。花の世界での日本の特徴は花や花材を日本人は実に尊重しながら扱っていることではないかと思います。

われわれは、量を気にかける傾向がありますが、日本人は古来より1万輪の花よりも1輪の花が雄弁に語りうることを承知しています。今、私はこのことを常に心がけるようにしています。この仕事をしていますと、自制心というのがとても大切です。そして年を重ねると、一つの題材だけでは人間バランスを崩し、気まぐれになりがちだということ意識するようになります。年月を経るにしたがい、私も日本人に似てきたと思います。(以下略)

花の魂を見出す Discovering the soul of flowers (p10 囲み記事)

「花や自然素材の魂を見出せるようにならなければ」とフローリストのダニエル・オストは語る。進化、ということよりも模索と実験が大事です。一歩一歩発見があり、どこかで自動的に制限をかけることになるでしょう。これが常に物足りなさ、落ち着かなさを引き起こします。そして人間は「 Wabi – Sabi 侘び寂び」という枯れたもの、風化したものに風情を見出す考え方に至ります。丹念に、丁寧に、時間をかけて観ることで初めて見えてくる美しさが日本の花の飾り方の芸術にすでに存在していますが、そこが西洋との大きな違いでもあります。(以下略)

図1 農家の庭先に落ちていた獅子ユズ 自然に還ろうとしている。循環する時間の中で静かに変化していく。無に向かっているのか、それとも再生しようとしているのか。(マツヤマ撮影)

2020年、世界に向けて

きょうも、前段が長くなってしまった。今回用意した本『Wabi-Sabi わびさびを読み解く』の中で、著者のレナード・コーレンは、「わびさび」という方法について、その重要性を次のように書いている。

情報社会ではあらゆるものが0か1で信号化されていくのだが、わびさびは、その0と1の間にある「連続階調(グラデーション)」に存在する。〈わびさびが提示するのは、まさに解像度と微調整の問題なのである。〉〈(私たちが直面している危機とは)一部のテクノクラートたちーー芸術家でもなく、デザイナーでもなく、詩人でもなく、哲学者でもない人びとーーによって、何が「大きな意義を持つものか」、何が「取るに足りないものか」、何が「今日的問題を持つものか」、何が「重要なものか」が決定されていることに、もっと危惧の念を抱くべきではないだろうか?〉〈繊細さが希薄化の一途をたどる世界が続けば、やがて私たちは「実際の生活」の中に存在しているはずの微妙さ、精妙さを理解し、察知する能力を失ってしまうだろう〉。予見される未来に胸を痛め、私たちの世界が縮小し貧しくなっていくことに苦痛を感じるべきではないか、と言うのだ。日本に10年ほど滞在していたというコーレンは、わびさびを在る種の「思考の道具(思考ツール)」のように使って生活の未来を創造するきっかけにできないかと考えてこの本を作った。1994年に出版されて以降、各国語に翻訳され世界中の有名デザインショップやライフスタイルショップなどに置かれるようになったという。インテリアやフラワーデザインで「ZEN(禅)」スタイル、「和のテイスト」などと呼ばれるシンプルな装飾トレンドが起きるのが2000年代になってからだが、本書の時代とピタリと重なって見える。(後編へ続く)

参考
『ダニエル・オストの花 in 京都』 ダニエル・オスト・著 扶桑社 2009
『鬼貫の世界』岡田利兵衛著作集Ⅳ 岡田利兵衛 八木書店 1998
『fleur creatif』2008年秋号 ベルギーのフラワーデザインの雑誌。ダニエル・オストが監修しているという。Rekad Publishing House刊 https://fleurcreatif.com/

検索キーワード

#ダニエル・オスト#上島鬼貫#栗崎昇#花博#万国博覧会#獅子ユズ

著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

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