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第50回 寅さんと「小さな農業」〜1本「5000円」のレンコン

公開日:2020.1.24

『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』

[著者]野口憲一
[発行]新潮社
[入手の難易度]易

『れんこんのあな』(月刊『かがくのとも』2011年12月号)

[著者]松田真澄
[発行]福音館書店
[入手の難易度]易

『レンコン(ハス)の絵本』

[編者]おざきゆきお(尾崎行生)
[発行]農文協
[入手の難易度]易

元日、新聞に折り込まれた分厚い広告にざっと目を通し、ホームセンターの特売に手が止まった。50CCクラスの2サイクルエンジンを積んだミニ耕うん機が1万6000円で10台出ていた。定価の半額以下なのでこれは買いだと思い、初売りで手に入れた。残り6台だった。年が開けてから時間ができたので、庭の畑を片付けたり、道具を置く棚を作ったりしている。おもちゃのようなミニ耕うん機だが、鍬で半日かかる仕事が1時間で終わった。疲れかたが違うので助かる。

映画も久しぶりに見た。「男はつらいよ お帰り寅さん」。シリーズ開始から50年目の50作目、山田洋次監督88本目の新作だという。過去の映像を鮮明にして編み込んでいて、懐かしさを感じさせる不思議な「新作」だった。会社を辞め、人気の小説家として歩み出した寅さんの甥っ子、満男が主人公。あいかわらず、はっきりしない性格だが、両親や寅さんのいいところを引き継いで思いやりのある大人・父親になっていた。家族や親戚、ご近所の人たちがいて、人には「帰る場所がある」というのは、とても大切なのだと感じられる。確かに、時には、わずらわしいこともある。映画では、寅さんの「メロン騒動」が回想される。メロンひとつのことで大騒ぎになるのだが(「寅さん/メロン騒動」といったキーワードで検索してみてください)、それでも、人が排除され、孤立してどうしようもなくなるよりはずっといい。公的なケア、社会保障でもなく、「自己責任」と突き放されるのでもない、「中間」にある社会的なセーフティネット(安全網)が生きている世界を示している。回想シーンには、こんなセリフもあった。(満男)「人間は何のために生きてんのかな……」(寅)「難しいこと聞くな、お前は……何と言うかな、あー生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。人間そのために生きてんじゃねえのかな」。

寅さんと「方角屋」

寅さん映画の舞台になった葛飾・柴又というのは、中川と江戸川に挟まれた江戸時代以来の低湿地にあたる。「矢切の渡し」で江戸川を渡れば千葉県松戸市だ。本連載第47回でも触れたが、隅田川(荒川)から江戸川にかけての広大な流域は洪水の多い土地で、百万人が暮らす大都市、江戸の台所需要を満たすために様々な野菜がつくられていた。コカブ、エダマメ、コマツナなどが代表だ。野菜だけでなく、四季折々に楽しみをもたらし、暮らしを豊かにするさまざまなものが生産され運ばれていた。

お正月の「しめ縄」、「七草」、節分の「ひいらぎ」「まめがら」、端午の節句の「湯しょうぶ」、お盆の「マコモ(ゴザ)」「ほうろく」「蓮の葉」「ミソハギ」「ガマの穂」、夏の「カジカ(蛙)」「金魚」「亀」、秋の「鳴く虫」、年末は酉の市の「熊手」「羽子板」などなど、実に雑多でひとくくりにできない。こうしたものを「際物」と呼ぶ。

切り花や鉢物もこのような「際物」のひとつ、と考えることができる。朝顔やほうずき、吊りシノブ、ハナショウブなどだ。先に挙げたハス、ミソハギ、ガマ、湯ショウブなども、現代まで花屋の扱う商品として続いている。注目したいのは、マコモやセリ、ハスをはじめとして水生植物が多く含まれていることだ。この地域(隅田川と江戸川流域)では、小菊や畑の野菜なども栽培されていたが、「陸のものより水のもの」の方が安定している、と考えられていたという(『際物作りの担い手』18ページ)。安定というのは、収穫量や品質を指しているだろうし、異常気象に強い、あるいは復元力がある、といった意味なのではないか。

「際物」に携わっていた人たちというのは、思うように米をつくれなかった家が多かった。土地の面積が少ない、日陰になる、土地が低く排水が悪い、というような条件の悪い場所で、いろいろなものを作り、採取して「多品目を扱う小さな農業」を実践するほか生きるすべがなかったのだ。そして、意外にも米よりも大きな収益をあげる「際物」もあった。そうした「際物」を販売する人たちも地域の中から出てくる。「寅さん」が柴又から出てくるのも、こうした社会的な背景があったのではないかと想像する。「男はつらいよ」の主題歌にも「どぶに落ちても根のあるやつはいつかは蓮(はちす)の花と咲く」と、ハス田に関連する歌詞があるのも面白いと思う。

千住(柴又方面からは中川を渡ったところ)にはかつて大きな青物市場があった。地理的に周辺の農産物が集まる要所だ。この市場界隈に出没した小商いのなかに「ホウガクヤ」と呼ばれる人々がいたという。「彼らは青物市場で安いリンゴを仕入れては、それを産地直送の新鮮でおいしいリンゴであるといって売り歩いていた」(『際物の市』堀充宏 44ページ)。リンゴだけでなく他にもいろいろなものを扱うのだが、いいかげんな商売ゆえに、同じ場所に何度も行くと都合が悪いのでいろいろな場所で売り歩くようになる。「方角屋」の多くは出稼ぎに出てきていた地方出身者だったそうだが、なかには、東京近郊の農家もいて、農閑期の副業として商いをしていた。「だってそうでもしなかったら食っていけないもの。農家だけでやっていこうとしたら四町歩はないと無理なんだよ。そんな家ここらあたりじゃあ、ありゃしなかったからね。」(『際物の市』)

「5000円」のレンコンを売る

「際物」は、季節の到来を示すアイコン(記号)であると同時に縁起物、祭具としての意味がある。そこに「福徳」を感じ取るためには、売り方が重要になる。スーパーなどで、パックされたお盆用品、しめ飾りなどが販売されるようになった現代、不透明な価格付けや押し売りされることはなくなった。しかし、「際物」が単なるモノとして売られることで失われていく、価値もあるのではないか。(『際物作りの担い手』28ページ)また、「際物」を買うというより、こういうものだと売りつけられることで、季節の行事を楽しみ、味わうことが成り立っていた。(『際物の市』52ページ)「売り手」が行事(福徳・価値)を創造してきたとも言えるのではないか。

『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』を書いた野口憲一は、社会学で博士号を持つ異色の農家だ。日本有数のレンコン産地、茨城県かすみがうら市で代々レンコンを作り続ける専業農家の長男として生まれ、農家は継がないつもりで民俗学、社会学を修め母校で助手・非常勤講師となる。しかしその後、実家に入り、民俗学の研究を続けながら、1本5000円のレンコンを商品化し、売るようになる、その試行錯誤の取り組みを書いている。まさに、「売り手」が新しい価値を創造した事例だと思う。野口の取り組みはこれまでもマスコミによって数多くの記事になった。最近では1月11日の朝日新聞「ひと」欄にも登場した。

参考 朝日新聞のサイトから(一部有料)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14322994.html

このところ、季節柄、レンコン栽培の記事を見かけるのだが、共通点がある。「新規就農」「耕作放棄地/休耕田の活用」「自然栽培」「販路の開拓」そして、「女性」だ。管理や収穫などたいへんな仕事だが、生産物の売り先も見つかり、手応えを感じているという。

参考
日本農業新聞2019年12月29日首都圏版 〈「本職に出合えた」 千葉県佐倉市竜田藍子さん 谷津田開墾しレンコン〉

日本農業新聞2020年1月9日首都圏版 〈耕作放棄地増やしたくない レンコンに挑戦 千葉・JA長生 細田さん〉

レンコンは、昭和30年代(1970年に始まる減反政策がきっかけ)から生産量が急速に増え、ハウス栽培により一年中出回るようになった。労働のわりに収益が残らない品目になっていく。「1本5000円のレンコン」の野口は、生産から流通、販売までの工程は時代を経て分業化してきたのだが、それをできるだけ自分たちでやるようにすることが重要だという。それを「取り戻していく」のだと表現している。「農業は儲からない、それでもやり甲斐のある仕事だからいいじゃないか」というような考え方は「やり甲斐搾取」だ。野口がやったことは、どれも特別なことではない。育てるのは難しいが自分たちがほんとうにうまいと思うレンコンの「味よし」という品種をもとに、商品(用途、対象、価格、パッケージ)を考案し、展示会に出店して顧客を探す。ホームページをつくる、SNSで発信する、さまざまな場所で自ら説明し、調理し、販売する。失敗と成功を繰り返しながら売れるようにしていった。

「民俗学」が価値創造の土台になる

この本が面白いのは、民俗学・社会学からレンコンを見ているところだ。実は、90年代以降、社会の急激な変化によって、民俗学の資料となる生活文化、「民俗文化財」そのものが消失するなか、学問の先行きが疑問視され議論されるようになったという。文化財保護法という法律により、「保護」されるべきもの、伝統とはどういうもので、どのように保護すべきなのか。高齢化や人口減により地域社会の存続が危ぶまれるなかで、文化財を保護するために祭りが維持されるというような方法と目的が逆転するようなことが問題になっている。

一方では、柳田國男が唱えていた民俗学の考えは、「人間の生活や文化は変化するものだ」というものであって、古い伝統をそのままに保護するといった考えとは異なっていたとする人たちもいる。町おこしや村おこしが、過去の伝統や文化財をストーリーにして利用するだけでは未来につながらないのではないか。「創られた伝統」=〈「伝統」や「民俗」はそう遠くない過去に意図的に創られたものである〉という概念がある。これをもとに、野口は、生活や文化は変化するもの、自ら新しい伝統をここから創るのだと考えた。よく言われる「マーケット・イン」でもなく、単純な「プロダクト・アウト」でもない、非常にユニークで注目すべき考え方だと思う。儲かる仕組みをつくろうとするとき、経済学やマーケティングのツールではなく、民俗学や歴史、地理、環境、社会学といった方向からアプローチし、商品を磨き上げていくという方法もあるのだ。

レンコンは寒さに耐えるために太る

花を見るなら「ハス」、実は「ハチス」、食べるときは「レンコン」になる(食用・薬用)。面白い。千葉県民にはゆかりの深い2000年前の古代ハス「大賀ハス」は、深い地層に埋もれて見つかった。発掘作業には小中学生のボランティアが参加し、調査作業打ち切り日の前日に七中の生徒、西野真理子さんが青泥中から1個のタネをふるい出した(『蓮の文華史』)。僕は2度、タイに花の視察で出かけたが、街のあちこちで、八重のハスの花弁を巧妙に折りたたんだ供花を目にしたのを思い出す。『れんこんのあな』と『レンコン(ハス)の絵本』は、どちらも子ども向けに書かれたものだが、写真ではなく、精密な絵図で構成されていてわかりやすい。植物としてのハスやレンコン、農家の仕事のようす、調理方法など関連する情報を、ざっくりとつかめる。

・レンコン(ハスの肥大根茎)の穴は、呼吸のための空気を通す穴
・ジャガイモやニンジンも呼吸している 畑の土の中にはたくさんのすき間がある
・レンコンが肥大するのは、冬越しのため(肥大しない部分は枯死する)
・レンコンは昼間が短くなると肥大し始める
・レンコンが肥大し始める頃「トメバ(止め葉)」が出る(『植物記』牧野)
・レンコンは横に切るとシャキシャキ、縦に切るとホクホクな食感が出る

図1 レンコンは切り方や調理の仕方で食感が変わる。参考サイトhttps://media.365market.jp/post_detail.php?post_no=9700

「蓮屋」と呼ばれた男たち

今日も長くなった。最後に「蓮屋」の伝説を示して終わろうと思う。蓮屋とは、蓮掘りを専門とする職人をいう。『際物づくりの担い手』の冒頭に置かれた話だ。

〈江戸川区葛西・篠崎・小岩や葛飾区下小松といった地域では大正時代後半から蓮根栽培が盛んに行われるようになった。蓮根は地中に隠れた根を収穫して出荷するもので、その根を上手に掘り出すのはなかなかむつかしいことであった。地上にある茎や花の状態から地中の根がどのように張っているのかを判断してテスキと呼ばれる小さな鋤で手探りで蓮を掘るのである。根が傷付いたり折れたりしたならば商品価値は大きく落ちてしまう。掘り出した蓮根は大きさや形から等級を付けて出荷する。見栄えよくすれば値段が付くので梱包の方法や技術にも工夫が凝らされた。「上手に蓮がまるければ(梱包できれば)一人前だ」というほどで、とくに「ダルマ」と呼ばれる梱包方法は技術が必要だった。〉

〈蓮屋という職人はこの蓮根掘りも梱包も抜群に上手だった。〉レンコンは本来、農家自身が栽培し出荷するのが原則だが、〈蓮屋とはこうした蓮根栽培をする農家を渡り歩き、通常の農家が掘る約三倍の能率で蓮を掘り出したものだという。ダルマと呼ばれる梱包もお手のもので、欠けた商品価値のない蓮根を巧みに見えないように蓮の束に隠す技術なども持ち合わせていたものだという。蓮屋は蓮根掘りのエキスパートであり、そういう意味で職人という名がふさわしかった。蓮屋への賃金は大工の二倍が相場だったという。蓮掘りの最盛期は十一月から三月ころで、この間に蓮屋は一年間生活していけるだけの収入を得たものであった。蓮屋は農家の次三男が多く、生活していけるだけの耕地を持たない人が多かったという。〉

そんな蓮屋は、稼いだ金をすべて酒や遊びに使い切る者が多く、短命で、金を残した人は少なかったそうだ。地域で話を聞くと、蓮屋のなかには農閑期に熊手をつくり、蓮根の時期が終わると「ほうずき」を栽培し市に出ていた、という話もよく聞かれたという。

参考
葛西蓮根 江戸東京野菜 JAサイト
https://www.tokyo-ja.or.jp/farm/edomap/tokyo17.php

関連
石田波郷の「江東歳時記」に江戸川区宇喜田町の蓮根が取り上げられている。

 

参考
『植物記』牧野富太郎・著 筑摩書房 2008 〈蓮の話・双頭蓮と蓮の曼荼羅〉
『際物の市』 葛飾区郷土と天文の博物館 1996
『際物作りの担い手』 葛飾区郷土と天文の博物館 1998
『蓮の文華史』三浦功大・編著 かど創房 1994
『日本の野菜』青葉高・著 八坂書房 1993

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著者プロフィール

松山誠(まつやま・まこと)
1962年鹿児島県出身。国立科学博物館で勤務後、花の世界へ。生産者、仲卸、花店などで勤務。後に輸入会社にてニュースレターなどを配信した。現在、花業界の生きた歴史を調査する「花のクロノジスト」として活動中。

 

 

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